集英社版の『漱石文学全集』より「吾輩は猫である」。本日は第一章と二章を読了。ガイダンスにしている『なぜ漱石は終わらないのか』(石原千秋・小森陽一著、河出文庫、2022年)に「『猫』は一章ずつ読み切るのが大事なのです。」(p53小森)があり一章ずつ読むことに。
漱石の処女作品で1905(明治38)年1月『ホトトギス』に第一章が掲載。もともとは読み切りの予定でしたが好評につき続編を書いたそうです。
明治の知識人の知識人の他愛もない会話と、人間社会の観察者として猫社会の典型を置いた構造が秀逸。風俗小説なので解説がないとさっぱりわかりませんが落語の語り口の文体は年月を経ても読みやすく気になりません。
幕臣漱石の日露戦争で優勢に立ち驕る日本の警鐘と読めます。挿絵は茨木杉風。
第一
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
第二
吾輩は新年来多少有名になつたので、猫ながら一寸鼻が高く感ぜらるゝのは難有(ありがた)い。
p31
書を讀むや躍るや猫の春一日(ひとひ)
p50
(飼い主のお師匠さんは)「何でも天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行つた先の御つかさんお甥の娘んだんだつて」
p86
甘木醫學士…伊丹十三の「甘木氏」(=某氏)
p92
要するに主人も寒月も迷亭も太平の逸民で、彼らは絲瓜(へちま)の
如く風に吹かれて超然と澄し切つて居る様なものゝ、其實は矢張り娑婆氣もあり慾氣にある。
p53
「『猫』は一章ずつ読み切るのが大事なのです。
