漫画原作「この世界の片隅に」は第1回が「昭和18年12月」に始まります。すずさんは18歳になり、呉市に住む北条家の求めで嫁ぐことが決まります。太平洋戦争は歴史年表からみると敗色濃厚で、国民の生活もかなりの耐乏生活だったのでしょうが、日々の暮らしは貧しい中にも結構のんびりとした様子です。かなりの報道管制が敷かれていたのでしょうか。
「男女七歳にして席を同じうせず」出典「礼記」、戦前の女性は婚礼も親同士の家で決められ自由意志がほとんどなく、嫁入り前まで節操を要求されます。すずさん自身の女性観はわかりません。フェミニズムの思想がなかったので、特に深く考えることもなく、親の勧めで呉に嫁ぐことを観念したものと思われます(悲壮感はありません)。
すずさんの学歴は判然としませんが、恐らく尋常小学校卒業後、家業のノリ養殖を手伝っていたと想像されます。嫁ぎ先の北条家の長男・周作は広島市の学校に通ったとありますので、県立の旧制中学校卒業と思われます。
[あらすじ]
太平洋戦争中の1943年(昭和18年)12月、18歳の浦野すずが草津の祖母の家で海苔すきの手伝いをしていると、突然縁談の知らせがくる。急ぎ帰宅したすずが覗き見たのは、呉から来た北條周作という青年だった。
ウィキペディアより
[臨保(りんぽ)]
叔母さんが「臨保の集まりがある」として養殖ノリの加工作業を中断します。現代の「町内会」に近い組織かと想像されます。
町内会
ちょうないかい
1935年ころから内務省の指導下に全国的に普及し,40年に整備をみた市街地住民の自治組織であるが,内務省の地方行政機構の下部に位置づけられることによって,日本ファシズムの末端組織として機能した。町内会は,1928年以来都市を中心とする防空演習のなかで組織化されつつあったが,35年の選挙粛正運動の実行単位として,農村部における部落会とともに,にわかに注目を浴びた。日中戦争の泥沼化にともない,国民精神総動員のための実践組織として,町内会,部落会を市町村の下部に組み込むことが不可欠となった。そのため内務省は,40年9月11日に〈部落会町内会等整備要領〉を発令し,戦時体制を支える行政の末端組織として部落会,町内会を整備することとした。町内会は,国民の道徳的錬成と精神的団結の基礎組織として位置づけられ,隣保団結によって地方共同の任務を遂行し,国策を国民に徹底させ,かつ国民生活における地域経済統制単位とされた。また町内会,部落会の実行組織として,10戸前後の隣保班が編成され,それぞれの単位で常会を開くことにより,上意下達を円滑に行うことが目ざされた(〈隣組〉の項参照)。
他方,同年に近衛文麿を中心とする新体制運動によって大政翼賛会が成立したが,同会でも上意下達,下情上通のための運動組織として,町内会,部落会にその機能を期待した。その結果42年5月の閣議で,大政翼賛会が部落会,町内会を指導する組織であることが正式に決定され,8月から実行された。さらに43年の地方制度全面改正において,町内会は市制,町村制の末端補助機関として法的にも規定されることになった。この間,町内会には配給事務を円滑に行うために消費経済部が設置され,割当配給制度の運用などを行うことになった。町内会,部落会は生活物資の配給組織として,住民の日常生活の不可欠の単位となり,また住民相互の監視機構としても機能した。法律上は,47年5月,ポツダム政令15号の公布によって廃止された。 芳井 研一
[第2次大戦後] 連合国最高司令官によって解散を命ぜられた町内会は,法制的にはまったく姿を消したものの,とくに配給品の受取りと配布に関し地区住民が協力組織を必要としていたこともあり,法的根拠が消滅しても任意団体として組織が再建される場合が多く,その比率は政令公布後3ヵ月ですでに約80%に達していた。1952年のサンフランシスコ講和条約発効とともに,この政令15号も自動的に失効となったが,町内会はその後も法制化されてはいない。しかし法律で定められるか否かとはかかわりなく,日本の都市地域ではほとんどの地区で町内会が組織され,末端行政の補完機関として,住民の相互扶助機関(防犯,衛生,青少年指導など)としての役割を果たしている。一方,町内会に対しては保守的伝統的組織という批判も強く,非協力的動きもある。60年代以降には町内会に代わる組織としてコミュニティの形成が説かれ,多くの自治体がその政策を進めているが,実際には町内会に依存する例も少なくない。⇒コミュニティ 中村 八朗
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[決戦服]
すずさんがノリ養殖作業中に、胴長靴を着て「決戦服」と呼ばれます。軍服のことと想像されます。太平洋戦争は敗色濃厚でしたが報道規制があったのかすずさんの生活上ではあまり感じません。
[食料事情]
お昼ご飯がおかゆと御新香のようです。祖母が嫁入り用の着物を「物交(ぶっこう、=物々交換)」で手に入れるという挿話があり、配給制の下、貨幣経済が行き詰まり、という感じがします。祖母とすずさんが会話をする部屋の壁がはげ落ちて修復されていないところを見ると暮らしぶりはかなり厳しいものがあったようです。
[女性の活動範囲]
すずさんは嫁ぎ先の呉に出かけたことはないようです。祖母の実家は古江ですが近距離の草津に嫁入りしたことでさえ、祖母の心情では遠くに来た、という心情のようです。
[女性の貞操]
祖母から初夜の心得を習い、久しぶりに会った同級生の水原さんには「嫁入り前の者がみだりによその男と喋るもんじゃない」と諭されます。
[江波の埋め立て]
昭和15年に工業港建設のために埋め立て。すずさんの実家では父親がノリ養殖を廃業。江波沖にできた工場で働いているそうです。


