お堅い岩波新書にはめずらしい、ポピュラー音楽の単一のアーティストを扱った作品が採用。
60年代から始まるロックの歴史の中で、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、エルビス・プレスリーなどのビッグ・ネームに比肩するボブ・ディランは、一般的なロック・ファインにはにわかに理解しがたい存在です。他のビッグ・ネームのようなレコード・セールスは記録してませんし、作品は時に難解であり、言動も一般人には不可解と写ります。それでもボブ・ディランの存在がなければ多くのロック・アーティストが別の道を歩んだ可能性が高く、唯一無二の存在と言えます。
当方は熱心なファンでもなく、ごく一般的なリスナーにすぎません。70歳を超えた今も毎年100を超えるステージをこなすパフォーマーの元気の素がどこにあるのかもわかりません。
他のビッグ・ネームが過去の一時期の作品の繰り返しの評価に過ぎないのに対し、ディランは今でも現役です。
当方が一番ディランを聴いたのは1974年のThe Bandと組んだ"Before The Flood"(日本版タイトル『偉大なる復活』(オートバイ事故の療養の後のツアーだったのでこの題名か?)です。フォークの貴公子というレッテルを張られて、エレキギターのサウンドに転向したと非難された有名な1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルの傷も癒えて、ディランの声は元気で、長年のパートナーであるThe Bandとの息もぴったりと合ってます。比較的メロディーラインが軽快で理解しやすいレコードだったのかもしれません。
当方のロックとの蜜月時代は1970年代の限られた期間であり、それ以外の時期のディランは知識としてしか知りません。本書の丁寧なクロニクルの記述を読むと今一度最初からディランを聴き直す意味があると思いました。
ボブ・ディランの分かりにくさについて、デビューを後押ししたプロディーサーのジョン・ハモンドは語っています。
P253
「ボブ・ディランは最高のアーティストであり、非常に理解しにくい人物だった。彼は空想の世界に住んでいるのだ。そしてその世界は、我々の住む現実の世界をおおってしまう。それほど彼は強い何かを持っていた。彼は自分自身の仮面(ペルソナ)をつくり出し、それを自分の音楽に役立てていた。彼の音楽とその仮面とのバランスは何とも言えぬ力があった」
新書の副題は「ロックの精霊」です。ボブ・ディランは聴衆に向けて演奏しているのではなく、何か天から降臨した音楽の神に導かれてパフォーマンスしているのかも知れません。凡人の常に数歩先を歩きながら。
あとがきの末尾に湯浅さんの印象的な一行があります。
P262
「この世にいながらにしてすでに、あの世の自分に勝利している男ボブ・ディランは、今日も誰かに歌っている、はずだ。」
下記は、日本経済新聞に掲載された書評です。音楽評論家ではなく英米文学者の佐藤良明さんの書評というところがディランらしいです。引用します。
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『ボブ・ディラン』(湯浅学著、岩波新書、2013年)
成長する才能と野心、激動する時代と音楽、繰り返される成功と逃走と和解の過程が、年代記として綴(つづ)られる。中学時代からほぼ60年、アルバムにしてほぼ50枚。手垢(てあか)のついた話題もあり、登場人物も錯綜(さくそう)するのだが、全体を淡々と読ませてしまうところがニクイ。
ディランといえば賛否両論の人だが、物議を通り越して音楽を聴くこと、ライブを観(み)ることに謙虚であろうとすると、叙述も自(おの)ずとしずまるのだろう。
積み重ねられる短文は、ときどき詩的な凝縮を見せる。ディランの小説『タランチュラ』について2行だけ、「言葉が雨になり河になり風になり、また雨になり葉脈を流れていく、イメージの奔流のような小説」と記す。
一つの世紀を代表するようなアーティストもまた、雨になり河をつくり風になる。その様(さま)を描くには、しかし、ファンとしての長い年月が必要になる。
読みながら、グレイトフル・デッドとのライブ(80年代末)あたりで落ち着きを取り戻したというディランの、その後の生き様の記述が腑(ふ)に落ちた。湯浅さんは試聴家であると同じように読書家であって、昨年翻訳されたプロデューサー、ダニエル・ラノワの自伝『ソウル・マイニング』からも、43年前の(浜野サトル氏の)雑誌評論からも、納得のいく解釈を引っぱってくる。ディランの音楽を「アメリカ音楽史」という広い文脈に接続するところには、大和田俊之氏らによる最新の研究とも共鳴する。
やれフォークだ、ロックだと、「人為的に生み出されたジャンルがなかったころの音楽(中略)を、ボブの歌は容易に想像させる」という説明に同感だ。ポップ産業は、大衆の願望の、分かりやすい対象を示すことで盛り上がるものだが、ディランを聞き続けることは、その原理が崩れ、ビジネスの理屈がアート自体によってやりこめられる現場に立ち会うことである――。
そんな痛快な洞察が、小さいながら恰幅(かっぷく)のよいこの本に、収まっているのである。
(米文学者 佐藤良明)
[日本経済新聞朝刊2014年1月12日付]
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