2020年11月15日日曜日

[積読立読斜読] 『陰翳礼賛』(谷崎潤一郎著、大川裕弘写真、パイインターナショナル、2018年) 2/6

 大川裕弘さんの写真で谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』スローリーディング中。

大川さんの写真が素晴らしいので、6回にわけて投稿します。

テキストは青空文庫からお借りしました。























五

 紙と云うものは支那人の発明であると聞くが、われ/\は西洋紙に対すると、単なる実用品と云う以外に何の感じも起らないけれども、唐紙や和紙の肌理きめを見ると、そこに一種の温かみを感じ、心が落ち着くようになる。同じ白いのでも、西洋紙の白さと奉書や白唐紙の白さとは違う。西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は、柔かい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。そうして手ざわりがしなやかであり、折っても畳んでも音を立てない。それは木の葉に触れているのと同じように物静かで、しっとりしている。ぜんたいわれ/\は、ピカピカ光るものを見ると心が落ち着かないのである。西洋人は食器などにも銀や鋼鉄やニッケル製のものを用いて、ピカピカ光る様に研みがき立てるが、われ/\はあゝ云う風に光るものを嫌う。われ/\の方でも、湯沸しや、杯や、銚子等に銀製のものを用いることはあるけれども、あゝ云う風に研き立てない。却って表面の光りが消えて、時代がつき、黒く焼けて来るのを喜ぶのであって、心得のない下女などが、折角さびの乗って来た銀の器をピカピカに研いたりして、主人に叱られることがあるのは、何処の家庭でも起る事件である。近来、支那料理の食器は一般に錫製のものが使われているが、恐らく支那人はあれが古色を帯びて来るのを愛するのであろう。新しい時はアルミニュームに似た、あまり感じのいゝものではないが、支那人が使うとあゝ云う風に時代をつけ、雅味のあるものにしてしまわなければ承知しない。そしてあの表面に詩の文句などが彫ってあるのも、肌が黒ずんで来るに従い、しっくりと似合うようになる。つまり支那人の手にかゝると、薄ッぺらでピカピカする錫と云う軽金属が、朱泥のように深みのある、沈んだ、重々しいものになるのである。支那人はまた玉ぎょくと云う石を愛するが、あの、妙に薄濁りのした、幾百年もの古い空気が一つに凝結したような、奥の奥の方までどろんとした鈍い光りを含む石のかたまりに魅力を感ずるのは、われ/\東洋人だけではないであろうか。ルビーやエメラルドのような色彩があるのでもなければ、金剛石のような輝きがあるのでもないあゝ云う石の何処に愛着を覚えるのか、私たちにもよく分らないが、しかしあのどんよりした肌を見ると、いかにも支那の石らしい気がし、長い過去を持つ支那文明の滓おりがあの厚みのある濁りの中に堆積しているように思われ、支那人があゝ云う色沢や物質を嗜好するのに不思議はないと云うことだけは、頷ける。水晶などにしても、近頃は智利チリから沢山輸入されるが、日本の水晶に比べると、智利チリのはあまりきれいに透きとおり過ぎている。昔からある甲州産の水晶と云うものは、透明の中にも、全体にほんのりとした曇りがあって、もっと重々しい感じがするし、草入り水晶などと云って、奥の方に不透明な固形物の混入しているのを、寧ろわれ/\は喜ぶのである。ガラスでさえも、支那人の手に成った乾隆グラスと云うものは、ガラスと云うよりも玉ぎょくか瑪瑙めのうに近いではないか。玻璃を製造する術は早くから東洋にも知られていながら、それが西洋のように発達せずに終り、陶器の方が進歩したのは、よほどわれ/\の国民性に関係する所があるに違いない。われ/\は一概に光るものが嫌いと云う訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳かげりのあるものを好む。それは天然の石であろうと、人工の器物であろうと、必ず時代のつやを連想させるような、濁りを帯びた光りなのである。尤も時代のつやなどと云うとよく聞えるが、実を云えば手垢の光りである。支那に「手沢」と云う言葉があり、日本に「なれ」と云う言葉があるのは、長い年月の間に、人の手が触って、一つ所をつる/\撫でているうちに、自然と脂が沁み込んで来るようになる、そのつやを云うのだろうから、云い換えれば手垢に違いない。して見れば、「風流は寒きもの」であると同時に、「むさきものなり」と云う警句も成り立つ。とにかくわれ/\の喜ぶ「雅致」と云うものの中には幾分の不潔、かつ非衛生的分子があることは否まれない。西洋人は垢を根こそぎ発き立てて取り除こうとするのに反し、東洋人はそれを大切に保存して、そのまゝ美化する、と、まあ負け惜しみを云えば云うところだが、因果なことに、われ/\は人間の垢や油煙や風雨のよごれが附いたもの、乃至はそれを想い出させるような色あいや光沢を愛し、そう云う建物や器物の中に住んでいると、奇妙に心が和やいで来、神経が安まる。それで私はいつも思うのだが、病院の壁の色や手術服や医療機械なんかも、日本人を相手にする以上、あゝピカピカするものや真っ白なものばかり並べないで、もう少し暗く、柔かみを附けたらどうであろう。もしあの壁が砂壁か何かで、日本座敷の畳の上に臥ねながら治療を受けるのであったら、患者の興奮が静まることは確かである。われ/\が歯医者へ行くのを嫌うのは、一つにはがり/\と云う音響にも因るが、一つにはガラスや金属製のピカピカする物が多過ぎるので、それに怯えるせいもある。私は神経衰弱の激しかった時分、最新式の設備を誇るアメリカ帰りの歯医者と聞くと、却って恐毛をふるったものだった。そして田舎の小都会などにある、昔風の日本家屋に手術室を設けた、時代後れのしたような歯医者の所へ好んで出かけた。そうかと云って、古色を帯びた医療機械なんかも困ることは困るが、もし近代の医術が日本で成長したのであったら、病人を扱う設備や機械も、何とか日本座敷に調和するように考案されていたであろう。これもわれ/\が借り物のために損をしている一つの例である。



六

 京都に「わらんじや」と云う有名な料理屋があって、こゝの家では近頃まで客間に電燈をともさず、古風な燭台を使うのが名物になっていたが、ことしの春、久しぶりで行ってみると、いつの間にか行燈式の電燈を使うようになっている。いつからこうしたのかと聞くと、去年からこれにいたしました。蝋燭の灯ではあまり暗すぎると仰っしゃるお客様が多いものでござりますから、拠んどころなくこう云う風に致しましたが、やはり昔のまゝの方がよいと仰っしゃるお方には、燭台を持って参りますと云う。で、折角それを楽しみにして来たのであるから、燭台に替えて貰ったが、その時私が感じたのは、日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。「わらんじや」の座敷と云うのは四畳半ぐらいの小じんまりした茶席であって、床柱や天井なども黒光りに光っているから、行燈式の電燈でも勿論暗い感じがする。が、それを一層暗い燭台に改めて、その穂のゆら/\とまたゝく蔭にある膳や椀を視詰めていると、それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを持ったつやが、全く今までとは違った魅力を帯び出して来るのを発見する。そしてわれ/\の祖先がうるしと云う塗料を見出し、それを塗った器物の色沢に愛着を覚えたことの偶然でないのを知るのである。友人サバルワル君の話に、印度では現在でも食器に陶器を使うことを卑しみ、多くは塗り物を用いると云う。われ/\はその反対に、茶事とか、儀式とかの場合でなければ、膳と吸い物椀の外は殆ど陶器ばかりを用い、漆器と云うと、野暮くさい、雅味のないものにされてしまっているが、それは一つには、採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のせいではないであろうか。事実、「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ。今日では白漆と云うようなものも出来たけれども、昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。派手な蒔絵まきえなどを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか、文台とか、棚とかを見ると、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蝋燭のあかりにして見給え、忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう。古えの工藝家がそれらの器に漆を塗り、蒔絵を画く時は、必ずそう云う暗い部屋を頭に置き、乏しい光りの中における効果を狙ったのに違いなく、金色を贅沢に使ったりしたのも、それが闇に浮かび出る工合や、燈火を反射する加減を考慮したものと察せられる。つまり金蒔絵は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろ/\の部分がとき/″\少しずつ底光りするのを見るように出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云い知れぬ餘情を催すのである。そして、あのピカピカ光る肌のつやも、暗い所に置いてみると、それがともし火の穂のゆらめきを映し、静かな部屋にもおり/\風のおとずれのあることを教えて、そゞろに人を瞑想に誘い込む。もしあの陰鬱な室内に漆器と云うものがなかったなら、蝋燭や燈明の醸し出す怪しい光りの夢の世界が、その灯のはためきが打っている夜の脈搏が、どんなに魅力を減殺されることであろう。まことにそれは、畳の上に幾すじもの小川が流れ、池水が湛えられている如く、一つの灯影を此処彼処に捉えて、細く、かそけく、ちら/\と伝えながら、夜そのものに蒔絵をしたような綾を織り出す。けだし食器としては陶器も悪くないけれども、陶器には漆器のような陰翳がなく、深みがない。陶器は手に触れると重く冷たく、しかも熱を伝えることが早いので熱い物を盛るのに不便であり、その上カチカチと云う音がするが、漆器は手ざわりが軽く、柔かで、耳につく程の音を立てない。私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたゝかい温味ぬくみとを何よりも好む。それは生れたての赤ん坊のぷよ/\した肉体を支えたような感じでもある。吸い物椀に今も塗り物が用いられるのは全く理由のあることであって、陶器の容れ物ではあゝは行かない。第一、蓋を取った時に、陶器では中にある汁の身や色合いが皆見えてしまう。漆器の椀のいゝことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁ふちがほんのり汗を掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつゝあることを知り、その湯気が運ぶ匂に依って口に啣ふくむ前にぼんやり味わいを豫覚する。その瞬間の心持、スープを浅い白ちゃけた皿に入れて出す西洋流に比べて何と云う相違か。それは一種の神秘であり、禅味であるとも云えなくはない。



七

 私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥へ沁むようにジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとを聴きつゝこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境に惹き入れられるのを覚える。茶人が湯のたぎるおとに尾上の松風を連想しながら無我の境に入ると云うのも、恐らくそれに似た心持なのであろう。日本の料理は食うものでなくて見るものだと云われるが、こう云う場合、私は見るものである以上に瞑想するものであると云おう。そうしてそれは、闇にまたゝく蝋燭の灯と漆の器とが合奏する無言の音楽の作用なのである。かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹ようかんの色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉ぎょくのように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。けだし料理の色あいは何処の国でも食器の色や壁の色と調和するように工夫されているのであろうが、日本料理は明るい所で白ッちゃけた器で食べては慥かに食慾が半減する。たとえばわれ/\が毎朝たべる赤味噌の汁なども、あの色を考えると、昔の薄暗い家の中で発達したものであることが分る。私は或る茶会に呼ばれて味噌汁を出されたことがあったが、いつもは何でもなくたべていたあのどろ/\の赤土色をした汁が、覚束ない蝋燭のあかりの下で、黒うるしの椀に澱んでいるのを見ると、実に深みのある、うまそうな色をしているのであった。その外醤油などにしても、上方では刺身や漬物やおひたしには濃い口の「たまり」を使うが、あのねっとりとしたつやのある汁がいかに陰翳に富み、闇と調和することか。また白味噌や、豆腐や、蒲鉾や、とろゝ汁や、白身の刺身や、あゝ云う白い肌のものも、周囲を明るくしたのでは色が引き立たない。第一飯にしてからが、ぴか/\光る黒塗りの飯櫃めしびつに入れられて、暗い所に置かれている方が、見ても美しく、食慾をも刺戟する。あの、炊きたての真っ白な飯が、ぱっと蓋を取った下から煖かそうな湯気を吐きながら黒い器に盛り上って、一と粒一と粒真珠のようにかゞやいているのを見る時、日本人なら誰しも米の飯の有難さを感じるであろう。かく考えて来ると、われ/\の料理が常に陰翳を基調とし、闇と云うものと切っても切れない関係にあることを知るのである。


[晴ときどき英語のお勉強] 中学校の教科書での大人の学びなおし英語編 NEW CROWN 3 lesson 5

中学校の教科書での大人の学びなおし。英語編。

本日はレッスン5を学習しました。

文法は関係代名詞(主格・目的格)。 





Lesson 5 

Places to Go, Things to Do


① Match the picture and the country. [Egypt, Switzerland, the USA, Italy]

② Which picture do you like the best? What do you like about it?



GET Part 1

This is a book that shows houses in Asia. This is a ger, a traditional house in Mongolia. Some people in Mongolia move their gers with the seasons. This way of life is interesting. So I’d like to visit Mongolia and stay in one.


Notes

モンゴルの遊牧民

人口の約15%



POINT 関係代名詞(主格)Ⅰ

Thatを使って人やものを説明するとき


A book

A book that has beautiful pictures

I have a book that has beautiful pictures.



Practice

Speak

A: I want to live in a house that has a fireplace. It’s a big house that has a beautiful gate.

B: That sounds nice.


Write

I want to live in a big house that has a fireplace and a beautiful gate.



Word Bank 家

Foof

Chimney

Ceiling

Wall

Gate

Floor

Carport

Fireplace



GET Part 2

This is a film which was made by George Lucas. He is a director who made some of the world’s most exciting films. I am a fan of his films. I want to go to Hollywood and learn how to make films.


POINT 関係代名詞(主格)Ⅱ


① who

Whoを使って「人」を説明するとき

Mr White is a teacher that comes from Australia.

= Mr White is a teacher who comes from Australia.


② Which

Whichを使って「もの」を説明するとき

This is a bus that goes to the station.

= This is a bus which goes to the station.



Practice

Speak

A: They’re people who design houses. Who are they?

B: Thye’re architects.


Write

Architects are people who design houses.



Word Bank 職業

Actor

Artist

Scientist

Writer

Architect

Carpenter

Lawyer

Politician


Do you want to be an actor? – Yes, I do. / No, I don’t.



GET Part 3

I want to go to Kenya. This is a postcard that I got from Kenya. My uncle sent it to me. It shows some animals that you can see there. Have you seen them in the wild? It must be wonderful to see them.


POINT 関係代名詞(目的格)


This is the letter that made me happy.


① That 

That を使って「人・もの」を説明するとき

This is the letter that I received yesterday.


This is the book which moved me.


② Which

Which を使って「もの」を説明するとき

This is the book which I read last night.


[memo]

 この本は私を感動させる。

This book moves me.


Practice


Speak

A: The schoolyard is the place that I like the best at school. How about you, Yumi?

B: The gym is the place that I like the best at school.



Write

The gym is the place that I like the best at school.



Word Bank 学校の施設

Schoolyard

Gym

Library

Teachers’ room

Principal’s office

Music room

Art room

Nurse’s office



USE Read


Brazil 

I want to visit Brazil. There are three things that I want to do there. First, I like soccer. No, I love it. It is a sport that many Brazilians also like. In the past few years, Brazil has hosted two major sports events – the football World Cup in 2014 and the Olympics and Paralympics in 2016. In these events, we were able to see Brazilians’ love for sports and soccer in particular. So, I want to go to play soccer with Brazilians. 


Host(ed):主催する

In particular: 特に


Second, I want to experience Carnival in Rio de Janeiro. It is a famous festival which takes place every year, usually in February. Over two million people attend every day’s events. The highlight of Carnival is the Samba Parade. Over 200 teams take part in it. Each team makes beautiful costumes and floats. They are based on special themes that each team chooses. The themes can come from history or nature. Some members dance to exciting samba music. I want to dance with them. 


Take place: 行われる

Take part in- :~に参加する

Flost(s):(祭りなどの)山車


Finally, I want to talk with Japanese-Brazilians. About 100 years ago, many Japanese people who wanted a better future left Japan. My grandmother’s aunt was among them. They went far away to Brazil to make new lives in a new land. They faced many difficulties. They worked very hard to overcome them. Now there are about 1.5 million Japanese-Brazilians. I want to meet some of them and talk with them about their challenges. Why do I want to visit Brazil? It’s easy. Sports, Carnival and history.



調べよう

各国のスポーツ、食事、動物、名所について調べよう


Australia

Capital: Canberra; Area: 7,692,000km2, Population: 22,000,000

Things to Do in Australia

Sports to play: Aussie football, rugby, cricket, life-saving

Foods to eat: fish and chips, beef steak, BBQ

Animals to see: koalas, kangaroos, emus, crocodiles, dolphins

Sights to visit: Opera House, Uluru, Great Barrier Reef


India

Capital: New Delhi; Area: 3,287,000km2; Population: 1,241,000,000

Things to Do in India

Sports to play: kabaddi, cricket, field hockey

Foods to eat: many kinds of curry, nan, lassi, chai

Animals to see: elephants, cows, tigers, rhinoceroses, peacocks

Sights to visit: Taji Mahal, India Gate, the Ganges River


The USA

Capital: Washington D.C.; Area: 9,629,000km2; Population: 313,000,000

Things to Do in the USA

Sports to play: American Football, baseball, basketball, ice hockey

Foods to eat: hamburger, doughnut, chowder, beef steak

Animals to see: eagles, bears, coyotes, bisons, crayfish

Sights to visit: Satue of Liberty, Grand Canyon, Hollywood


China

Capital: Beiging,; Area: 9,596,000km2; Population: 1,347,000,000

Things to Do in China

Sports to play: Chinese martial arts, table tennis, gymnastics

Foods to eat: Chinese noodles, dumplings, Chinese tea

Animals to see: pandas, tigers, elephants, golden monkyes

Sights to visit: the Great Wall, Fjian Tulou, the Place Museum



USE – Speak

行きたい場所についてスピーチをしよう

Hello, everyone. I want to visit Okinawa. These are pictures that my friend sent me from Okinawa. We can swim and see tropical fish in the warm and clear sea. We can eat local food like ‘soki soba’. We can learn how to dance the ‘eisa’. It is a traditional dance that is performed with drums. There are many interesting things to do in Okinawa. Thank you.



Lesson 5 文法のまとめ

関係代名詞(主格)


人・もの

I have a book that has beautiful pictures.

人

My White is a teacher who comes from Australia.

もの

This is a bus which goes to the station.



関係代名詞(目的格)…関係代名詞が目的語の役割をしている(省略可)

人・もの

This is the letter that I received yesterday.

もの

This is the book which I read last night.








2020年11月14日土曜日

[その他] 広島掃除に学ぶ会 平和大通り街頭清掃

 


11月14日(土曜日)は広島掃除に学ぶ会の活動で平和大通りの街頭清掃に参加しました。


長女+孫2人も参加。

2020年11月13日金曜日

[積読立読斜読] 『名句の所以(ゆえん)』(小澤實著、毎日新聞出版、2018年)冬の部 (5)

 



そなさんと知つての雪の礫かな(沢田はぎ女)



温暖化・核家族化で、「冬」の俳句への距離がかなり遠いですね。

週休二日制、大型連休もあり、正月休へのありがたみも薄れました。

「冬の部」は今回で終わりです。


呵々大笑入歯はづして年忘(五百木瓢亭)


行年や空地の草に雨が降る(青木月斗)


大年の何に驚く夜啼鶏(佐藤春夫)


大年(おおどし)=大晦日、元日の朝啼く鶏は初鶏として賞するが。。。


あおあおと年越す北のうしほかな(飯田龍太)


つぎつぎに子が着き除夜の家となる(福田甲子雄(きねお))


ろう製のパスタ立ち昇りフォーク宙に凍つ(関悦史)


「ろう」は環境依存文字


潦(にわたずみ)かはかんとして凍てにける(五十崎古郷)


潦(にわたずみ)=みずたまり


そなさんと知つての雪の礫かな(沢田はぎ女)


「そなさん」=そなたさま


雪はげし抱かれて息のつまりしこと(橋本多佳子)


雪・躰・雪・躰・雪 跪く(田中亜美)


みちのくの星入り氷柱われに呉れよ(鷹羽狩行)


いま落ちし氷柱が海に透けてをり(橋本鶏二)


極寒の塵もとゞめず岩ふすま(飯田蛇笏)


羽もなく鰭(ひれ)もなく春待つてをり(藤井あかり)





















[惹句どんどん] 里中哲彦(『教養として学んでおきたいビートルズ』(マイナビ出版、2020)より)

 



天才とは量をこなせる人である。
それも「一万時間」という量を。


ビートルズはデビュー前のハンブルクでリハーサルも含めると4年間で一万時間の演奏をこなしたそうです。著者のビートルズの入門書より。

[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著、PHP、2019年)11月13日~11月16日


 

心の幅

 長寿社会になったからといって、人間の寿命がこれまでの二倍に延びることはありません。

 しかし、寿命には限界があっても、心の幅はその人の努力次第で無限に広げることができます。

 年齢とともに心の幅を広げていくと、人としての面積が大きくなります。さらに厚みが加わると、その人の人生の価値が大きく変わってきます。


[ひとり「広島掃除に学ぶ会」] 通勤途上のゴミ拾い 11月9日(月)~13日(金)

 通勤途上のゴミ拾い、粛々と継続中です。








2020年11月12日木曜日

[惹句どんどん] 細野晴臣(アルバム『Hosonova』より)

ぎこちなくこのまま 死ぬまで生きてるだけ

 


11月3日、今年の「レコードの日」企画で再発された細野晴臣さんの『Hosonova』(2011年)収録の1曲。「Walker's Blues」の一節。


当方も、最近そう思いはじめました。


Walker's Blues

細野晴臣・作詞作曲歌


着の身着のまま きみはきみのまま

ぼくはぼくのまま ともかく歩くだけ


沈む心もち 昇る夢心地

ぎこちなくこのまま 死ぬまで生きてるだけ


そのうちいつか辿り着けば

そこがパラダイス

とどのつまり

魂を鎮め手を取り合い歩く


脇目も振らず 眼を見開き

魔物にかまわず 先へと急ぐだけ


そのうちいつか辿り着けば

そこがパラダイス

とどのつまり

魂を鎮め手を取り合い歩く


着の身着のまま きみはきみのまま

ぼくはぼくのまま ともかく歩くだけ


沈む心もち 昇る夢心地

ぎこちなくこのまま 死ぬまで生きてるだけ



2020年11月11日水曜日

[積読立読斜読] 『陰翳礼賛』(谷崎潤一郎著、大川裕弘写真、パイインターナショナル、2018年) 1/6

 大川裕弘さんの写真で谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』スローリーディング中。

大川さんの写真が素晴らしいので、6回にわけて投稿します。

テキストは青空文庫からお借りしました。




















『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)


一

 今日、普請道楽の人が純日本風の家屋を建てて住まおうとすると、電気や瓦斯ガスや水道等の取附け方に苦心を払い、何とかしてそれらの施設が日本座敷と調和するように工夫を凝らす風があるのは、自分で家を建てた経験のない者でも、待合料理屋旅館等の座敷へ這入ってみれば常に気が付くことであろう。独りよがりの茶人などが科学文明の恩沢を度外視して、辺鄙な田舎にでも草庵を営むなら格別、いやしくも相当の家族を擁して都会に住居する以上、いくら日本風にするからと云って、近代生活に必要な煖房や照明や衛生の設備を斥ける訳には行かない。で、凝り性の人は電話一つ取り附けるにも頭を悩まして、梯子段の裏とか、廊下の隅とか、出来るだけ目障りにならない場所に持って行く。その他庭の電線は地下線にし、部屋のスイッチは押入れや地袋の中に隠し、コードは屏風びょうぶの蔭を這わす等、いろ/\考えた揚句、中には神経質に作為をし過ぎて、却ってうるさく感ぜられるような場合もある。実際電燈などはもうわれ/\の眼の方が馴れッこになってしまっているから、なまじなことをするよりは、あの在来の乳白ガラスの浅いシェードを附けて、球をムキ出しに見せて置く方が、自然で、素朴な気持もする。夕方、汽車の窓などから田舎の景色を眺めている時、茅葺きの百姓家の障子の蔭に、今では時代おくれのしたあの浅いシェードを附けた電球がぽつんと燈っているのを見ると、風流にさえ思えるのである。しかし煽風器などと云うものになると、あの音響と云い形態と云い、未だに日本座敷とは調和しにくい。それも普通の家庭なら、イヤなら使わないでも済むが、夏向き、客商売の家などでは、主人の趣味にばかり媚びる訳に行かない。私の友人の偕楽園主人は随分普請に凝る方であるが、煽風器を嫌って久しい間客間に取り附けずにいたところ、毎年夏になると客から苦情が出るために、結局我を折って使うようになってしまった。かく云う私なぞも、先年身分不相応な大金を投じて家を建てた時、それに似たような経験を持っているが、細かい建具や器具の末まで気にし出したら、種々な困難に行きあたる。たとえば障子一枚にしても、趣味から云えばガラスを篏めたくないけれども、そうかと云って、徹底的に紙ばかりを使おうとすれば、採光や戸締まり等の点で差支えが起る。よんどころなく内側を紙貼りにして、外側をガラス張りにする。そうするためには表と裏と桟を二重にする必要があり、従って費用も嵩かさむのであるが、さてそんなにまでしてみても、外から見ればたゞのガラス戸であり、内から見れば紙のうしろにガラスがあるので、やはり本当の紙障子のようなふっくらした柔かみがなく、イヤ味なものになりがちである。そのくらいならたゞのガラス戸にした方がよかったと、やっとその時に後悔するが、他人の場合は笑えても、自分の場合は、そこまでやってみないことには中々あきらめが付きにくい。近来電燈の器具などは、行燈式のもの、提燈式のもの、八方式のもの、燭台式のもの等、日本座敷に調和するものがいろ/\売り出されているが、私はそれでも気に入らないで、昔の石油ランプや有明行燈や枕行燈を古道具屋から捜して来て、それへ電球を取り附けたりした。分けても苦心したのは煖房の設計であった。と云うのは、およそストーヴと名のつくもので日本座敷に調和するような形態のものは一つもない。その上瓦斯ガスストーヴはぼう/\燃える音がするし、また煙突でも付けないことにはじきに頭痛がして来るし、そう云う点では理想的だと云われる電気ストーヴにしても、形態の面白くないことは同様である。電車で使っているようなヒーターを地袋の中へ取り附けるのは一策だけれども、やはり赤い火が見えないと、冬らしい気分にならないし、家族の団欒にも不便である。私はいろ/\智慧を絞って、百姓家にあるような大きな炉を造り、中へ電気炭を仕込んでみたが、これは湯を沸かすにも部屋を温めるにも都合がよく、費用が嵩むと云う点を除けば、様式としてはまず成功の部類であった。で、煖房の方はそれでどうやら巧く行くけれども、次に困るのは、浴室と厠かわやである。偕楽園主人は浴槽や流しにタイルを張ることを嫌がって、お客用の風呂場を純然たる木造にしているが、経済や実用の点からは、タイルの方が万々優っていることは云うまでもない。たゞ、天井、柱、羽目板等に結構な日本材を使った場合、一部分をあのケバケバしいタイルにしては、いかにも全体との映りが悪い。出来たてのうちはまだいゝが、追い/\年数が経って、板や柱に木目もくめの味が出て来た時分、タイルばかりが白くつる/\に光っていられたら、それこそ木に竹を接いだようである。でも浴室は、趣味のために実用の方を幾分犠牲に供しても済むけれども、厠になると、一層厄介な問題が起るのである。



二

 私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つく/″\日本建築の有難みを感じる。茶の間もいゝにはいゝけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋おもやから離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻うなりさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。私はそう云う厠にあって、しと/\と降る雨の音を聴くのを好む。殊に関東の厠には、床に細長い掃き出し窓がついているので、軒端や木の葉からしたゝり落ちる点滴が、石燈籠の根を洗い飛び石の苔を湿おしつゝ土に沁み入るしめやかな音を、ひとしお身に近く聴くことが出来る。まことに厠は虫の音によく、鳥の声によく、月夜にもまたふさわしく、四季おり/\の物のあわれを味わうのに最も適した場所であって、恐らく古来の俳人は此処から無数の題材を得ているであろう。されば日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない。総べてのものを詩化してしまう我等の祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中へ包むようにした。これを西洋人が頭から不浄扱いにし、公衆の前で口にすることをさえ忌むのに比べれば、我等の方が遙かに賢明であり、真に風雅の骨髄を得ている。強いて缺点を云うならば、母屋から離れているために、夜中に通うには便利が悪く、冬は殊に風邪を引く憂いがあることだけれども、「風流は寒きものなり」と云う斎藤緑雨の言の如く、あゝ云う場所は外気と同じ冷たさの方が気持がよい。ホテルの西洋便所で、スチームの温気がして来るなどは、まことにイヤなものである。ところで、数寄屋普請を好む人は、誰しもこう云う日本流の厠を理想とするであろうが、寺院のように家の廣い割りに人数が少く、しかも掃除の手が揃っている所はいゝが、普通の住宅で、あゝ云う風に常に清潔を保つことは容易でない。取り分け床を板張りや畳にすると、礼儀作法をやかましく云い、雑巾がけを励行しても、つい汚れが目立つのである。で、これも結局はタイルを張り詰め、水洗式のタンクや便器を取り附けて、浄化装置にするのが、衛生的でもあれば、手数も省けると云うことになるが、その代り「風雅」や「花鳥風月」とは全く縁が切れてしまう。彼処がそんな風にぱっと明るくて、おまけに四方が真っ白な壁だらけでは、漱石先生のいわゆる生理的快感を、心ゆく限り享楽する気分になりにくい。なるほど、隅から隅まで純白に見え渡るのだから確かに清潔には違いないが、自分の体から出る物の落ち着き先について、そうまで念を押さずとものことである。いくら美人の玉の肌でも、お臀や足を人前へ出しては失礼であると同じように、あゝムキ出しに明るくするのはあまりと云えば無躾千万、見える部分が清潔であるだけ見えない部分の連想を挑発させるようにもなる。やはりあゝ云う場所は、もや/\とした薄暗がりの光線で包んで、何処から清浄になり、何処から不浄になるとも、けじめを朦朧もうろうとぼかして置いた方がよい。まあそんな訳で、私も自分の家を建てる時、浄化装置にはしたものの、タイルだけは一切使わぬようにして、床には楠の板を張り詰め、日本風の感じを出すようにしてみたが、さて困ったのは便器であった。と云うのは、御承知の如く、水洗式のものは皆真っ白な磁器で出来ていて、ピカピカ光る金属製の把手などが附いている。ぜんたい私の注文を云えば、あの器は、男子用のも、女子用のも、木製の奴が一番いゝ。蝋塗りにしたのは最も結構だが、木地のまゝでも、年月を経るうちには適当に黒ずんで来て、木目が魅力を持つようになり、不思議に神経を落ち着かせる。分けてもあの、木製の朝顔に青々とした杉の葉を詰めたのは、眼に快いばかりでなく些の音響をも立てない点で理想的と云うべきである。私はあゝ云う贅沢な真似は出来ないまでも、せめて自分の好みに叶った器を造り、それへ水洗式を応用するようにしてみたいと思ったのだが、そう云うものを特別に誂えると、よほどの手間と費用が懸るのであきらめるより外はなかった。そしてその時に感じたのは、照明にしろ、煖房にしろ、便器にしろ、文明の利器を取り入れるのに勿論異議はないけれども、それならそれで、なぜもう少しわれ/\の習慣や趣味生活を重んじ、それに順応するように改良を加えないのであろうか、と云う一事であった。


       


三

 既に行燈式の電燈が流行り出して来たのは、われ/\が一時忘れていた「紙」と云うものの持つ柔かみと温かみに再び眼ざめた結果であり、それの方がガラスよりも日本家屋に適することを認めて来た証拠であるが、便器やストーヴは、今以てしっくり調和するような形式のものが売り出されていない。煖房は私が試みたように炉の中へ電気炭を仕込むのが一番いゝように思うけれども、かゝる簡単な工夫をすら施そうとする者がなく、(貧弱な電気火鉢と云うものはあるが、あれは煖房の用をなさないこと、普通の火鉢と同じである)出来合いの品と云えば、皆あの不恰好な西洋風の煖炉である。が、こう云う些末な衣食住の趣味について彼れ此れと気を遣うのは贅沢である。寒暑や飢餓を凌ぐにさえ足りれば様式などは問う所でないと云う人もあろう。事実、いくら痩せ我慢をしてみても「雪の降る日は寒くこそあれ」で眼前に便利な器具があれば、風流不風流を論じている暇はなく、滔々としてその恩沢に浴する気になるのは、已むを得ない趨勢であるけれども、私はそれを見るにつけても、もし東洋に西洋とは全然別箇の、独自の科学文明が発達していたならば、どんなにわれ/\の社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか、と云うことを常に考えさせられるのである。たとえば、もしわれ/\がわれ/\独自の物理学を有し、化学を有していたならば、それに基づく技術や工業もまた自おのずから別様の発展を遂げ、日用百般の機械でも、薬品でも、工藝品でも、もっとわれ/\の国民性に合致するような物が生れてはいなかったであろうか。いや、恐らくは、物理学そのもの、化学そのものの原理さえも、西洋人の見方とは違った見方をし、光線とか、電気とか、原子とかの本質や性能についても、今われ/\が教えられているようなものとは、異った姿を露呈していたかも知れないと思われる。私にはそう云う学理的のことは分らないから、たゞぼんやりとそんな想像を逞しゅうするだけであるが、しかし少くとも、実用方面の発明が独創的の方向を辿っていたとしたならば、衣食住の様式は勿論のこと、引いてはわれらの政治や、宗教や、藝術や、実業等の形態にもそれが廣汎な影響を及ぼさない筈はなく、東洋は東洋で別箇の乾坤を打開したであろうことは、容易に推測し得られるのである。卑近な例を取ってみると、私はかつて「文藝春秋」に万年筆と毛筆との比較を書いたが、仮りに万年筆と云うものを昔の日本人か支那人が考案したとしたならば、必ず穂先をペンにしないで毛筆にしたであろう。そしてインキもあゝ云う青い色でなく、墨汁に近い液体にして、それが軸から毛の方へ滲み出るように工夫したであろう。さすれば、紙も西洋紙のようなものでは不便であるから、大量生産で製造するとしても、和紙に似た紙質のもの、改良半紙のようなものが最も要求されたであろう。紙や墨汁や毛筆がそう云う風に発達していたら、ペンやインキが今日の如き流行を見ることはなかったであろうし、従ってまたローマ字論などが幅を利かすことも出来まいし、漢字や仮名文字に対する一般の愛着も強かったであろう。いや、そればかりでない、我等の思想や文学さえも、或はこうまで西洋を模倣せず、もっと独創的な新天地へ突き進んでいたかも知れない。かく考えて来ると、些細な文房具ではあるが、その影響の及ぶところは無辺際に大きいのである。


四

 そう云うことを考えるのは小説家の空想であって、もはや今日になってしまった以上、もう一度逆戻りをしてやり直す訳に行かないことは分りきっている。だから私の云うことは、今更不可能事を願い、愚痴をこぼすのに過ぎないのであるが、愚痴は愚痴として、とにかく我等が西洋人に比べてどのくらい損をしているかと云うことは、考えてみても差支えあるまい。つまり、一と口に云うと、西洋の方は順当な方向を辿って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代りに、過去数千年来発展し来った進路とは違った方向へ歩み出すようになった、そこからいろ/\な故障や不便が起っていると思われる。尤もわれ/\を放っておいたら、五百年前も今日も物質的には大した進展をしていなかったかも知れない。現に支那や印度インドの田舎へ行けば、お釈迦様や孔子様の時代とあまり変らない生活をしているでもあろう。だがそれにしても自分たちの性に合った方向だけは取っていたであろう。そして緩慢にではあるが、いくらかずつの進歩をつゞけて、いつかは今日の電車や飛行機やラジオに代るもの、それは他人の借り物でない、ほんとうに自分たちに都合のいゝ文明の利器を発見する日が来なかったとは限るまい。早い話が、映画を見ても、アメリカのものと、佛蘭西フランスや独逸ドイツのものとは、陰翳いんえいや、色調の工合が違っている。演技とか脚色とかは別にして、写真面だけで、何処かに国民性の差異が出ている。同一の機械や薬品やフイルムを使ってもなおかつそうなのであるから、われ/\に固有の写真術があったら、どんなにわれ/\の皮膚や容貌や気候風土に適したものであったかと思う。蓄音器やラジオにしても、もしわれ/\が発明したなら、もっとわれ/\の声や音楽の特長を生かすようなものが出来たであろう。元来われ/\の音楽は、控え目なものであり、気分本位のものであるから、レコードにしたり、拡声器で大きくしたりしたのでは、大半の魅力が失われる。話術にしてもわれ/\の方のは声が小さく、言葉数が少く、そうして何よりも「間」が大切なのであるが、機械にかけたら「間」は完全に死んでしまう。そこでわれ/\は、機械に迎合するように、却ってわれ/\の藝術自体を歪めて行く。西洋人の方は、もと/\自分たちの間で発達させた機械であるから、彼等の藝術に都合がいゝように出来ているのは当り前である。そう云う点で、われ/\は実にいろ/\の損をしていると考えられる。



[惹句どんどん] 谷崎潤一郎 『陰翳礼賛』より

   

 

私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。

文学という殿堂の檐(のき)を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。

それも軒並みとは云わない、一軒すらいそう云う家があってもよかろう。

まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。

 

『陰翳礼賛』(谷崎潤一郎)より