2014年10月10日金曜日

[その他] モビール作りに挑戦中


うまく完成するとこうなる↑



こちらは当方のうまく完成してないモビール


孫ネタで恐縮です。

インターネットでシンプルで美しいモビールを見つけ、キットもあったので注文してみました。

想像していたより小さくて、発砲スチロールのボールに絹糸を巻くのに苦戦してます。2ヵ月ぐらいから新生児が眼が見え始めるそうなので、それまでに間に合わせます(あと2週間ある)。

ゴッビモビールは、モンテッソーリ教育で新生児の為に作られた、単色でグラデーションのある5つの玉のモビールです。赤ちゃんは誕生直後、色覚や立体視などは機能せず、ピントを合わせることができる距離は限られています。
赤ちゃんの目から25cm~30cmほど上に設置(設置の際は安全に十分ご注意下さい)すると、赤ちゃんの目はモビールがきっかけとなり、一つ、また一つと、濃い色のモビールから順に見ることが出来るようになります。ゴッビモビールは赤ちゃんの‘見る’を積極的に促します。赤ちゃんがうっすらと見始める2ヶ月ごろからが使い始めで、手を出し始めたら卒業の目安です。(生後1ヶ月半前で見始めた赤ちゃんもいます。)kakawaのゴッビモビールはグラデーションがきれいになるよう、糸と色選びにこだわっています。
http://www.ab.auone-net.jp/~kakawa/sub2.html

[積読立読斜読] 『大人のための読書の全技術』(齋藤孝著、中経出版、2014年)



ひょっとして週刊ペースで著作の出版があるのでは。齋藤孝先生の読書の技術。既刊の内容との重複はありますが、学生・社会人向けの入門書としてよくまとまっていると思います。

当方はまったくの自己流で読書しており、いまさら治らないと思いますけど、この本からは「翻訳」「音読」「暗唱」することが究極の熟読である、という意見に共感しました。

「翻訳」のほうは、NHKのラジオで「英語で読む村上春樹」の「トニー滝谷」が始まったので、それを聴くことにして、「音読」「暗唱」のほうは、新潮社から出ている朗読のCDがあるので、それを購入してみました。

「暗唱」にも挑戦したいので、できるだけ短い、かつ文章がいいとなると、中島敦の作品がうってつけでしょう。「山月記」」「名人伝」「牛人」が、江守徹さんの朗読で入っています。「名人伝」が昔から好きなので、これに挑戦してます。テキストは著作権が切れているので「青空文庫」からダウンロードしました。

江守徹さんの朗読は、まず当然ですが声が良くて、聞き入っております。

経過はまたご報告します。




[その他] 『ソトコト』がポートランドとブルックリンのサスティナブルなライフスタイルを特集



雑誌『ソトコト』(2014年11月号)がアメリカのポートランドとブルックリン(ニューヨーク)のサスティナブルなライフスタイルを紹介。

60年代のカウンターカルチャーから「カウンター」がうまく取れて、アメリカの大都会で草の根運動として生き残っています。

『ソトコト』は1999年創刊の世界初の「環境ファッションマガジン」。「SOTOKOTO」とは、アフリカのバンツー族のことばで「木の下」という意味だそうです。

今回の取材は現地のコーディネーターを中心に1年近くかけ、丁寧な記事に仕上がっています。

ポートランドでは古い建物をソーシャルスポットに仕立てた活動、ニューヨークでは川(海水)を浄化してカキの養殖に挑戦したり、貧困層に野菜を摂取してもらう取り組み(グリーンカード)が
興味深かったです。

Restore [歴史的建物を再生する。]
『マクメナミンズ』の手法がすごい。忘れ去られた建物がソーシャルスポットに。

Regenerate [カキで生態系を取り戻す。]
海を浄化するカキの底力! 『オイスター・ガーデニング』に注目。

Refresh [新鮮野菜で新しい職を。]
新鮮な野菜、食べてますか? 食と職をもたらす『グリーンカート』。


今回は、雑誌版と同時に発売される電子版で読んでみました。雑誌版は823円、電子版(特集記事中心、86ページ)は400円です。
書店まで出かけなくても入手できるのは便利ですが、大判の雑誌をPCやタブレット端末で観るのはまだまだ制約が多いです。

雑誌業界では老舗のエコ系雑誌『ソトコト』ですが、ポートランドの特集では若者ファッション雑誌と思われている『ポパイ』の後塵を拝すことになりました。
(『ポパイ』の先見性をほめるべきか)。


[その他] 雑誌『ポパイ』(2014年7月号)がアメリカのポートランド特集

2014年10月8日水曜日

[積読立読斜読] 『表現のための実践ロイヤル英文法』「暗唱例文300」で英語を学ぶ(第6回)

[積読立読斜読] 『表現のための実践ロイヤル英文法』「暗唱例文300」で英語を学ぶ

「暗唱例文」と合わせて文法の英文法の復習をしてます。今回が6回目で不定詞について。

・不定詞(句)にはto不定詞と原形不定詞がある
・不定詞・(現在・過去)分詞・動名詞とあわせて準動詞(句)と呼ばれる
・準動詞は動詞のほかに名詞や形容詞の働きをし、主語の人称や数によって変化しない
・to不定詞は文中で名詞・形容詞・副詞の働きをする
・原形不定詞の主な用法は使役・知覚動詞の補語となる
・原形不定詞を用いた慣用表現もある

準動詞以下は主語を含まない句であり、他の文の中に入り込んでなんらかの要素になります。


Point.6. 不定詞の使い方に注意。

・to不定詞を英文中に置く位置に注意する。

・to不定詞を含む構文の使い方を正確に覚える。

・何用法などということにはあまりこだわらないほうがよい。

・原形不定詞を使う構文は限られており、覚えておくとよい。



076.猫たちに毎日えさをやるのは君の役目だよ。

It is your job to feed the cats daily.

*to不定詞を主語にするときには、Itを先に出すのがふつう。


077.要点を見逃さないように気をつけます。

I will try not to miss the point.

*「すること」の否定はnot toでよい。


078.転ばないように気をつけて。

Be careful not to fall.

*「~しないように」は<so as not to>か<in order not to>だが、be carefulやtake careの場合にはnot toを使っていよい。


079.今日はすることが何もない。

There is nothing to do today.

*nothingはto do の意味上の目的語になっている。There is nothing to be done today.とすると、nothingはto be doneの意味上の主語になる。


080.あなたはただここに署名をしさえすればよいのです。

All you have to do is sign your name here.

*allは指すものが単数なら単数で受け、複数なら複数で受ける。また、all you have to doのようにdoを含んだ形を主語にするときには、signの前のtoは省略できる。


081.この文書をファックスで送ってもらいたい。

I want this document to be sent by fax.

*<want + 目的語 + to be done>の形。


082.私には一緒に買い物に行く人がいない。

I have nobody to go shopping with.

*with whom to go shoppingや、with whom I might go shoppingなどと同じようにwithが必要。


083.私は仕事を探しにビジネス街へ行った。

I went downtown to look for a job.

*「~するために」はtoだけでもよい。


084.その会社は労働力を海外で増やすより仕方がなかった。

The company had no choice but to increase the workforce overseas.

*butとexceptは、前置詞だがto不定詞の前につけることができる。


085.帰宅すると家が泥棒に入られていることがわかった。

I came home to find that my house had been broken into.

*結果を表すto不定詞。only toと言うことが多いが、ただtoでよい場合も多い。


086.働けるぐらいの年なら、できることはたくさんあるよ。

If you are old enough to work, there are a lot of things you can do.

*こういう場合の「~するのに十分な」の意味の<enougn to>の使い方を知っておくと便利である。


087.忘れずにそれをしなければならない。

I must remember to do it.

*「~することを忘れてはいけない」ということ。


088.私は職場に近くなるように新しいアパートに引っ越した。

I moved to a new apartment so as to be near my work.

*「(その結果)~するように」は、so as toがふさわしい。


089.このソフトウェアの使い方を知りたい。

I want to learn how to use this software.

*<what to do>、<how to do>などの<疑問詞 + to不定詞>の使い方に慣れること。


090.お昼までにそこに着くつもりなら、もう出発したほうがよい。

If you are to get there by lunchtime, you had better start now.

*<be to>をIf節の中に使うと、「~するつもりなら」という意味が表せる。


091.この問題を解決する方法はだれにもわからないようだ。

Nobody seems to know how to solve this problem.

*It seems that nobody knows...でも書けるが、Nobody seems to know...の形のほうが簡潔でよい。


092.彼は自分のことを天才だと思っている。

He believes himself to be a genius.

*この形では、himselfは省けない。


093.その消防士たちが燃えているビルの中に突入していったのは勇敢だった。

It was brave of the fire fighters to dash into the burning building.

*「燃えているビルの中に突入していった」という行為を通して、その消防士たちの勇敢さを述べた形になる。

the fire fightersを主語にして似た意味を表すこともできる。

(→P142)

The fire fighters were brave enough to dash into the burning building.
(その消防士たちは勇敢にも燃えているビルの中に突入していった)…上の例文とは訳文の意味が違う


094.上記の人物はウィスコンシン州の登録看護師であることを証明する。

This is to certify that the above-named person is a registered nurse in the State of Wisconsin.

*証明書の決まり文句。


095.彼女は床が動くのを感じ、壁が揺れるのを見た。

She felt the floor move and saw the walls shake.

*<知覚動詞 + 目的語 + 原形不定詞>で、「Aが~するのを見る[聞く、感じる]」などの構文を作る。


096.こうしたことは言わないほうがいい。

You had better not say these things.

*「~したほうがいい」は<had better>で表すが、「~しないほうがいい」というときは、notは原形不定詞の直前に置く。




2014年10月7日火曜日

[積読立読斜読] 英語で読む村上春樹 「トニー滝谷」 放送開始


10月5日からNHKラジオの番組「英語で読む村上春樹」の新しい購読作品「トニー滝谷」が始まりました。

この番組は2013年からの放送で半年で村上春樹の英訳された短編小説を精読するという企画です。現在までに「象の消滅」「かえるくん、東京を救う」「踊る小人」が取り上げられています。

前三作は寓話的な作品で、日本語から英語に翻訳してもあまり違和感がなかったかも知れませんが、「トニー滝谷」は結構リアリズムであり、純日本人でありながら日系二世のような命名を受けた主人公の葛藤も主題のひとつですので、翻訳とのギャップが興味深いところです。

明治大学教授の齋藤孝さんが近著『読書の全技術』(中経出版)で「精読の最もたるものが翻訳だ。クライマックスは原文を声に出して読もう」と翻訳精読を勧められています。同感です。

このプログラムではオリジナルの翻訳のジェイ・ルービンさんの英文と同時に、講師役の新元良一さんの英文も比較対象できるという企画になっています。いまや世界作家となった村上春樹を母国語で読める幸せを、その翻訳も味わいながら、改めて感謝です。

「トニー滝谷」は1990年にオリジナルが『文藝春秋』に発表されました。当方の好きな短編の一つで、今後の放送が楽しみです。


<日々是不穏 like a rolling stone>(2014年10月7日(火)) 国民国家の制度疲労



写真は2014年10月4日朝日新聞記事より


10月4日の朝日新聞記事「耕論」は「揺らぐ国民国家」として作家の佐藤優さんと、東京経済大学准教授の早尾貴紀さんによる論評。昨今の大きくは国家を超えた紛争や独立運動、イスラム国、スコットランド独立選挙(否決されましたが)、イスラエルとガザ地区、ウクライナの内戦はすべて、「国民国家の制度疲労」という補助線を引くと理解しやすいということです。

国民国家とは、世界大百科事典からの抜粋ですが、下記の通りです。
 
■国民国家(抜粋)nation state

共通の社会・経済・政治生活を営み,共通の言語・文化・伝統をもつ,歴史的に形成された共同体を基礎として成立した国家を一般に指す。この意味で民族国家とほぼ同意に用いられる。また,多元的分裂状態を克服して成立した統一的な絶対主義国家を含めて国民国家という場合もあるが,絶対君主に集中されていた権力・主権を,市民革命によって奪取した結果形成された国家を指し,その意味で近代国家といわれる。したがって近代国家という観念は,ふつう封建国家や絶対主義国家などに対置して用いられる。しかし,市民革命を経ることなく,対外的危機を契機として,あるいは,ヨーロッパに形成された近代国家をモデルに,国民国家が形成される例も少なくない。日本などもこの例である。(田中 浩) (C) 1998-2002 Hitachi Systems & Services, Ltd. All rights reserved.

ほとんどの国民が日本人であり、かつ市民革命を経ないで近代国家が形成されたせいで、多くの日本人は国民国家と言われてもピンとこないかも知れません。昨今の国際紛争があまり理解できない原因でしょう。

佐藤優さんの論評の要旨は、国富をないがしろにした資本主義(=資本家)が格差を拡大し、国民の造反を招いた。造反には2つの流れがある。1つが超国家主義ともいうべき「イスラム国」の運動。もお1つが国家分割主義ともいうべきス民族・言語単位の独立運動、スコットランドの独立や、ウクライナの問題がこれにあたります。国民を顧みない資本主義と結託した国家に疑問を感じた人々の運動とし、佐藤優さんは、国民国家というシステムの微調整で解決可能だと楽観的です。

早尾貴紀さんの論評は専門のイスラエルの問題。国民国家をあまりにも厳格に適用しようとすることが、イスラエルという国家の特殊性であり、「国民=ユダヤ人」と自己規定していることにあるとして、多民族を受け入れるというイスラエルの国民国家の再定義が必要だとしています。

敬愛する内田樹さんは、かなり前から国民国家の危機について警鐘を鳴らしておられました。主な論調は、グローバル資本主義と国民国家の理念は基本的に相いれないものである以上、国民国家政府はあまりグローバル資本主義に肩入れしては困るということです。自民党安倍政権によるアベノミクスは残念ながらグローバル資本主義原理主義に陥っています。一番の問題は安倍政権があまりにも無自覚であるということを再三に渡って論破されておりますが、内田樹さん自身は政権にまったく期待されてません。


以下、大変長くなりますが、朝日新聞記事と、内田樹さんの論評を引用させていただきます。


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(耕論)揺らぐ国民国家 佐藤優さん、早尾貴紀さん(2014年10月4日 朝日新聞記事)

 国民を統合する国家の枠組みが揺れている。中東では民族や宗教の対立が消えず、過激派組織が建国を宣言した。欧州やロシア、そのはざまで民族を結ぶ動きが続く。なぜ国家という器は不安定になったのか。国民との関係はどうなるか。

 ■貪欲な資本主義へ抵抗の芽 佐藤優さん(作家)

 共産主義に勝利して、資本主義と資本家はあまりにも貪欲(どんよく)になりすぎました。資本の増殖に血道をあげ、過剰で不公平な競争を押しつけて、人の気持ちを顧みなくなった。その結果が、格差を極端にまで広げたいまの世界です。

 たとえば、あれだけ石油が出る中東で、なぜ大勢の人がいまだに貧困にあえいでいるのか。どう考えたって、国際石油資本とそれに連なる王族や独裁権力者に富が偏在しているからですよね。

 こうした状況を打ち破ろうと、二つの流れが出てきた。一つが、国家や民族の枠を超えたグローバルなイスラム主義によって克服しようという動き。イラク北部からシリア東部を占拠している「イスラム国」の運動がそうです。

 もう一つが、いまの国民よりもっと下位のネーション、つまりもっと小さな民族に主権を持たせることで危機を乗り越えようという動き。近代化以降、ときには複数の民族を一つの「国民」に統合してきた従来の国民国家を、さらに純化する動きともいえます。英国からの独立を問う住民投票があったスコットランドがそうです。

    *

 <帰属意識に変化> この二つの流れが、従来の国民国家の土台を揺るがせ始めた。いずれも、人々の帰属意識に変化が生まれているのです。

 イラクの場合は、スンニ派のアイデンティティーが変容した。フセイン政権時代には、独裁下とはいえイラク人という国民意識が一応ありました。スンニ派かシーア派かは、それほど大きな問題ではなかった。ところが新生イラクでは多数派のシーア派が権力を握り、スンニ派は新政権に自己同一化ができなかった。そこに民族や部族を超えた存在として「イスラム国」が登場したのです。

 彼らの理屈では、イスラム革命が成功して預言者ムハンマドの後継者によるカリフ制が確立すれば、みんな平等で豊かになる。成功です。失敗しても、殉教者はあの世で幸せになれる。これも成功です。どっちに転んでも成功する教義を作り上げ、行動させて問題を解決しようとしている。この世界観に、イラク人という国民意識を持てなくなったスンニ派の人々がなびき始めた。民族か、部族か、宗教か。人々の帰属意識は時代と状況で変化するわけです。

 オバマ米政権は「イスラム国」への空爆に踏み切りましたが、本当に倒すには幹部をピンポイントで除去するしかない。そこでイランとの協調関係が生まれる可能性があります。自分たちに同調しない人を皆殺しにする「イスラム国」は、シーア派のイランにとっても脅威なのですから。

    *

 <世界各地に火種> スコットランドでは、民族的なアイデンティティーが強まったことで独立の機運が盛り上がりました。人々が恐れたのは、このまま人材も資源も流出し、ロンドンに吸い取られていく未来です。人口530万の自分たちで回していったほうが豊かになれる、という計算もあった。1707年に併合されるまでスコットランドは王国だった、という記憶は300年程度では消えないんですね。イングランドとの格差が広がり、独自の言語も廃れ、軍事負担も過剰だ。こんな問題提起が噴出し、民族意識に火がついた。

 ウクライナでは、親米欧勢力が権力を握った瞬間に深刻な間違いを犯した。言語政策です。ウクライナ語のみを公用語にすると言った。すぐに撤回はしましたが。19世紀以降、ロシア語化が進んだ東部と南部の人々は衝撃を受け、混乱につながりました。

 民族の根っこにあるのが言語です。世界には何千もある。しかし国の数は、国連加盟国で200ほど。つまり一つのナショナリズムが成功して国家が生まれる陰で、膨大な数の失敗がある。いつ、どこで発火するかわからない潜在的なナショナリズムの火種は世界各地にあるのです。

 ただ、国民国家のシステムはそう簡単に崩れるとは思えません。いまのところ資本主義に代わる仕組みはなく、資本主義は国民国家と相性がいい。そもそも国民国家の成立が均質の労働力を生み、資本主義を育ててきた。いま世界で起きているのは、現行システムの微調整だと見るべきでしょう。

 (聞き手・萩一晶)

    *

 さとうまさる 60年生まれ。85年外務省入省。在ロシア大使館勤務の後、本省の主任分析官などを歴任。著書に「国家の罠(わな)」「テロリズムの罠」「読書の技法」など。


 ■主権と民族、切り離すべきだ 早尾貴紀さん(東京経済大学准教授)

 イスラエルという国家の特殊性は、「国民=ユダヤ人」と自己規定していることにあります。

 フランス革命以降、欧州では、共通の文化的アイデンティティーをもつ「国民」を基盤とする国民国家化が進みましたが、その過程でユダヤ教徒は排除された。各地に住むユダヤ教徒は「ユダヤ人」という単一の民族だとされていった。ユダヤ人は、ある意味で近代につくられたものなんです。

 欧州のユダヤ教徒も、「ユダヤ人」というアイデンティティーを取り込み、「ユダヤ人は一つの民族であり、独立した国家を持つべきだ」とイスラエル建国運動に結びつけていった。アラブ世界にもユダヤ教徒はいましたが、「アラブ系ユダヤ教徒」ではなく「ユダヤ人」と上書きされてしまった。

 どんな民族にも、程度の差こそあれつくられた部分があります。日本でも、明治政府の成立時に、戸籍というかたちで「日本人」の外枠がつくられた。外枠は日本が植民地を増やすことで拡大し、敗戦でまた縮小した。我々がいまイメージする「日本人」は、1945年にできたものといえます。

 講義で「自分が日本人だと認識する理由は」と聞くと、「両親が日本人」という回答が多い。「なぜそんな質問をするんですか」という反応もある。8月に札幌市議が「アイヌ民族なんてもういない」とツイートして問題になりましたが、アイヌや沖縄の人が「日本人」に上書きされてしまっている。マイノリティーの存在が目に見えなくなっているんです。

    *

 <残る排他的意識> ガザ地区の問題は、イスラエルが「ユダヤ人国家」という自己規定ゆえに複数民族国家になれないことと深く関係しています。イスラエルには、ヨルダン川西岸地区の水資源や農地を確保し、入植地を拡大する意図がある。ただ、そこに住むパレスチナ人ごとイスラエルに組み入れると、アラブ系国民が多くなりすぎて、ユダヤ人国家という国是が崩れてしまう。

 西岸地区は欲しいけれど、パレスチナ人を国民にしたくない。そこで離れたガザ地区を利用している。ガザを「流刑地」として、不都合なパレスチナ人の居住権を剥奪(はくだつ)して西岸地区から追放したり、ガザ攻撃の陰で、西岸地区へのユダヤ人の入植活動や土地の没収を進めたりしているのです。

 今回のガザ攻撃の理由も、ガザ地区のハマスと西岸地区のファタハが和解すると、イスラエルにとって極めて厄介だからです。あくまでハマスは敵として、たたかなくてはいけない。西岸の人々に対して、刃向かったらガザのようになるというメッセージにもなる。

 民族と国民にどう折り合いを付けていくのか。イスラエルも、建前としては寛容と多様性を掲げてきました。でもそれは、ユダヤ人国家という根幹を揺るがさない限り、マイノリティーの存在を認めるという「マジョリティーの視点からの多文化主義」です。

 日本でも1990年代から、南米などから日系人の定住者が増え、「多文化共生」が唱えられるようになりました。しかし日系人は、経済的に役に立ち、政治的に無力である限りにおいてしか存在を認められない。現実には排他的な意識が残ったままです。それが在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのようなかたちで噴出する。

    *

 <歴史を踏まえよ> 必要なのは、歴史と現実を踏まえた多文化主義です。アラブ人とユダヤ人は、長い歴史のなかで多くのものを共有してきた。日本も、中国や朝鮮、ロシアなどとの交流を通じて文化的アイデンティティーをかたちづくってきた。それを認めなくてはいけない。

 長期的には、国家主権と民族を切り離していくことが必要です。いまは、主権と民族のアイデンティティーは一致すべきだと見なされている。でも、国家主権がなければ、自分たちのアイデンティティーが守れないわけではない。

 近代の国民国家はたかだか200年の歴史しかありません。その枠組みがほころびてきているのに、しがみつこうとすることが、いま暴力として噴出している。イスラエルはその典型です。多文化の包摂が不可避である以上、国民国家が変容していくことを受け入れ、順応していくことが必要なんです。

 (聞き手・尾沢智史)

    *

 はやおたかのり 73年生まれ。専門は社会思想史。著書に「ユダヤとイスラエルのあいだ」、編著に「ディアスポラから世界を読む」など。
 
■国民国家とグローバル資本主義について(内田樹の研究室)

ある通信社から、選挙結果について、新政権がどのような方向をとるかについてコメントを求められた。
それについてこんなことを書いた。

大づかみに言うと、いま日本を含めて地球上のすべての人々は「国民国家とグローバル資本主義の利益相反」という前代未聞の状況を前にしている。
国民国家というのは、別に太古から存在したものではない。1648年のウェストファリア条約で基礎づけられた近代の統治システムである。
常備軍と官僚制を備え、領域内の人々は「国籍」というものを持ち、その領域に排他的に帰属しているという意識を持つ(それ以前、例えばカール五世はネーデルランドで生まれて、スペイン王で、神聖ローマ皇帝で、パリに住んでいた)。
国民国家が標準的な政治単位になってそろそろ400年である。賞味期限が切れかけてきたらしく、20世紀末になって脱領域国家的なグローバル資本主義が登場してきた。
ボーダーレスに人・モノ・資本・情報が激しく行き交うさまを人々はうれしげに言祝いでいるが、忘れてはならないのは、カール五世の場合がそうだったように、それらの交易で得られた富はもう国民国家の「国富」ではないということである
グローバル企業は単一の国籍を持っていないし、経営者や株主たちも特定の国家への帰属意識を持っていない。だから企業の収益は原理的には「私物」である。
グローバル企業は特定の国の国民経済の健全な維持や、領域内での雇用の創出や、国庫への法人税の納税を「自分の義務だ」と考えない。そんなことに無駄な金を使っていては国際競争に勝ち残ることができないからだ。
これからのち、政府は人件費を切り下げ、巨額の公共事業を起こしてインフラを整備し、原発を稼働して安価な電力を提供し、法人税率を引き下げ、公害規制を緩和し、障壁を撤廃して市場開放することをグローバル企業から求められることになるだろう。そして、私たちの国の政府はそのすべての要求を呑むはずである。
むろん、そのせいで雇用は失われ、地域経済は崩壊し、歳入は減り、国民国家の解体は加速することになる。
対策としては、ベタなやり方だが、愛国主義教育や隣国との軍事的緊張関係を政府が意図的に仕掛けるくらいしか手がない。気の滅入る見通しだが、たぶんこの通りになるはずである。(ここまで)

実際にはこんな過激なことは紙面に掲載できないとデスクが判断して、穏当な表現に書き替えられ、字数も減らされたものが掲載されるはずである。

以下、コメントについての解説。

政治史的文脈で言うと、「国民国家の頽勢期」に私たちは投じられており、その中で政治指導者たちは「グローバル資本主義」に軸足を置くか、「国民国家」に軸足を置くかで、ふらふらしている。
それは世界中どの国の政治指導者も同じである。
経済のグローバル化はある種の自然過程であり、これに適応しなければ、領域国家は「食い物」にされるだけである。
けれども、グローバル資本主義に加担すれば、遠からず国民国家そのものが瓦解する。グローバル資本主義には「国民経済」という概念がないからである。ある領域内部にすむ住民の福利を他のことよりも優先的に配慮するというのは国民国家にとっては「常識」だが、グローバル資本主義にとっては「たわごと」である。
さすがに国民国家が現実に政治装置として存在する以上、「国民のことなんか知るかよ」とは言い切れないので、弥縫策として「トリクルダウン」理論というものが動員された。
グローバル企業が収益を上げれば、その「余沢」が国民国家の貧乏人たちのところにも及ぶであろうというものである。
それを口実にして、「とりあえず国際競争力のある企業に国民国家の資源を集中させるために、国民は増税負担を受け容れ、賃下げを受け容れ、社会福祉や医療の切り下げを受け容れなければならないが、我慢してもらえば、いずれ『おこぼれ』が回ってくるだろう」という話で、ことが進んでいる。
「トリクルダウン」はグローバル資本主義と国民国家のあいだの本質的な矛盾を糊塗するための「詐欺的理論」であるが、現在のわが国の政治家は全員がこれを信じているふりをしている。
ほかに経済システムと政治単位の本質的な両立不能性を「ごまかす」手立てがないからである。
本気で「トリクルダウン」を信じている人たちは愚鈍である。
ほんとうは信じてないが、そういって国民をごまかして時間稼ぎをしている人たちは知的に不誠実である。
私たちが今なすべきなのは、「国民国家は賞味期限が切れかけているが、他に何か生き延びる知恵はないのか」ということをまじめに考えることなのだが、それだけは誰もしようとしない。

2012年12月19日 11:26 に投稿されたエントリーのページです。

■朝日新聞の「オピニオン」欄に寄稿(内田樹の研究室)

朝日新聞の「オピニオン」の5月8日紙面に長いものを寄稿した。

「日本の現在地」というお題だったので、次のようなものを書いた。
朝日新聞を取っていない人のためにブログに転載する。

日本はこれからどうなるのか。いろいろなところで質問を受ける。
「よいニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」というのがこういう問いに答えるときのひとつの定型である。それではまず悪いニュースから。

それは「国民国家としての日本」が解体過程に入ったということである。
国民国家というのは国境線を持ち、常備軍と官僚群を備え、言語や宗教や生活習慣や伝統文化を共有する国民たちがそこに帰属意識を持っている共同体のことである。平たく言えば、国民を暴力や収奪から保護し、誰も飢えることがないように気配りすることを政府がその第一の存在理由とする政体である。言い換えると、自分のところ以外の国が侵略されたり、植民地化されたり、飢餓で苦しんだりしていることに対しては特段の関心を持たない「身びいき」な(「自分さえよければ、それでいい」という)政治単位だということでもある。
この国民国家という統治システムはウェストファリア条約(1648年)のときに原型が整い、以後400年ほど国際政治の基本単位であった。それが今ゆっくりと、しかし確実に解体局面に入っている。簡単に言うと、政府が「身びいき」であることを止めて、「国民以外のもの」の利害を国民よりも優先するようになってきたということである。

ここで「国民以外のもの」というのは端的にはグローバル企業のことである。
起業したのは日本国内で、創業者は日本人であるが、すでにそれはずいぶん昔の話で、株主も経営者も従業員も今では多国籍であり、生産拠点も国内には限定されない「無国籍企業」のことである。この企業形態でないと国際競争では勝ち残れないということが(とりあえずメディアにおいては)「常識」として語られている。
トヨタ自動車は先般国内生産300万台というこれまで死守してきたラインを放棄せざるを得ないというコメントを出した。国内の雇用を確保し、地元経済を潤し、国庫に法人税を納めるということを優先していると、コスト面で国際競争に勝てないからである。
外国人株主からすれば、特定の国民国家の成員を雇用上優遇し、特定の地域に選択的に「トリクルダウン」し、特定の国(それもずいぶん法人税率の高い国の)の国庫にせっせと税金を納める経営者のふるまいは「異常」なものに見える。株式会社の経営努力というのは、もっとも能力が高く賃金の低い労働者を雇い入れ、インフラが整備され公害規制が緩く法人税率の低い国を探し出して、そこで操業することだと投資家たちは考えている。このロジックはまことに正しい。
その結果、わが国の大企業は軒並み「グローバル企業化」したか、しつつある。いずれすべての企業がグローバル化するだろう。繰り返し言うが、株式会社のロジックとしてその選択は合理的である。だが、企業のグローバル化を国民国家の政府が国民を犠牲にしてまで支援するというのは筋目が違うだろう。
大飯原発の再稼働を求めるとき、グローバル企業とメディアは次のようなロジックで再稼働の必要性を論じた。
原発を止めて火力に頼ったせいで、電力価格が上がり、製造コストがかさみ、国際競争で勝てなくなった。日本企業に「勝って」欲しいなら原発再稼働を認めよ。そうしないなら、われわれは生産拠点を海外に移すしかない。そうなったら国内の雇用は失われ、地域経済は崩壊し、税収もなくなる。それでもよいのか、と。
この「恫喝」に屈して民主党政府は原発再稼働を認めた。だが、少し想像力を発揮して欲すれば、この言い分がずいぶん奇妙なものであることがわかる。電力価格が上がったからという理由で日本を去ると公言するような企業は、仮に再び原発事故が起きて、彼らが操業しているエリアが放射性物質で汚染された場合にはどうふるまうだろうか?自分たちが強く要請して再稼働させた原発が事故を起こしたのだから、除染のコストはわれわれが一部負担してもいいと言うだろうか?雇用確保と地域振興と国土再建のためにあえて日本に踏みとどまると言うだろうか?絶対に言わないと私は思う。こんな危険な土地で操業できるわけがない。汚染地の製品が売れるはずがない。そう言ってさっさと日本列島から出て行くはずである。
ことあるごとに「日本から出て行く」と脅しをかけて、そのつど政府から便益を引き出す企業を「日本の企業」と呼ぶことに私はつよい抵抗を感じる。彼らにとって国民国家は「食い尽くすまで」は使いでのある資源である。
汚染された環境を税金を使って浄化するのは「環境保護コストの外部化」である(東電はこの恩沢に浴した)。原発を再稼働させて電力価格を引き下げさせるのは「製造コストの外部化」である。工場へのアクセスを確保するために新幹線を引かせたり、高速道路を通させたりするのは「流通コストの外部化」である。大学に向かって「英語が話せて、タフな交渉ができて、一月300時間働ける体力があって、辞令一本で翌日から海外勤務できるような使い勝手のいい若年労働者を大量に送り出せ」と言って「グローバル人材育成戦略」なるものを要求するのは「人材育成コストの外部化」である。
要するに、本来企業が経営努力によって引き受けるべきコストを国民国家に押し付けて、利益だけを確保しようとするのがグローバル企業の基本的な戦略なのである。
繰り返し言うが、私はそれが「悪い」と言っているのではない。私企業が利益の最大化をはかるのは彼らにとって合理的で正当なふるまいである。だが、コストの外部化を国民国家に押しつけるときに、「日本の企業」だからという理由で合理化するのは止めて欲しいと思う。
だが、グローバル企業は、実体は無国籍化しているにもかかわらず、「日本の企業」という名乗りを手放さない。なぜか。それは「われわれが収益を最大化することが、すなわち日本の国益の増大なのだ」というロジックがコスト外部化を支える唯一の論拠だからである。
だから、グローバル企業とその支持者たちは「どうすれば日本は勝てるのか?」という問いを執拗に立てる。あたかもグローバル企業の収益増や株価の高騰がそのまま日本人の価値と連動していることは論ずるまでもなく自明のことであるかのように。
そして、この問いはただちに「われわれが収益を確保するために、あなたがた国民はどこまで『外部化されたコスト』を負担する気があるのか?」という実利的な問いに矮小化される。
ケネディの有名なスピーチの枠組みを借りて言えば「グローバル企業が君に何をしてくれるかではなく、グローバル企業のために君が何をできるかを問いたまえ」ということである。
日本のメディアがこの詭弁を無批判に垂れ流していることに私はいつも驚愕する。

もう一つ指摘しておかなければならないのは、この「企業利益の増大=国益の増大」という等式はその本質的な虚偽性を糊塗するために、過剰な「国民的一体感」を必要とするということである。
グローバル化と排外主義的なナショナリズムの亢進は矛盾しているように見えるが、実際には、これは「同じコインの裏表」である。
国際競争力のあるグローバル企業は「日本経済の旗艦」である。だから一億心を合わせて企業活動を支援せねばならない。そういう話になっている。
そのために国民は低賃金を受け容れ、地域経済の崩壊を受け容れ、英語の社内公用語化を受け容れ、サービス残業を受け容れ、消費増税を受け容れ、TPPによる農林水産業の壊滅を受け容れ、原発再稼働を受け容れるべきだ、と。この本質的に反国民的な要求を国民に「飲ませる」ためには「そうしなければ、日本は勝てないのだ」という情緒的な煽りがどうしても必要である。これは「戦争」に類するものだという物語を国民に飲み込んでもらわなければならない。中国や韓国とのシェア争いが「戦争」なら、それぞれの国民は「私たちはどんな犠牲を払ってもいい。とにかく、この戦争に勝って欲しい」と目を血走らせるようになるだろう。
国民をこういう上ずった状態に持ち込むためには、排外主義的なナショナリズムの亢進は不可欠である。だから、安倍自民党は中国韓国を外交的に挑発することにきわめて勤勉なのである。外交的には大きな損失だが、その代償として日本国民が「犠牲を払うことを厭わない」というマインドになってくれれば、国民国家の国富をグローバル企業の収益に付け替えることに対する心理的抵抗が消失するからである。
私たちの国で今行われていることは、つづめて言えば「日本の国富を各国(特に米国)の超富裕層の個人資産へ移し替えるプロセス」なのである。
現在の政権与党の人たちは、米国の超富裕層に支持されることが政権の延命とドメスティックな威信の保持にたいへん有効であることをよく知っている。戦後68年の知恵である。これはその通りである。おそらく安倍政権は「戦後最も親米的な政権」としてアメリカの超富裕層からこれからもつよい支持を受け続けることだろう。自分たちの個人資産を増大させてくれることに政治生命をかけてくれる外国の統治者をどうして支持せずにいられようか。
今、私たちの国では、国民国家の解体を推し進める人たちが政権の要路にあって国政の舵を取っている。政治家たちも官僚もメディアも、それをぼんやり、なぜかうれしげに見つめている。たぶんこれが国民国家の「末期」のかたちなのだろう。

よいニュースを伝えるのを忘れていた。
この国民国家の解体は日本だけのできごとではない。程度の差はあれ、同じことは全世界で今起こりつつある。気の毒なのは日本人だけではない。そう聞かされると少しは心が晴れるかも知れない。

2013年05月08日 12:30 に投稿されたエントリーのページです。 

2014年10月6日月曜日

[その他] 散歩のついでにレコードを買いたくなって





10月5日(日)、散歩のついでにレコードを買いたくなって、折よく広島駅南口の地下で開催していた「広島ディスクセール」を覗いてみました。

当方の趣味は「70年代中盤のロック」のレコードなので、かなりピンポイントでありますので、探す場所が限定されていて助かります。

Little Feat の "The Last Record Album"と、Elton Johnの"Captain Fantastic and The Brown Dirt Cowboy"を購入しました。また別の機会に紹介します。



[その他] 「戦後住宅伝説」が開幕 広島市現代美術館




10月5日(日)、広島市現代美術館で開催中の「戦後住宅伝説」へ行ってきました。展示の一つに東孝光さんの自邸「塔の家」(1966)があったからです。建築業界では著名な建築物で、都会のコンクリート打ち放し狭小住宅の先がけとなった作品です。東京への単身赴任中、「塔の家」が勤務先の事務所の近くにあって、よく前の道路を通って、その度にこの作品の先見性に感服したものです。

「塔の家」は、約20平方メートルの土地に建てた地上5階・地下1階の自邸。建築家の自邸で、親子3人の狭くても居心地よい家は、当時マスコミで盛んに取り上げられたそうです。写真で見ると、建った当時は周囲にビルが少なく、孤立した「塔」のイメージですが、今は周囲にビルばかりとなり、都会に溶け込んだ風景になっています。

会場には「塔の家」の原寸の平面図があって、その「狭さ」を実感できます。建築作品として見るには楽しいのですが、コンクリート打ち放しで、各部屋に(風呂・トイレも含め)ドアのない生活ですから、家族としての苦労も多かったと思います。

主催が読売新聞で、全国の近代美術館の持ち回り展示のようです。初回は埼玉県立近代美術館。読売新聞に記事がありましたので、引用させていただきます。


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「戦後住宅伝説」が開幕 広島市現代美術館(2014年10月05日)

 1950~70年代に日本の著名な建築家が建てた住宅を、模型や図面、映像などで振り返る「戦後日本住宅伝説―挑発する家・内省する家」(読売新聞社など主催)が4日、広島市現代美術館(広島市南区)で開幕した。初日から幅広い年代の建築愛好家らが訪れ、精巧な模型や実際に使った図面などに見入っていた。(山本美菜子)

 紹介するのは、著名な建築家16人のアトリエや自邸などの住宅。広島平和記念資料館などの建築で知られる丹下健三の自邸「住居」や伊東豊雄が姉とその2人の娘のために手がけた「中野本町の家」、大阪の下町の長屋にコンクリートの箱を入れ込んだような安藤忠雄の「住吉の長屋」など16件。

 会場には、室内の広さや雰囲気を伝えようと、実物に近い大きさの内装や外装のパネル、実寸大の図面を使うなど、建物のイメージを伝える工夫が随所にある。広島市安佐北区の主婦井上浩子さん(38)は「手書きの図面や古い写真は味があって、生活感まで伝わってくる」と話した。

 この日は、オープニング鼎談ていだん「広島新世代建築家たちの視点」と題し、同展を監修した五十嵐太郎・東北大教授(建築史・建築批評)らが来場者約100人を前に講演。県内を中心に活躍する建築家の小川文象さん(35)、土井一秀さん(42)とともに日本と海外の住宅づくりの違いや、広島での建築事情などを語り合った。

 12月7日まで。午前10時~午後5時(10月12、13日は午後7時まで)で月曜休館(祝日の場合は翌日休館)。入場料は一般1030円、大学生720円、高校生と65歳以上は510円。中学生以下無料。問い合わせは同館(082・264・1121)。

2014年10月05日 Copyright c The Yomiuri Shimbun 

2014年10月5日日曜日

[あの頃のレコード] The Rolling Stones "Sticky Fingers" (1971)



ちょっと28期の高校時代とはずれがあります、ごめんなさい。最近ヤフー・オークションで再度レコードを入手したので紹介します。

70年代のロックを代表する名盤であり、音源についてはいまさら紹介する必要はありません。

アルバム・ジェケッとのデザインも、これも歴史に残るアンディー・ウォーホールの作品です。高校時代はあまり情報がなかったので、整理してました。

ジャケットのモデル(下半身だけですが)は、アメリカの俳優ジョー・ダレサンドロ(Joe Dalesandro)と言われています。ウォーホールに見いだされてメジャーになったゲイ文化のスターだったそうです。アルバム制作当時は、1970年の映画『トラッシュ』(「ローリング・ストーン」誌は「今年最高の映画」と絶賛)に主演していた頃だそうです。全米での配給がなかったようで内容はわかりません。

ミック・ジャガーが1969年4月にウォーホールに宛てた手紙がイギリスのGuardian紙が記事にしていて、製作を請け負ってくれたことに感謝しつつも、プロトタイプの構造は複雑すぎるのではないか、金額がいくらになるのか、オフィスの事務方がニューヨークを訪れるが製作の遅れにいらいらしている、と伝えています。

ウォーホールはこの忠告にあまり耳を傾けず、製作側からすると相当煩雑なジャケットが出来上がりました。

なによりも本物のジッパーを貼り付け、内側に同じ人物のブリーフ姿の写真があり、ジッパーから覗けるという構造ですが、製造工程が想像するだけで複雑でコストがかかりそうです。また運送過程でジッパーが他のジャケットを傷つけたり、レコード本体に傷がつく問題がありましたが、出荷の際にジッパーを中心部分まで下げることで、レコードの穴とジッパーの膨らみを合わせ、なんとか解決した経緯があるそうです。

ミック・ジャガーを筆頭とするローリング・ストーンズのマネジメントスタッフは、最終的にこのウォーホールの作品を理解して、とても商業ベースに載せるのは難しそうなアルバム・ジャケット・デザインを受け入れました。ロックとポップ・アートの幸福な出会いとして、1970年代のロックの暖かい話題の一つとなりました。

宗教的な理由からこのままでは発売できなかった国(スペインなど)があったそうです。日本盤ではファスナーがYKK製となってます。

ウォーホールの作品を本当に味わうには、やはりレコードの大きさが必要であり、これはCDとかデジタル音源ではできない贅沢な経験でしょうね。


The Rolling Stones "Sticky Fingers"(1971)

 Side A
   01. Brown Sugar
   02. Sway
   03. Wild Horses
   04. Can't You Hear Me Knocking
   05. You Gotta Move
   06. Bitch
 
  Side B
   07. I Got The Blues
   08. Sister Morphine
   09. Dead Flowers
   10. Moonlight Mile
 
※ウォーホール自体がこの作品のアイデアをどこから得たのか興味がありますが、今のところ記事を見つけてません。続報します。  


[新聞記事] 見出しを読み解く 全米各州が猛反対 「全米学習基準」




2014年10月5日(日)付け朝日新聞別冊のGlobe連載記事「見出しを読み解く」は、オバマ政権が導入したアメリカ全国の義務教育統一基準についての記事。

どうも州ごとに独立性の高いアメリカでは、この手の全国一律導入に反対意見が多いらしく、うまく運用できていないようです。

英語の見出しにあるcrusadeは「改革」の意味ですが、大文字だと「十字軍」の意味となります。往年の『帰って来たヨッパライ』、ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders)ですね。

2014年10月3日金曜日

[積読立読斜読] 片岡義男「豆大福と珈琲」



朝日新聞で2014年10月2日より、片岡義男さんの小説が連載開始。

もし日本に『ニューヨーカー』のような洗練された雑誌があれば、片岡義男さんの小説が掲載に相応しいと思います。

豆大福から連想して、34歳独身の翻訳家を描く都市小説のようですが、さてさて結末まで楽しみです。

毎日きり抜いてA4用紙に貼っていき、最後にファイリグンしようと考えてます。毎日の断片を前後おかまいなしに読めるので究極の熟読ではないかと。

連載1日目から抜粋。


餅の表皮によって包まれている餡をめぐって、どのような言葉をどう連ねて、どんなふうに言いあらわせば、餡に対する正義をまっとうすることが出来るのか。


とまあ豆大福にいささかハードボイルドではあります。



2014年10月2日木曜日

[自分史のレッスン] 1968(昭和43)年 小学校4年生(9歳)



1968(昭和43)年8月、小学校4年生(9歳)。

母親、弟、母方の祖父・祖母、母方・母方の曽祖父で、東京への旅行(叔母のアパートへ泊った)。

モノクロの写真が旧広島空港(広島西空港)、カラーのほうが羽田空港です。

記憶では広島→東京便のYS-11がエンジン不良でキャンセルとなり、この後大阪まで急行、大阪から新幹線で東京へ向かったようです。

東京では箱根、日航、都内見学、などの記憶があります。

東京での写真がほとんどありませんが、当時は手軽に撮れるカメラもなく、もっぱら当方の父親しか写真を撮ってなかったようです。

青いジャケットを着ているのが私です。



1968(昭和43)年の出来事

・GNP、アメリカに次いで資本主義国第2位となる

・国際収支、黒字基調が定着

・スーパーの売上げ、デパートを抜く

・シンナー遊び激増

岩波ブックレット『昭和・平成史』より

[積読立読斜読] 『ムーン・パレス』(ポール・オースター)



たまたま読んだポール・オースターの作品が面白くて、継続的に読んでます。

今回は『ムーン・パレス』(柴田元幸訳、1994年、新潮文庫)。原題は"Moon Palace"で1989年の作品。日本版は1994年柴田元幸訳で新潮社から発売。

オースターの作品にしては珍しく、作者の分身と思える主人公の語りで、ほぼ時系列的に進行し、破綻がありません。小説タイトルとなった「ムーン・パレス」は作者=主人公が通ったコロンビア大学近くに実在したチャイニーズ・レストランの名前だそうです。大学出身者によればそのレストランは、institution(施設、公共機関の建物)だったそうです。日本の昔の学食のイメージでしょうか。

アポロ11号が月面に着陸した1969年に物語は始まり、1972年主人公がアリゾナ州パウエル湖からカリフォルニア州のラグーナ・ビーチに徒歩で到達するところで終わっています。

P7
それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。その頃僕はまだひどく若かったが、未来というものが自分にあるとは思えなかった。僕は危険な生き方をしてみたかった。
P526
沿岸の曲線を見下ろすと、家々の明かりが一つまた一つと灯るのが見えた。やがて、丘の向こうから月が上がった。満月の、焼け石のように丸く黄色い月だった。夜空に登っていく月に僕はじっと視線を注ぎ、それが闇のなかにみずからの場を見出すまで目を離さなかった。

とまあ、これもオースターの作品にしては珍しく明るい希望の持てそうな結末部分です。


前半部分の主人公の大学生活が少し散漫で読み進めるのに時間がかかりましたが、世話係として働くことになった86歳の老人トマス・エフィングが登場してからがぜん面白くなり、その息子ソロモン・バーバーが登場するに及んで、巻を置く能わずの展開で、さすがに稀代のストーリーテラーの面目躍如となりました。

この二人は主人公のフォッグと非常に濃い関係があることがわかるのですが、詳細はネタバレになるので本文で。

またこの二人の生涯は20世紀アメリカの近代史をなぞるようで、作品の通奏低音となっている「月」がそれを静かに見守る合わせ鏡だろうかと思います。

文庫本で500ページを超えるオースターにしては長い作品ですが後半部分は飽きさせませんでした。例によってペタンディックな文学の挿話あり、作中にメタ小説の挿入ありで、いつもながらのオースター節であります。

作中で主人公が引き当てたフォーチュン・クッキーの占いには「太陽は過去であり、地球は現在であり、月は未来である」とありました。

訳者の柴田元幸さんによると、レストランのムーン・パレスは残念ながら閉店してしまったそうです。その代わりこの作品をこよなく愛する日本人が同名のドミトリーをタイムズスクエア近くで運営されています。1泊30ドル以下の料金だそうで、主人公フォッグの清貧生活を追体験できるかもしれません。