2026年2月21日土曜日

[惹句どんどん] 中浦ジュリアン


突然思い出しました。


 

わたしはローマに赴いた
中浦ジュリアン神父である




天正遣欧使節  

てんしょうけんおうしせつ 

イエズス会巡察師バリニャーノの発起により豊後の大友義鎮(宗麟),肥前の有馬晴信,大村純忠の3キリシタン大名がローマ教皇に遣わした4少年からなる使節。バリニャーノはインド,ローマへの帰還に当たり,急きょ日本人キリシタンのローマ派遣を計画した。有馬のセミナリヨに学んでいた少年4名,正使に伊東マンショと千々石(ちぢわ)ミゲル,副使に原マルチノと中浦ジュリアンが選ばれて1582年(天正10)2月長崎を出帆,ゴア,リスボン,マドリード,フィレンツェを経て85年2月ローマ入りし,教皇グレゴリウス13世に謁した。教皇の死で使節はその葬儀に参列し,のち新教皇シクストゥス5世にも謁しその戴冠式にも参列した。遣使の目的は,教皇に東洋の新しいキリスト教徒を披露し,使節にキリスト教世界の現状と偉容,キリスト教諸王侯の広大尊貴さと権威,壮大豪華な諸建造物などを見聞させ,使節を通じて日本人に知らせ布教活動の一助とするため,またイエズス会の日本布教における実績をローマ教会とヨーロッパ世界に強く印象づけ,これによって教皇から日本布教に対する物心両面の援助を得ようとするためであった。4使節は所期の目的を達し印刷機を持参して90年7月長崎に帰着し,翌年インド副王使節の肩書のバリニャーノに同行して聚楽第で豊臣秀吉に拝謁した。彼らは同年イエズス会に入り,のち退会した千々石ミゲル以外の3人はともに司祭に叙階された。            五野井 隆史


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