2019年10月22日火曜日

[積読立読斜読]『田中角栄 戦後日本の悲しき自画像』(早野透 著、中公新書、2012年)


新潟県を旅行しました。偶然ですが田中角栄さんの選挙区の施設に多く立ち寄り、影響力の大きいものもありました。また西山町の田中角栄記念館にも立ち寄りました。

著者が朝日新聞記者で、田中角栄さんの番記者を長く勤め、角栄さんを深く理解するため志願して新潟支局勤務もあり、新書版でコンパクトにまとまって中立的な内容のようなので読んでみました。

細かい事実はwiki等でわかるのですが、著者による日本の戦後と田中角栄の総括はちょっと長文を読まないとわかりませんでした。内容抜粋します。

文章は流石一流の新聞記者で達意の文章です。

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<内容紹介>(中公新書のHPより)
「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれた頭脳と行動力で、高等小学校卒から五四歳で首相の座に就いた田中角栄。「新潟三区」という雪深い地盤に“利益誘導”を行い、「日本列島改造」を掲げた角栄は、戦後政治の象徴だった。だが彼の金権政治は強い批判を浴び、政権は二年半で終わる。その後も巨大な「田中派」を背景に力を持ったが、ロッキード事件では有罪判決が下った。角栄を最期まで追い続けた番記者が語る真実。


<著者紹介>
早野 透
桜美林大学教授。1945年神奈川県生まれ。1968年東京大学法学部卒業。朝日新聞社で政治部次長、編集委員、コラムニストなどを歴任。2010年より現職。主な著書に『政権ラプソディー―安倍・福田・麻生から鳩山へ』(七つ森書館/2010年)、『田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像』(中公新書/2012年)など。
https://www.nippon.com/ja/authordata/hayano-toru/ より


田中角栄  1918‐93(大正7‐平成5)
たなかかくえい

昭和戦後期の政治家。新潟県出身。高等小学校卒で上京,苦学力行して建築士,土建業者となる。1947年(昭和22)に衆議院初当選。民主党から吉田茂の民主自由党に移り法務政務次官となる。炭鉱国管疑獄(炭鉱国家管理問題)で逮捕され,のち無罪。自由民主党では佐藤派に属し,57年に岸信介内閣郵政相,池田勇人内閣で党政調会長,蔵相を歴任。佐藤栄作内閣でも幹事長,蔵相,通産相を務め,福田赳夫と並び佐藤体制の双璧となる。72年7月,自民党総裁選で福田を破って田中内閣を成立させた。〈決断と実行の政治〉を旗印に,同年9月,一気に日中国交回復を実現した。しかしもう一つの柱,日本列島改造政策は土地投機,物価上昇を誘発し,73年秋の石油危機とあいまって〈狂乱物価〉を現出した。このため1972年12月総選挙も不振に終わり,74年7月の参院選も〈金権選挙〉を指弾された。同年末,金脈・人脈批判を受け首相を辞任した。76年のロッキード事件暴露によって,田中は収賄で逮捕起訴され,〈総理大臣の犯罪〉は一世を聳動(しようどう)させた。しかし田中は党内に強大な支持勢力を結集して〈田中支配〉を確立し,大平正芳,鈴木善幸,中曾根康弘各政権の〈キング・メーカー〉〈闇将軍〉と呼ばれる権勢を保持した。85年病に倒れ政界を引退した。8年間の闘病のあと,93年12月死去。
                        内田 健三

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まえがき
日本の近代、明治国家は「国民」をつくりだして明るい未来に向かって歩んだ歴史だったといえるだそう。大正という間奏曲は、デモクラシーと天皇制国家のはざまで揺れた。そして、昭和がきた。日本は軍閥が跋扈して、戦争の道に迷い込んだ。村の若者が徴兵の赤紙で出征し、白木の箱に入って帰ってくる。空襲、原爆、焼け野原。日本は戦争に敗れて、民衆はようやく死の恐怖からまぬかれた。だが、そこにあるのは飢餓の「戦後」だった。

 田中角栄は、「戦後」に政治家になって、「戦後」を象徴する政治家となった。その象徴性は、田中角栄と美空ひばりに指を屈するであろう。

「戦後」とは何か。もうあんな苦しい戦争はいやだ。なにはともあれ平和であってほしい。それが民衆の願いだった。(中略)(民衆が)「平和」と「豊かさ」を求めた「戦後」を、田中角栄はおそらくもっとも端的に、濃厚に、政治の場で担った人物だった。



P9
田中角栄に対するもっとも鋭い批判者となる立花隆は「抽象思考ゼロの経験主義者」と断じた。実感的、経験的、そして人生訓的であることは、角栄の生涯の思考形式である。だが、それもやむをえない。角栄は中曽根と違って、大学の教壇から抽象的想像力、体系的思考を学ぶ機会はなかった。角栄のとって人生は、ひたすら「具体」の積み重ねであって「抽象」ではなかった。


P394
田中角栄は、日本の近代の泥濘のなかから這い上がった。敗戦の焼け跡闇市の時代を類まれな才覚で、時に悪知恵を働かせて切り抜けた。政治権力の階段を上った。角栄の「利益還元政治」は、見方を変えれば「社会民主主義」だった。それを新潟三区の選挙民は支持した。角栄は民衆のなかにいた。人々への気配り心配りを備えていた。政治の世界では、それを端的にカネという形で表現した。そして転落した。

角栄の荒ぶる魂は、それを受け入れることができず、さらに権力に固執した。次第に狂気を帯びる。そして角栄は突然、脳に損傷をきたした。