「引っ越し日」 The Superintendent (雑誌『ニューヨーカー』(1953年3月29日号掲載))
引き続き村上春樹さん訳のジョン・チーヴァーの短編集『巨大なラジオ/泳ぐ人』を読んでます。
"superintendent"はアメリカ映画のNYロケで良く出てくる高級アパートメントハウスの受付管理人のこと。村上春樹さんの解説から引用します。
日本におけるマンションの管理人とは立場が少し異なり、一般的により強い差配の権限と、高い地位を与えられている。大きな建物ではジャニター、ハンディーマン(用務員、雑用係)やポーター(清掃係)などがその下についている。ここではとりあえず「管理者」という訳語をあてた。高級アパートメントに住む方もいろいろと大変だた、その世話をする方もけっこう大変だ。
チーヴァーの短編は一貫してアメリカの1950年代のアッパー・ミドル(歴史上最も優雅なミドル)からの転落もしくは転落の危機を描いているように感じます。
本編は高級アパートメントハウスに住む住人の群像を、第三者的な立場である管理人を話者に仕立てるという構造で、上層階に引っ越す一家と、代わりに出ていく一家を対比させたところが秀逸と思いました。
物語のエンディングは管理人・チェスターのモノローグですが印象深かったのでちょっと長いですが引用します。
P152
ケイティーが空模様について言っていたことは真実だった。雲が流れ始め、空に光があることにチェスターは気づいた。日が長くなりつつあるのだ。光はそこで足止めを食っているように見えた。チェスターはそれを見定めようとキャノピーの下から出た。両手を後ろで組み、遠くの空をじっと見上げた。子供の頃、雲のことを形を変えた神の都市だと考えるようにしなさいと言われたものだった。そして低いところにある雲は、今でも彼の心に幼い頃の好奇心をかき立てた。そこには聖人やら預言者やらが住んでいて、目を凝らせばそれが見えるかもしれないと思ったものだ。しかし彼が信心深い子供時代から保持していたのは、典礼的思考習慣だけではなかった。その一日は何かしらの員にを帯びることにしくじっており、そして空はその明瞭な説明を約束してくれるように見えた。
なぜそれはしくじったのか?なぜそこには報いがなかったのか?なぜブロンコも、ベストウイック家も、ニーガス夫妻も、7Fの離婚女も、ケイティ・シェイも、見知らぬ労働者も、何ひとつ生み出さなかったのだろう?それはベストウィック家とニk-ガス夫妻とチェスターとブロンコが、お互いを助け合えなかったせいだろうか。あるいは年老いたメイドが、鳥たちに餌を与える役を見知らぬ男にわけ与えてやらなかったせいだろうか。ただそれだけのことなのか?チェスターはそう尋ね、青い空を見上げた。そこに蒸気で回答が書かれているのではないかというように。しかし空が彼に教えるのは、それは冬の終わりの長い一日だったし、もう時刻も遅いから中に入ったほうがいいということだけだった。
