2015年3月26日木曜日

[積読立読斜読] 『おまけの人生』(本川達雄著、文芸社文庫、2014年)



オリジナルは2005年の単行本(阪急コミュニケーションズ)。文庫の平台で目についたので購入・読了。

名著『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)の著者でもと東京工業大学大学教授。専門は生物学。

古くは寺田寅彦をはじめとして、理系の学者で一般的読者対象が自然と学術的な内容を理解できる練達のエッセイの書き手がいますが、著者もその一人です。

本格的な学術書ではなくて、気楽なエッセイとして読めましたが、なかなか含蓄のある記述が多く、大いに勇気づけられました。お勧めです。


題名となっている「おまけの人生」というのは、日本人の長寿化によって「生物」としての寿命以上に長生きしてしまう時間を「おまけ」として有意義にすごそうという提案です。

P3
老いとは、生物学的に言えば、生殖活動ができなくなることである(それなら俺は老い
ていないと、生涯現役を誇る男性諸氏が多いだろうが、産んでくれる相手に選ばれな
ければ老いたも同然なのだ)。

(戦後すぐの平均寿命は男は約50歳)思えば戦後70年で、生物としては無意味な時
間が、なんと30年もできてしまったということである。この部分は昔はなかったもの。生
物としては意味づけも無いのだから、まあ、「おまけ」と言ってもいいだろう。

著者による「おまけの人生」の具体的過ごしかた、心の保ちようの指南として興味深く読めました。

生物としての存在は生殖活動にあるので、おまけも期間も広義の生殖活動をすればよいそうです。具体的には次の世代を育てること。孫の世話や地域の子供たちの世話など。

またおまけの期間に体がなれてないので(人類史上初めて)心が頼りだそうです。同じ世界で暮らしていても、心の持ち方・世界の見方によりバラ色にも灰色にもなるそうです。

28期も会社勤めの方は定年後が視野に入ってきました。妙に定年後の生き方を探究するなど力み過ぎたメディアに惑わされず、「おまけの人生」を楽しむという気楽な気持ちでもよいのでは、と安心した著作でした。



※以下は当方の読書メモです。お気になさらずに。

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P15
自宅にはテレビがない。テレビは面白すぎる。

女房も同じ意見のようで「テレビってお祭りみたい」と言う。お祭りも年に一、二度だからいいのであって、毎日では気が狂う。

P18
父親の歌った子守歌がずっと心に残ったという小説がある(福永武彦『忘却の河』)。

(気象官)岩崎卓爾の生涯は『風の御主前(うしゅまい)』として大城立裕が小説化している。女房も読んで、これはいい本だと、友人にもすすめていたようだ。


P30
『我輩は猫である』

「始めて海鼠を食ひ出せる人は其胆力(たんりょく)に於て敬すべく、始めて河豚を喫する漢(おとこ)は其勇気に於て重んずべし」

安々(やすやす)と海鼠の如き子を生めり

夏目漱石、長女、筆、誕生に際し


P32

ナマコには目もなく手足もなく、頭も尾もはっきりしないものであり、これぞまさしく未分化の混沌。子規に「老子」と題したこんな句がある。

混沌をかりに名づけて海鼠かな

老荘思想では混沌からこの天地が生まれ出る。ナマコはその混沌なのだから、

天地(あまつち)を我が産み顔の海鼠かな。

という子規の句になる。


P33
天地を生み出すのがナマコなのだが、そのナマコを易々と生んでしまうのが女性なのである。ここには老子の玄牝(げんぴん)のイメージがあるだろう。


P35
子規とナマコ

海鼠眼なしふくとの面を憎みけり

「日蓮宗四箇格言(しかかくげん)」 念仏は海鼠真言は鰒(ふぐ)にこそ


(以下続く)