2026年1月18日日曜日

[惹句どんどん] ヴァージニア・ウルフ

 



人間はだれもが

ティツィアーノやダーウィンになれるわけじゃない。

 

だが、それと同時に、

われわれのような凡人がいなかったら、

ダーウィンやティツィアーノのような天才が

存在し得ただろうか、

という疑問もある。



新潮文庫版『灯台へ』(鴻巣友季子訳、2024年)

p131


※引用はたぶんこちらのダーウィンかも。


ダーウィン  1731‐1802

 Erasmus Darwin


イギリスの医師で詩人,進化思想家。C. ダーウィンの祖父。発明の才もあり,リンネの紹介者,ルナ・ソサエティの創立メンバーとしても著名。著書《植物の園》(1789,91),《ゾーノミア》(1794,96),《自然の殿堂》(1803)に進化思想が現れている。フィラメント状の生命がかつて一度だけ海に生じて,漸次,種々の生物に発達したとし,G. L. L.de ビュフォンの影響がうかがえる。詩作はロマン派詩人に影響を与えた。         江上 生子


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ティツィアーノ  1490ころ‐1576

 Tiziano Vecellio


イタリアの画家で,16世紀ベネチア派最大の巨匠。アルプス山麓のピエベ・ディ・カドレ Pieve diCadore で由緒ある公証人の家系に生まれる。兄フランチェスコ Francesco Vecellio も画家。伝承では,9歳のときベネチアに出てモザイク画家ツッカート Sebastiano Zuccato の門に入り,次いでベリーニ一族(とくにジョバンニ)の工房で学ぶ。早熟な才能を発揮し,1508年には同門のジョルジョーネの協力者としてフォンダコ・デイ・テデスキ(ドイツ人商館)の外壁装飾に参加。この先輩画家の詩情あふれる新様式から決定的な影響を受けるが,逆に彼にも刺激を与え,その夭折(1510)後は残された作品を完成した(ドレスデン国立絵画館の《眠れるビーナス》やルーブル美術館の《田園の奏楽》)。11年パドバのサント同信会館にフレスコ画《アントニウスの奇跡》を制作して画家として自立,18年にはベネチアのサンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会のために大祭壇画《聖母被昇天》を完成して独自のモニュメンタルな古典様式を確立する。また師ジョバンニ・ベリーニ(1516没)の跡を継いで共和国公認画家となり,ベネチア画界の第一人者の地位を築く。同じころフェラーラやマントバの宮廷と,後にはウルビノの宮廷とも関係を結び,これらの君主のために多くの肖像画や異教的な神話画(バッカス祭三部作,1518‐25。《ウルビノのビーナス》1538等)を描く。30年ボローニャで神聖ローマ皇帝カール5世と出会い,以後ハプスブルク家はフェリペ2世まで2代にわたって画家の最大のパトロンとなった(1533年にはカール5世から宮廷伯の称号を授与され,48年と50年にはその招きでアウクスブルクの宮廷に滞在,《カール5世騎馬像》等を描く)。1545年ローマに招かれ,教皇パウルス3世やファルネーゼ家のために制作,ローマの市民権を与えられる。

 ティツィアーノは85年を超える長い生涯の中で,時代のあらゆる主要社会層を顧客として国際的な活動を展開し,国際的名声と世俗的栄華をきわめ,宗教画,神話画,肖像画の分野で500点近い膨大な作品を残した。その様式は,初期の精緻で豊潤な古典様式から晩年の〈色彩の錬金術〉と呼ばれる大胆な印象主義的様式まで,驚くべき変化と発展を示している。主題のいかんを問わず成熟期の作品では,情動と官能性に富んだ人間像は雄弁でしかも古典的節度を保った劇的構成を見せ,それを包みこむ詩的な魅力にあふれる背景空間との絶妙な絵画的呼応と調和を示す。ベリーニ以来のベネチア絵画の色彩主義的伝統の集大成者たる彼の歴史的意義は,(1)彩色を素描のように機能させ,明暗と色彩を和音的に編成することによって,ルーベンスやベラスケスらの源泉となる近世の古典的絵画空間を確立したこと,(2)フランドルの油彩技法を根本的に革新しインパスト(不透明)とグレーズ(透明)を自由に組み合わせる近代的な油彩画法を開発したこと,(3)頭部に光を集中させて本質的なもののみを描出する,生動感あふれる肖像画を生み出したこと,などにあるといえよう。                   森田 義之


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