人生目標としていた中川一政の版画「われはでくなりつかわれてをどるなり」が額装してネットで販売されていたので購入しました。人生目標が「木偶の坊」というのは気が楽です。
解説
「われはでくなり つかわれて踊るなり」は、自分を遣い手に操られる木偶人形に例えた中川一政の言葉。中川にとっての遣い手とは、自身にほかならず、自らの内発的要請に突き動かされて創作に向かう姿勢を示している。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/385518
文化遺産オンライン
中川一政中川一政肖像画 続きを見る
東京の本郷で生まれる。文芸誌「白樺」により日本に紹介されたゴッホやセザンヌの作品に触発され、絵を描き始ました。
■1914(大正3)年、21歳で描いた処女作「酒倉」が第14回巽画会において入選、翌年にも最高賞の二等賞を得たことで、画家として生きていくことを決意いたしました。岸田劉生が組織した草土社を経て春陽会の会員となり、その後は会の中心メンバーとして、戦後日本洋画壇を引っ張っていく存在となりました。
■1949(昭和24)年に当真鶴町にも画室を構え、やがてここを拠点として創作活動を行い、また画家としての業績が称えられ1975(昭和50)年には文化勲章を授賞しました。
■1991(平成3)年に98歳を目前にして亡くなるまで精力的に創作を続けられました。その作風は、東洋画の境地を取り入れた豪快な筆触と、鮮やかな原色対比、大きな画面構成といった主観的な表現が特徴です。油彩を中心に、水墨岩彩、書、陶芸、挿画、本の装丁等の分野にも多くの優れた作品を残しました。
https://nakagawamuseum.jp/

