2016年5月28日土曜日

[積読立読斜読] 『素晴らしいアメリカ野球』(フィリップ・ロス著、中野好夫・常盤新平訳、新潮文庫、2016年)




村上春樹と柴田元幸が埋もれた海外文学作品を発掘する新潮文庫の新企画です。

5月1日に発行になった『素晴らしいアメリカ野球』(フィリップ・ロス、中野好夫・常盤新平訳)は1976年に集英社から出た『世界の文学』向けに訳されたもので、今回はその復刊です。内容はさっぱり忘れましたが、当方も高校時代に全集版で読みました。38年ぶりの復刊だそうです。

原題は"The Great American Novel"で、正確な邦題は「偉大なるアメリカ小説」でしょうが、1976年の日本の状況では、この小説がアメリカの小説家が書かなければならない「偉大なるアメリカ小説」への諧謔そのものであるという状況が理解できないという理由で、表層に題材とされているアメリカのプロ野球・愛国リーグを描いた小説としての邦題にしたそうです。

今回の新潮文庫版は、オリジナルの翻訳になかった柴田元幸さんによる膨大丁寧な注釈がつき、作品への理解が深まりました。

原著は1973年に出版されてます。現時点ではいささかアメリカの偉大さ(great)も怪しくなってきてますが、ベトナム戦争があったとは言えまだまだアメリカには偉大なる国家として存在しており、アメリカの作家としても、"Great American Novel"をいつか完成させなければならない使命を帯びており、題材として選ばれた野球も国技として隆盛であり、共産主義は戦うべき巨大な相手だったのでしょう。

単に白いクジラを退治するだけの話を、延々とした叙事詩に仕立て上げた『白鯨』が、その偉大なるアメリカ小説のひとつの見本かも知れません。

『白鯨』のほうは大まじめですが、こちらは架空のプロ野球リーグ、愛国リーグに所属する弱小球団「マンディーズ」をめぐる群像劇という筋立てです。このマンディーズが実にでたらめなチームで選手がアル中であったり、隻手であったり、小人であったり、52歳の三塁手がいたりという設定です。図らずも今日のほころび始めた超大国アメリカを予言してます。

この時代は共産主義がまだまだ戦うべき巨大な敵であったようです。最終章のマンディーズ球団がアメリカの国技、野球を破滅させるためのスパイ集団だったという伏線になる会話です。


下記はマンディーズに所属する外野手ローランド・アグニがトレード先希望の女性オーナートラスト夫人との会話。当方はこの小説のネタになっている事象はほとんど理解できてませんが、下の会話は面白かったです。


「ローランド、あなたにはわかるかしら、何千何百万というアメリカ人を団結させ、競争相手を仲間にし、他人を隣人にし、敵を味方にするものがなんであるか?
野球なのよ!試合が続いているかぎり、そうなのよ。だから、そんなふうにして、彼らはアメリカを滅ぼそうとしているんだわ。つまり、われわれの国技を滅ぼしてしまおう―それが彼らの憎むべき巧妙な計画なのよ!」
「でも―しかし、どうやって?どうしてそんなことができるんだ?」
「野球を冗談の材料にしてしまうのよ!物笑いの種にしてしまうんだわ!われわれを大いに笑わせようとしているのよ!」
「でも―誰が?」
「赤(レッズ)よ」とトラスト夫人は言って、相手の反応を見た。
「だけど、レッズにはそんな余裕はないよ、奥さん、カーディナルズに負けているからね。おれはわかんないな。どういうことなのかね?」
「そうじゃないわ、シンシナティ・レッズ球団のことじゃないの。」