<日々是不穏 like a rolling stone>(2014年7月7日(月))
サッカーのワールドカップ・ブラジル大会は、日本が一次リーグで早々と敗退してしまっ
たので、日本では盛り上がりに欠ける結果となりました。ベスト8以上の常連となるには、
まだまだ時間がかかりそうです。
当方の現時点のワールドカップへの好奇心は、
(1)日本の強化策
(2)何故ワールドカップはこんなに人気があるのか
の2点ですが、(1)については納得の行く論調には出会ってません。(2)については、
日経の英語アジア版にピーター・タスカ氏の寄稿があり、エッセイ風で興味深かったので
引用します。
原文は英語ですが、日経のサイトに日本語訳がありましたので、そちらを引用します。
ピーター・タスカ氏によると日本のサッカーは「地球を「サッカーの惑星」としてみれば、
地政学的な政治の力は逆転する。米国や日本は経済大国ではなく、勝とうと必死になって
いる勇敢だが取るに足らないプレーヤーにすぎない。」だそうです。経済力とサッカーの
強さが必ずしも一致しないところも面白いですね。
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サッカーのグローバル化が浮き彫りにする現実世界
(ピーター・タスカ、2014/7/5、NIKKEI ASIAN REVIEW)
■サッカーのグローバル化
サッカーは世界共通語になった。大手会計事務所のデロイトによれば、今月13日のFI
FAワールドカップ決勝戦は世界中から約10億人の視聴者を集めるという。この中には、
ロンドンのペントハウスに住むロシアの大富豪から、野外に設置された巨大スクリーンで
試合をみる貧民街の住人もいる。90分の試合にだれもが同じように興奮し、選手の奇跡の
足技とその運動能力に同じように圧倒されることだろう。
シンプルで、だれもがプレーできるサッカーは、この点においてほかのすべてのスポー
ツをしのいできた。ブラジルのビーチだろうが、グラスゴーの裏道だろうが、ほぼどんな
天候のもとでも、2人あるいは22人でプレーできる。アメリカン・フットボールやホッケ
ーと違って、特別な施設や装備は要らない。多少の空間と、空気の入ったボール1つがあ
ればいい。ラグビーやクリケットと違って、ルールは明確で分かりやすい。テニスやゴル
フと違って、階級や人種的ルーツは関係ない。
これらの特徴が、サッカーを理想的なグローバル経済の一形態に変貌させてきた。どん
な市場もサッカーほど競争は激しくないし、どんな産業もサッカーほどダイナミックで成
果主義的ではない。現実をみれば、我々の生きている資本主義世界は、フェアであること
からほど遠い。人生においていきつくところは、おうおうにして、どこがスタート地点だ
ったかによって左右される。既得権益をむさぼる向きは、経済に深く入り込み、その「地
代」のうまみを吸う。経済状況が悪くなれば、政府に救済させればよいのだ。
しかしいったんピッチに立てば、親の持つ政治的コネは意味を持たないし、(巨大銀行
をやゆするために使われる)「大きすぎてつぶせない」という概念も存在しない。才能と、
全身全霊でものごとに打ち込む力、その二つの資質があれば、ものの数年で貧困から富豪
の仲間入りができる。マラドーナやジダンといった偉大なプレーヤーがそうだったように。
地球を「サッカーの惑星」としてみれば、地政学的な政治の力は逆転する。米国や日本
は経済大国ではなく、勝とうと必死になっている勇敢だが取るに足らないプレーヤーにす
ぎない。アルゼンチンはデフォルト頻発国ではなく、バロンドール(世界最優秀選手)4
回連続受賞のリオネル・メッシという至宝を抱く、格付けでいえばトリプルA級の国であ
る。インドと中国は台頭する大国ではない。サッカーの惑星上では、インドと中国は一切
存在しない。BRICSのような新興国の代わりに、BICCと呼べる2番手のグループ
がある。ここにはベルギー、コートジボワール、チリ、コロンビアが含まれる。
英マンチェスター・ユナイテッドのホームが「夢の劇場」として知られていることには
理由がある。サッカーの非現実性は、世界中の人口の5分の1に当たる人々が13日、ほか
の仕事を隅に追いやってでも近くのテレビ画面にくぎ付けになってしまう、それほどまで
に魅力的なものなのだ。
■サッカーバブルの醜い現実
しかしブームは、破裂の種を必ず内包する。選手、スポンサー、背後にいる運営事業者
にとって、金銭的な利害関係があまりに抜き差しならなくなり、ブラジルの名選手・ペレ
がかつて「美しいゲーム」と呼んだサッカーは、その魔法を持ち続けることがほとんどで
きなくなっている。グローバル化の暗い影――説明責任や責務の欠如、富と権力の格差、
道徳心や原則を犠牲にした成功の追求――は残念ながらサッカーの惑星上に明白だ。
フランスの哲学者で、ゴールキーパーとしてサッカーに親しんだカミュは、「道徳心や
義務について知っていることのほとんど」はサッカーから教わったという。ウルグアイ出
身で英リバプール所属のルイス・スアレスが敵の選手の腕をかんだと知ったら、カミュは
一体なんと言うだろう。あるいは、英マンチェスターCに所属するヤヤ・トゥーレが、ク
ラブから誕生日をきちんと祝ってもらえず「尊厳を傷付けられた」として退団をちらつか
せたと知ったとしたら。主要トーナメントのあらゆる試合で、選手がダイビングしたりわ
ざとらしくケガを装ったりするのが当たり前だと知ったとしたら。
とはいえ選手の素行は、舞台裏で行われていることと比べればたいしたことはない。欧
州刑事警察機構(ユーロポール)は、八百長に関する調査「拒否作戦(オペレーション・
ヴィートー)」を実施した結果、ワールドカップの決勝トーナメントや欧州チャンピオン
リーグの試合を含め680試合が「疑わしい」としている。
スイス・チューリヒを本拠地にする国際サッカー連盟(FIFA)こそが超法規的組織
の見本だ。ブラッター会長は1998年から会長を務め、次の任期へ意欲を見せている。それ
でも24年にわたり会長職に就いていた前任者のアベランジェ氏にはかなわない。同氏は賄
賂により巨万を蓄財したといわれる。2022年のワールドカップ開催地をカタールに決定し
たFIFAの最近の疑惑(カタール関係者がFIFA理事に賄賂を贈ったとされる)に、
もはや驚きはない。
サッカーには、はじける以外行き場のないバブルが生じているのだろうか。関連する金
額が参考になる。ぱっとしない成績のマンチェスター・ユナイテッドに所属する、これま
た活躍の少ないイングランド代表スタープレーヤー、ウエイン・ルーニーは、サッカーだ
けで週に30万ポンド(約5180万円)を稼ぐ。これは、プレミアリーグ放映権の額面が、こ
こ10年間でおよそ3倍になったことで説明できる。スキャンダルがむしばむFIFAは、
ワールドカップの放映権とスポンサー契約で40億ドルの収入を見込んでいる。
人々がひいきのチームと選手を身近に感じ、こよなく愛するがため、こうした人々から
の収入をどんどん増やしていてもサッカーは大目に見てもらえる。このささやかな偏愛こ
そ、グローバル化し制御のきかなくなったサッカー経済が脅かしているものだ。既に長期
にわたるサッカーの「強気市場」をなお続かせるには、メッシやネイマールとその仲間た
ちの一瞬の輝きだけでは足りないのだ。
By Peter Tasker, analyst with Arcus Research in Tokyo
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK03012_T00C14A7000000/?df=3
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