2024年3月20日水曜日

[積読立読斜読] 『THINK BIGGER 「最高の発想」を生む方法』(シーナ・エイエンガー著、櫻井裕子訳、ニューズピックス、2023年)

 [積読立読斜読] 『THINK BIGGER 「最高の発想」を生む方法』(シーナ・エイエンガー著、櫻井裕子訳、ニューズピックス、2023年)




たまにはビジネス書読まないと。書店で平台に山積み。オレンジ蛍光色の目立つ装丁で、

著者がベストセラーのビジネス書『選択の科学』シーナ・エイエンガーさんだったので購入しました。

コロンビア大学の講義の書籍化。


『選択の科学』では「選択から最大限の価値を引き出すにはどうしたらいいのか?」という考察で、

一例としてあげられた「選択肢が多ければ満足度があがるわけではない」ジャムの実験が有名です。



本書は「そもその選べる選択肢が存在しない場合どうしたらいいのだろう?」という問いから発生し、

「問題解決のために、新しい選択肢を生み出す手法」を"Think Bigger"と名付けて解説した本です。


第1章では理論、第2章ではフレームワークの柱となる6つのステップを紹介しています。


知っているつもりであった「イノベーション」を改めて解説されるとこのフレームワークの秀逸さがよくわかります。

翻訳もこなれて居て読みやすかったです。惜しむらくは索引がないことぐらいですか。


有名なフォード・システムの発想を著者のフレームワークで解説しています。


p75

フォード・システムの成り立ちの分解


ヘンリー・フォードの課題「庶民が買える「車」をつくるには」


サブ課題1:人件費を下げるには?

サブ課題2:製造時間を短縮するには?

サブ課題3:原材料費を減らすには?


組み立てラインはフォードの発明ではなく先行事例があり、食肉処理場での解体ラインの観察から、

組み立てラインを導入につながら固定ラインの13時間から90分に短縮。

原材料費は黒一色の乾燥時間の早い塗料に絞ることで大幅なコストダウンに成功。

(この色は漆に似た黒だったので工程を「ジャパニング」と呼ばれたそうです)。


一連の改革で2000ドル~850ドルしていた自動車を、10年間で250ドルまで下げ、

1台の組み立て時間は33分までに短縮。



フォード・システム  

 Ford system


H. フォードが創始したフォード・モーター社(1903創設)において実施した経営管理方式。フォードは,それまで金持ちのためのぜいたく品であった自動車を大衆のための実用車として設計・製造・販売した。これが,モデル T(T 型フォード)である。〈安価でかつ量産できるためにはどうすればよいか〉,それを実現するために彼はまず組立作業から生産方式の改善を手がけていった。彼がすべての作業に採用した二大原則がある。その一つは,〈もし避けることができるならば,1歩以上歩んではならない〉。他の一つは,〈決して体をかがめる必要はない〉というものである。そしてとくに組立作業における原則は,(1)機器ならびに作業者を工程順に配列して,組立作業間それぞれの構成部品が最短可能距離を移動すること,(2)ワーク・スライド(加工対象物を滑り送りする装置)とかその他の搬送装置を用いることによって,作業者がその作業を完成させたとき,作業者がいつも同じ場所,しかもその場所は作業者の手にとって最も都合のよい場所になるようにし,さらにもし可能ならば重力を利用して加工部品を次の作業者の作業位置に運ぶべきであること,(3)スライド組立ラインを用いて,組み立てられようとしている部品が都合のよい位置にあるよう配送されることとされた。

 1913年4月ごろ,フォードは最初の組立ライン(工程系列)を実験に移した。その際の組立対象品は,はずみ車のマグネット発電機であった。これは,最初の〈移動(生産)ライン〉であった。このアイデアは,シカゴの精肉出荷業者が牛肉の精製に用いていた天井トロリーコンベヤから得られた。⇒流れ作業                 新宮 哲郎


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大きなアイデアを生み出すための6つのステップ


ステップ1 課題を選ぶあなたの解決したい課題は何か?

課題を正しく選びます。課題を明確にし、その本質を見極める.


ステップ2 課題を分解するあなたの課題を構成する「サブ課題」は何か?

大きな課題を小さな課題に分割することで、解決が容易になる。


ステップ3 望みを比較するおもな意思決定者は何を望んでいるか?

「解決策を考えるあなた」、「解決策のターゲット(問題が影響を及ぼす対象)」、

そして解決策の実現に影響を及ぼす「第三者」の3つの集団を考慮すること。


ステップ4 箱の中と外を探す「別領域」で過去にうまくいった解決策は何か?

ブレインストーミングは狭め(箱の中)、Think Biggerは広げる(箱の外)。


ステップ5 選択マップ戦術の「組み合わせ」を何度も試そう。

異なるアイデアや解決策を組み合わせることにより、より創造的な解決方法を見つけることができる可能性が高まある。


ステップ6 第三の眼あなたが見ているものは他人にも見えるだろうか?

人間は二つの目だけでなく、「第三の目」としての脳の機能を通して物事を認識する。

第三の目は、脳内のワーキングメモリに心象が形成される現象を指す。










[その他] a day in the life チームメンバー reunion 再び

3月20日(水曜日・祝日)春分の日で休み。

先週に続いて昔勤めていた会社のチームメンバーが広島出張で再会。

寺家のあすなろベイキングカンパニーに集合しました。

退職して十数年が経ちますが、訪ねて来てくれる人がいるのは大変うれしいです。

皆さん(当然ですが)年齢を重ね、重要な役職についておられました。




 

[晴れときどき英語のお勉強] CHAPTER 5-1 基本助動詞の詳説 5-1-3 must


 p204

CHAPTER 5-1 基本助動詞の詳説

5-1-3 must


[カクシン] それしかないでしょ!


①義務「~しなければならない」

②推定「~に違いない」


[例文]

①義務「~しなければならない」


You must apologize to her.


I must pass the Waseda University entrance examination.


②推定「~に違いない」


You must be tired. Get some sleep.


She must be Ayaka's mother.


[応用]

You must try matcha dorayaki. It's really delicious.

(It's like nothing you've ever tasted before.)


[mustの否定文]「禁止」を表す

Cayy-on items must not exceed ten kilos.


[補足説明]

mustは現在の予測に使い、未来の予測はwillを使う

推定のmust「~に違いない」の否定はcan not 「~のはずがない」を使う

疑問文 Must S ~?は実用英語では使われず、Do S have to ~?「~しないといけませんか」を使う


『真・英文法大全』は説明は簡略なのですが、失礼ながら例文の質が悪く、

『表現のための実践ロイヤル英文法』より補足します。




p85

第4章 助動詞 第2節 助動詞の用法

36 must


36A mustの用法


(1)義務・必要「~しなければならない」

To be admitted to the exams, you must have a student identification card.


You must arrive on time, or you won't be seated.

(時間通り着かなければならない。さもないと席まで入れてもらえないよ)


You must be careful when purchasing items on the Internet.


(2)禁止「~してはならない」

You mustn't believe anything my aunt tells you.


(3)勧誘「ぜひ~しなさい」

You must come and see us when you come to San Francisco.

(サンフランシスコに来られたら、ぜひ家にもいらしてください)

※招待する場合などに多い


(4)推量「きっと~だろう、きっと~のはずだ」

①主として状態動詞と用いる

You are right. This must be a joke.


●この意味の否定「~のはずがないだろう」はcannotになる

This cannot be a joke.(これは冗談のはずがないだろうな)


●This must not be a joke.((だったら、じゃあ)これは冗談じゃないってことだな)

《米》notはmustではなくbe a jokeを否定している


②<must have + 過去分詞>「きっと~だろう」

There's an ambulance!  Something must have happened to my neighbor!

(救急車が来ている。きっと隣の人になにかあったのだろう)


否定の「~だったはずがないだろう」は<can't have + 過去分詞>で表す


It can't have been that important.

(それはそんなに重要だったはずがないだろう)


●否定だから<couldn't have + 過去分詞>でもよい

We couldn't have been seen, could we?

(私たち、見られたはずなどないよね)


(5)必然「~するしかない」

Every creature must get old.


(6)遺憾の気持

Why must you lie to me?

(どうして君は私にうそをつかなければならないんだ)


[補足説明]

mustには過去形がなく他の助動詞の次にも置けないので、

未来や完了を表すときは<have to>で代用する。

実用会話ではhave to の使用頻度が圧倒的に高い

時制の一致ではmustを過去形の代用として用いる


He said that I must complete the forms properly.



2024年3月19日火曜日

[惹句どんどん] フランク・ザッパ

決して大雑把でないフランク・ザッパ。


「君は18歳だ。麻薬を吸うスプーンを置いて、注射器の針も抜き、ビールを飲むのもやめて投票に行こう。野獣のように投票するんだ」 

 

FRANK ZAPPA SAYS "VOTE LIKE A BEAST"


 


https://twitter.com/i/status/1644824539816415232

[その他] a day in the life 3月17日(日曜日)墓参

 家族で墓参。高陽町の高陽墓苑。




2024年3月17日日曜日

[あの頃のレコード](特別編)断捨離でアナログ・レコード100枚に絞るプロジェクト開始

 先に本を大量処分して文庫本100冊に絞る断捨離を行ったことを報告しましたが、

アナログ・レコードのほうもいつの間にか溜まってしまったので、

こちらも100枚に絞ることにしました。

70年代のロックが中心になると思います。

棚ができたらまた報告します。





[積読立読斜読] 『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(著者: 室橋 裕和、集英社新書、2024年)

 [積読立読斜読] 『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(著者: 室橋 裕和、集英社新書、2024年)



著者は週刊誌記者を経てタイに在住。現地での日本語情報誌編集を10年経験した後に帰国。在留アジア人専門のジャーナリストとして著者多数。

著者ならずとも街中にどうもインド料理店が多く、そのどれもが失礼ながら安普請で似通ったメニューであり、そこそこ繁盛しているのは気が付いていましたが、

経営者はインド人ではなく、ネパール人であり、全国に5000店あると言われています。企画から2年以上粘り強く取材を続けられ(ネパールにも取材)、見えてきたのは

ルーツを日英同盟後のインド料理として、日本国の移民政策の変遷にうまく同調しながら、緩やかなネパール人シンジゲートで店舗を拡大した姿が見えてきます。根底には国内に主要産業が育たず、

海外に出稼ぎに出なけらばならない低開発国の悲哀があるにせよ、相対的に裕福な国に出稼ぎに出て、懸命に働く人々の物語には感銘します。心配は日本の国力低下に伴い、出稼ぎ先がアメリカ・カナダに移っているそうで、

あのナンが食べられない日が来ないように祈っています。


実は似たような話がアメリカのカリフォルニア州でもあり、全米には約2万5000店のドーナツ店がありますが、そのうちの約5000店がカリフォルニア州にあり、さらにそのうちの90%がカンボジア系のアメリカ人なのです。『ドーナツキング』として映画化されました。



両者に似て居るのは、


・出身国の政治が不安定で出稼ぎ国家であること

・受け入れ側の国に極端な差別がないこと

・先行する成功者によるシンジゲートが確立していること

・投資が少なく労働集約型の食品産業への参入であること

(長時間労働なので自国人がやりたがらない)


ということがあげられると思います。


<出版社のサイトより>

【どこにでもある「インドカレー店」からみる移民社会】

いまや日本のいたるところで見かけるようになった、格安インドカレー店。

そのほとんどがネパール人経営なのはなぜか? 

どの店もバターチキンカレー、ナン、タンドリーチキンといったメニューがコピペのように並ぶのはどうしてか? 

「インネパ」とも呼ばれるこれらの店は、どんな経緯で日本全国に増殖していったのか……その謎を追ううちに見えてきたのは、日本の外国人行政の盲点を突く移民たちのしたたかさと、海外出稼ぎが主要産業になっている国ならではの悲哀だった。

おいしさのなかの真実に迫るノンフィクション。


【目次】

はじめに 「ナン、おかわりどうですか?」

第一章   ネパール人はなぜ日本でカレー屋を開くのか

第二章   「インネパ」の原型をつくったインド人たち

第三章   インドカレー店が急増したワケ

第四章   日本を制覇するカレー移民

第五章   稼げる店のヒミツ

第六章   カレービジネスのダークサイド

第七章   搾取されるネパール人コック

第八章   カレー屋の妻と子供たち

第九章   カレー移民の里、バグルンを旅する

おわりに  カレー移民はどこへ行くのか


【著者略歴】

1974年生まれ。

週刊誌記者を経てタイに移住。

現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイ及び周辺国を取材する。

帰国後はアジア専門のジャーナリストとして活動。

「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。

現在は日本最大の多国籍タウン、新大久保に在住。

外国人コミュニティと密接に関わり合いながら取材活動を続けている。

おもな著書は『北関東の異界 エスニック国道354号線 絶品メシとリアル日本』(新潮社)、『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』(角川文庫)、『日本の異国 在日外国人の知られざる日常』(晶文社)、『ルポ コロナ禍の移民たち』(明石書店)など。


<追記>

新聞書評、2024年4月27日(土曜日)朝日新聞


<追記>
新聞記事、2024年5月11日(土曜日)朝日新聞



[新聞記事] 「原爆の父」の人生描く映画「オッペンハイマー」29日から全国公開 中国新聞 2024年3月16日(土曜日)



 

[新聞記事] Question 民主主義のお手本 台湾の「政治熱」はどこから? 芥川賞作家・李琴峰(り・ことみ)氏

 

「光」しか「観(み)」えてこないうちは、

「観光」しかできない。


 



台湾に旅行に行って、人が優しくて、食べ物もおいしくて、

「台湾が好き」という日本人は多くいます。

それはそれでいいのですが、「光」しか「観(み)」えてこないうちは、

「観光」しかできない。

陰の部分も含めて多彩な台湾の姿を知ってほしいと思います。

2024年3月16日土曜日

[積読立読斜読] 『玉村豊男のポテトブック』(玉村豊男著、朝日出版社、2023年)

 『玉村豊男のポテトブック』(玉村豊男著、朝日出版社、2023年)




わざわざ「玉村豊男」と断っているのは伊丹十三に同名の書籍(翻訳)があり敬意を証してのことでしょう。玉村さんは伊丹十三が編集長をしていた伝説の雑誌『モノンクル』に「TOKIO不思議ガイド」という連載記事を書いていて個人的にも親しかったようです。玉村さんは1945年生まれ、伊丹十三は1933年生まれ、一回り年配の「僕の叔父さん」になります。



伊丹十三さんの翻訳した『ポテトブック』はポテト料理のレシピ集でしたが、玉村さんの『ポテトブック』はレシピ集もありますが、ポテトを巡るバラエティー集となっています。帯の紹介文から。


ジャガイモをめぐる知的冒険

ジャガイモの期限から歴史、食文化、料理法など、ユーモアあるれる文章で、徹底的に思考した一冊。美しいイラストレーションで繰り広げられる、レシピ本でも、エッセイ集でもない、読んで美味しい、見て楽しい、まるごとポテトブック


書店もカテゴリーを絞りにくかったのか、店頭では見あたらず、ネットで偶然見つけて注文しました。



ポテトの歴史では、インカ帝国の基礎がトウモロコシ栽培にあったとする従来説に対し、主食はジャガイモで独特の製法で水分を抜き長期保存の可能とした「チューニョ」(軽石のようになるそうです)に注目した、国立民族博物館の山本紀夫名誉教授(ジャガイモ博士)の話が新しい知見でした。(平凡社の『世界大百科事典』の「ジャガイモ」の項目は山本教授でした)。

往年の玉村さんの名著『料理の四面体』(文春文庫版の解説は伊丹十三さん)の料理の四面体で、ポテト料理の解説もされています。(p79)


2019年9月23日月曜日

[積読立読斜読] 『料理の四面体』(玉村豊男著、文春文庫、1983)伊丹十三解説





本書は「カタストロフィー症候群」を自認する著者が精魂を傾けてポテトについて語った本で、興味は尽きません。



<著者紹介>

玉村豊男

1945年東京都生まれ。エッセイスト、画家。東京大学文学部仏文学科卒業。在学中、パリ大学言語学研究所に留学。帰国後、通訳、翻訳業を経て、エッセイストの道へ。1991年長野県東御市に転居、2003年「ヴィラデストガーデンファームアンドワイナリー」開業。『パリ 旅の雑学ノート』『料理の四面体』など、著書多数。


<目次>


はじめに 伊丹十三さんの思い出


[ポテトをめぐる物語]

夜のカフェで/ミスター・リーズのサンドイッチ/新大陸の贈りもの/不謹慎な植物/

戦乱と飢饉のヨーロッパ/タラとジャガイモの出会い/ジャガイモの食べ方/郷愁のブランダード/

海を泳ぐ黄金/ニューファンドランド/スープの語源/失われたパン/土のないジャガイモ畑/

イモに月が出ている/アイリッシュ・シチュー/ジャガイモ掘り 


[ジャガイモという不思議な植物]

コモンポテト/ノアの箱舟/ジャガイモ博士に聞く/インカ帝国の知恵

 

[ポテトの料理法]

ポテトチップス/フレンチフライ/ベークドポテト/ローストポテト/ハッシュブラウン/

マッシュポテト/ポテトサラダ


コラム <ミスター・リーズのサンドイッチ><夜のカフェで><ジャガイモ掘り>

<料理の四面体><和食とジャガイモ>


おわりに 家庭菜園からの報告

ジャガイモ  

 potato∥Irish potato∥Solanum tuberosum L.


いも(塊茎)を食用およびデンプン原料用とするナス科の多年草(イラスト)。バレイショ(馬鈴題),ジャガタライモともいう。世界のいも類のうちで,最も広範囲に,最も大量に生産されている。

[形状] 草丈は0.5~1m,若い茎は断面が円形であるが,生長すると三~五角にやや角ばる。初期は直立するが,生長すると匍匐(ほふく)するタイプがある。生育初期の葉は単葉,しだいに上位の葉ほど小葉の多い複葉となる。若い葉は顕著な就眠運動を行う。茎葉は多汁質で,特有の臭気がある。茎の地下部の各節からは,ふつう1本の匐枝(ストロン)を生じ,その先端が肥大して塊茎すなわちいもとなる。塊茎の形は,球,扁球,楕円,長楕円,紡錘,卵,腎臓形など多様で,品種の特徴となるが,栽培環境でも多少変形する。塊茎の最外層は周皮とよぶ7~8層の細胞に包まれ,成熟するとコルク質となり,また皮目がある。周皮の内側は数mm~1cmの皮層部で,外皮層と内皮層の2層からなる。これが厚皮と呼ばれる部分である。その下に維管束輪があり,その内側の大部分は髄で,外側を外髄,最内部を内髄という。

 ジャガイモの塊茎(イラスト)の〈目〉といわれるくぼみは,通常の茎における葉および側枝の生ずる部分,すなわち葉腋(ようえき)に相当し,葉に相当するところに鱗片が認められる。〈目〉には数個の潜芽がある。この芽は茎の側芽に相当し,生長点および葉原基を分化している。これらの潜芽のうち中央にある主芽のみが萌芽することが多い。茎の頂部に集散花序を生じ,2~3本に分かれて長い花梗を抽出し,花をつける。萼は5片,花冠は5裂し星形で,花弁の色は白,紫で,黄色の葯が目だつ。通常は虫媒花だが,ほとんどは自家受精する。果実は直径1~3cmの球形で,トマトに似た漿果(しようか)である。開花後4~5週間で成熟し,黄色になる。長さ2mm,幅1.5mmの腎臓形の種子が100~400個入っている。

[生産] 世界の総作付面積は約1800万ha,総収穫量は2.5億から3億tにものぼる。主生産国は中国,ロシア,ポーランド,アメリカなどである。日本におけるジャガイモ栽培は,すでに江戸時代に入っていたが,明治初期に北海道開拓使などが,アメリカから優良品種を北海道へ改めて導入してからようやく本格化した。当初は1万haにみたなかったが,明治時代末期には6万haと増加し,さらに大正時代には15万haに達した。その後は横ばい状態が続いたが,第2次大戦後になって再び増え,昭和40年代に入るまで約20万haの栽培が続いた。しかしその後年々減少し,昭和50年代半ばには約12万ha,1995年には約10万haの作付けになっている。地方別では,北海道が明治以来の第1位の生産地で,全国の生産量340万tのうち2/3以上の生産をあげている(1995)。ほかでは東北,関東,九州に多く,とくに長崎県は北海道に次ぎ第2位の産地となっている。

[品種と栽培] 日本では,明治初期以来もっぱら欧米品種の導入を行い,現在もなお主要品種である男爵やメークイーンが普及した。春作品種では男爵が全作付けの半分近くを占め,次いで農林1号,紅丸(べにまる),メークイーン,エニワなどが続く。秋作用には,農林1号,タチバナ,ウンゼン,デジマ,シマバラ,チヂワなどがおもなものである。新しい品種として有望視されているものに,デンプン原料用のビホロ,タルマエ,食用のデジマ,ワセシロ,加工用のトヨシロなどがある。

 栽培は春植えつける春作を主体とするが,夏に植えつける秋作や両者の中間型など,地域によって各種の作型がある。いずれの場合も粒ぞろいのよい(100g程度),病害のない種いもを選ぶことが重要で,とくにウイルス病に注意を要する。種いもは普通2~4個に切断して植えつける。植えつけ時期は,北海道では4月下旬から5月上・中旬を中心に6月上旬まで,暖地は2月上・中旬,中間地域は3月中旬から4月上旬である。秋作は7月下旬~9月中旬に植えつける。ジャガイモは,増肥による増収および品質向上の効果が大きい作物である。ふつうの肥沃度の土で,10a当り窒素8~10kg,リン酸10~12kg,カリ12~15kg,堆肥1~2tの施用を標準とする。培土は除草を兼ねて1ないし2回,必ず着蕾(ちやくらい)期までに終わるようにする。茎葉が黄変して枯死し,塊茎の内容が充実し,皮がはげにくくなり,匐枝より離脱しやすくなったときが収穫期である。収穫後,損傷いも,病虫害いもを選別除去してから,ただちに日陰の涼しい所に広げて乾燥させる。

 なお,いもを日光にあてると緑色になり,ソラニン solanine というアルカロイド配糖体が形成される。これは苦みがあり多量に食べると中毒を起こす。ソラニンは若い塊茎に多く,成熟したいもでは芽の部分に局在する。⇒いも      星川 清親

[食用] 日本への伝来を江戸初期とする説があり,ジャカトラ(現,ジャカルタ)港からオランダ船によって伝えられたのでジャガタライモと呼ばれ,これから現在のジャガイモの名が生じたとされる。しかし,宮崎安貞,貝原益軒はじめ江戸前期の著作には名が見られない。栽培記録としては1706年(宝永3)に北海道の瀬棚で松兵衛なる者が植えたといい,また本州では明和年間(1764‐72)に甲斐の代官中井清太夫が栽培を奨励したという。高野長英は《二物考》(1836)に異名を列挙する中に〈甲州イモ〉〈清太夫イモ〉の名を掲げ,〈荒年ノ善糧ト云フベシ〉としている。救荒作物としてサツマイモと並ぶ重要性をもつが,味が淡泊なので料理の応用範囲が広い。和風には煮物や汁の実にすることが多く,洋風ではサラダ,コロッケのほかカレー,シチューなどの煮込みやグラタンなどにも使い,粉ふきいも,マッシュポテト,フライドポテトなどにして付合せにも多用される。薄切りにして揚げたポテトチップはビールのつまみなどに好適であるが,近年は間食用のスナック菓子としての人気も高い。ドイツやロシアでは主食的にも用いられるが,皮つきのまま蒸すかゆでるかして,バター,塩,あるいはサワークリームで食べるのもよい。調理の場合,切ったものは必ず水にさらすことで,そのまま置くとチロシンなどの酸化で黒くなる。また,芽の部分にはソラニンが含まれており,中毒を起こすことがあるのでよく取り除いたほうがよい。                    鈴木 晋一

[栽培と利用の歴史] ジャガイモ属 Solanumは約150種の野生種と8種の栽培種からなる。この野生種は南北両アメリカ大陸を通じ広く分布している。最も多くの近縁野生種がみられ,また種内の変異が多様な地域はペルー南部からボリビア北部にかけての中央アンデス中南部高地,とくにチチカカ湖周辺部である。これらの点からジャガイモ属が最初に栽培化されたのは500年ころの中央アンデス中南部高地とみなされ,ジャガイモもこの地域で起源したものであろう。ペルーやチリの遺跡からジャガイモをかたどった土器が発掘されていることからも,ジャガイモの栽培がすでに盛んになっていたことを示している。ここから16世紀にヨーロッパに伝えられ,やがて寒冷地を中心に広く世界中に伝えられた。

 しかしこれらの栽培種のいくつかは,現在もアンデス高地だけで栽培されている。その代表的なものは三倍種の S. juzepczukii と五倍種の S.curtilobum で,これら両種の栽培はアンデスのなかでも中央部に限定される。両種とも,あくが強くて,チューニョ chu4o とよばれる食品に加工して初めて食用となる。チューニョは,中央アンデス高地の気候の特徴を利用して,いもの凍結,解凍をくりかえした後,脱水した乾燥ジャガイモのことである。乾燥していて軽く,かさも小さいため,貯蔵や輸送に便利な食品となっている。  山本 紀夫

 南アメリカにおけるジャガイモの栽培は,1526年の征服者ピサロのスペイン本国への報告によって初めて旧大陸に知られるところとなった。ヨーロッパへの伝播(でんぱ)については,その時期,経路などについてさまざまな説があるが,16世紀中ごろにはジャガイモの塊茎がスペイン人によってイベリア半島の本国に持ち帰られ,そこから,ブルゴーニュ,イタリア,ドイツへと伝えられていった。イギリスへは,1586年ころ別の経路でバージニアから輸入されたといわれる。最初は,植物学者によって各地の植物園,薬草園で栽培され,1585年にはドイツのタベルナエモンタヌス JacobTheodor Tabernaemontanus(1520?‐90)が最古と思われるジャガイモの植物学的記述を残している。

 ヨーロッパに入ったジャガイモは,当初はその枝葉や花が好まれ,もっぱら観賞用であった。ルイ16世の王妃は帽子の縁にジャガイモの花枝を飾ったという。また,薬として特別な効用があるとも信じられていた。食用としては,1616年にはすでにルイ13世の食卓に珍品としてのぼったが,大陸では17世紀中はまだ金持ちの嗜好品(しこうひん)にすぎなかった。

 ジャガイモが食用作物として本格的に栽培されるようになったのは,17世紀のアイルランドにおいてである。小麦やライ麦などの穀類の数倍の収穫高を示すジャガイモは,戦乱や飢饉で荒廃した畑に積極的に植えつけられた。18世紀には大陸諸国にも広く普及し,とくに七年戦争(1756‐63)は大きな契機となった。諸侯は食糧物資としてのジャガイモの価値を認識して,その栽培を奨励し,フリードリヒ2世(大王)がポンメルンとシュレジエンにこれを導入したことはよく知られている。また,七年戦争でポンメルンに出兵したスウェーデン軍がジャガイモを北ヨーロッパに移入することになった。

 ジャガイモ栽培はドイツでは,19世紀に入ると国策と印刷物による手引書の普及とあいまって飛躍的拡大をみせ,むしろ零細経営の農家や穀作に適さないやせた土地で成果をあげ,貧農や都市労働者を飢えから救った。他方,フランスでの普及は比較的遅く,七年戦争の際にプロイセンの捕虜となって食糧としてのジャガイモの価値を身をもって体験したパルマンティエ Antoine AugustinParmentier(1787‐1813)の貢献が大きい。東ヨーロッパへの伝播にはドイツ人植民者の役割が大きく,ロシアではツァーリが国有地農民にジャガイモの強制植付けを命じ,これに反対する農民の大規模な暴動が起こった(1840‐44)。

 こうしてヨーロッパに普及したジャガイモは,ここからさらに北アメリカへ逆輸入され,またアフリカ,インド,東南アジアに伝えられた。中国に入ったのは19世紀末で,東北地区などの寒冷地で栽培され,五穀の不作を補うものとなった。 編集部


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[惹句どんどん] 伊丹十三

 



「タマムラさん、

 

ぼくたちカタストロフィー症候群だね」



あるとき、用事はないのに、突然電話をもらったことがあります。

「タマムラさん、ぼくたちカタストロフィー症候群だね」

精神分析をも詳しかった伊丹さんは、最近そんな言葉を知ったというのです。

いったんなにかに夢中になると、そのことばかりに没頭して、寝ても覚めてもそのことを考える。

でも、いつかは終わりがやってきて、ある瞬間から憑ものが落ちたようにケロッと忘れてしまう……言われてみれば、たしかにその通りです。

先輩に同類と認められたのはうれしいけれど、果たしてその性癖はよいものかどうか。

『玉村豊男のポテトブック』より



[積読立読斜読] 『漱石俳句集』(坪内稔典編)

※しばらく休んでおりましたが再開します。


 156 ゆく春や振分髪も肩過ぎぬ


157 雨がふる浄瑠璃坂の傀儡師


158 居合抜けば燕ひらりと身をかはす


159 物言はで腹ふくれたる河豚(ふくと)かな


160 枯野原汽車に化けたる狸あり


161 梅ちるや月夜に廻る水車


162 若党や一歩さがりて梅の花


163 大和路や紀の路へつづく菫草


164 三日雨四日梅咲く日誌かな


165 菜の花の中に糞ひる飛脚哉



若党:武士の従者


浄瑠璃坂:新宿区にある坂の名前




傀儡子(くぐつし、くぐつ、かいらいし)とは、木偶(木の人形)またはそれを操る部族のことで[3]、流浪の民や旅芸人のうち狩猟と傀儡(人形)を使った芸能を生業とした集団、後代になると旅回りの芸人の一座を指した語。傀儡師とも書く。また女性の場合は傀儡女(くぐつ め)ともいう。西宮発祥のものは正月に家々を廻ったことから冬の季語。

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[新聞記事] 山極寿一(霊長学者)科学季評 自然の時間を無視した文明 先取りした未来は訪れるのか 2024年3月14日(木)朝日新聞

実は未来を先取りしているようで、
逆に未来に現在の時間を
奪われていいるとも言える。
 


情報時代を迎えた今、私たちは情報によって未来の時間を先取りするようになった。数カ月先の旅行のスケジュールを事細かに決めて飛行機やホテルを予約する。コンサートやスポーツ大会のチケットを早めに予約し、会議の予定と共にカレンダーに書き込む。
私のカレンダーも1年先まで様々な予定で埋め尽くされている。そのための準備をいつも頭に入れておかねばならないから、実は未来を先取りしているようで、逆に未来に現在の時間を奪われていいるとも言える。
科学技術の発達と情報化の時代に自分の自由な時間が増えると思っていたのに、さらに忙しく窮屈になったと感じるのはそのせいではないだろうか。