『玉村豊男のポテトブック』(玉村豊男著、朝日出版社、2023年)
わざわざ「玉村豊男」と断っているのは伊丹十三に同名の書籍(翻訳)があり敬意を証してのことでしょう。玉村さんは伊丹十三が編集長をしていた伝説の雑誌『モノンクル』に「TOKIO不思議ガイド」という連載記事を書いていて個人的にも親しかったようです。玉村さんは1945年生まれ、伊丹十三は1933年生まれ、一回り年配の「僕の叔父さん」になります。
伊丹十三さんの翻訳した『ポテトブック』はポテト料理のレシピ集でしたが、玉村さんの『ポテトブック』はレシピ集もありますが、ポテトを巡るバラエティー集となっています。帯の紹介文から。
ジャガイモをめぐる知的冒険
ジャガイモの期限から歴史、食文化、料理法など、ユーモアあるれる文章で、徹底的に思考した一冊。美しいイラストレーションで繰り広げられる、レシピ本でも、エッセイ集でもない、読んで美味しい、見て楽しい、まるごとポテトブック
書店もカテゴリーを絞りにくかったのか、店頭では見あたらず、ネットで偶然見つけて注文しました。
ポテトの歴史では、インカ帝国の基礎がトウモロコシ栽培にあったとする従来説に対し、主食はジャガイモで独特の製法で水分を抜き長期保存の可能とした「チューニョ」(軽石のようになるそうです)に注目した、国立民族博物館の山本紀夫名誉教授(ジャガイモ博士)の話が新しい知見でした。(平凡社の『世界大百科事典』の「ジャガイモ」の項目は山本教授でした)。
往年の玉村さんの名著『料理の四面体』(文春文庫版の解説は伊丹十三さん)の料理の四面体で、ポテト料理の解説もされています。(p79)
2019年9月23日月曜日
[積読立読斜読] 『料理の四面体』(玉村豊男著、文春文庫、1983)伊丹十三解説
本書は「カタストロフィー症候群」を自認する著者が精魂を傾けてポテトについて語った本で、興味は尽きません。
<著者紹介>
玉村豊男
1945年東京都生まれ。エッセイスト、画家。東京大学文学部仏文学科卒業。在学中、パリ大学言語学研究所に留学。帰国後、通訳、翻訳業を経て、エッセイストの道へ。1991年長野県東御市に転居、2003年「ヴィラデストガーデンファームアンドワイナリー」開業。『パリ 旅の雑学ノート』『料理の四面体』など、著書多数。
<目次>
はじめに 伊丹十三さんの思い出
[ポテトをめぐる物語]
夜のカフェで/ミスター・リーズのサンドイッチ/新大陸の贈りもの/不謹慎な植物/
戦乱と飢饉のヨーロッパ/タラとジャガイモの出会い/ジャガイモの食べ方/郷愁のブランダード/
海を泳ぐ黄金/ニューファンドランド/スープの語源/失われたパン/土のないジャガイモ畑/
イモに月が出ている/アイリッシュ・シチュー/ジャガイモ掘り
[ジャガイモという不思議な植物]
コモンポテト/ノアの箱舟/ジャガイモ博士に聞く/インカ帝国の知恵
[ポテトの料理法]
ポテトチップス/フレンチフライ/ベークドポテト/ローストポテト/ハッシュブラウン/
マッシュポテト/ポテトサラダ
コラム <ミスター・リーズのサンドイッチ><夜のカフェで><ジャガイモ掘り>
<料理の四面体><和食とジャガイモ>
おわりに 家庭菜園からの報告
ジャガイモ
potato∥Irish potato∥Solanum tuberosum L.
いも(塊茎)を食用およびデンプン原料用とするナス科の多年草(イラスト)。バレイショ(馬鈴題),ジャガタライモともいう。世界のいも類のうちで,最も広範囲に,最も大量に生産されている。
[形状] 草丈は0.5~1m,若い茎は断面が円形であるが,生長すると三~五角にやや角ばる。初期は直立するが,生長すると匍匐(ほふく)するタイプがある。生育初期の葉は単葉,しだいに上位の葉ほど小葉の多い複葉となる。若い葉は顕著な就眠運動を行う。茎葉は多汁質で,特有の臭気がある。茎の地下部の各節からは,ふつう1本の匐枝(ストロン)を生じ,その先端が肥大して塊茎すなわちいもとなる。塊茎の形は,球,扁球,楕円,長楕円,紡錘,卵,腎臓形など多様で,品種の特徴となるが,栽培環境でも多少変形する。塊茎の最外層は周皮とよぶ7~8層の細胞に包まれ,成熟するとコルク質となり,また皮目がある。周皮の内側は数mm~1cmの皮層部で,外皮層と内皮層の2層からなる。これが厚皮と呼ばれる部分である。その下に維管束輪があり,その内側の大部分は髄で,外側を外髄,最内部を内髄という。
ジャガイモの塊茎(イラスト)の〈目〉といわれるくぼみは,通常の茎における葉および側枝の生ずる部分,すなわち葉腋(ようえき)に相当し,葉に相当するところに鱗片が認められる。〈目〉には数個の潜芽がある。この芽は茎の側芽に相当し,生長点および葉原基を分化している。これらの潜芽のうち中央にある主芽のみが萌芽することが多い。茎の頂部に集散花序を生じ,2~3本に分かれて長い花梗を抽出し,花をつける。萼は5片,花冠は5裂し星形で,花弁の色は白,紫で,黄色の葯が目だつ。通常は虫媒花だが,ほとんどは自家受精する。果実は直径1~3cmの球形で,トマトに似た漿果(しようか)である。開花後4~5週間で成熟し,黄色になる。長さ2mm,幅1.5mmの腎臓形の種子が100~400個入っている。
[生産] 世界の総作付面積は約1800万ha,総収穫量は2.5億から3億tにものぼる。主生産国は中国,ロシア,ポーランド,アメリカなどである。日本におけるジャガイモ栽培は,すでに江戸時代に入っていたが,明治初期に北海道開拓使などが,アメリカから優良品種を北海道へ改めて導入してからようやく本格化した。当初は1万haにみたなかったが,明治時代末期には6万haと増加し,さらに大正時代には15万haに達した。その後は横ばい状態が続いたが,第2次大戦後になって再び増え,昭和40年代に入るまで約20万haの栽培が続いた。しかしその後年々減少し,昭和50年代半ばには約12万ha,1995年には約10万haの作付けになっている。地方別では,北海道が明治以来の第1位の生産地で,全国の生産量340万tのうち2/3以上の生産をあげている(1995)。ほかでは東北,関東,九州に多く,とくに長崎県は北海道に次ぎ第2位の産地となっている。
[品種と栽培] 日本では,明治初期以来もっぱら欧米品種の導入を行い,現在もなお主要品種である男爵やメークイーンが普及した。春作品種では男爵が全作付けの半分近くを占め,次いで農林1号,紅丸(べにまる),メークイーン,エニワなどが続く。秋作用には,農林1号,タチバナ,ウンゼン,デジマ,シマバラ,チヂワなどがおもなものである。新しい品種として有望視されているものに,デンプン原料用のビホロ,タルマエ,食用のデジマ,ワセシロ,加工用のトヨシロなどがある。
栽培は春植えつける春作を主体とするが,夏に植えつける秋作や両者の中間型など,地域によって各種の作型がある。いずれの場合も粒ぞろいのよい(100g程度),病害のない種いもを選ぶことが重要で,とくにウイルス病に注意を要する。種いもは普通2~4個に切断して植えつける。植えつけ時期は,北海道では4月下旬から5月上・中旬を中心に6月上旬まで,暖地は2月上・中旬,中間地域は3月中旬から4月上旬である。秋作は7月下旬~9月中旬に植えつける。ジャガイモは,増肥による増収および品質向上の効果が大きい作物である。ふつうの肥沃度の土で,10a当り窒素8~10kg,リン酸10~12kg,カリ12~15kg,堆肥1~2tの施用を標準とする。培土は除草を兼ねて1ないし2回,必ず着蕾(ちやくらい)期までに終わるようにする。茎葉が黄変して枯死し,塊茎の内容が充実し,皮がはげにくくなり,匐枝より離脱しやすくなったときが収穫期である。収穫後,損傷いも,病虫害いもを選別除去してから,ただちに日陰の涼しい所に広げて乾燥させる。
なお,いもを日光にあてると緑色になり,ソラニン solanine というアルカロイド配糖体が形成される。これは苦みがあり多量に食べると中毒を起こす。ソラニンは若い塊茎に多く,成熟したいもでは芽の部分に局在する。⇒いも 星川 清親
[食用] 日本への伝来を江戸初期とする説があり,ジャカトラ(現,ジャカルタ)港からオランダ船によって伝えられたのでジャガタライモと呼ばれ,これから現在のジャガイモの名が生じたとされる。しかし,宮崎安貞,貝原益軒はじめ江戸前期の著作には名が見られない。栽培記録としては1706年(宝永3)に北海道の瀬棚で松兵衛なる者が植えたといい,また本州では明和年間(1764‐72)に甲斐の代官中井清太夫が栽培を奨励したという。高野長英は《二物考》(1836)に異名を列挙する中に〈甲州イモ〉〈清太夫イモ〉の名を掲げ,〈荒年ノ善糧ト云フベシ〉としている。救荒作物としてサツマイモと並ぶ重要性をもつが,味が淡泊なので料理の応用範囲が広い。和風には煮物や汁の実にすることが多く,洋風ではサラダ,コロッケのほかカレー,シチューなどの煮込みやグラタンなどにも使い,粉ふきいも,マッシュポテト,フライドポテトなどにして付合せにも多用される。薄切りにして揚げたポテトチップはビールのつまみなどに好適であるが,近年は間食用のスナック菓子としての人気も高い。ドイツやロシアでは主食的にも用いられるが,皮つきのまま蒸すかゆでるかして,バター,塩,あるいはサワークリームで食べるのもよい。調理の場合,切ったものは必ず水にさらすことで,そのまま置くとチロシンなどの酸化で黒くなる。また,芽の部分にはソラニンが含まれており,中毒を起こすことがあるのでよく取り除いたほうがよい。 鈴木 晋一
[栽培と利用の歴史] ジャガイモ属 Solanumは約150種の野生種と8種の栽培種からなる。この野生種は南北両アメリカ大陸を通じ広く分布している。最も多くの近縁野生種がみられ,また種内の変異が多様な地域はペルー南部からボリビア北部にかけての中央アンデス中南部高地,とくにチチカカ湖周辺部である。これらの点からジャガイモ属が最初に栽培化されたのは500年ころの中央アンデス中南部高地とみなされ,ジャガイモもこの地域で起源したものであろう。ペルーやチリの遺跡からジャガイモをかたどった土器が発掘されていることからも,ジャガイモの栽培がすでに盛んになっていたことを示している。ここから16世紀にヨーロッパに伝えられ,やがて寒冷地を中心に広く世界中に伝えられた。
しかしこれらの栽培種のいくつかは,現在もアンデス高地だけで栽培されている。その代表的なものは三倍種の S. juzepczukii と五倍種の S.curtilobum で,これら両種の栽培はアンデスのなかでも中央部に限定される。両種とも,あくが強くて,チューニョ chu4o とよばれる食品に加工して初めて食用となる。チューニョは,中央アンデス高地の気候の特徴を利用して,いもの凍結,解凍をくりかえした後,脱水した乾燥ジャガイモのことである。乾燥していて軽く,かさも小さいため,貯蔵や輸送に便利な食品となっている。 山本 紀夫
南アメリカにおけるジャガイモの栽培は,1526年の征服者ピサロのスペイン本国への報告によって初めて旧大陸に知られるところとなった。ヨーロッパへの伝播(でんぱ)については,その時期,経路などについてさまざまな説があるが,16世紀中ごろにはジャガイモの塊茎がスペイン人によってイベリア半島の本国に持ち帰られ,そこから,ブルゴーニュ,イタリア,ドイツへと伝えられていった。イギリスへは,1586年ころ別の経路でバージニアから輸入されたといわれる。最初は,植物学者によって各地の植物園,薬草園で栽培され,1585年にはドイツのタベルナエモンタヌス JacobTheodor Tabernaemontanus(1520?‐90)が最古と思われるジャガイモの植物学的記述を残している。
ヨーロッパに入ったジャガイモは,当初はその枝葉や花が好まれ,もっぱら観賞用であった。ルイ16世の王妃は帽子の縁にジャガイモの花枝を飾ったという。また,薬として特別な効用があるとも信じられていた。食用としては,1616年にはすでにルイ13世の食卓に珍品としてのぼったが,大陸では17世紀中はまだ金持ちの嗜好品(しこうひん)にすぎなかった。
ジャガイモが食用作物として本格的に栽培されるようになったのは,17世紀のアイルランドにおいてである。小麦やライ麦などの穀類の数倍の収穫高を示すジャガイモは,戦乱や飢饉で荒廃した畑に積極的に植えつけられた。18世紀には大陸諸国にも広く普及し,とくに七年戦争(1756‐63)は大きな契機となった。諸侯は食糧物資としてのジャガイモの価値を認識して,その栽培を奨励し,フリードリヒ2世(大王)がポンメルンとシュレジエンにこれを導入したことはよく知られている。また,七年戦争でポンメルンに出兵したスウェーデン軍がジャガイモを北ヨーロッパに移入することになった。
ジャガイモ栽培はドイツでは,19世紀に入ると国策と印刷物による手引書の普及とあいまって飛躍的拡大をみせ,むしろ零細経営の農家や穀作に適さないやせた土地で成果をあげ,貧農や都市労働者を飢えから救った。他方,フランスでの普及は比較的遅く,七年戦争の際にプロイセンの捕虜となって食糧としてのジャガイモの価値を身をもって体験したパルマンティエ Antoine AugustinParmentier(1787‐1813)の貢献が大きい。東ヨーロッパへの伝播にはドイツ人植民者の役割が大きく,ロシアではツァーリが国有地農民にジャガイモの強制植付けを命じ,これに反対する農民の大規模な暴動が起こった(1840‐44)。
こうしてヨーロッパに普及したジャガイモは,ここからさらに北アメリカへ逆輸入され,またアフリカ,インド,東南アジアに伝えられた。中国に入ったのは19世紀末で,東北地区などの寒冷地で栽培され,五穀の不作を補うものとなった。 編集部
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