2020年7月19日日曜日

[積読立読斜読] 『ペンギンクラッシクスのデザイン』より Penguin Threads


ペンギン・クラシックスの表紙デザインのシリーズです。

本日は「スレッド」:糸、さまざまな色の糸で刺繍での装丁。

作品は少年少女向きのものです。

『黒馬物語』、『エマ』、『秘密の花園』、『たのしい川べ』、『オズの魔法使い』、『若草物語』
















[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著、PHP、2019年)7月20日~7月23日



P128

同じ後悔でも、やって失敗した後悔と、やらなかった後悔があります。

やって失敗した後悔は、時間とともに消えていきます。場合によっては、懐かしい思い出になることもあります。

反対に、やらなかった後悔は、いつまでも心に残ります。

2020年7月18日土曜日

[その他] 広島掃除に学ぶ会(特別編)東広島夢拾いに参加



7月18日(土曜日)は、他地区の清掃活動の見学もかねて、東広島市の街頭清掃活動「夢拾い」に参加してきました。

通常は駅前からの大通り「ブールバール通り」と「酒蔵通り」の清掃をされるそうですが、本日は駅から少し離れた黒瀬川の清掃を実施しました。

早朝5時前の集合にもかかわらず、13名の参加がありました。

老若男女+外国人、という構成で大変バラエティーに富んだ参加メンバーでした。

30分強の活動で空き缶が200缶以上集まりました。

「夢拾い」の活動は10年以上毎週土曜日に活動されているそうで、その継続性に頭が下がります。



2020年7月16日木曜日

[惹句どんどん] 内田百閒(作家)



「用事がないと云う、そのいい境遇」で大阪まで鉄道旅行。

往路は良いが、帰路は「家に帰る」という目的が発生して、憮然というへそ曲がりの作家です。

本日付け朝日新聞連載記事「折々のことば」(鷲田清一選)より。

2020年7月15日水曜日

[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著、PHP、2019年)7月16日~7月19日



P127

起きた問題そのもので、人生や仕事がダメになることはありません。

重要なのは、その問題にどう対処したか。

対処によって、結果はよくも悪くも変わってきます。

[新聞記事] 年金開始の年齢 どう選ぶ? 原則65歳 改革法で広がる幅




年金改革関連法が国会で成立。2022年4月から60歳~75歳の間の好きな時期から受け取りが開始できるようになりました。

よく週刊誌の記事になるのは生涯受取金額の損益分岐年齢を出して「損得」の勘定をすることです。

厚生年金の受け取り資格のある人が、すでに恵まれた人であり、受け取り年齢は些末なことだと思います。

自分はすでに受け取り資格がある60歳超です。

繰り下げ受給の資格のある75歳まで働いて年金を受け取ろうと思います。ゴールがはっきりしていて良いかと思いました。



2020年7月12日日曜日

[通読立読斜読] 『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』(坂井豊貴著、岩波新書、2015年)


旧刊で著者の坂井豊貴さんも存じあげてませんでした。

著書を読む契機は、朝日新聞の書評欄で坂井さんが勝間和代さんの「勝間式超ロジカ料理」を取り上げていたからです。(2020年04月25日付朝日新聞)。全国紙の書評欄に料理の実用書を取り上げるフットワークの軽さに敬服しました。

ご専門は経済学の「社会的選択理論」という難しそうな学問。本書は一般読者向けに「多数決」という意思決定の一方法を例にとり「社会的選択理論」の入門書のような体裁となっています。

例によって1章ずつスローリーディングで紹介。


<坂井豊貴プロフィール>
坂井豊貴 (さかい とよたか)
慶應義塾大学経済学部教授
1975年、広島県生まれ。アメリカのロチェスター大学Ph.D.(経済学)。市場や投票の制度設計で多くの国際業績をあげる。2014年に38歳で現職、15年に義塾賞。ベストセラー『多数決を疑う』(15年、岩波新書)は16年新書大賞4位。このほか、『マーケットデザイン』(13年、ちくま新書)、『マーケットデザイン入門』(10年、ミネルヴァ書房)など著書多数。

https://imidas.jp/author_data/g650


■はじめに
決定とは選択肢を最後の一つまで絞り込み、他の可能性をすべて捨てることだ

自由の特徴とは、拘束するものとされる者の一致にほかならない

自分のことは自分で決められる期待は、希望の発露の一種

「自分」でなく「自分たち」に適用したとき、それは民主制(デモクラシー)を求める思考の基盤となる

民主的でない投票(独裁者への対立候補が抑圧される・対立候補の支持者は投票できない等)はあるが、投票のない民主制はない

多数決を自明視する固定観念が悪い

人々は自由や人権や平等などの近代的諸価値を発明

本書の目的(テーマ)
投票の一形態である多数決の精査とその代替案を探索すること

「自分たちのことは自分たちで決める」(=民主制)のプロジェクトは今も進行中
約250年前に開始した主要人物、ジャン=ジャック・ルソーによる投票をめぐる議論を並走させ、物事を考える参照点として適宜用いる
理由①:社会的選択理論の萌芽にルソーが深く関係しており、学問的な相性が良い
理由②:投票について包括的な考察を行っている

いまだにルソーの議論は古びていないばかりか、近代的諸価値がときに羽毛のように軽く扱われ、また価値の過度な相対化がそれに拍車をかける今日において、新鮮でさえある。

私たちは依然として、ポスト近代を語れるほどの近代には達していないのだ。

<資料編>
多数決
たすうけつ

合議体,より広く集団ないし多数人の集合における意思形成の方法として多数決がとられるとき,超越的な権威が存在せず,それぞれの主張が価値的に対等であるということを原理上前提としている。その際,多数決に先行する討論によって,さまざまの主張が互いに説得し説得される過程を経たうえで多数意思が形成されることによって,より正しい解決に接近できるはずだという期待が維持されているところでは多数決は円滑に機能する。そのためには,互いに説得し説得される可能性,すなわち,考え方の互換性が存在していなければならない。今日の統治機構のなかでの多数決の機能をみると,裁判過程における陪審の評決のように,事実の認定をめぐって,陪審員たちのあいだには,たとえ困難ではあっても互いに説得し説得される可能性が残されている場合もある(アメリカ映画《十二人の怒れる男》は,1対11だった判断の分布が,その1人の説得の努力によって12対0に逆転していく過程を描いている)。しかし,多数決の最も主要な舞台というべき議会の活動についてみるならば,かつてのように,〈財産と教養〉を基礎として基本的に同質の土俵に立ったうえで議員自身の意見をたたかわせる討論の場は消滅している。

 1880年代のイギリス議会で,アイルランド問題が紛糾するなかで討論終結制が採用された(採決)が,議会での討論に対する信頼の崩壊がより全機構的にあらわれてきたのは,両大戦間期,とりわけドイツにおいてであった。そこでは,社会的緊張,とりわけ階級対立が議会に反映し,党議によってあらかじめ縛られた議員たちのあいだには相互説得による考え方の互換性は成立しなくなった。こうして,討論と結びついた議会での多数決,すなわち議会制民主主議が否定されて,討論ぬきの大衆の喝采による独裁が主張され,かつ,実現した。その時期に,討論にもとづく多数決の意味をあらためて位置づけなおし,その基礎のうえに議会制民主主義の擁護を説いたのが H. ケルゼンである。彼は,比例代表制のもとで,議会に対立的な利益が反映され,それらの間に妥協・調整をおこなうためのものとして討論を位置づけ,その際,少数が多数意思形成に及ぼす影響を重視して,多数決は〈多数・少数決原理〉と呼ばれるべきだという。ここでは,真理により接近するための討論→多数決にかえて,妥協のための社会的技術として討論→多数決がとらえられていることになる。その場合にも,後者がともかくも機能するためには,当事者間で考え方の互換性ではないとしても,多数・少数が入れかわりうるという立場の互換性が必要であった。今日の多数と少数が明日は入れかわることがありうるという前提があってこそ,妥協そのものが可能となるからである。その意味で多数決が実質的正当性をもつためには,多数を批判する自由と,選択の自由が保障されていなければならない。

 いずれにしても,議会における多数決は討論と結びつくことによって実質的正当性をもつことができる。統治機構における多数決は,大統領など行政府首長の公選や人民投票による決定など直接民主主義を標榜する諸制度の運用の場面でもおこなわれ,それらはいずれも,一定の条件のもとで,国民意思による統治という理念を実現する目的にとって効果的に機能しうるが,議会での討論を経過しつつおこなわれる多数決に期待される本来の役割を代行できるものではない。言論の自由と複数の選択可能性が保障されているかぎりで,これら直接的決定の方法のもとでも世論レベルでの討論はおこなわれうるが,議会レベルでの討論過程は依然として固有の意味をもちつづけるはずである。そのことが等閑視されると,討論の過程を切り落とし,多数意思の名によって権力をもっぱら正当化する状況が生ずることとなる。

 多数決による決定方法は,討論と結びつくことによって,その時点時点の少数者をも含めて,多かれ少なかれ共通に承認されるものとなるのであるが,つまるところは,その時点での多数者の前に少数者が屈服せざるをえないことを意味する。それゆえ多数決のルールが採用されるときには,多数による少数の屈服という基本的な関係を緩和させるための方策が,多かれ少なかれあわせ採用されることになる。通常の多数決が出席者の過半数(表決をおこなうためには一定の定足数が必要とされることが多いが)による決定であるのに対し,少数側をより保護するために,特別多数を必要とするという方式が用いられる(たとえば,日本国憲法は憲法改正の際の国会の発議について,衆参両院でそれぞれ総議員の3分の2以上の賛成が必要だとしている)。一定のメンバーに拒否権の行使を認めることによって,多数決の効果を抑制する方法もある(国連安全保障理事会の拒否権制度は,常任理事国である大国の特権という実質をもつが,ひとつひとつの投票に限定して観察すれば,その投票の際の少数を多数決に対して保護するという意味のものとなる)。決定方式そのものの問題ではないが,裁判判決における意見表示制(日本の最高裁判所判決)は,それがない場合と比べると,少数側の見解を外部に表明させることによって一定の影響力を行使することを可能にする。また,そもそも多数決によって決定しえない事項を設けることによって,多数決の効果を限定する制度がある。立法府の多数の意思をもってしても侵害できないものとして人権を憲法上定めること,連邦制国家において連邦制原理をそのようなものとして定めることなどはこれに該当する。

 日本では〈多数の横暴〉が非難されることが少なくない。戦後の議会運営のなかでは,1950年代から60年代にかけて〈強行採決〉がくりかえされ,防衛,外交,治安,教育など価値の対立が激しい領域で,多数・少数関係の変動(政権交代)の現実的可能性がないという状況のもとで多数決が強行されたが,それに対しては,〈野党はもっと大人になれ〉という注文と,〈多数派の横暴〉を戒める声が同時に起こるのが常であった。そのような対応が一般的なのは,ひとつには全員一致をよしとする日本の風土が背景にあるからである。全員一致主義は当事者間の適正な妥協調整を促す働きをするが,その反面,異論を封じ込める大勢順応的な空気が支配するところではかえって少数意見の抑圧につながる。共同体的に編成された地域社会や職場社会など事実上自由に離脱できない社会関係での全員一致主義は,そのようなものとして機能し,〈根回し〉や〈話合い〉も,少数意見のくみあげよりはむしろ少数意見の公然化を事前に抑制する働きをする。それに対し,複数の意見が対立しあっていることが社会のあるべき姿とみる多元主義的世界観のもとでは,多数決による多数・少数関係の公然化はむしろ好ましいと考えられる。⇒議会                誇口 陽一

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<書評>
「多数決を疑う」書評 「選挙で勝ったから民意」の危険
評者: 武田徹 / 朝日新聞掲載:2015年06月14日

選挙制度の欠陥と綻びが露呈する現在の日本。多数決は本当に国民の意思を反映しているのか? 社会的選択理論の視点から、人びとの意思をよりよく集約できる選び方のルールをさぐる。…

多数決を疑うー社会的選択理論とは何か [著]坂井豊貴
 2000年の米大統領選では優勢だったゴアがブッシュに敗れた。支持者が重なる市民運動家ネーダーの出馬で票が割れた結果だった。
 多数決は必ずしも多数の意思を反映しない。いち早くそれに気づいた数学者ボルダはフランス革命前の1770年に修正案を提起していた。候補者が3人なら支持順で1位に三票、2位に二票、3位に一票を投じる彼の投票法は票割れに影響されない。冒頭の米大統領選で採用されていれば総得票数でゴアが勝ち、歴史は変わっていただろう。
 より正確に民意を示す集約ルールを模索するボルダ以来の社会的選択理論の取り組みを本書は紹介し、具体的事例について分析する。
 たとえば現行憲法96条は衆参両院で3分の2以上の賛成を得た改憲案Xに対して国民投票で過半数が得られれば現行憲法Yを改めてよいとする内容だ。だがそこで問われていない別の改憲案ZをXと競わせたらZが国民投票で勝っていたかもしれない。更にそのZとYを比べるとY、つまり現行憲法のままでよいとする人が多数となると「三すくみ(サイクル)」状態になる。
 こうして実は決定不能だったのに決めてしまう危険を回避し、本当の多数意見としての正当性を得るには約64%の支持がXに必要だと社会的選択理論では考えられている。それに照らせば国民投票で過半数の賛成を条件とする96条は、一部の世評とは裏腹に「弱すぎ」る。より改憲しにくい方向への改正が必要と著者は書く。
 本書が示すのは確かな検証を経ずに「多数決で決めたから民主的」「選挙で勝ったから民意」とする強引な姿勢がむしろ民主主義を壊す逆説だ。「右」「左」などの立場の違いを超え、誰もがその警告を傾聴すべきだ。読解に多少の数的処理力が必要だが、それは「自分たちのことを自分たちで決める」民主主義を守る知的コストだといえよう。
 評・武田徹(評論家・恵泉女学園大学教授)




[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著、PHP、2019年)7月13日~7月15日



鍵山さんは尊敬に値する偉人ですが、15日の日本国憲法の解釈には同意できません。


[その他] 雑誌『ポパイ』(2020年8月号)が読書特集




雑誌『ポパイ』(2020年8月号)が読書特集。

表紙のキッチュな色使いがいいですね。

"Book in Book"と称して『ブックストアでまた待ち合わせ』という記事が。

これは1983年に新潮社から出た片岡義理さんの『ブックストアで待ち合わせ』の再編版。片岡さんの著書自体が1976年『ポパイ』創刊からのアメリカの書籍紹介のエッセイだったので、洒落た企画ですね。(雑誌内の判型もこの本に合わせてあるという凝りようでした)。






2020年7月11日土曜日

[あの頃のレコード] 『噫無情(レ・ミゼラブル)』(あがた森魚、1974年)


高校時代に聴いていた音楽をレコードで聴きなおすという無謀な企画。今回はあがた森魚さんの『噫無情(レ・ミゼラブル)』(あがた森魚、1974年)。「赤色エレジー」のスマッシュ・ヒットで名前だけは著名でしたが高校時代はアルバムは未購入。

『噫無情(レ・ミゼラブル)』(あがた森魚、1974年)は、はっぴいえんど後の松本隆プロデュースによるあがた森魚のメジャー第二段。

松本隆が追い求めている高度成長前の日本「風街」(都市に闇の部分が混在していた)と、あがた森魚の懐古趣味がうまく合った傑作です。「キネマ」をテーマにしたコンセプト・アルバムのように見えますが強いしばりはないようです。

バックは「はっぴいえんど」と「はちみつぱい」人脈が結集。あがた森魚の人間的魅力からかも知れません。

あがた森魚さんを知っている人も少なくなったようですので、若干説明を。

<あがた森魚とベルウッド・レコードについて>
キングレコード系のレコード会社。1972年発足。フォークソング・ブームの中、独立のレーベルとしてキングレコードからスピンオフ。名前は設立に尽力した同社内の重役・鈴木さん(ベル・ウッド)の適当な英訳から。あがた森魚は同レーベルのプロデューサー三浦光紀にスカウトされてメジャーデビュー。2012年創立40周年で40タイトルを再発行。もちろん本作品『噫無情(レ・ミゼラブル)』も入っています。


<『噫無情(レ・ミゼラブル)』(あがた森魚、1974年)>
原題は明治時代に『レ・ミゼラブル』を翻案した黒岩涙香の邦題。印象的なセルロイド人形を描いたかのようなジャケット・はグラフィック・デザイナーの羽良多平吉。
  
カバー曲は、「モンテカルロ珈琲店」と改題された1928年のドイツ製コンチネンタル・タンゴの曲を原曲とする「小さな喫茶店」、これまた1925年の米国のオペレッタが原曲の「蒲田行進曲」、1933年の「上海リル」。相当古い曲ばかり。他にはっぴいえんどの「はいからはくち」もカバーしてます。

シングルチャートを賑わすような歌い手ではないので、アルバムの一曲だけ取り出してもあまり意味がなくて、最初から最後まで聴き通す必要があるかと思います。

意外にヴォーカルが上手で、バックの演奏も超一流です。もともと選曲が古い曲が多いので、いつまでたっても古びた感じがしません。

<Les Miserable / Marionette Agata (1974 ベルウッド)>
収録曲

A1 蒲田行進曲                     2:19
A2 永遠のマドンナK                4:37
A3 キネマ館に雨が降る                4:06
A4 組曲「噫無情」嘆きの舞姫~イカリの水夫        5:24
A5 星のふる郷                        5:47

B1 元祖ラジヲ焼                2:54
B2 上海リル                       1:39
B3 はいからはくち               1:16
B4 モンテカルロ珈琲店(小さな喫茶店)       1:54
B5 月曜日のK                       2:50
B6 最后のダンスステップ(昭和柔侠伝の唄)      3:10
B7 大寒町              4:32
B8 テレビヂョン              3:17




<あがた森魚プロフィール>
1948年9月12日生まれ。北海道留萌市出身。フォーク系のシンガー・ソングライター。1970年に自主制作で『蓄音盤』を発表。1972年の「赤色エレジー」のヒット以後、ノスタルジックな雰囲気に包まれた『乙女の儚夢(ろまん)』や映画をコンセプトにした『噫無情(レ・ミゼラブル)』など独自の世界観を持つ作品を発表する。1980年代初めにはテクノ・ポップ・バンド、ヴァージンVSを結成。ソロに戻った1985年には大作『永遠の遠国』を発表。1989年に雷蔵を結成。ワールド・ミュージックに触発された『雷蔵参上』を1991年に発表、以後もタンゴの連作、21 世紀になってからの『佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど』『俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け』など、精力的に活動している。

2012/08/30 (2019/05/22更新) (CDジャーナル)
https://tower.jp/artist/281094
タワーレコードのサイトより

<日々是不穏 like a rolling stone> アパレル苦境 アメリカ・ブルックスブラザーズ破綻







アパレル大手、レナウンが民事再生に。

御三家と呼ばれる三陽商会、オンワード樫山、も経営は厳しいそうです。

自分も会社勤めが終わったので、服はほとんど買わなくなりました。




アメリカの名門トラッド、ブルックス・ブラザーズも破産法申請。往年のアイビー少年にはあこがれのブランドで自分も夏用・冬用ブレザーを着ています。

安くて質のよい服を得た代わりに、アッパーミドルクラスのライフスタイルを含んだ上質な服、は無くなっていくのでしょう。それはそれで悲しいですね。




2020年7月10日金曜日

[その他] 10日と25日は "Punk in" (=パン喰い)の日 ドン・キホーテでドーナツを買う

雨模様だったのでベーカリーではありません。

帰宅途上にあるドン・キホーテでドーナツを買って帰りました。

これで488円、大変安いです。



近所に〇〇屋さんというお店がなくなりました。

パン屋さん、本屋さん、魚屋さん、八百屋さん。

進歩なのか、退歩なのか。

おそらく広島地区限定かと思いますが、「フライケーキ」は安くてそこそこ美味しいです。

次回はちゃんとしたベーカリーに行きます。