2020年6月18日木曜日

[惹句どんどん] 西崎憲(作家)



ヘンドリックスは
   全体が左利きのような存在だった。


ヘンドリックスの演奏のオリジナリティーの理由をそのあたり[右利き用ギターを左右逆にして使ったこと]に求める者もいるが、確かに幾分はあてはまるだろう。しかし、言ってみれば、ヘンドリックスは全体が左利きのような存在だった。手だけの問題ではないだろう。しかし手が左利きだけで生きにくくなるはずで、それが全体だったら生きにくさはどの程度のものになるだろう。



西崎憲『全ロック史』より。

柴田元幸責任編集『モンキー』(2020年夏号)より孫引き。本号の特集は音楽と言葉の関係について。「特集 猿もうたえば」。

2020年6月17日水曜日

<日々是不穏 like a rolling stone> 「愛の不時着」、南北事務所爆破

関連性はないと思いますが。

配偶者と長女が大変気に入っていてNetflixで観ているようです。

南北格差があるので一種のタイムスリップものとしての面白みがあるのかも。







<日々是不穏 like a rolling stone> マスク届きました



コロナ対策のマスク届きました。

10万円の振込も近日あるようです。

お陰様でコロナ禍で特に困っていたわけではないので、不思議な気分です。



[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』第89段 奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる

書き写し『徒然草』継続中です。本日は第89段。

これも有名な「猫また」という滑稽な話です。

書き写しは全部ではなくて抜粋された段だけです。

2回書き写すようになっています。もうちょっとで一巡します。



徒然草(上)
第89段 奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる

<原文>
 「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる*」と人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上りて*、猫またに成りて、人とる事はあンなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや*、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞きて*、独り歩かん身は心すべきことにこそと思ひける比しも、或所にて夜更くるまで連歌して、たゞ独り帰りけるに、小川の端にて、音に聞きし猫また、あやまたず、足許へふと寄り来て、やがてかきつくまゝに、頚のほどを食はんとす。肝心も失せて、防かんとするに力もなく、足も立たず、小川へ転び入りて、「助けよや、猫またよやよや*」と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば*、このわたりに見知れる僧なり。「こは如何に」とて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物取りて、扇・小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ*。希有にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ家に入りにけり。

 飼ひける犬の、暗けれど、主を知りて、飛び付きたりけるとぞ。

 
<用語解説>
奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる:奥山に「猫また」というものが棲んでいて、人間を食う、という。藤原定家の『名月記』では、「目は猫のごとく、体は犬の長さの如し」とある。野犬などが元か?

猫の経上りて:猫が経験をつんで。そして、「猫また」になるという。

何阿弥陀仏とかや:何とか阿弥陀仏という名の僧侶。浄土宗系の僧侶であろう。

行願寺の辺にありけるが聞きて:行願寺は京都一条、油小路東にあった天台宗の寺だったので、この連歌をやっている僧侶の寺ではなさそう。

「助けよや、猫またよやよや」:助けて!助けて!猫まただ、やいやい」。

松どもともして走り寄りて見れば:たいまつなどともして走ってきてみれば。

連歌の賭物取りて、扇・小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ:連歌の会でせしめた景品の扇や小箱など懐に入れていたものはみな水に濡れてしまった。この時代、すでに連歌はゲーム化して、勝った負けたという世界になっていたのである。


<ポイント>
 文章末尾の「飼ひける犬の、暗けれど、主を知りて、飛び付きたりけるとぞ。」はこの第89段の「猫また」話の落ちである。

2020年6月16日火曜日

[積読立読斜読] 『ペンギンクラッシクスのデザイン』より デラックス・クラシックス(1)



デラックス・クラシックス

『巨匠とマルガリータ』(ミハイル・ブルガーコフ)
『飛ぶのが怖い』(エリカ・ジョング)
『カーマ・ストーラ』(ヴァーツヤーヤナ)
『うそつきくらぶ』(メアリー・カー)
『罪と罰』(ドストエフスキー)



















[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』第82段「羅の表紙は、疾く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、

書き写し『徒然草』継続中です。

本日は第82段、著名な「未完成の美」の段です。



徒然草(上)
第82段「羅の表紙は、疾く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、

<原文>
 「羅の表紙は、疾く損ずるがわびしき*」と人の言ひしに、頓阿が*、「羅は上下はつれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ*」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。一部とある草子などの*、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、弘融僧都が*、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。

 「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるゝにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。


<用語解説>
羅の表紙は、疾く損ずるがわびしき:草子などで開いたり閉じたりしたときに切れやすい部分には「羅<うすもの>」と称する薄い織物を張った。しかし、すぐに破損するので、困ったものだ。

頓阿:<とんな>。兼好の親友。二階堂貞宗。当代切っての歌人 の一人。

羅は上下はつれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ:羅は表も裏もこすれて生地がほつれてこそ、また、螺鈿(貝のピンクに輝く部分を剥いで、巻物などの軸に象嵌した装飾)なども貝が落ちてしまったようなものが、すばらしいと、頓阿が言った。

一部とある草子などの:草子を何冊かまとめて一部とした(合冊したのか?)書物。ここでは破損の程度が異なるものを合冊したので色とりどりになってしまって見にくいというのであろう。

弘融僧都が:<こうゆうそうず>は仁和寺の僧侶。


<ポイント>
 欠落の美学、未完成の美、不完全の美。日本文化に独特のものであろう。

[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著、PHP、2019年)6月17日~6月20日



P110
社風のよくない会社は、問題が起きたとき、社外にその原因を求めます。(中略)反対に、社風のよい会社は、その原因を社内に求め改善に努めます。

[惹句どんどん] 小田島雄志(翻訳家)




人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である。


シェイクスピアの翻訳家、小田島雄志さんの言葉。日本経済新聞の「私の履歴書」より。出口治明さんの新刊『還暦からの低力』からの孫引きです。
P237
小田島さんのいう通り、人生には「喜」「楽」はもちろん「怒」「哀」もあったほうがいい。喜んだり怒ったり、哀しんだり楽しんだりがたくさんあるほうが面白いし、人生は豊かになるはずです。だから喜怒哀楽はプラス・マイナスで計算するのではなく、その総量の絶対値でとらえたほうがよいのです。
『還暦からの低力 歴史・人・旅に学ぶ生き方』(出口治明著、講談社現代新書、2020年)より

2020年6月14日日曜日

[その他] 耳にバナナが詰まっている男、再び

大変古い投稿なのですが、本ブログの統計データによると一番読まれている投稿のようです。(理由は不明)。


2014年9月2日火曜日
[その他] 小噺 「耳にバナナが詰まっている男」
伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』の中の小噺「耳にバナナが詰まっている男」を紹介したところ、大変たくさんの方が投稿をご覧になっておられるので、追加情報です。



(1)英会話のCMに採用
これは伊丹さんの著者からアイデアを得たものと思います。


https://youtu.be/b3ttTjnWJbc

[CM]英会話のジオス 1995年 中村雅俊


(2)セサミストリートでも登場
英語圏では有名なジョークなのかも知れません。
後半のアリゲーターがからむジョークも定番のようですが現在調査中です。

https://youtu.be/zwsmqZLCKPE


Sesame Street: Ernie Has a Banana in His Ear

[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』第75段 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん

書き写し『徒然草』継続中です。本日は第75段を描き写し。「遁世のすすめ」です。

第75段の「塵」とは仏語の「六塵(ろくじん)」のことだそうで、人間の知覚を、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根とし、その対象となる外界の刺激、色・声・香・味・触・法を、人の心を汚し、煩悩を起こさせる「塵」だとした。この「六塵」を排する修行が「六根清浄」。だそうです。




徒然草(上)
第75段 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。


<本文>
 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん*。まぎるゝ方なく、たゞひとりあるのみこそよけれ。

 世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず*。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分別みだりに起りて、得失止む時なし*。惑ひの上に酔へり。酔ひの中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事*、人皆かくの如し。

 未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ*。


<用語解説>
つれづれわぶる人は、いかなる心ならん:つれづれを嘆く人とはどういう人であろう。俗世間に交わることなく、一人孤独に居るこそよいというのに。

さながら、心にあらず:さながら、自分の心ではないようになってしまう。

分別みだりに起りて、得失止む時なし:何が得で何が損かなどと、得失ばかり考えていて、。

ほれて忘れたる事:本心を忘れて。「ほれて」は「呆けて」の意。

摩訶止観にも侍れ:「摩訶止観<まかしかん>」は天台宗の基本理念。自らの心を見通し観照することという。一○巻または二○巻。五九四年、隋の智●(ちぎ)が講述し、灌頂が筆録。天台三大部の一。天台宗の観心を説き修行の根拠となる。止観。天台止観。天台摩訶止観。(広辞苑より)。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」と言われても、遺産でもない限り、今日生きてはいけないが。


<ポイント>
 遁世の勧め。およそ、いま、学校教育でいう「コミュニケーション能力」だの「プレゼンテーション能力」だのはお呼びではないということ。

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure050_099/turedure075.htm

2020年6月13日土曜日

[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』第74段 蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、




徒然草(上)
第74段 蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、

<本文>
 蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る人、高きあり、賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕に寝ねて、朝に起く。いとなむ所何事ぞや。生を貪り、利を求めて、止む時なし*。

 身を養ひて、何事をか待つ*。期する処、たゞ、老と死とにあり。その来る事速かにして、念々の間に止まらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。惑へる者は、これを恐れず*。名利に溺れて、先途の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ*。常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり*。


<用語解説>
生を貪り、利を求めて、止む時なし:これらの人々は、ただひたすら長生きを望み、利を求めて、一時も止むことがない。

身を養ひて、何事をか待つ:体の養生をして、そして何を待つというのか? つまるところ、「老い」と「死」だけだというのに。

惑へる者は、これを恐れず:迷える者は、諸行無常ということ知らない。だから、ひたすらに名利におぼれ、老死の近いことを知らない。

愚かなる人は、また、これを悲しぶ:また、愚かなる者は老死の近いことを悲しむ。この世の永遠不変をのみ願って、変化の理を知らないからだ。諸行は無常であるということ 。

常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり:死ぬことなく常に変わらないと思って、一切は変化して止まないということを知らないのである。


<ポイント>
 人間、この「度し難き動物」ということか。

[積読立読斜読] 『要点で学ぶデザインの法則』25/30



121 希少性
122 選択バイアス
123 自己相似性
124 系列位置効果
125 反応形成







[その他] 10日と25日は 'Punk in'(パン喰い)の日 中広町 Panque



10日に行けなかったので本日パン屋さん巡り。

中広町にあるベーグル主体の有名店です。過去何度か訪問。

12時開店と同時に10名ほどの列。

雨が降っていましたが面倒なのでささずにいたところ前の女性のかたが傘の相伴を申し出てくださいました。

9点購入で1780円でした。


<店舗データ>
広島市西区中広町1-2-1
営業時間:12時~売り切れまで
定休日:月曜・火曜