3月10日(木曜日)、先日の3月6日(日曜日)が出勤(研修
等)だったので振替休日をいただきました。今回は和菓子屋さんで
す。
堺町にある明治44年創業の煎餅屋さん、芸陽堂に行ってきました。
現在の店主は4代目だそうです。頼山陽にちなんだ煎餅が有名だそ
うです。
ちなみに創業当時の店名は「ねぼけ堂」だそうです。
<お店>
頼山陽煎餅本舗 芸陽堂
〒730-0853 広島県広島市中区堺町2丁目6-23
082-231-1605
<商品>
頼山陽煎餅(バラ売り)他
1000円ぐらい
下記は世界大百科事典より「頼山陽」の記述です。
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頼山陽 1780‐1832(安永9‐天保3)
らいさんよう
江戸後期の儒学者,詩人。名は襄(のぼる),字は子成,通称は久太
郎,山陽は号。別号三十六峰外史。
朱子学者頼春水の長男として大坂に生まれ,1781年(天明1)春水の
広島藩儒登用後,しばらくして広島に移居。叔父杏坪(きようへい)
の指導で素読を始め,9歳で学問所に入学,早くより詩文に才をあ
らわした。
1797年(寛政9)より約1ヵ年江戸に遊学し尾藤二洲(びとうじしゆう)
に師事。この前後,ときに気鬱の病を発していたが,1800年脱藩,
連れ戻されて一室に幽閉された。やがて読書を許され,この間史書
執筆を志し,《日本外史》を起稿。03年(享和3)廃嫡となり,2年後
に門外自由の身となった。09年(文化6)備後神辺の菅茶山(かんちや
ざん)の廉塾の後継者に招かれたが,1ヵ年余りの滞在で上京,やが
て新町に開塾した。18年(文政1)西遊。京都文人社会でしだいに地
歩を占め,22年には三本木の水西荘に移居,ここに書斎〈山紫水明
処〉を営んで,門弟教育のかたわら多くの文人墨客と交わり,各地
を遊歴し,詩文・書画をつくり愛好する自由な境涯を楽しみとした。
26年《日本外史》を完成,翌年松平定信に献上。続いて《通議》
《日本政記》の執筆にとりかかり,前者を完成,後者をほぼ脱稿し
て病没した。
その学問は朱子学を奉じたが,実用の学たることを重視した。詩
文にすぐれ,文は近世後期の第一人者と称され,詩は虚構を排し,
つとめて実際を述べ,とくに詠史詩に巧みであった。書は円滑自在
で一家をなし,儒学者の書としては最も高い評価を得ている。上記
の史書三部作や自選の詩集《山陽詩鈔》などは死後の刊行で,生前
の出版は《日本楽府》のみである。
《日本外史》《日本政記》は簡潔な名文で多くの読者を得,その史
観は幕末・維新期の思想界に大きな影響を及ぼしたといわれる。著
述は以上のほか門弟たちがまとめた《山陽先生書後題跋》《山陽遺
稿》などがあり,《頼山陽全書》に伝記とともに集大成されている。
頼 祺一
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