2025年9月6日土曜日

[新聞広告] 和菓子歳時記 九月 新涼(しんりょう)

新涼(しんりょう)や白きてのひらあしのうら
 <川端茅舍(ぼうしゃ)>




 

2025年9月2日火曜日

[HIP] 9月2日(火曜日)平和公園ガイド オーストラリアからの旅行者夫婦    

 


所属しているHIP(Hiroshima Interpreters for Peace、平和のためのヒロシマ通訳者グループ)の活動で平和公園のガイドをしました。オーストラリアからの旅行者夫婦。3週間の日本の旅の途中だそうです。


[その他] 戸籍法改正 戸籍への振り仮名記載が法令化

 ハガキでの通知は結構なコストで、戸籍謄本、住民票、マイナンバーカード、

保険証、免許証、日本はいろいろコストがかかります。




[その他] 9月1日(月曜日)ヤマハ・ドラム教室

 仕事が終わってヤマハのドラム教室へ。

現在はテキスト(シンコペーション)と、『青春時代』をやってます。

30分のレッスンですが、終わるとくたくたに。


2025年9月1日月曜日

[積読立読斜読]『戦艦大和の歴史社会学』(塚原真梨佳著、新曜社、2025年)


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<産経新聞より>


「戦争と技術」を検証 『戦艦大和の歴史社会学』塚原真梨佳著

<書評>評・戸高一成(呉市大和ミュージアム館長)

2025/5/25 09:00


『戦艦大和の歴史社会学』塚原真梨佳著(新曜社・3520円)


先の大戦が破滅的な敗戦で幕を閉じてから80年が経過しようとしている。

80年という年月は、先の大戦が文字通り歴史となったといえる時代に入ったことを意味している。

このような時間経過の中で、戦前と戦後では何がどのように変化したかを問うことによって、

足元のありようを確認する作業の一つが、

今回刊行された塚原真梨佳氏の『戦艦大和の歴史社会学』なのではないか。


日本は明治以来、力を尽くして軍事技術を発展させた。

本書は、敗戦後の日本人が軍事技術を巡る問題をどのような社会的、

心理的状況の中で受け入れてきたかについて、戦艦大和をキーワードに据えて論じたものである。

昭和20年代から続く軍事雑誌『丸』の記事など、多くの文献解析を行っている。


その内容は序章の「旧軍の記憶と科学技術立国ニッポンの自画像」に始まり、

①「ナショナルなもの」としての戦艦

②戦争のコメモレーション(記念物)としての戦艦

③敗戦国日本はいかに戦艦大和を発見したか

④旧軍技術から平和技術へ

⑤「大和=科学技術立国の礎」論の退潮

⑥「第二の敗戦」と戦艦大和

⑦地方における「大和=科学技術立国の礎」論の展開-の各章と、

終章「平和日本の礎としての軍事技術」で構成されている。


序章において著者は、終戦時の鈴木貫太郎首相の談話から

「(新日本建設のためには)今回の戦争における最大欠陥であった

科学技術の振興に努める外ない」という言葉を引用した。


この言葉から導き出された戦後日本の姿を、

テクノ・ナショナリズムという切り口から通観することにより、

技術の継承を合理化するために戦争そのものの継承が断絶されているのではないか、

との思いに至った経緯を分かりやすく述べている。


否定されるべき戦争と、戦争にかかわりながらも否定しえない技術の歴史を、

さまざまな角度から見直す意味において、興味深いアプローチを示したといえよう。


https://www.sankei.com/article/20250525-NS2D4XM5ZNO67ILS4AFUD6IGQY/


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[歩く 聞く 考える] 戦後80年と戦艦大和 生々しい死を抜きにできない 立命館大アジア・日本研究所専門研究員 塚原真梨佳さん

25年6月25日


 呉で生まれた旧海軍の戦艦大和が鹿児島沖で米軍に撃沈されて80年。日本敗戦を象徴した巨大艦は技術大国の礎になったとよく語られるが、日本人の戦後の大和観はさまざまに変遷したらしい。それを読み解く著書「戦艦大和の歴史社会学」(新曜社)を刊行した立命館大アジア・日本研究所(大阪府茨木市)専門研究員の塚原真梨佳さん(33)に聞いた。(特別論説委員・岩崎誠、写真も)


 ―なぜ戦艦大和に関する研究を始めたのですか。

 美大出身でドキュメンタリー映像に携わり、母に聞いた大伯父の戦死をテーマにしたのがきっかけです。沈没した佐世保所属の戦艦金剛に乗っていました。戦艦という軍事技術の所産の名前は残るが一人一人の戦死という異常な死が漂白され、語られない状況に興味を持ったのです。立命館の大学院に入って歴史社会学を専攻し、戦艦という技術の歴史がどう継承されたかを考えるメルクマール(指標)として大和に注目しました。


 ―研究の手法は。

 雑誌や書籍などメディア空間の言説を軸にしました。特に軍事誌「丸」は元技術将校らの寄稿など大和の「語り」をリードし、そこで示された見方が定説化していきます。1950年代は大和が海の藻くずと消えた無用の長物だったとしても技術だけ見れば世界一のメカニズムがあったと論じられました。世界最大排水量、最大主砲の戦艦を開発した技術力が日本民族にあったという語られ方は、造船大国として復活する中で受け入れられやすい物語でした。


 ―乗員約3千人の戦死は語られなかったのですか。

 悲劇的な死を遂げた将兵の戦記も出ていましたが、戦場体験とメカニズムの語りは切り離されたと思います。平和的な価値観が社会にあって旧軍賛美が反動と見なされる中でも、大和に関しては目立った戦績がなかったために技術力のみ強調することが可能だったと考察しています。


 ―やがて日本は防衛力強化や兵器国産化に至ります。

 戦争は罪悪だという意識の中で、兵器本来の目的を透明化して加害性を脇に置いて語ればいいという科学技術の中立論が60年代に出てきます。その頃に造船だけでなく光学機器や新幹線など幅広い民生技術に大和の遺産を生かしたとする「科学技術立国の礎」論も語られ始めるのです。


 ―しかし日本の高度成長は終わりを告げました。

 「第二の敗戦」と呼ばれ、造船なども不況で日本の競争力が立ち遅れる時期に大和論は退潮し、「丸」からも姿を消します。70年代に多発的な環境破壊が顕在化し、科学優先主義が曲がり角を迎えたことも大和のメカニズムを賛美する言説が後退する要因だったのではと思います。


 その後、昭和史が総括されるうちに違った見方も生まれます。2000年代に反省を込めて大和が回顧されたことすらありました。戦時下の造船も西欧の模倣と拡大であって職人技的な応用はあっても独自性に乏しく、効率化し標準化して量産する発想に欠けていた、とするものです。


 ―呉市が大和ミュージアムを開館し、大人気を博したのは05年のことです。

 大和に関する日本人の関心が低下する中で再び脚光が当たり、メディアにも取り上げられました。ローカルな視点から大和を語り直す博物館がナショナル(全国的)な言説の形成に影響を与えた意味は大きいと思います。呉の歴史は日本の歴史と切り離しては考えられません。今後も技術や経済にとどまらず日本人のアイデンティティーを下支えする役割を願っています。


 ―軍事技術礼賛だけになるのは問題ではないですか。

 軍事技術は人の殺傷という目的を内在します。テクノロジーを語る中でも戦争がもたらす生々しい死や責任を抜きにできません。使われた時の加害、被害の歴史を断絶させてはならないと思います。現代に生きる私たちが軍事技術の歴史を学ぶ意義は偏狭なナショナリズムに溺れることなく、大和のような存在を二度と造り出さないで済む世界の実現のために科学技術を活用する方策を構想することにあるのではないでしょうか。


つかはら・まりか

 沖縄県生まれ。成安造形大卒。情報科学芸術大学院大メディア表現研究科を経て2024年立命館大大学院社会学研究科博士後期課程修了。同年現職。博士(社会学)。論文に「戦艦三笠保存運動のメディア史」など。映像作家としても東京ビデオフェスティバル2013筑紫哲也賞など受賞多数。


(2025年6月25日朝刊掲載)


https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=152898

2025年8月31日日曜日

[その他] 8月31日(日曜日)夏神楽ディナーショー(広島サンプラザ)

神楽ディナーショーという変わった催し物。

孫のT君が少年神楽団に所属しており、神楽に興味があるので。

家族で出かけました。





[積読立読斜読] 『英語で言うとはこういうこと』(片岡義男著、角川oneテーマ21、2003年)

 


上段が片岡義男さん訳。

下段がGoogel翻訳です。


「本拠地」「常連客」「本腰」「難しい」という

日本語の言葉の綾をまだGoogle翻訳では表現できないようです。



P148

「トヨタの本拠地」

Toyota's main operational base

Toyota's headquarters


「地元の常連客」

a repeat clientele of locals

clientele:集合的にとらえた常連客

Local regulars


「本腰を入れなくては」

It's time to get down to business.

I have to get serious


「ここからが難しいんだよね」

Now comes the tough part.

This is where it gets difficult

[積読立読斜読] 『鍵山秀三郎「一日一話』9月1日~9月7日

 








[その他] 自動つみたて定期預金 始めました 月に1万5千円

 



毎年海外旅行というもの義務的になって面白くないので、

次回の海外旅行(100歳まで生き100カ国旅行するプロジェクト)は70歳で

することに(職制が切り替わるので長期休暇予定)。

「積立して旅行した」リアルな幸福が足りてなかったので、積立定期預金始めました。

3年で1万5千円×12カ月×3年=54万円、貯める予定です。


[その他] 8月30日(土曜日)実母の友人を広島ガイド

 当方の実母(90歳)の友人。池坊の本部での研修会仲間の方が広島に来訪。

宮島に行く前に市内を案内しました。パワーポイントで作りiPadに入れて、

という新趣向で、口頭で案内するより分かりやすかったかも。


画像はパワーポイントの一部です。







[惹句どんどん] 桐野夏生(小説家)

 


若さの弱点は、想像はしていても、

人生には天候以上の災厄や不幸がいくらでも、

そして何度でも襲ってくることを

知らないことだろう。

 

それらと闘っているうちに、

人は容易に歳をとるし、

あらゆることを受領するようになる。


『ダークネス』(新潮社、2025年)p66より


[積読立読斜読] 『ダークネス』(桐野夏生著、新潮社、2025年)


なんだかドロドロした小説が読みたいと思っていたところ、桐野夏生さんの新刊。

熱心なファンではありませんが、結構桐野さんの作品は読んできました。

女性版のハードボイルド小説。今回も泥濘のような人間関係が徐々に露わになり、最後は派手な殺人で終わる、まったく展望のないような「ダークネス」さです。

初出は『小説新潮』(2022年1月号~2025年1月号)。


 <内容紹介> 出版社のサイトより

私の愛した男たちは皆行ってしまった。私の魂を受け止めてくれる相手はもうどこにもいない──衝撃作『ダーク』から20年、村野ミロは生きていた。そして息子のハルオは「悪」を知る旅に出るが……。息子を守るため、凍る火の玉、ミロの最後の闘いが始まる。圧倒的迫力で描く、著者渾身のエンタテインメントの結末は。


https://www.shinchosha.co.jp/book/466705/


<著者プロフィール> 出版社のサイトより

桐野夏生

キリノ・ナツオ


1951年金沢市生まれ。1993年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞、1998年『OUT』で日本推理作家協会賞、1999年『柔らかな頰』で直木賞、2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞、2004年『残虐記』で柴田錬三郎賞、2005年『魂萌え!』で婦人公論文芸賞、2008年『東京島』で谷崎潤一郎賞、2009年『女神記』で紫式部文学賞、2011年『ナニカアル』で読売文学賞、2023年『燕は戻ってこない』で毎日芸術賞と吉川英治文学賞を受賞など、主な文学賞を総なめにする。ほかにも『ポリティコン』『ハピネス』『バラカ』『日没』など著書多数。2015年、紫綬褒章を受章。2021年早稲田大学坪内逍遙大賞、2024年日本芸術院賞を受賞。2021年より日本ペンクラブ会長。


https://www.shinchosha.co.jp/book/466705/


<書評>

ミロのダークナイト

佐々木敦


 1993年、江戸川乱歩賞を受賞した桐野夏生のデビュー作『顔に降りかかる雨』とともに「村野ミロ」は誕生した。以後、『天使に見捨てられた夜』(1994年)、『水の眠り灰の夢』(1995年/ミロの義父・村野善三の若き日を描いたスピンアウト的長編)、『ローズガーデン』(2000年/短編集)とミロは活躍を続け、その間に作者の桐野も『OUT』(1997年)や『柔らかな頰』(1999年/直木賞)など代表作を積み上げながら作品世界を押し広げていった。だが、2002年に発表された『ダーク』でミロの運命は激動する。クールな女探偵村野ミロは人格さえ一変したかのごとき情念に塗れたダークヒロインとなり、読者を震撼させた。

『ダークネス』は『ダーク』から実に二十三年を経たまさかの続編であり、村野ミロシリーズの最新作である。

 まさかの、と述べたのは、『ダーク』があまりにも壮絶な、そしてこれ以上ないと思えるほどに見事な「シリーズ完結編」然としていたからだ。あれから長い時間が過ぎた。だがミロと同じく、自分の意志ではどうにもならない獰猛な運命に導かれるように、桐野は筆を執った。

 現実と同様、『ダークネス』では『ダーク』から二十年が経っている。前作でミロが産んだハルオは二十歳になり、母親と同じ那覇で暮らしながら医師を目指して地元の大学に通っている。ミロはハルオの実の父親の兄で、強大な富と力を持つヤクザである山岸と、ミロが自分の愛する男、村野善三を殺したと信じて恨みを募らせている盲目の女性、久恵に見つからぬように最大限の注意を払いながら、ハルオと二人、那覇でひっそりと生きている。そんな折、やはり前作でミロのために二人を殺害して有罪となったジンホの釈放の日が近づき、ミロはジンホのいる刑務所がある大阪に通いつつ、来たるべきジンホとの生活を心待ちにしている。だが、ハルオがアルバイトをしていたゴルフ場での或る出来事がきっかけで、母と息子の運命は再び狂い始める。

 このように『ダークネス』は『ダーク』の物語を引き継いでいるのだが、そこには二十年という時間が挟まっており、赤子だったハルオが青年になったように、あのミロも今や還暦を迎えている。さすがに残りの人生を心穏やかに過ごしたい。息子の将来を楽しみに見守りながら、愛する男と日本か韓国で睦まじく過ごしたい。だがそうはいかない。私はこの文章ですでに何度も「運命」の二文字を書いた。そう、桐野夏生の小説はすべてが運命譚である。運命とは「自分の意志ではどうにもならない」、けっして逃れられないという意味だ。だからミロは最後の闘いに挑まなければならない。これが最後だ、今度こそ最後なのだと自分に言い聞かせて、運命に追いつかれる前に走り出さなくてはならない。

 本作にはもうひとりの主人公がいる。それはもちろんハルオだ。彼はミロの運命が齎した子である。ハルオは持って生まれた自分の運命に責任はない。だが彼は、否応なしに運命に絡め取られていく。小説はミロの一人称で書かれた章と、ハルオを視点人物とする章が交錯しながら進んでゆく。ハルオの大学の同級生で那覇の大病院の娘である由惟をはじめ、新たな登場人物もすこぶる魅力的だ。

 運命に落とし前をつけること。本作でミロがすることになる(それは「せざるを得なくなる」ということなのだが、もはや能動と受動の違いに意味はない)のは、そしてミロシリーズの「まさか」の続編である本作を書いた桐野夏生の動機もまた、要するに「落とし前」である。語りは、筆致は、ますますスピーディーで、苛烈な熱を帯びていく。ほんとうに凄い小説だ。ほんとうに凄いヒロインであり、ほんとうに凄い作家だ。ここには『ダーク』と『ダークネス』の間に書かれた桐野作品の数々が雪崩を打って流れ込んでいる。その意味で、これは単なる続編とは違う。村野ミロは年を取ったのではなく、自らの物語=運命を何度も生き直してきたのだ。

 そして運命の夜がやってくる。ダークナイト。急激にギアチェンジして一気に加速するかのような、鮮やかで俊敏な、驚くべきラストシーン。私は呆気にとられ、深く激しく戦慄した。だが、それでも、再び朝はやってくる。本作が教える真実、それは、ミロの運命に終わりはない、ということだ。


(ささき・あつし 批評家)


波 2025年8月号より

単行本刊行時掲載


https://www.shinchosha.co.jp/book/466705/



<対談>

ミロは孤独を恐れない

桐野夏生、小川哲


1993年、桐野夏生氏の『顔に降りかかる雨』で誕生した女探偵・村野ミロは、衝撃作『ダーク』を最後に、読者の前から姿を消した。そして20年後、『ダークネス』で再び現れたミロについて、桐野氏と小川哲氏が語り尽くす。


ミロシリーズを破壊した『ダーク』

桐野 お会いするのは初めてですね。


小川 はい、でも『噓と正典』が2020年に直木賞候補になったとき、受賞はしなかったんですが、桐野さんが推してくださったと後で聞いて嬉しかったです。それで、桐野さんにはご縁があると勝手に思っていて。


桐野 すごい作家さんが現れたと思いました。『ユートロニカのこちら側』なども、書く快楽がほとばしってる感じで、ものすごい才能を感じました。そういう作品が好きなんです。


小川 僕自身も書く時に、自分が楽しむのをすごく大事にしてますね。で、今回『ダークネス』を読ませていただきました。「サスペンス小説です」と言われてゲラを渡されたんですが、確かに逃亡小説ではあるけれど、サスペンスというより、エンタメを超えた、人が生きること、しがらみの中で生きることが大きく浮かび上がってくる作品と思いました。桐野さんの中で、デビュー作(『顔に降りかかる雨』)から『ダークネス』まで、最初から全体の構想はあったんですか。


桐野 確か小川さんも何かの対談で、全く構想しないでお書きになるとおっしゃってましたけど、私も全く構想はしないんです。ただ、デビュー作だけは乱歩賞の応募だったし、当時脚本の勉強をしていたので、ちょっと箱書きみたいなものは作ったんですけど、もう2作目からは自由に書くようになりました。自由に書いた方が何が出てくるか分からないので、自分でも面白いんです。ミロシリーズは確かに探偵物ですけど、私はただ、30歳ぐらいの女性が東京で一人で生きるという、そういう物語を書こうと思っていました。『天使に見捨てられた夜』の時も、ミロが犯人とおぼしき男と寝たりするんだけど、編集者から怒られてね。「男性読者が幻滅するので、こういうことしないでください」と(笑)。でも、若い女の人だったら、何もわからない相手の男でも、魅力的だったらそういうこともあるんじゃないか、そこはリアルにやらせてほしいということで、以後強引にやってきました。最後の方では、ミロというシリーズものに縛られている自分にうんざりしちゃって。それでミロ自体を、もう壊してしまおうと思ってめちゃくちゃにやったのが『ダーク』なんですよね。


小川 『ダーク』では、いろんな登場人物がしがらみと愛によって、どんどん身を滅ぼしていく。僕が読んでて一番思ったのは、作者自身が、シリーズものを書くことに、自分が作り上げた登場人物や自分が築き上げたシリーズの読者に対するしがらみを感じているのかな、と。僕がシリーズものを書くのが嫌なのは、やっぱりそこなんですよね。


桐野 そうなんです。縛られますね。


小川 読者が期待しているものも、なんとなく見えてきちゃったり、そういうことが多分嫌だったんだろうなと思って。僕自身も、小説を書き始めたのは、そういうしがらみと無縁で生きていきたかったというのもあります。社会で普通に働いて生きていくと、しがらみだらけなんで。なので、登場人物たちに共感しつつも、その背後にいる桐野さんがすごいしがらみに苦しんでるのかな、と思いました。


桐野 しがらみという、うまい言葉でおっしゃったけれども、自分が築き上げた小説世界に自分がとらわれていく。それがすごく嫌で。私も自由に書きたいと思っていましたが、結局、築き上げてしまったものが、やっぱり自分を損なっていくという感じが、どうしてもあって辛かったです。だったらいっそのこと、ミロもめちゃくちゃにしてやれと思って『ダーク』を書き出したら、これがまた気持ちが良くて(笑)。ミロにとんでもないことをさせました。


小川 確かに、ミロは自分自身でこのシリーズ自体を破壊するようなこともしてるし。でもこの『ダーク』という小説で、ミロによる破壊行為自体が成立したのは、僕はやっぱり、ミロの宿敵たる邪悪な女、久恵の存在のおかげだと思っているんです。久恵というキャラクターを生み出すことができたからこそ、その後の『ダークネス』も生まれたのだと思いました。


桐野 おっしゃる通りです。ミロだけじゃ破壊できないものがあるんです。多分ミロがどんなに転落しようが堕落しようが、やっぱりそれはミロなんですよね。ミロの世界の物語になってしまうから、やっぱり久恵という人物が出てきたことによって、物語世界の完全な破壊が行われたと思っています。久恵を描くのも結構、快楽があってね。だからミロの転落と同時に、久恵がアナーキーに壊れてますよね。それを書くのも楽しかったんです。


マイノリティの存在

小川 先日、山本周五郎賞の選考会があって、そこである選考委員が、最近の小説はマイノリティを聖人として扱いすぎていて、マイノリティだからいい人とか、マイノリティだからこんな特殊なことができるみたいに書くのが納得いかない、マイノリティだって、いろんな人がいるでしょ、というようなことをおっしゃっていた。一方僕は、とはいえ、マイノリティの存在自体を書くことがまず大事な時期もあると思うんですね。今まで無視されてきた存在を、どういう書き方であれ、小説に出すことに意味がある。今、過渡期だから、その方のおっしゃることも分かるけど、そういう存在を出すこと自体が完全に普通になっているかどうか、まだ分からない、みたいなことを選考会で言ったんです。そして『ダーク』を読んだら、20年以上も前に桐野さんが、視覚にハンディキャップを持つ久恵を、すごく生々しく書いていました。


桐野 先日「ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング」を見たのですが、女性たち、それもラテン系の女性やトランスジェンダーも出るし、みんないろんなマイノリティが結構、いい役なんです。だから、確かにおっしゃるように、そういう傾向なんだろうとも思うんですけれども、マイノリティにも実はいろんな人がいるわけです。久恵の目が見えないということが、私はむしろ色っぽいなと思ったんですよね。盲目であることが、むしろ色気になるから、逆にこの人はその意味ではすごく強いんじゃないかと思って、だからこそ聖人にできないという気がしました。確かに『ダーク』に登場するのはマイノリティの人ばかりなんですよね。目の見えない人に、ゲイの男性に、韓国人、在日台湾人、そして女性。だから本当に、マイノリティのかたまりの話をずっと書いてたんだなと思って、今回自分でも驚きました。


『ダークネス』は中上健次だ

小川 そして『ダークネス』です。僕はこの作品を読んで、大学で中上健次の研究をしたんですけど、中上を思い出しました。


桐野 それは光栄です。


小川 中上の『岬』とか『枯木灘』って、血のしがらみの中で、主人公が、自分の人生や自分自身が縛られていくことを感じながら、その鬱屈が溜まっていって爆発する小説ではあるんですけど、血のしがらみって、『ダークネス』でもずっとテーマになっているんですね。例えば親を、自分の母あるいは父を否定することは、自分の半分に返ってくるわけですよね。その血の流れとして、逆に親も自分の子供を否定しようとすると、自分の遺伝子が返ってくる。やっぱり、他者とのしがらみよりも、親子はもっと複雑な愛憎がいりまじることになって、中上はそれを書き続けた人ではあったんです。究極的な、この逃れられない血のしがらみを、『ダークネス』は、なるほどこう扱うんだ、と思いました。それは、この20年間で、『ダーク』から『ダークネス』の間に、桐野さんの中に何かあったんですかね。


桐野 『ダーク』を描いた時に、私もこれでミロシリーズはおしまいと思ったんですが、ハルオという子どもを生み出してしまったので、じゃあ20年後ぐらいに、ハルオの物語を書こうかなと思ったんです。だけどハルオは、すごく苦しい状況じゃないですか、親を否定すれば自分の否定にもなるし、肯定もできない。その作用反作用はものすごく厳しい人物なわけだから、むしろ、ハルオってどういう人間になるんだろう、それによってミロはどう変わるだろう、みたいなことを書くことになった。本当に小説って、一つの世界を作ってるわけだから、一度壊してやれと思ったけれども、なかなかしたたかで、その小説からまた復讐されるということはあるんだな、とは思いましたね。


小川 『ダーク』で、ミロの母親をめぐって、村善とミロが対立する構造が、今回はミロを中心に、ハルオとジンホで対立する構造に入れ替わっていて、ミロ自体は変わらないんだけど、母親としてのミロには、やっぱりすごく揺らぎがあったりするというところが、この『ダークネス』でまたミロに新しい一面を与えているような気がしましたね。


桐野 私も母親ですけれど、そのあたりは簡単には書けない。血縁は割り切ることができない。本当に難しい問題だと思います。


小川 桐野さんはキャリアを築いてきても、未だにすごく原稿書かれてるじゃないですか。30年くらい書き続けられるのって、何かあるんですかね、コツとか。


桐野 気がつくといつの間にか40冊くらい書いていますね。割と好きなんですよね、小説書くのが。いろんなことを考えてるのが、面白いんです。書く作業は辛いんだけれども、書き出してからある一瞬、すごく乗る時があって、そのハイな気持ちをまだ得たいっていう気持ちが強くあります。


小川 今回の『ダークネス』でも書いている間に、そういう瞬間がやっぱり何度もあったから、まだ書きたい?


桐野 若干ね(笑)。小川さんは、これからまだまだずいぶん長い作家人生があって、羨ましいです。


小川 いやでも、どうやって書き続けるかっていうのは、難しい問題というか、書き続けられている人ってそんなに数が多くないから。


桐野 自分に対する好奇心じゃないですかね。


血のしがらみ

小川 『ダークネス』を執筆しようとした段階で、ミロとジンホがどうなるかというのは、まだ見えてなかったんですか。


桐野 全然見えてなかったです。多分変質はしてるだろうなと思っていましたが、その変質を、どうやって描こうかと迷ってはいました。


小川 じゃあ、ハルオとミロの関係性も、作品を描きながら見つけていったという感じですか。


桐野 そうですね。ハルオはいずれ離れていくであろう、という発想はありました。そうするとまた、ミロとジンホの問題になるから、二人はどうするんだろうと考える。


小川 『ダークネス』では、親子とかあるいはきょうだいとか、そういう血のつながりが全面に出てくる。


桐野 血縁だけは本当に、どうしようもないですもんね。


小川 自分の出自を知ったハルオは、それは絶対に混乱しますよね。でもそれがハルオに、「じゃあ血のつながりって何なんだろう」と、考え直すきっかけになって、そこが面白かったですね。

 例えば自分の父親の嫌なところとかを見つけた時って、怒りと同時に怖さみたいなものを抱くわけです。遺伝子のせいで、自分にもその要素があるんじゃないかという。だから、僕もそういう嫌な面を自分が持っているんじゃないかという恐れみたいなものは、あったかもしれない。


桐野 それは普通の他者との関わりでは、ないことですよね。


小川 由惟という女性が出てきますが、作中で一番まともな人物だったかもしれないですね。ハルオに向ける愛の眼差しが、異性愛のものから、親類への愛情に変わっていくあたりは、『ダーク』では愛情がメインだったものが、『ダークネス』では血のつながりが全面に出てきたことを、由惟が体現した感じがしました。

 いろんな親子が登場しますが、普通の核家族は一つも出てこない。どの親子も、何か欠損がある状態で書かれています。


桐野 確かに、普通の家族は出てこないですね。すごくシンプルなんですけど、結局みんな一人で生きていく、という話なんですよね。私は常にそうなんです。


小川 それぞれが、自分の弱いところから、誰かに頼ったり依存したりするんだけど、結局はやっぱり自分一人で生きていくしかないんだなってなっていくところが、すごくグッとくるところでありますね。登場人物たちが、孤独を恐れていないというか、孤独を受け入れているというかね。

 そして終盤、久恵という強烈なキャラクターと、自分は一緒だということを、ミロが発見して愕然とする。


桐野 あれは私もちょっと、自分で書いてびっくりしました。久恵って、改めて、必要な人物だったんですね。ミロは私で、実は久恵でもあるのです。


小川 久恵が『ダーク』と『ダークネス』の間の、20年間を埋めてるわけですよね。『ダークネス』は、桐野さんが一度『ダーク』で破壊したミロシリーズの更地に、また一から、ハルオという芽を育てて、もう一回花を咲かせた、という作品であると思います。


桐野 ありがとうございます。


(きりの・なつお 作家)

(おがわ・さとし 作家)


波 2025年8月号より

単行本刊行時掲載



https://www.shinchosha.co.jp/book/466705/