題名に惹かれて文庫本で購入しました。中島京子さんの作品は『長いお別れ』に続いて二作目の読了です。
2010年『小さいおうち』で直木賞を受賞し、旺盛な筆力で絶えることなく佳品の小説を生み出されているという印象です。ウィキペディアでプロフィールを調べてみると、両親がフランス文学者というサラブレットの家系のようです。幼い頃から読書する習慣が自然に身に付き、血肉となっているのではないかと創造されます。
デビュー作の『FUTON』からして、田山花袋『蒲団』の構成を換骨奪胎して現代に蘇らせた作品で、本作も伊藤整の1954年のエッセイ『女性に関する十二章』を下敷きに、熟年夫婦の日常を描いたものです。
現代ではほとんど読者がいないと思われる『女性に関する十二章』をどう取り入れるかですが、主人公の夫が編集プロダクションを経営しており、ある会社PR誌に、創業者の会長が趣味である『女性に関する十二章』を下敷きに女性論を描いてほしいという依頼があった、という設定で、これで勝負あったという感じです。
この換骨奪取されるもと作品がなければ単なるホームドラマなのですが、語り手をパートの主婦に置いたことで、この古色蒼然たる女性論に時に反発、時に同意、という感情の流れをうまく章立てして構成しています。
[本文からメモ]
P89
女性に縁のなかった息子が連れてきた初めての彼女が小太りで老け顔だったことを受け、夫の放った一言。
「鰯(いわし)で精進(しょうじん)落ち:」
やっと迎えた精進落としの宴に、イワシのようないつでも食べられる魚を出す。ずっと耐えてきた努力が報われないことや、つまらないことで努力がむだになることのたとえ。
P211
思えば遠く来たもんだ、とうのは、あれは中原中也だったけ。昔、あの詩が好きだった、と聖子はまた忘れていたことを思い出した。
P212
「違う!それは海援隊よ。そっちはちっともよくないのよ。『遠く来たもんだ』とか『遠くへ来たもんだ』じゃ大違いよ。『へ』が入るだけでダサくなるのよ。女に振られて死のうと思ったとか、うっとうしい歌詞にしちゃって。だいいち、『とんおおくんええ』って、あの演歌みたいな節回しがいや」
「つまんないことで怒るなよ。」
頑是ない歌(1938(昭和13))
中原中也 『在りし日の歌』より
思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然(しょうぜん)*1として身をすくめ
月はその時空にいた
それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ
今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど
生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅうては
なんだか自信が持てないよ
さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質さが
と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ
考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう
考えてみれば簡単だ
畢竟(ひっきょう)*2意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと
思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いずこ
*1 竦然(しょうぜん):恐れてぞっとするさま。悚然。慄然。
*2 畢竟(ひっきょう):つまり。結局。
思えば遠くへ来たもんだ(1978年)
■唄:海援隊 ■作詞:武田鉄矢 ■作曲:山木康世
踏切りの側に咲く コスモスの花ゆらして
貨物列車が走り過ぎる そして夕陽に消えてゆく
十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳をあて
レールの響き聞きながら 遥かな旅路を夢見てた
思えば遠くへ来たもんだ 故郷離れて六年目
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら
筑後の流れに小鮒釣りする人の影
川面にひとつ浮かんでた 風が吹くたび揺れていた
二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら
いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた
思えば遠くへ来たもんだ 今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ あの頃恋しく思い出す
眠れぬ夜に酒を飲み 夜汽車の汽笛聞くたびに
僕の耳に遠く近く レールの響きが過ぎてゆく
思えば遠くへ来たもんだ 振り向くたびに故郷は
思えば遠くへ来たもんだ 遠くなるような気がします
思えば遠くへ来たもんだ ここまで一人で来たけれど
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら
※国鉄からの依頼で作成したが、採用は谷村新司の『いい日旅立ち』となった。
[内容紹介]
彼女に関する十二章
中島京子 著
〈五十歳になっても、人生はいちいち驚くことばっかり〉息子は巣立ち、夫と二人暮らし。会計事務所でパート勤務の宇藤聖子が、ふとしたことで読み始めたのは、六十年前にベストセラーとなった「女性論」。一見古めかしい昭和の文士の随筆と、聖子の日々の出来事は不思議なほど響き合って……。どうしたって違う、これまでとこれから。人生の新たな段階を迎える世代ならではの感慨と、思いがけない新たな出会い。セクハラ、LGBT、貧困――身近な社会問題を織り込みながら、くすりと笑える読み心地のよさ。ミドルエイジを元気にする上質の長編小説
中央公論新社のサイトより
[中島京子さんのプロフィール]
1964年東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒。出版社勤務を経て渡米。帰国後の2003年『FUTON』で小説家デビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞、2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞、2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞、同年『長いお別れ』で中央公論文芸賞、2016年日本医療小説大賞を受賞した。他に『平成大家族』『パスティス』『眺望絶佳』『彼女に関する十二章』『ゴースト』等著書多数。
新潮社のサイトより
伊藤整 1905‐69(明治38‐昭和44)
いとうせい
作家,評論家,詩人,翻訳家。北海道生れ。本名整(ひとし)。小伍高商卒,東京商大中退。1926年,詩集《雪明りの路》を出したが,まもなく小説,評論に転向。S. フロイトの精神分析を文学にとり入れ,J. ジョイスなどの西欧20世紀文学の方法を紹介,移入した。その後,抒情詩人としての資質を知性で統御しながら,20世紀小説の方法と私小説の持つ芸術的な力を組み合わせる独自の方向に進み,小説《街と村》(1939)から《得能五郎の生活と意見》(1941),《得能物語》(1942)を経て《鳴海仙吉》(1950)を書いた。また《小説の方法》(1948)は,私小説を中心とする日本の近代小説の性格を西洋と比較しながら理論的に解明した画期的な評論である。50年,D. H. ロレンスの《チャタレー夫人の恋人》を訳して裁判沙汰になった(チャタレー裁判)が,その後も《若い詩人の肖像》(1956),《氾濫》(1958),《変容》(1968)などの長編を世に送る一方,《日本文壇史》全18巻(1953‐72刊)の偉業を残した。 曾根 博義
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『女性に関する十二章』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「女性に関する十二章」(じょせいにかんするじゅうにしょう)は、作家伊藤整のエッセイ。『婦人公論』1953年1月~12月号に連載。1954年、中央公論社から単行本として刊行されベストセラーになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%AB%A0