2019年12月21日土曜日

[積読立読斜読] 『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短編29』(ジェイ・ルービン選、村上春樹序文、2019年新潮社)より 国木田独歩、柴田元幸さん




国木田独歩の「忘れえぬ人々」(1898)、と柴田元幸さんの「ケンブリッジ・サーカス」(2004)を読みました。二編とも編者が区分した「自然と記憶」というカテゴリーに入っています。


国木田独歩の「忘れえぬ人々」(1898)はメタ・フィクションというか、小説の中にもう一つ小説を押し込んだ形の小品ながら読後感の印象の強い作品で、なんと『世界大百科事典』に単独項目として採用されている、この本の中では文壇史的に重要な作品でした。
この時代は若干漢文表現が小説の日本語に残っていたようで、所々に漢文の言い回しが出てきます。

村上春樹さんの解説によれば「森鴎外や夏目漱石とだいたい同世代の明治時代の作家だが、「文豪」と呼ばれるその二人に比べれば、マイナー・ポエト(minor poet)という印象が強い。ロシア文学における(トルストイやドストエフスキーに対する)ツルゲーネフのような存在であるかもしれない」というように渋い作家・作品です。


「ケンブリッジ・サーカス」(2004)の"circus"は円形になっている交差点で、近隣にケンブリッジ大学があります。曲馬団の「サーカス」も同じスペルです。柴田さんは紹介するまでもなく東大教授で英米文学翻訳家の大家、村上春樹さんの翻訳の師匠筋にあたる著名な方です。この作品はエッセイと小説の間のような短いスケッチ。自身の留学時代の挿話をパラレル・ワールド仕立てにして楽しんでらっしゃいます。



忘れえぬ人々  
わすれえぬひとびと 

国木田独歩の短編小説。1898年(明治31)4月,《国民之友》に発表。溝口(みぞのくち)(現,川崎市)の旅館亀屋で,無名の文士大津が,たまたま泊まりあわせた画家の卵秋山に物語る形式となっている。大津には,親兄弟や先生と違って忘れても義理を欠くわけでもないのに,妙に忘れられない何人かの人々がいる。瀬戸内海通いの汽船の甲板から見た寂しい小島の漁夫,阿蘇山のふもとで見た馬子,四国の三津が浜で見た琵琶僧などである。立身出世の妄執から解放されたとき,すべての者に対する同情の念が生まれ,人懐かしくなるというのである。山林海浜の小民に無窮の天地に孤立する人間存在を見るという,独歩文学の原点を示す作品である。            山田 博光

(C) 1998-2002 Hitachi Systems & Services, Ltd. All rights reserved.

武蔵野  
むさしの 

国木田独歩の短編小説。1898年1~2月,《今の武蔵野》の題名で《国民之友》に分載。第1小説集《武蔵野》(1901)に収められた。1896年9月から翌年4月まで当時武蔵野の面影を残していた渋谷の岡の上に住み,近郊の林や野道や小川のほとりを散歩して得た印象を新鮮な感覚で描いた作品。伝統的な松林の美しさなどではなく,秋から冬にかけての武蔵野の落葉林の美しさを中心に描くについては,文中に引用されている二葉亭四迷訳のツルゲーネフ作《あひゞき》の影響が著しい。独歩の最初の口語体小説としても,二葉亭に負うところがある。徳冨蘆花の《自然と人生》と並んで自然描写文学の傑作とされ,日本人の感受性に強い影響を与えた。             山田 博光

(C) 1998-2002 Hitachi Systems & Services, Ltd. All rights reserved.


国木田独歩  1871‐1908(明治4‐41)
くにきだどっぽ 

詩人,小説家。千葉県生れ。本名哲夫。父専八は播州竜野藩士。明治初年,藩船で漂着した専八と銚子出身の淡路まんとの間に生まれた。幼少年期は山口県で育ち,山口中学を経て,1888年から91年まで東京専門学校(現,早稲田大学)に学ぶ。在学中,《女学雑誌》《青年思海》に投稿。またキリスト教に入信。92年,浪漫主義の同人誌《青年文学》に参加,ワーズワース,カーライルの作品に出会い,精神革命を経験した。93年に起筆した日記《欺かざるの記》は,97年まで続き,明治中期の青年の苦悩とあこがれに表現を与えた。佐伯の鶴谷学館の教師を経て,94年国民新聞社に入社。日清戦争の従軍記者として《愛弟通信》を連載。帰還後佐々城信子と知りあい,はげしい恋愛の末結婚。この結婚は半年で破局を迎えたが,このころから詩人的資質に目覚め,民友社系の《国民新聞》《国民之友》に浪漫的な詩を発表。これらは97年,宮崎湖処子,松岡(柳田)国男らとの共著詩集《抒情詩》にまとめられた。同年小説の処女作《源叔父(げんおじ)》を発表。ついで《武蔵野》《忘れえぬ人々》を《国民之友》に発表。これらを収めた短編集《武蔵野》(1901)は浪漫的色彩が強い。《牛肉と馬鈴題》(1901),《運命論者》(1903),《春の鳥》(1904)など中期作品は,やや現実的傾向を深め,好評を博した。晩年の《窮死》《竹の木戸》(ともに1908)などは,貧民の悲惨な運命を見つめ,自然主義の旗手と目された。自然賛美,人間の運命諦視の裏に小民への愛が一貫し,明治期を代表する短編作家である。      山田 博光

(C) 1998-2002 Hitachi Systems & Services, Ltd. All rights reserved.


柴田元幸さん プロフィール

1954(昭和29)年、東京生れ。米文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞受賞。『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞受賞。トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。翻訳の業績により早稲田大学坪内逍遙大賞受賞。アメリカ現代作家を精力的に翻訳するほか、著書も多数。文芸誌「MONKEY」の責任編集を務める

新潮社のサイトより


2019年12月19日木曜日

[積読立読斜読] 『教育格差 ― 階層・地域・学歴』(松岡亮二著、ちくま新書、2019)

ノートを取りながら読書中です。P11~P28の「はじめに」のまとめ。

=================================================

P11
はじめに(私が『教育格差』という本を書いた理由)


・教育は自分の経験に基づいて自説を持ちやすい分野

・日本の教育格差の全体像を俯瞰し、実態理解に基づいた建設的な議論がされるようになることを願っている

・人には無限の可能性がある。私はそう信じているし、一人ひとりが限りある時間の中で、どんな「生まれ」であってもあらゆる選択肢を現実的に検討できる機会があればよいと思う。

・しかし現実の日本では、出身家庭と地域という本人にはどうしようもない初期条件(生まれ)によって教育機会の格差があるからだ。

・この機会の多寡は最終学歴に繋がり、それは収入・職業・健康など様々な格差の基盤となる。つまり、20代前半でほぼ確定する学歴で、その後の人生が大きく制約される現実が日本にはあるのだ。

・これは近年だけの話ではない。戦後日本社会には、程度の差こそあれ、いつだって「生まれ」による最終学歴の格差――教育格差があった。

・日本の現実は、生まれ育った家庭と地域によって何者にでもなれる可能性が制限されている「緩やかな身分社会」

・それは、一人ひとりの無限の可能性という資源を活かさない燃費の悪い非効率的な社会

・教育機会格差が存在する社会状況に根本的な変化を求める大きなうねりは発生しないまま、昨日のコピーのような今日が過ぎ去る

・教育社会学の研究者である私にできることは、入手可能な質の高い様々な調査データを理論と先行研究に基づいて分析し論文にすること。

・本書のような一般的な新書とすることで、過大評価も過小評価もせずに現時点でわかっている教育格差の全体像を一人でも多くのみなさんと共有し、既視感だらけの教育論議を次の段階に引き上げることを目指す。


P17
本書の構成

第1章 終わらない教育格差
戦後、教育格差は常に存在してきた。

第2章 幼児教育―目に見えにくい格差のはじまり
未就学段階で教育格差は立ち上がっている。

第3章 小学校―不十分な格差縮小機能
第4章 中学校―「選抜」前夜の教育格差
義務教育であっても出身階層と学校・地域によって機会と結果に大きな格差がある。

第5章 高校―間接的に「生まれ」で隔離する制度
高等学校では学校間格差が大きい、「生まれ」と学力に強い関連があるまま高校受験という教育選抜を行うので、結果的に学校間で大きな出身階層格差が生じる。進学校は「勉強できる」と同時に「恵まれた家庭で育った」生徒の集まりなのだ。

第6章 凡庸な教育格差社会―国際比較で浮かび上がる日本の特徴
他国と比較しながら日本の教育制度の特徴を俯瞰する。日本の義務教育制度は格差を縮小するほどの力はない。

第7章 わたしたちはどのような社会を生きたいのか
教育格差に対する対策を考える際に、土台とすべき観点をまとめ、2つの具体案を提示する。

P24
親の学歴が子学歴に与える因果的影響を立証することはできないが、親子学歴に関連があるという実態(what)を示し、様々な理論や研究を援用しながら、なぜ(why)/どのようにして(how)関連が生じたのか―学歴再生産メカニズムを
開明する「試み」をすることはできる。

P25
20年後に「前の世代と同じく教育格差が存在した」と「答え合わせ」するのを待つのではなく、現在の教育実践・政策の参考になるように短期的な格差とその生成メカニズムを明らかにする必要がある。

P26
最後に、私の研究動機を明確にしておきたい。一言でまとめると、「改善のための冷静な現状把握」である。

P28
わたしはこの現状を変えたい。一人でも多くのみなさんと研究知見を共有することを通して、緩やかな身分社会の再生産という「現実」を、一人ひとりが可能性を追求できる社会へと変えることができればと切に思う。





[晴れときどき英語のお勉強] 『「とりあえず」は英語でなんと言う?』より形容詞を使った大げさな表現



P57
[COLUMN]
大げさな表現を使ってネイティブのように話そう
(英語ネイティブが日常的に使う大げさな表現)

She is the best teacher.
(彼女は一番いい教師です。)

She is the best teacher ever!
(彼女は一番いい教師です。)

That is the coolest car ever.
(あの車は最もかっこいい車だ。)

最上級と一緒にeverを使う例が多い。

I think I am the happiest person.
(私は最も幸せな人間だと思う。)

上記の例文には in the world , on the planet というフレーズを加わることが多い。

I think I am the happiest person in the world.
(私は世界中で最も幸せな人間だ。)

I am the sexiest woman on the planet.
(私は地球上で最もセクシーな女性だ。)
カジュアルな表現。

That is the worst car in history.
(あれは史上最悪の車だ。)

in history, in the history of the world
さらに大げさな表現もある。

「絶対!」「断然!」という意味で、by far, far and away も良く使われる。

That album is the best by far!
(あのアルバムは絶対に一番いいよ!)

That book is far and away the best.
(あの本は完全に一番いい。)

[その他] 「村上柴田翻訳堂」を私は捨てた

年末の断捨離シリーズ。

このシリーズは断腸の思い。専用のブックケースまで作りましたがなにせ長編を読む体力がないもので。

2016年に新潮文庫の企画として出た、村上春樹さんと柴田元幸さんの翻訳文学選集です。装丁も洒落てました。

結局2冊しか読了できず。





新潮社のPR誌『波』に出版当時の対談がありましたので、無断転載します。

==================================================

【対談】柴田元幸×早助よう子/村上柴田翻訳堂の楽しみ方



◆村上柴田翻訳堂とは

作家・村上春樹さんと柴田元幸さんが「この名作が手に入らないというのは間違っているぞ」「刊行からしばらくたっていても、現代作家と同じくらい新しい」という作品を選び、新訳・復刊してお届けする新潮文庫のサブレーベル。各巻巻末に収録されている店主の両氏による〈解説セッション〉も必読! 第一期として以下の作品を刊行した。

 ***

早助  〈村上柴田翻訳堂〉は、こっちは村上さんが選んだものかなとか、これは柴田さんが推したものかなとか考えるのが楽しかったです。

柴田  お互いに「これいいんじゃないですか?」と作品を挙げていって、「それはいい」と意見が一致するときもあったし、「そんなの全然知らない」というものでも一方がいいと言えば「じゃ、それいきましょう」と決めていきました。トマス・ハーディ、フィリップ・ロスあたりは二人の意見が一致しました。

早助  この間、アメリカ人の友人にこのシリーズのことを話したら、これは一体どういう基準で選んでいるんだって驚愕してました。確かにハーディとコリン・ウィルソンが並ぶって、わけわかんないだろうなあ。目をつぶって選択基準を当てるのは、そうとう難しそう。

柴田  池澤夏樹さんの〈個人編集 世界文学全集〉のラインナップだって、バランスよく重要作品を押さえた現代世界文学アンソロジーを予想する人からすれば違和感があるかもしれません。普通アンソロジーを編むときは、個人的な好みとかはなるべく排除するから。

早助  藤本和子さんが編集した〈北米黒人女性作家選〉や早川書房の〈ブラック・ユーモア選集〉なども、普通の全集とはちょっと別の雰囲気です。

柴田  二つとも素晴らしいアンソロジーですよね。でもまああれははっきりテーマがあるから。今の日本にはなぜか、池澤さんの全集や〈翻訳堂〉みたいに、個人的な思考や信念から選びましたというのが肯定される文脈があって、それはとてもうれしい。

早助  うん、そういうのっていいですよね。ところで〈翻訳堂〉は、七〇年代半ばから八〇年代初頭くらいに死んだ、学生のベッドサイドに積んであった十冊の本という感じが……。

柴田  それはすごく正しい(笑)。僕らが選んだ作品は、全集に入るには新し過ぎるし、マイナー過ぎるし、ジャンク過ぎるんじゃないかと思う。概してアンソロジーってAクラスが揃わなきゃいけないっていう前提があって、それに対抗してやったわけじゃないんですけど、結果的にそうなっているかもしれない。

◆PR誌は楽しい

早助  『宇宙ヴァンパイアー』はそれこそ、規格外のうさんくささですね(笑)。また、そこが最高です。こういう作家が流行った時代があるというのは勉強になりました。

柴田  この人の一番有名な本は『アウトサイダー』というアンチヒーロー論で、若者がその一冊を抱えてパリへ行く、みたいな本でしたね。ブローティガンとかジャック・ケルアックを抱えて西海岸へ行くみたいに。

早助  柴田さんは二十歳の頃イギリスに行かれたとき、そういう本はありましたか?

柴田  それが全然ないんです。その頃、本なんか読まなかったので。イギリスでヒッチハイクしていて、あまりに車が来ないものだから道ばたに座り込んでオーウェルの『1984』を読み切ったのが、生まれて初めてペーパーバックを読破した経験でした。

早助  わたしは読むものがなくなるのがキョーフで、切らさないように気をつけてます。デビューして小説を書くようになって、ちょっと軽減しましたけど。読むものがなければ書いてりゃいいと、あるとき発見したんですよ。

 そしてあの、「波」みたいなPR誌は日々の持ち歩きに重宝してます。私、“PR誌知識人”を自称してて(笑)。もう文庫すら重いと感じるときがあって、ピンチだなと思うんですが。……重い単行本を割ったこともあります。PR誌は軽くて、いろんな話が入ってて好きなんですよね。

柴田  いや、PR誌ってこの分量でどれも中身濃いですよね。

◆マッカートニー的なもの

早助  やっぱり、『結婚式のメンバー』を新訳で読むことができたのが嬉しかったな~。

柴田  マッカラーズはファンが多いですね。僕が大昔、英文科の学生だった頃は、女子学生に一番人気があったんじゃないかな。授業では取り上げられるか取り上げられないかの瀬戸際ぐらいなんだけど。

早助  マッカラーズってフラナリー・オコナーと比較して語られることが多い気がするんですが。

柴田  アカデミズムではオコナーの方が根源的だとされていると思います。それに対してマッカラーズは感傷的だと。マッカラーズの『心は孤独な狩人』(The Heart Is a Lonely Hunter)はセンテンスになっているタイトルですよね。で、そのまま作者のメッセージなんです。そこに皮肉はない。だけどオコナーの短篇「善人はなかなかいない」(“A Good Man Is Hard to Find”)もセンテンスのタイトルですが、これは皮肉なんですね。まあタイトルだけの問題じゃないんだけど、とにかくこういうほうが批評性があって高級とされる。

 でも村上さんが「それはジム・モリソンとポール・マッカートニーを比べるようなもの」だと言ってましたが言い得て妙ですね。このシリーズはポール・マッカートニー的なものを拾うシリーズなのかも。僕はソロになってからのポール・マッカートニーはそんなに好きじゃないけど(笑)。

早助  そっか、これ、ポール・マッカートニーなのか(笑)。

柴田  この中で一番、好きな作品は?

早助  うーん……昨日考えていたんですけど、これだけ多彩だと難しくて。はじめはマッカラーズが一番好きになるんだろうと思って読み始めたんですが、『チャイナ・メン』は大きな発見でしたし、ナサニエル・ウエストのひねくれ加減が心地いい夜もあり……。一気に読んだのはジェイムズ・ディッキーの『救い出される』。まさか途中からあんな話になるとは! 予想もつかない。『わが心の川』(注・『救い出される』の旧邦訳タイトル)じゃなくなった! そしてそういう作品をはしごしてお腹がいっぱいになると、『僕の名はアラム』の素朴さがしみじみ輝き出します。

 一番新しいなと思ったのは『チャイナ・メン』です。わ、こんなことができるんだ、と思いました。自分の作品で、真似してるっていわれないように気をつけなきゃ。もう、今にも影響を受けそうな気がします。

柴田  海外の小説を模倣しようと思ってもシチュエーションが全然違うし、結局そこまでは似ないと思うんですね。そういう意味で海外文学を読むことは作家にとっていいインスピレーションになるのかなと思います。小野正嗣君がまだ院生の頃「先生が訳した○○に刺激されて書きました」とかいって小説送ってくるんだけど、ちっとも似ていない(笑)。海外文学っていうのはちょうどいい距離があるんだと思います。

◆翻訳を見直す

柴田  最初は気がつかなかったんですが、結果的には、よい翻訳者による本が選ばれていますよね。だから、一つの基準はやっぱり翻訳ですね。

早助  翻訳者には、亡くなった方も、ご存命の方もいらっしゃいますね。

柴田  人生は短いなぁと思いました(笑)。僕が学生の頃にバリバリ現役だった方々がもう何人も亡くなってるんだなと思って。一方、ハーディの短篇集を翻訳なさった河野一郎先生の著書『翻訳上達法』は、僕がこれまでに唯一読んだ翻訳の指南書です。復刊するにあたって訳文に手を入れて下さいました。うれしかったですね。

早助  面白いでしょうね、何十年も経ってから自分の訳文を見返すのって。愛着があれば。

柴田  うん、もうちょっと長生きして自分もやってみたい……あ、もうしてるか(笑)。

◆うまければ、それでいい

柴田  ところで、アメリカに〈ライブラリー・オブ・アメリカ〉という叢書があります。これ専門のNPOがやっている、アメリカ文学のスタンダードを作ろうという全集です。最初はメルヴィルとかホーソーンあたりから始めて、最初のうち存命の作家で入ったのはフィリップ・ロスとユードラ・ウェルティだけだったけど、最近はけっこう生きている人も入れています。

 で、〈翻訳堂〉でこの叢書に入っているのはロス、ウエスト、マッカラーズ、それにラードナー。コリン・ウィルソンとハーディはイギリス人だから入っていなくて当然ですが、アメリカ人だけどサローヤン、ジョン・ニコルズあたりは入っていない。

早助  世界文学全集って、日本だと昔はそうそうたる教授陣が何時間も協議して作っていたと聞きますね。〈翻訳堂〉は……好きな本を独断と偏見で選んだ感じがしますねえ。

柴田  そう言ってもらえるとうれしい。文学全集とは違うけど、ハリウッド映画の、アンケートに基づいて作ったみたいな感じ、嫌なんですよね。独断と偏見が愛情のほうに働けば、そんなに恥じなくてもいいかなと思う。独断と偏見が否定のほうに働くのは嫌だけど。

早助  もし誰かに「こんな変なセレクトをして無責任じゃないか」って言われたら、何て答えます?

柴田  うーん……平等を期して何もやらないより、部分的にしかできなくても、とにかく何かに光を当てるのはいいことだと思うって答えますね。マッカラーズを入れるんだったらオコナーも入れなきゃダメだろうって言う人はいるでしょうけれど、そういうことを言いだしたら何もできないから。

 村上さんと僕が若い頃読んだものという時代性はやっぱりあるだろうと思います。その時代性の外に出て、普遍的に網羅的にやらなきゃいけないとなると、こういう無茶な選択はできない。現代的な新しい視点からきっちり全集を組めば池澤さんのような仕事になるし、光文社みたいに昔の全集のセレクションをそのまま翻訳だけアップデートするというのもひとつのやり方だと思います。そのどっちでもない、中途半端なのがこの〈翻訳堂〉。中途半端って僕、ひとつの方法だと思ってるんですよね(笑)。

 たとえば若い頃に食べて美味しかったものって、一貫性とか統一性とかべつになくたっていいじゃないですか。それと同じで、僕らは「あそこで食べたトンカツはうまかった」みたいなものを並べてみたんだと思います。






[あの頃のレコード] "Happy Xmas" Erick Clapton (2018)



「あの頃のレコード」とありますが、例外編。

エリック・クラプトンさんが2018年に出したクリスマス・ソングのアルバムです。

敬愛する作家の村上春樹さんも、自身のラジオ番組でクリスマス・ソングの特集をしたときに、「クリスマスにクリスマス・ソングをかけておかないと、他にかける時がないですからね。」とおっしゃてます。

https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/index_20181216.html


村上さんの選曲の中で、クラプトンのアルバムと被っている曲があり、"White Christmas
"(Sheryl Crow)です。これはこれで聴きごたえがあります。

「クリスマス」という統一されたフォーマットでいろいろなミュージシャンがアルバムを作る、というのも良い伝統かも知れません。

日本のミュージシャンだと少し衒いがあります。1曲だけならいいかも。

クラプトンさんのアルバムは定番のクリスマス・ソングを練達のブルースで仕上げたリラックスして聴けるアルバムに仕上がっています。

クリスマスまではこればっかり聴いてます。多分。


下記はCD版の並びです。当方のは45回転レコード2枚組でした。

1. ホワイト・クリスマス/ White Christmas
2. 飼い葉の桶で(ダビデの村に)/ Away In A Manger (Once In Royal David’s City)
3. フォー・ラヴ・オン・クリスマス・デイ/ For Love On Christmas Day
4. エヴリデイ・ウィル・ビー・ライク・ア・ホリデイ/ Everyday Will Be Like A Holiday
5. クリスマス・ティアーズ/ Christmas Tears
6. ホーム・フォー・ザ・ホリデイズ/ Home For The Holidays
7. ジングル・ベル(イン・メモリー・オブ・アヴィーチー)/ Jingle Bells (In Memory Of Avicii)
8. クリスマス・イン・ホームタウン/ Christmas In My Hometown
9. イッツ・クリスマス/  It’s Christmas
10. センチメンタル・モーメンツ/  Sentimental Moments
11. ロンサム・クリスマス/ Lonesome Christmas
12. きよしこの夜/ Silent Night
13. メリー・クリスマス・ベイビー/ Merry Christmas Baby
14. ハヴ・ユアセルフ・ア・メリー・リトル・クリスマス/ Have Yourself A Merry Little Christmas





amazonで注文したのですが、配送方法が「置き配」という新しいシステムで届きました。大きなツリーを飾っていたのでサンタさんからのプレゼントのようで癒されました。




2019年12月18日水曜日

[積読立読斜読] 『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短編29』より 小川洋子「『物理の館物語』」、川上未映子「愛の夢とか」




本日は短編二編を読みました。小川洋子さんの「『物理の館物語』」(2009年)は「自然と記憶」というカテゴリー、川上未映子さんの「愛の夢とか」(2011年)は「近代的生活、その他ナンセンス」というカテゴリーです。前者はわかりますが、後者はカテゴリーが意味不明なところがあります。

この手のアンソロジーとしては珍しく、比較的最近の作品で、日本の文壇的な評価はまだ確定していないようですが、結構楽しめました。


「『物理の館物語』」(2009年)
書籍編集者として32年間勤めた出版社を定年退職した男の回想から物語は始まります。少年少女の誰もが経験したことのある超俗的な体験を、空き家に住む奇怪な老女に託し、その老女のつぶやきを少年が聞き書きをしたのが『物理の館物語』という設定です。正統派の短編という感じです。



「愛の夢とか」(2011年)
川上未映子さんはその独特の文体に好き嫌いが分かれるかも知れません。隣家のピアノを弾く老女と、40代と思しき夢遊病の気がある主婦との、一時的な交流を描いた、ちょっとミステリアスな短編です。





小川洋子 プロフィール
1962(昭和37)年、岡山県生れ。早稲田大学第一文学部卒。1988年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。1991(平成3)年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞を受賞。『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、2013年『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『薬指の標本』『琥珀のまたたき」など多数の小説、エッセイがある。フランスなど海外での評価も高い。



川上未映子 プロフィール
1976(昭和51)年、大阪府生れ。2007(平成19)年、デビュー小説『わたくし率 イン 歯ー、または世界』が第137回芥川賞候補に。同年第1回坪内逍遥大賞奨励賞受賞、2008年『乳と卵』で第138回芥川賞受賞。『ヘヴン』(芸術選奨文部科学大臣新人賞、紫式部文学賞)、短編集『愛の夢とか』(谷崎潤一郎賞)、『あこがれ』(渡辺淳一賞)など著書多数。長編小説『夏物語』(毎日出版文化賞)は世界10数か国で翻訳出版の予定。

新潮社のサイトより

[積読立読斜読] 『教育格差 ―階層・地域・学歴』(松岡亮二著、ちくま新書、2019年)


400ページ近い重量級の新書。書店でパラパラめくってみると豊富なデータを積み重ね、早急な結論を出そうとしていない著者の姿勢に好感が持て、購入してみました。

新書ですが学術書のように少しづつ読まないと理解できなと思いましたので、何回かに分けて要約するノートを取りながら読んでいきます。

まず第一回は書評から。朝日新聞に掲載された、出口治明さんのもの。

==================================================
<内容紹介>
日本は「生まれ」で人生の選択肢・可能性が大きく制限される「緩やかな身分社会」。教育格差の実態を圧倒的なデータ量で検証。すべての人が自分の可能性を活かせる社会をつくるために…

<書評>
教育格差 階層・地域・学歴 [著]松岡亮二
 何事であれまっとうな議論を行おうとすれば「数字・ファクト・ロジックで」「エピソードではなくエビデンスで」語らなければならないことは世界の常識である。書店の店頭に並べられた新刊書を手に取るたび、そういったまともな本の余りの少なさにいつも悲しくなる。本書は、日本の教育の実態を俯瞰的に捉えた数少ない正攻法の力作である。読後感は重いが説得力は半端ではない。教育に興味のある人にぜひとも一読してもらいたい一冊だ。
 著者は前口上で、日本は生まれ育った家庭と地域によって、何者にでもなれる可能性が制限されている「緩やかな身分社会」だと指摘する。最初に、戦後いつの時代にも教育格差があったことを示し、次に教育格差が生成するメカニズムを幼児教育、小学校、中学校、高校と各教育段階ごとに解明していく。公立小学校は平等化装置として機能することが期待されているが(誰もが同じスタートラインに立つ)、「生まれ」によるそれまでの格差をゼロにするほどの力はなく、むしろ学年が上がるにつれ格差は拡大する傾向にある。中学校になると、都市部では高学力層が私立に抜けるため公立校の学力は小学校より均質化(平均が低下)する。日本の高校は特異で偏差値序列によって高校間に大きな学力格差が生じている。国際比較を行うと、日本は公平性が高いわけでも低いわけでもない、とても凡庸な教育格差社会だ。
 人には無限の可能性があるが、本人にはどうしようもない「生まれ」が人生の可能性を大きく制限している現実に対して、何ができるのだろうか。著者は「分析可能なデータを収集する」「教職課程で『教育格差』を必修に!」という二つの提言を行っている。現状把握なき改革のやりっ放しは止めなければならない。分析可能なデータを定期的に取得しなければ病変の広がりがわからない。地味だがとても建設的な提言だ。次は政府、社会が答える番だ。
    ◇
まつおか・りょうじ ハワイ州立大博士課程修了。早稲田大准教授(教育学、教育社会学)。論文多数。

https://book.asahi.com/article/12689927

==================================================

2019年12月17日火曜日

[その他] 久しぶりです 前島密さん



10月1日より郵便料金が値上げ。封書82円が84円。はがき62円が63円に。しばらくは1円切手の出番が多くなりそうで、さっそく1円切手を貼った封書(DM)が届きました。

当方の小学校3年~6年は当時の小学生の通過儀礼として切手の収集をしておりました。「文化人シリーズ」というのがあって「西周」さんの「周(あまね)」という字も覚えました。一般的教養を高めるという意義はあったかも知れません。

ですので、前島密さんの復習。ちゃんと時間通り荷物や郵便が届くのは前島密さんが創造した日本郵便システムに基礎があるようです。(郵便がちゃんと届かない先進国もあります(例:イタリアなど))。

前島密  1835‐1919(天保6‐大正8)
まえじまひそか 
日本の近代的郵便制度の創始者。幼名上野房五郎。越後高田藩士の家に生まれ,江戸に出て医学,英語,航海術などを学んだ。1866年(慶応2)幕臣前島家を継ぎ,69年(明治2)明治政府に出仕した。70年租税権正と駅逓権正を兼任し,郵便創業の建議を行った。この建議に基づいて郵便事業は彼がイギリス出張中の翌71年に創業された。帰国後,駅逓頭に就任し,郵便切手の発行,郵便ポストの設置,時間を設定した業務運行を実施したが,〈郵便〉という名称も前島の考案である。均一料金制の実施,郵便事業の独占,日米郵便交換条約の締結(以上1873),万国郵便連合への加入(1877),郵便貯金の創業(1875)も彼の指導による。81年に明治14年の政変で大隈重信らと下野したが,88年逓信次官に復帰し,91年電話事業を国営で創業した。東京専門学校(早稲田大学の前身)校長,関西鉄道社長にも就任した。国字改良論者としても知られ,早くも1866年に〈漢字御廃止之議〉を建議,1900年には国語調査委員長をつとめた。                    小林 正義
(C) 1998-2002 Hitachi Systems & Services, Ltd. All rights reserved.

2019年12月16日月曜日

[積読立読斜読] 『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短編29』(ジェイ・ルービン選、村上春樹序文、2019年新潮社)より 星新一「肩の上の秘書」



星新一さんの「肩の上の秘書」を読みました。編者のカテゴリーでは「近代的生活、その他ナンセンス」に宇野浩二、別役実、川上未映子、の作品とともに選ばれています。

「肩の上の秘書」の発表は1961年で、星新一さんによって確立されたSFショート・ショートの典型と言っていいかも知れません、時代・地域を超越した近未来小説として今日的視点で読んでも十分鑑賞に堪える作品となっています。

従来の海外向けの日本文学選集ではおそらく選にもれた作家かも知れません。

星新一さんの作品は中学校時代によく読みました。一番初めは文庫本の『きまぐれロボット』(角川文庫版、1972年)でした。先ごろ亡くなった和田誠さんの装幀で洒脱な感じが中学生には新鮮でした。



2019年12月15日日曜日

[積読立読斜読]『巨大なラジオ/泳ぐ人』(ジョン・チーヴァー著、村上春樹訳、新潮社、2018年)より「パーシー Percy」



村上春樹訳のチーヴァー短編集、最後の一編「パーシー」を読んで読了しました。

「パーシー」はチーヴァーの自伝的要素の強い作品で、叔母の名前「パーシー」を表題にしています。1968年9月21日号『ニューヨーカー』掲載。

作者自身と思われる語り手を通してみた一風変わった叔母「パーシー」を軸に、自分の一族の歴史を辿った自伝的要素の強い短編です。変わりようも大変な変わりようですので、本編を読まれてください。

チーヴァーが逆に破滅型の作家にならなかったのは、この叔母が反面教師だったのかも。

P296
回想録というものは、チーズボードや、ときおり花嫁に贈られる醜い陶器などと同じように、海に向かおうとする「マニフェスト・デスティニー」(村上注:自明の運命。アメリカの西に向かう領土拡大を正当化する論理)を有しているらしい。

P311
彼女は自宅の食堂で午前三時に亡くなった。グラス一杯のジンを取りに行ったのだ。そして一族は葬儀のために最後に集まった。
出来事がもうひとつあった。ぼくはローガン空港で飛行機に乗ろうとしていた。待合室を横切っていくと、床を掃いていた男がぼくを呼びとめた。「あんたを知っているよ」と彼はだみ声で行った。「あんたが誰だか知っている」「どなたでしたっけ?」「ぼくは従兄弟のボーフォートだよ」と彼は言った。「あんたの従兄弟のボーフォートだよ」
ぼくは財布に手を伸ばし、十ドル札を取り出した。「金がほしいんじゃない」と彼は言った。「ぼくはあんたの従兄弟なんだ。あんたの従兄弟のボーフォートだ。ぼくは仕事を持っている。金なんていらない」「元気かい、ボーフォート?」とぼくは尋ねた。「ラヴェルとパーシーは死んだ」と彼は言った。「みんなは彼らを土に埋めた」「時間がないんだ、ボーフォート」とぼくは言った。「飛行機に乗り遅れちまう。君に会えて良かった。さよなら」。かくのごとくぼくらは海へと向かうのだ。





[同窓会] 28期地歴部フィールドワーク 皆実高校周辺の建築物をめぐる


12月15日(日曜日)は皆実28期地歴部のフィールドワークでした。今回は「皆実高校周辺の建築物を巡る」と称し「建築」がテーマとなりました。現存する、もしくはすでに取り壊された、またはこれから取り壊し予定、と様々な事情があります。

(0)江波射撃場跡
(1)シュモーハウス
(2)昭和町平和住宅
(3)皆実平和住宅(シュモーの庭)
(4)比治山陸軍墓地
(5)旧ABCC
(6)旧ABCC職員寮


参加者はレギュラーメンバーの4名でした。

結構面白いので次回は多数の参加をお待ちしております。

[その他] 広島掃除に学ぶ会 亀山中学



12月15日(日曜日)は広島掃除に学ぶ会の活動で亀山中学のトイレ掃除に参加しました。この学校は今年で12年目のトレイ掃除となり、すっかり全校の定例行事として伝統となっております。班編成も14班もありました。

掃除に学ぶ会関係者30人、学校関係者200余人、合計で230余人の参加がありました。

2019年の学校でするトイレ掃除はこれで最後です。

[その他] 通期途上で 夕焼け



通勤途上で見事な夕焼け。この風景を素晴らしいと思う感情は、朝日新聞の原武史さんの記事で「パトリオティズム」だと知りました。

2019年12月14日(土曜日)付け朝日新聞。「歴史のダイヤグラム」(原武史さんの記事)より。

民俗学者の柳田國男は、1934(昭和9)年に発表した「旅人の為に」で、列車の窓から眺められる全国の絶景区間を列挙してから、こう述べている。「日本はつまり風景のいたって小味な国で、この間を走っていると知らず識(し)らずにも、この国土を愛したくなるのである。旅をある一地に到着するだけの事業にしてしまおうとするのは馬鹿げた損である」
「この国土を愛したくなる」感情というのはパトリオティズムであって、ナショナリズムではない。それは目に見える具体的な国土を愛する感情であって、目に見えない抽象的な国家を愛する感情とは区別されるものだ。