2018年3月18日日曜日

[Yuming's Farm 便り] ドーム型のジャングルジム組み立て


組み立て前はこんな感じ



ファームの全景 小屋の右側が畑です


完成したドーム型のジャングル・ジム

久しぶりにCostco広島倉庫店に出かけたらドームタイプのジャングルジムが16、980円(税込み)で実物展示してあり、なんとか1人で運べそうなので昨日購入、本日早速組み立ててみました。

孫の遊具として活用できればと考えました。

2人いれば組み立てがかなり楽なのでしょうが、1人で悪戦苦闘、4時間程度で組み立て完了です。

日本のアマゾンでも購入できるようです。

Lifetimeライフタイム製 ジオドーム
(ジャングルジム・室内・屋外・大型遊具・耐久180㎏)
¥ 37,800
レビュー 0
Amazon Japan

本国アメリカでは177.76ドルでした。

Lifetime Geometric Dome Climber Play Center
177.76$
1378 customer reviews stars 4.5
Amazon USA

本日の
ドル・円・レート
106円
18/03/18 17:44

18,843円(米国アマゾンの価格をそのまま円換算)となりますので、Costcoの価格は相当良心的と思えます。


Costco広島倉庫店
2018年3月17日(土)
税込み 16、980円

日本とアメリカの国力の差といってしまえばそれまでですが、日本のレビューが0、アメリカが1378(しかも高得点)というのは根本的に国の成り立ちが違うと考えるしかありませんね。まあ都市部の住宅ではこのジャングル・ジムを組み立てる場所がありません。

2018年3月17日土曜日

[その他] 広島市郷土資料館主催 宇品港史跡めぐり(フィールドワーク)



広島市の郷土資料館が特別展・宇品港を開催中(2月1日~3月25日)で、これは皆実28期吉広さんの中国新聞への投稿で知りました。ちょっと興味があったので特別展を過日展覧しました。その際フィールドワークがあると聞いて応募したところ当選したので本日参加してきました(倍率2倍とのこと)。

特別展・宇品港の内容です(広島市郷土資料館3・4月のお知らせより)

県令・千田貞暁によって築かれた宇品港(明治22年完成)は、近代都市広島の発展に寄与した一方、日清戦争後は軍の出兵基地となって軍都広島の一翼を担いました。本展示会では、築港から、昭和7年に広島港と改称した以降に進められた「商業港」「工業港」の建設までの歴史を紹介します。
フィールドワークは3月17日(土)13:00~15:00、定員は20名でした。
大正7年の宇品新開の干拓の様子が分かる地図上で、築港の痕跡が今日にも残る場所を選んでの紹介でした。

(1)宇品港築港以前の海岸線
(2)御幸通り
(3)宇品陸軍糧秣支廠(現在の郷土資料館)
(4)国鉄宇品線
(5)軍用桟橋
(6)当時の路面電車軌道(宇品線)
(7)御幸松

宇品新開は干拓なので高い堤防があり土地は海抜0.3~0.5m程度の非常に低い土地です。堤防の跡や、軍用桟橋の跡を前に学芸員による丁寧な説明で、宇品港の歴史が大変よく理解できました。

当方は長い間勘違いしていたことがあり「御幸通り」は天皇行幸の折の建設とばかり思ってましたが、干拓用の産業道路がもともとあり、天皇行幸後に「御幸」と改名されたそうです。

2022年の皆実有朋会(皆実高校全体の同窓会)が当番期となっておりますが、パンフレットにぜひ皆実高校を巡る地歴のフィールドワークを企画したく、今日はその情報集めでした。

追伸:絶対参加したかったので往復はがき30通応募しましたが、1人1口だそうで、特例は認められず、はがきは本日返却くださいました。







2018年3月12日月曜日

[新聞記事] 28期吉広さんの投稿 中国新聞に掲載



3月9日付中国新聞「広場」欄に掲載。

冬季オリンピックは日本人女性の活躍で盛り上がりました。

吉広さんの投稿を追っかけているわけではありませんが、実に勤勉に投稿されてます。

おそらくその裏には多数の没投稿もあるはずで、継続する力に感銘です。

2018年3月11日日曜日

[Yuming's Farm 便り] 馬鈴薯の植え付け



今冬は厳冬でなかなか行けませんでした。

本日は馬鈴薯の植え付け。

種イモを半分にカットしてカット面を日陰干し。カット面を上にして植えるそうです(弱い芽は地上に出てこない)。

収穫は結構早く7月頃だそうです。



2018年3月10日土曜日

[同窓会] 軽音楽部の練習風景


4月30日の皆実28期同期会「第6回にっぱち会」に合わせて立ち上げた軽音楽部の練習風景です。毎週土曜日に大脇の知人のKさん宅に集まって練習してます。

曲は大脇のギターとKさんのボーカルで"Blackbird"。

大脇のボーカルと、有川君、波多野君のギター、Kさんのコーラスで"Across the Universe"です。

Kさんは半プロのjazz歌手で厳しい指導を受け、なんとかモノになりつつあります。


2018年3月6日火曜日

[新聞記事] ギターの老舗 米ギブソンが苦境


2018年3月6日(火)付朝日新聞。

「影を落とすのは若者のロック音楽離れだ。米国の音楽市場で主流となった「スポティファイ」などのインターネット音楽配信サービスでは、再生上位曲の大半をヒップポップやR&Bと呼ばれるジャンルが占める。こうした曲でギターが前面に出るのはまれ。若者がギターに関心を持つ機会は確実に減っている。希少なギター材「ローズウッド」のい国際取引が17年、ワシントン条約で厳しく規制されるようになったのも、高級ギターを手掛けるギブソンには痛手だった」という内容で、経営危機だそうです。

つい先日、ハミング・バードを買ったばかりですが、複雑な心境です。

2018年2月27日火曜日

[同窓会] 第6回にっぱち会のしおり



還暦記念の同期会なのでA4コピー用紙での案内も味気ないと思い、ガリ版刷りふうのしおりを作ってみました。発注先が偶然皆実高校37期の方でご縁が広がりました。

狙いとしては写真とか寄せ書きとかでアナログの思い出を残そうという意図です。

案内は3月上旬発送予定。


[新聞記事] 28期寺本さんの投稿中国新聞に掲載

2018年2月26日付中国新聞「広場」欄に投稿が掲載されました。




「過労死ライン」の教員が増えていることを憂い、根本の解決は、教育予算と教員数を増やし、1人当たりの持ち時間授業数を減らすことだというご意見です。


2018年2月24日土曜日

[その他] 夏休みの工作 6cmユニット・スピーカー



投稿忘れてました。夏休みの工作でスピーカー作ったので。


小学校時代、付録付きの学習雑誌、学研の『科学』『学習』があり、家の方針で2冊同時には買ってもらえず、『科学』を選べば『学習』の付録がうらやましく、「付録」に対して複雑な感情が残ってしましました。

長じて雑誌の「付録」には大変弱く、必要がないのに買ってしまう傾向であります。

最近はまったく流行りませんがオーディオの雑誌『ステレオ』が夏休み前7月号にスピーカー・ユニットの付録をつける企画を2010年から初めており、結構つきあってきました。

2017年は諸物価高騰のため雑誌付録の体裁がとれず、2タイプのムック形式の発売となりました。

(1)パイオニア製の6cm径ユニット
「特選スピーカーユニット パイオニア編」(3,780円(税込))

(2)フォステクス製8cm径ユニット
「特選スピーカーユニット フォステクス編」(4,968円(税込))
(2017年7月19日発売)


このうちパイオニアのユニットの製作例が、炭山アキラ先生の鳥型バックロードホーンだったので挑戦してみました。今回は例年無塗装でしたがちゃんと塗装しました。

15mm厚の合板で作りましたが、パーツ数が方チャンネル35枚にもなり、結構しんどかったです。6cmユニットとしては低音がとてもよく出ており満足してます。

自分は自作しましたが、カット販売もされていて、セットで5万円もします。



[積読立読斜読] 『ぼくの伯父さん』(伊丹十三著、つるとはな刊、2017年)


『ぼくの伯父さん』(伊丹十三著、つるとはな刊、2017年)

没後20年、伊丹十三記念館の全面的協力を得て、元新潮社『考える人』編集長・松家仁之さんが編集した、単行本未収録の随筆集。よほどの文豪でもない限り断簡零墨まで集めた書籍が編集されるのは稀有なことと思われますが、松家さんはじめ、若かりし頃伊丹十三のエッセイで薫陶を受けた知識人は数多く、広く江湖に知らしめたい情熱が生んだ書籍と言えます。

本書の内容については出版もとのつるとはな社の内容紹介が卓越しており、全文引用します。

内容ご紹介
1960~70年代最高のエッセイスト、
伊丹十三の単行本未収録エッセイ集。
食卓の作法、料理の秘訣、服選びに着こなし、
日常に見るヨーロッパ文化、
子育てから性教育、スポーツに社会問題、組織論……あらゆるテーマを
見逃さず、調べて観察し、自分の頭で考えたすえに、
わかりやすく、やわらかく、おもしろく書いた
稀代のエッセイスト、伊丹十三。
没後20年を機に、単行本未収録の優れたエッセイを、
伊丹十三記念館(松山市)の全面協力を得て、
一冊にまとめた本書は、四半世紀ぶりの伊丹十三の新刊です。
どうしてこれが本に収録されなかったのか。
へえ、こんなこと書いてたんだ。
これはちょっとびっくりだな。

時の流れを感じて懐かしいものもあれば、
時を経てもなお、その慧眼に驚かされるものもある。
父・伊丹万作が逝去したのち、13歳のときに、
『映画藝術』誌の依頼で書いた「父の思い出」や、
伊丹十三記念館の収蔵庫で発見された
生涯をふりかえるような未発表の生原稿、
4篇も収録。
雑誌連載時の伊丹十三によるイラストレーションを多数掲載。
イラストレーター・和田誠氏との笑える共作「人生劇場 血笑篇」や、
直筆の原稿用紙、愛用の文房具などもカラーページで紹介。
この一冊で、エッセイスト・伊丹十三に出会った方は、
新潮文庫、中公文庫の伊丹十三の本も、
ぜひチェックしてみてください。
http://www.tsuru-hana.co.jp/mononcle/
 伊丹十三の多方面にわたる活動は、伊丹十三記念館として、いわば「アーカーブ」化されています。

一体、伊丹十三のどこがそんなに魅力なのか。松家仁之さんの推薦により、伊丹十三記念館を手掛け、同じく伊丹十三の門下生である建築家の中村好文さんの『集(つど)いの建築、円(まど)いの空間』(TOTO出版、2017年)から。

ぼくが伊丹十三から受けた影響は計り知れません。ぼくは、まず「旅」と「料理」という、人生におけるふたつの大きな財産を授かると同時に、たとえば、マガイモノとマニアワセとツキナミを排除する精神を学び、観察力と想像力の大切さを学びました。そしれ、なによりも、ユーモアとウィット、そして「遊び心」を学んだのです。

心酔している感じがよく出てますね。記念館のこだわりようも半端なものではありませんでした。

門下生はそれでよいとして、一般読者にとって、伊丹十三の今日的意味はあるのか。十分あります。商業的には成功しませんでしたが伊丹十三が編集長を務めた雑誌『モノンクル』の創刊の辞が、混迷する現代日本の指標として古びることがありません。(たいへん長い引用になりました)。

本書の題名はこの雑誌からとれらたものと思われます。フランス語では父方・母方の区別がないので伊丹十三は観念的な意味も含んで「おじさん」という表記をとっています。

これも全文を引用します。伊丹十三の門下生は、それぞれの分野で立派に「ぼくのおじさん」の役割をはたしていますね。

ぼくのおじさん
 今度新しい雑誌の編集長をやることになった。雑誌の題名は「モノンクル」とつけた。モノンクルとはフランス語で「ぼくのおじさん」の謂(い)いである―
 (なんて、文章の初めにナレーションなんかいれちゃったりして)エート、それでね、僕の考えではおじさんというのはなんだか嬉しい存在だと思うんですね。その人がいてくれるというだけで、なんとなくホッとするようなね、なんか気が楽になるような存在、それが僕におけるおじさんのイメージなんですね。
 少年である僕がいるとしますね。少年は当然親の押しつけてくる価値観や物の考え方に閉じ込められている。これはもう生まれたときからずっと閉じこめられているわけですから、当人にとってはいわば自明のことであって、従ってあんまり当たり前すぎて閉じこめられているということにも気づかずにいるわけですが、でもなんがか毎日うっとうしい。
 そんなところに、ある日ふらっとやってきて、親の価値観とに風穴をあけてくれる存在、それがおじさんなんですね。「男なら泣くな」なんて親ならいうところを「人間誰だって悲しい時には泣くんだ。悲しけりゃ泣いてもいいんだよ」みたいな、親のディスクールと違ったディスクールでくる人、それがおじさんなのね。あるいはカーブの投げ方を教えてくれたり、コーヒーなんか飲ましてくれたりもするかもしれないよね。おじさんは遊び人で、やや無責任な感じだけど、本を沢山読んでいて、若い僕の心をわかろうとしてくれ、僕と親が喧嘩したら必ず僕の側に立ってくれるだろうような(注:ママ)、そういう存在ですめ。おじさんと話したあとは、なんだか世界が違ったふうに見えるようになっちゃったト、そういる存在が、まあ、僕におけるおじさんというイメージなんですね。(右(注:書籍は縦書きなので「右」となってます)の文章は「親」とあるところを「文化」という言葉で代入してもちゃんと辻褄があうように実に巧みに構成されておりますなア)
 
 でね、そういうおじさんの役割を果たすような雑誌を作ろう、と僕は思いたったのであった。人間というものは自分の矛盾に自分の内側から気づくことはなかなかむつかしい。社会も家族も、また、自己も、それはそれで矛盾だらけのうちに、R・D・レインの言い方を借りるなら「合理的」なんでうsね。誰かが出っぱれば、その分誰かが凹んで、全体としてはアメーバの如く閉じて調和している。暴力を振るう少年がいれば、それに耐える母親がおり、無関係を装って傍観している父親がいて、それはそれなりに閉じているわけでしょう。この閉じた系を外に向かって開いてゆかない限り、この病気はなおりませんね。そもそも自分というものが見えてこない。それはちょうど日本がヨーロッパの眼をもった時、初めて日本が見えてきたのと同じだと思うのよね。
 
 ですから親と違ったディスクールでくるおじさんという存在、自分がとらわれている文化という檻を外側から見る眼を与えてくれるところ、このおじさんという存在は、柄谷行人氏の用語でいうなら「交通」ということになりますか。
 今、雑誌がおちいっているディスクールは大別して三個あるのですよね。第一が好き嫌いのディスクール。若者雑誌は大体においてこれなんです。好き嫌いというのは訴える力は大きいですけど、そもそも好き嫌いというのは投影であって本質的に無意識なものですよね。
と、いうことは、自分というものを少しでも無意識化してゆく方向を人生の方向とおけば「好き嫌い雑誌」をパラパラめくっている間っていうのは、いっちゃあ悪いが、その人は人生から降りてるみたいなものなのだ、と僕は静かにほほえみながらいうわけよね。好き嫌いだけで物事を判断するのは幼児である、この判断を受けてとめてくれるのは母親しかいないわけですから「好き嫌い雑誌」の読者は、あらゆる他社を母親として期待する幼児である、と、こないなことになるかけやね。
 次に―ア、もう紙数がないなア、結論だけいっとこうかね、あと二つのディスクールというのは善悪のディスクールと、正しい正しくないのディスクールですね。善悪のディスクールというのは「いい祭りだった」とか「許せないワヨ」とかいうやつね。で、正しい正しくないというのは科学のディスクールといってもいいかと思いますが、つまり真理は一つであるト、従ってそれに至る道も一つであるト、従ってこれは一直線の世界ですから必然的に競争の世界ということになりますね。
  おじさんのディスクールは右のどれでもないのです。おじさんの世界は直線でなく網目なのですよ。真理は一つではない。ある文化にとって真であることは、ある文化にとって真ではなく、また、ある文化にとってはどうでもよいことであって、おじさんはそれを見通す地点に身を置きたいのよね。直線をどこまでよじ登るかよりも、網目の一つ一つである人間たちが、岸本加世子博士もいう如く「ソレナリに」生き生きと輝き、網目であるところの「関係」をこそ大切にしてゆく―そのようなディスクールの発見を夢見つつ、僕は今日も、大体ノーパン喫茶の女の人たちと同じくらいの給料で働いているのです。(ア、最後のところ競争社会的ディスクールにおちいったみたい、ゴミンゴミン)

『文藝春秋』(1981年7月号)

 

2018年2月20日火曜日

[同窓会] ホームページをリニューアルしました


還暦記念ということでホームページをリニューアルしました。

従来は無料のGoogle Sitesを使っていましたが、あまりにも素人っぽいので、

今回はプロに依頼しました。

まだ構成の見直しが残ってますが、従来のコンテンツの移植が完了しましたので、お知らせします。

サイトは28期のみの限定公開となっており、閲覧にはパスワードを要求されます。





2018年2月19日月曜日

[あの頃のレコード] はっぴいえんど『風街ろまん』(1971)








『風街ろまん』(はっぴいえんど、1971年)が昨年復刻盤としてアナログ・レコードで再発売されたので入手しました。

発売当時のURCレコードの体裁をそのまま復刻したようで、「(注意)レコードお買い上げ後はただちにこの”タスキ”を破って捨ててください。」とタスキに注意書きが書かれていて、独立レーベルらしい矜持であります。日本ではレコードのプレス機械がなかったようで、イギリスでのプレスになってます。

『風街ろまん』ははっぴいえんどのセカンドアルバム。路面電車が縦横に走っていた高度成長前の東京を「風街」という架空の街にたとえ、その四季を少年の眼を通して唄ったコンセプト・アルバムで、作詞は全編・松本隆さんです。

当方は1971年当時は中学校1年生で、吉田拓郎や岡林信康を聴いていました。はっぴいえんどは岡林のバックバンドという認識でしかなく、アルバムは買ってません。聴いてもわからなかったかも知れません。

大瀧詠一、細野晴臣、鈴木茂、という作曲もしてボーカルもこなす3人を擁し、ドラムの松本隆が詩で支える、日本のポップス史上空前絶後の実力バンドですが、時代から早すぎたのか、セールスは芳しくありませんでした。

敬愛する内田樹先生のブログに、フランスの新聞にはっぴいえんどの写真入りの記事が掲載されたというエントリーがあり、この記事がそのままこのアルバムの紹介になるので抜粋します。

2017年の11月22日付けのフランス紙"Liberation" に日本の70年代ポップスについてのOlivier Lammという署名入りの長文の記事が掲載され、その中のはっぴいえんどの部分です。
署名記事はYou Tubeで日本のポップスを発見したアメリカの音楽プロデューサーによるコンピレーション・アルバム「木も涙を流す 日本のフォークとロック:1969―1973」(Even a tree can shed tears: Japanese Folk and Rock: 1969-1973)に触発されたフランスの日本ポップス好きの論者らしいです。

はっぴいえんどは四人の日本ポップスの巨人たちによって始められた。ソングライターの大瀧詠一、ドラマーの松本隆、ギタリストの鈴木茂、飽くことを知らないイノベーターである細野晴臣(細野はその10年後にテクノ・ポップのトリオ、イエロー・マジック・オーケストラを結成することになる)。
はっぴえんどは疑いの余地なく日本のロックを成熟期に導いたグループであった。とはいえ、彼らが実際に活動していた時期(1969―1972)には人気のあるグループではなかった。その点でも、アウトサイダーでありながら、次世代に続く多くの扉を開いたヴェルヴェット・アンダーグラウンドに比較することが可能だろう。David Marxはこう書いている。「はっぴいえんどのメンバーたちはさまざまなバンド、例えばバッファロー・スプリングフィールドの影響下に、欧米の音楽構造とメロディと日本的な感受性との独特のハイブリッドを創り出した。それは60年代のグループが欧米のポップスの様式を機械的に理解し、ほとんどの場合欧米の楽器を使って日本の歌を歌うことに行き着いたのとは対照的であった。」
はっぴいえんどは曲を作り、ライブ活動をし、プロデュースをするかたわら、さまざまなミュージシャンの熟練したバックバンドを務めた。岡林信康、荒井由実(日本のフランソワーズ・アルディ)、伝説の金延幸子(日本のジョニ・ミッチェル、残念ながら最初のアルバムを出した後にアメリカのジャーナリスト、Paul Williams と結婚して音楽の世界を去った)。その要求の高さによって、またその野心によって、とりわけ細野と大瀧によってそれと知られぬうちに行われた忍耐強い作業によって(この二人はやがて実に多様な領域で最も高く評価される作曲家となった)、はっぴいえんどは後に「ニュー・ミュージック」(Jポップの先祖。世界第二位のレコード市場の出現を決定づけた)と呼ばれることになるものの先陣を切ることになったのである。
1970年代始めの日本では、アルバム一枚の価格は労働者の平均給与の一ヶ月分に相当した。ましてや外国のアーティストのレコードを探し出すことは絶望的に困難であった。「よほど有名なアーティストでなければ公式のライセンスを得てレコードを出すことができなかった」とDavid Marxは書いている。「海外の楽曲にアクセスしようと思ったら、外国に行くしかなかった。はっぴいえんどはレコードを買い漁るつもりでロサンゼルスに赴いたのだと思う。

「アルバム1枚が労働者の給与の1か月分」という誤った記述があるものの、大筋においては的確であり、いまさらながらはっぴいえんどの底力が世界に認められたということでしょうか。

というわけでここ数日、細野晴臣さんの『風をあつめて』のフレーズが頭の中を渦巻いているんです。

2018年2月18日日曜日

[同窓会] 軽音楽部は毎週土曜日に練習してます。。。



4月30日の第6回にっぱち会で生演奏予定の軽音楽部は、毎週土曜日に練習してます。

本日は練習日でした。

最初の2回は中区千田町のスタジオを借りましたが、女性ボーカルのKさん宅を練習場にお借りすることになり、直近の2回はKさん宅で練習してます。

曲は女性ボーカル+私のギターで"Blackbird"。男3人で"Across the Universe"を演奏します。いずれもビートルズですが私のもち曲がこれしかないので、この選曲になりました。

写真は腕の貧弱さをカバーすべく、なんとなく集まったギターです。
上がギブソン、下がマーチンです。