2016年5月15日日曜日

[惹句どんどん] 原田知世(女優・歌手)



音楽って、
人生という本に挟んだいおりみたいなもので、
その曲を聞くと
当時のいろんな人や場所が浮かんでくる。


5月19日号『週刊文春』記事「原色美女図鑑」に原田知世さんが登場。原田さんは1967年生まれ。長崎県出身。

少女時代の思い出をコンセプトにしたカヴァー・アルバム『恋愛小説2~若葉のころ』を5月にリーリースされました。山口百恵の選曲が『夢前案内人』というのが渋いですね。

原田知世「恋愛小説2~若葉のころ」収録内容(カッコ内はオリジナルアーティスト)

01. September(竹内まりや)
02. やさしさに包まれたなら(荒井由実)
03. 秘密の花園(松田聖子)
04. 木綿のハンカチーフ(太田裕美)
05. キャンディ(原田真二)
06. 年下の男の子(キャンディーズ)
07. 異邦人(久保田早紀)
08. 夏に恋する女たち(大貫妙子)
09. 夢先案内人(山口百恵)
10. SWEET MEMORIES(松田聖子)

2016年5月12日木曜日

[新聞記事] 皆実28期の寺本さんの投稿が中国新聞に掲載



毎年連休中に大山登山に行かれるそうです。今年は暴風雨に見舞われ自然の驚異と生命の大切さを改めて学んだという投稿です。

たしか寺本さんは高校時代山岳部に所属されてました。高校時代からの趣味を継続されているのには感服します。

5月11日付中国新聞。

2016年5月11日水曜日

[その他] 10日と25日はお菓子の日 さくらや



5月10日(火曜日)は東広島で仕事だったので、西条駅前にある創業天正元年という老舗「さくらや」でかしわ餅、ちまき、を購入しました。

かしわもち 648円(内税)
ちまき 1200円(内税)


でした。

ちまきは孫のT君用です。


2016年5月8日日曜日

<日々是不穏 like a rolling stone> 呉市が戦艦大和への潜水調査



5月8日付け朝日新聞記事。

呉市が行政機関としては初めて沈没した戦艦大和の潜水調査を実施するという記事。

大和を建造した工業力が戦後平和利用され、高度成長の下地となったという文脈では理解できますが、わざわざ公費を使って調査する必要があるのでしょうか。

呉市議会はこの予算をよく通したなという印象です。約8千万円(国からの交付金6400万円)だそうです。

第二次世界大戦の特定の兵器、大和のゼロ戦への日本人のメンタリティーは理解できないもがあります。

スピットファイヤーやメッサ―シュミットの開発がアニメになるとかいう話は聞いたことがないので、日本だけの現象でしょう。



[その他] 広島掃除に学ぶ会 東広島市立・志和中学校




5月8日(日)は広島掃除に学ぶ会の活動で、東広島市の志和中学のトイレ掃除に参加しました。この学校は28期の倉田君が教頭をやってます。本日の会も精力的に動かれてました。

掃除に学ぶ会関係者50人、学校関係者70人、合計120人が参加されました。

写真は開会式の様子と、トイレ掃除をする生徒さんたちです。

志和中学は生徒、教員、保護者、地域の大人と、学校を取り巻くすべての人が参加されていて、有意義な活動だと思いました。

もともとトイレは綺麗でしたが、ますます綺麗になりました。


2016年5月5日木曜日

[惹句どんどん] カトリック教会のカノン法


合法的ではないけれども妥当


69回目の憲法記念日を迎え、朝日新聞記事より。

 ――それが民主主義でしょう。

 「いや、私はそうは思わない。手続き的に正統でも、事実的に正統とは言えないことはあります。人権の問題はその典型で、多数決では決められません」

 「カトリック教会には『カノン法』という近代法の淵源(えんげん)になった長い法伝統があって、知恵のある言葉がいっぱい詰まっています。そのひとつが『イリキタ セッド ヴァリダ』。ラテン語で『合法的ではないけれども妥当』といった意味です。いまの憲法には内容的な正統性がある。手続き的な正統性でそれをひっくり返しても、権威は備わりません。手続き上はたとえ合法だとしても、です」



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(憲法を考える)1947年の祈り 国際基督教大学学務副学長・森本あんりさん
(朝日新聞デジタル、2016年5月5日05時00分)

写真・図版
「普遍的な原理より『我が国固有の伝統』に配慮しようとする今の改憲。それで信頼が得られるか」=仙波理撮影

 69回目の憲法記念日を迎えた今年。政治家は、いつに増して大きな声で改憲を語る。戦争に敗れた1947年の日本人が、新憲法に託した未来は2016年の今、ここにないのか。憲法、アメリカ、そして改憲。神学者、キリスト者は今、何を語るのか。森本あんり国際基督教大学学務副学長に聞いた。

 ――先生の専門は神ログイン前の続き学ですね。キリスト者、神学者として憲法を巡る現状をどう考えていますか。

 「憲法が制定された当時、1947年の日本では、キリスト教徒も仏教徒も無神論者も、みんなが祈っていました。何百万もの人が死んだのです。屍(しかばね)を前にして、できたのは、祈ることくらいだったろうと思います。広島、長崎に行って慰霊碑の前に立てば、信仰や宗派にかかわらず、だれもが頭(こうべ)を垂れる。それと同じ気持ちが、この憲法に込められていると思います」

 「元最高裁判事の那須弘平氏は、日本国憲法を『祈りの書』と呼びました。『懺悔(ざんげ)と謝罪の書』とも言っています。憲法を読むと、『決意し』『念願し』『信ずる』『誓う』と、ふつうの法律文書にはない言葉が出てきます。『永久』『恒久』という言葉もありますが、それは明らかにこの世の政府や法律が保障できる範囲を越えています。言葉づかいからして『祈りの書』なのです」

     *

 ――その憲法も来年の5月3日で施行70年になります。戦争の記憶も薄れる一方です。

 「日本で、憲法は非常に大事にされてきました。いろいろと文句をつけられ、『改定したい』という人もいる。でも、改憲がどんなに大きなステップかをみんな分かっている。つまり、約70年の戦後を憲法とともに過ごしてきて、身についているのです。私はそれが一番貴重だと思います」

 ――しかし、改憲派は、憲法が敗戦後、占領下で制定されたことを問題視しています。

 「憲法が尊重されるには、制定者の権威が必要です。憲法制定当時の権威とは何か。率直に言うと、米国中心の連合国軍総司令部(GHQ)です。でも、日本人はその権威を受け入れました。それは、米国が自国の利益だけでなく、より普遍主義的な理念、つまり全世界の正義、自由、民主主義を掲げていたからです。だから権威があったのです」

 「憲法と米国の理想と言えば、『人民の人民による人民のための政治』というリンカーン米大統領の『ゲティズバーグ演説』が思い浮かびます。あの演説、どこでなされたかご存じですか」

 ――どこでしょう。

 「南北戦争の戦没者が眠る墓地の前です。米国の戦争で、60万人という最大の死者を出したのが南北戦争です。その戦場だったゲティズバーグを国有墓地にする献納式で、リンカーンは戦没者に新しい民主主義を誓ったのです。実は、この演説の要素は日本の憲法にも入っています。前文の『その権威は国民に由来し』は『人民の』、『その権力は国民の代表者がこれを行使し』は『人民による』、『その福利は国民がこれを享受する』は『人民のための』です。戦争の惨禍を経験し、戦没者に対して新しい民主主義を誓う、という点は日本国憲法とゲティズバーグ演説に共通しています」

 ――米国でも議会などで「unconstitutional」(違憲)という言葉が飛び交う、と聞きます。「違憲」が重い意味を持つ国なのですね。

 「米国の憲法は国内でも尊重されていますが、日本を含む多くの国に影響を与えました。でも大切なのは、米国で憲法ができる以前です。独立までの150年間、いわゆる植民地時代の人々は、自分たちで基本法をつくり、それに合わせて自治社会を建設していました。だから最初の13州は、独立と同時にそれぞれが州の憲法を制定したのです。英語で憲法を意味する『constitution』には『構成』とか『組み立て』といった意味もある。それで自分たちの社会を組み立てていくという経験をずっと積み重ねてきた。そういう『身体感覚』があったから憲法が尊重されているのです」

 「ただ、そんな国はあまり多くありません。憲法はイラクやアフガニスタンにもあります。でも、多くの国では洟(はな)もひっかけられません。フランスの憲法は、最初の100年間に十数回も書き換えられました。憲法ができる直前まで、『朕(ちん)は法なり』で王様が法律だった国ですから、革命と同時に憲法をつくっても身体感覚が伴わなかったんだと思います」

     *

 ――日本で、憲法を変えようという声が、いまこの時代に大きくなったのはなぜでしょう。

 「終戦直後に人々の目前にあった屍のリアリティーがなくなったからじゃないでしょうか。改憲を唱える安倍晋三首相は戦後生まれです。何百万人という犠牲を前にして世界に誓ったリアリティーを感じられなくなった世代が、政治の中枢にいるという状況です」

 「実は、日本に限らず、保守のど真ん中を担っていく王道が、憎たらしいけれどデンとしっかり構えている、という時代ではなくなった、と感じています。米国も今の大統領選をご覧の通りです。民主党では型破りな社会主義者サンダース氏(上院議員)が人気を集め、共和党もトランプ氏のようなとんでもない人が指名獲得を確実にしている。党の主流を担う人がいない。私の言葉で言うと『正統』(オーソドクシー)が陰っているんです」

 「本来なら、まず正統があって、その正統に対するアンチテーゼとして『異端』があるものです。なのに、正統がみな腰砕けだから、あちこち異端だらけになってしまった。群雄割拠で『異端』とすら言えないほどでしょう。そういう状態が、日本でも米国でも起こっています」

 ――何が「正統」か、だれが決めるんですか。

 「だれも決めません。『正統』は、本来的にはみんなが当然の前提としているもので、ふだんは意識されません。だけどあるとき、自分たちが信じてきたものは何か、依拠してきたものは何かと考える時代が来る。で、いったんそうなると、『正統』はかつてのような信頼感を失ってしまう。『それでもやっぱり俺は正統なんだ』って言い募る者が出てきて、当然の前提であるはずの『正統』を、議論で証明せざるを得なくなる。それがいまの憲法を巡る議論の根本にあると思います」

 「憲法を巡っては、これまでも9条の問題などいろいろありましたが、憲法が大切だという認識そのものはだれも疑ってこなかった。いまも権威はありますが、改憲の動きが強まり、『これがやっぱり正統なんだ』と、一生懸命に言わなきゃいけなくなっています」

     *

 ――東アジア情勢が不安定で、テロの脅威もある。世界経済の先行きも読めない。もはや70年前の理想主義では立ちゆかない、という意見もあります。

 「米国の独立宣言にも『ALL MEN ARE CREATED EQUAL』(すべての人は平等につくられた)とありますが、独立宣言を起草したトマス・ジェファーソンは奴隷所有者で、奴隷の女性に子どもまで産ませています。言っていることとやっていることが全然違うんです。でも、彼が残した『平等』という言葉があったから、100年後の奴隷制度廃止が実現し、女性の権利も認められてきた。そして公民権運動も進んだのです」

 ――理想は分かりますが、現実に対応するのが政治です。

 「理想は、絵に描いた餅じゃありません。すぐには実現しませんし、現実と違うって非難もされる。だけど、やがてそれが歴史を動かす力にもなる。だから、いま現実がこうだから、どこかへすっ飛ばしてしまえばいいじゃないか、というふうには私には思えない。理想を掲げておく理由は、あると思います」

 ――でも改憲に意欲的な安倍政権は一定の支持をされています。

 「選挙の際の公約はパッケージとして示されるので、個別にどの政策が支持されているかは分かりません。近現代の政治は手続き的な正統性にすごく偏っています。選挙で数さえ集まれば、何でもやれる。デュープロセス(法による適正手続き)を踏んで票数だけ集めれば、手続き的には正統だ、という主張です」

 ――それが民主主義でしょう。

 「いや、私はそうは思わない。手続き的に正統でも、事実的に正統とは言えないことはあります。人権の問題はその典型で、多数決では決められません」

 「カトリック教会には『カノン法』という近代法の淵源(えんげん)になった長い法伝統があって、知恵のある言葉がいっぱい詰まっています。そのひとつが『イリキタ セッド ヴァリダ』。ラテン語で『合法的ではないけれども妥当』といった意味です。いまの憲法には内容的な正統性がある。手続き的な正統性でそれをひっくり返しても、権威は備わりません。手続き上はたとえ合法だとしても、です」

 (聞き手・望月洋嗣)

     *

 もりもとあんり 1956年生まれ。専門は組織神学。米プリンストン神学大学で客員教授を務めた。著書に「反知性主義 アメリカが生んだ『熱病』の正体」。

2016年5月1日日曜日

[新聞記事] "It's Time to Rethink the Bucket-List Retirement"



5月1日付け朝日新聞別冊Globe連載記事「見出しを読み解く」は「退職後のやりたいことリストは見直すべき」という興味深いテーマ。

"bucket-list"は映画にもなった「死ぬまでにやりたいことリスト」のこと。記事によると人は年齢を重ねるにつれ自然と幸せになれるのことが多いので、無理に自分自身を幸福にするために旅行をする必要はないとのことです。


[惹句どんどん] フランク・ノリス(アメリカの作家)




『偉大なるアメリカ小説』は
ドード鳥のように絶滅したわけではないが、
グリフィンの頭と馬の体に翼をもつ
怪獣ヒッポグリフのように神話的な存在である。


フランク・ノリス『作家の責任』



『素晴らしいアメリカ野球』(フィリップ・ロス、新潮文庫、2016)より

2016年4月29日金曜日

[積読立読斜読] 『僕の名はアラム』(サローヤン、柴田元幸訳、新潮文庫、2016年)



『僕の名はアラム』(ウィリアム・サローヤン著、柴田元幸訳、新潮文庫、2016年)

原題は"My Name Is Aram"(1940)、新潮文庫の村上柴田翻訳堂の一冊。ながらく『わが名はアラム』といいう題名でアメリカ翻訳文学の定番だったようですが、近年文庫等でも品切れ状態のようです。

作者のサローヤンもアルメニア系移民で、カリフォルア州フレズノで過ごした少年時代(1915年から25年にかけて、7歳から17歳まで)を絶妙のユーモアで牧歌的に描いた名作です。

主人公は作者の分身のようなアラム・ガログニアンを取りまく友人や、オジサンたちとの連作短編で14編から成っています。

作者の少年時代は父親を早く亡くして、必ずしも幸福とはいいがたかったようですが、この小説では移民の貧しい少年という現実は前面に出さず、どの少年も持っている根源的な人生への楽しみを描いて、読後感が非常に爽快でした。

P15
僕が九歳で世界が掃除しうるあらゆるたぐいの壮麗さに満ちていて、人生がいまだ楽しい神秘な夢だった古きよき時代のある日、

という書き出しで連作短編の「美しい白い馬の夏」が始まります。

柴田元幸の訳は平仮名を多用し、7歳から17歳の少年の語り口を使い分けた名人芸ですね。

アルメニア人の歴史は相当悲惨なものですが、もし日本人が同じ境遇となり、他国で移民の子供として育ったときに、このユーモアで小説が書けるでしょうか。楽天的なのは作者の素質なのでしょうか、うらやましいですね。

村上柴田翻訳堂の第1回配本は新訳の『結婚式のメンバー』(村上訳)と、本書ですが。対比が面白いです。アメリカ南部と西海岸、少女と少年、寡と寡婦、抒情と諧謔。おそらくは意図的だと思います。ひょっとしてこのシリーズでアメリカ現代史が俯瞰できるような構成かも知れません。続巻が楽しみですね。

下記は『世界大百科事典』よりアルメニア人とサローヤンの記述です。


アルメニア人
アルメニアじん Armenian

イラン,トルコ,カフカスが接するアルメニア地方の住民。自称はハイ Hay。形質はコーカソイド人種のアルメノイド型で,インド・ヨーロッパ語族のアルメニア語を話す。アルメニア共和国を中心に,旧ソ連邦内各共和国,中東,アメリカ大陸等に分散している。人口は旧ソ連邦内に462万(1989),旧ソ連邦外に180万(1967)である。10~11世紀にビザンティン帝国の東進とセルジューク朝の侵入のために,政治的独立を失った多くのアルメニア人が母国を捨てた。移住者の主要な波はキリキア(小アルメニア)に向かい,ここにアルメニア人国家を建てた(1080)。十字軍の建設した諸国と共存関係を持ち,レバント交易で栄えたこの国家は,1375年エジプトのマムルーク朝に滅ぼされたが,その後は,オスマン帝国の首都イスタンブールがアルメニア人の商業活動の中心となり,アルメニア教会のカトリコス座も置かれた。また移住のもうひとつの波は,クリミア半島に向かい,主要都市にはアルメニア人商人,手工業者の居留地が置かれた。彼らの大部分は16~17世紀ポーランドに再移住した。16世紀アルメニアはトルコとイランの間に分割されたが,サファビー朝のシャー・アッバース1世(在位1588‐1629)は,イラン領アルメニアの住民多数を首都イスファハーン郊外のジョルファに移した。ジョルファ商人は,サファビー朝の対欧露交易の独占権を与えられて栄えた。しかし今日では,イラン系アルメニア人の経済活動の中心はテヘランである。トルコでは,対欧露政策をはじめオスマン帝国の抱えるさまざまな矛盾から19世紀にアルメニア人に対する迫害が始まり,特にアブデュルハミト2世治下の1894‐96年と,青年トルコ党政権下の1915‐18年には,組織的な強制改宗,国外追放,虐殺がおこなわれ,一説によると1915‐18年だけで150万人が死亡し,60万人が国外に移住したといわれる。アメリカ合衆国在住者の多くは,この事件の際の移民の子孫である。⇒アルメニア   北川 誠一

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サローヤン  1908‐81
 William Saroyan

アメリカの小説家,劇作家。アルメニア系移民の子としてカリフォルニア州フレズノに生まれ,幼時父を失い孤児院で過ごす。中学中退後,郵便配達など職を転々としたが,貧しい文学青年の意識を写実とファンタジーの混じった文体で描いた短編《空中ブランコに乗る大胆な若者》(1934)で認められた。以後,戯曲,長編,短編を次々に発表し,1939年には戯曲《わが心は高原に》がブロードウェーで評判となり,同年の《君が人生の時》で翌年ピュリッツァー賞の受賞が決定したが,彼は受取りを拒絶した。小説では少年を主人公にした《わが名はアラム》(1940)と《人間喜劇》(1943)が有名で,ユーモアとペーソスにあふれる自由奔放な語り口で,カリフォルニアを舞台に貧しい善良なアルメニア系の人々の底抜けに明るい生き方を描いている。その他《ロック・ワグラム》(1951),《人生の午後のある日》(1964),短編集《アッシリア人たち》(1950)などがある。            井上 謙治

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2016年4月26日火曜日

[新聞記事] エンゲル係数 「食べる」以外の楽しみ売るには



普通生活が豊かになるとエンゲル係数は下がっていくものとの認識ですが、昨年あたりからエンゲル係数が上昇しているそうです。



[その他] 10日と25日はお菓子の日




4月25日(月)は安佐南区方面に仕事で行ったので、前から気になっていた郊外型の洋菓子屋さんに寄りました。普段使いの洋菓子屋さんですが、材料は良質なものを使用されていると思われ価格がそれなりの値段でした。ビジュアルがまったく普通なので少しギャップがありました。

[新聞記事] 皆実28期 吉廣さんの投稿 中国新聞に掲載



2016年4月26日付け中国新聞投稿欄に掲載。

熊本の震災を受けて被災地の支援活動を希望するという投稿です。

震災の直接被害だけでなく避難先で慣れない生活よるストレスによって心筋梗塞に似た症状が出るそうです。



2016年4月24日日曜日

<日々是不穏 like a rolling stone> 大人に広がる子ども用皿




4月23日付け朝日新聞「私の視点」はキユーピー顧問のフード評論家岩村暢子(いわむらのぶこ)さんによる昨今の家庭の食事情の問題点について。

記事の論旨を箇条書きに。

・子ども用の仕切りのついたワンプレート食事皿で食事をする大人が増えている
・家庭用の食器は売れなくなっている(引き出物の減少、中食の増大など)
・持ち上げにくいため箸を使わずフォーク・スプーンでの食事が増えている
・大人用のワンプレートの食事皿も売れている
・現代の家庭の個食化によって季節・行事・料理によってえらばれてきた日本の食文化の器も変貌をとげている

昨年の有田、今年の萩、と焼き物で著名な地域を旅行したのですが、お世辞にも隆盛とはいいがたく、おそらく美術品に近い超高級品のみ生き残り、普段使いの器は記事にあるように安価なものに変わっていくのでしょう。

家族が揃っての手作りの食卓というのが、もはや贅沢な光景なのかも知れませんね。