2026年3月29日日曜日

[惹句どんどん] 酒井雄哉(天台宗大阿闍梨)

 


 

リーダーには「聖」という字を書く。

左側に耳、右側に口、その下に王がある。

 

たくさんの人の意見を聞き、

自分の考えを整理して、

周りに伝える。

 

聞くと語るという2つの力が必要だ。



大阿闍梨・酒井雄さい。仏道の中でも最も厳しいとされる「比叡山千日回峰行」を2度達成した行者。千日回峰行とは、延べ1000日、7年間かけ比叡山に点在するお堂や塔、お墓、石仏、それに草木一本一本を拝み巡る、比叡山独特の「行」である。最大の難関は700日目の「堂入り」。9日間断食、断水、不眠不休を続け、行者は死と向き合いながらひたすら不動明王と一体となることを願う。この荒行を2度満行した行者は1000年を超える比叡山の歴史の中でも3人しかいないという。

酒井雄さいは大正15年大阪市で生まれた。昭和19年、予科練に入隊。特別攻撃隊員として終戦を迎えた。戦後は闇屋やセールスマンなど様々な職業を転々とし、株で失敗。多大な借金を抱える。33歳で結婚するが、僅か数か月で妻に自殺されてしまった。悩んだ末、39歳の時に得度し比叡山延暦寺に入る。昭和48年47歳の時、千日回峰を開始。翌昭和55年10月に満行。更に半年後に2度目の千日回峰に入り、そして昭和62年7月、60歳という最高齢で2度目の満行を達成。「すべてが仏となる」という境地に達した。


https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250502_00000



酒井 雄哉(さかい ゆうさい、1926年〈大正15年〉9月5日 - 2013年〈平成25年〉9月23日 )は、天台宗の僧侶。比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行した行者として知られる。天台宗北嶺大行満大阿闍梨、大僧正、比叡山一山飯室谷不動堂長寿院住職を務めた。

Wikipedia





↓この新聞記事から引用しました。

2026年3月29日日曜日

[新聞記事] 2026年3月28日(土曜日)日本経済新聞 私の履歴書㉗ 村木厚子(元厚生労働省次官) 


https://28minami-owaki.blogspot.com/2026/03/blog-post_54.html

[新聞記事] 2026年3月28日(土曜日)日本経済新聞 交遊抄 「男前」な宏美 伊藤咲子(歌手)

日本経済新聞で エンターテインメントの方の「交遊抄」はめずらしい?

伊藤咲子さんの『乙女のワルツ』を偏愛しております。



[新聞記事] 2026年3月28日(土曜日)日本経済新聞 私の履歴書㉗ 村木厚子(元厚生労働省次官) 

 


[積読立読斜読] 『新選 正岡子規俳句集』(復本一郎選、岩波文庫、2026年)



女性


001 小娘の団扇(うちわ)つかふや青すだれ


002 女にも生まれて見たき踊哉


003 みなし子のひとりで遊ぶ雛(ひいな)哉


004 女にも生まれて見たし花菫(はなすみれ)

 

005 婆々いはく梟(ふくろう)なければ秋の雨


006 冬かれや田舎娘のうつくしき



005 故郷・松山での言い伝え


正岡子規  1867‐1902(慶応3‐明治35)

まさおかしき 


明治の俳人,歌人,随筆家。本名常規(つねのり),幼名処之助(ところのすけ),升(のぼる)。別号獺祭書屋(だつさいしよおく)主人,竹の里人(さとびと)。松山市生れ。松山中学を経て東京の大学予備門に入学。予備門が校名を改称した一高を経て東大中退。1892年には日本新聞社に入社。社長の陸羯南(くがかつなん)とその交友関係から国粋発揮の思想的な影響を受けている。創作としては,少年期から漢詩を試み,のち和歌,俳句に手を染めた。小説にも関心をもち,大学在学中,夏目漱石との交流を通して新文学への理解を深めた。92年《月の都》を幸田露伴に見せ文壇への進出をはかったが,成功せず俳句に専心。明治初年から勢いを得てきた短詩否定の風潮の中で俳句の可能性を見きわめる決意を固め,新しい文学概念で俳諧を見直し発句を独立させて,一句の季節詩の俳句とした。日本の詩という自負をもち自然を対象として,洋画の〈写生〉を応用し,視覚によって現実の事物と密着する表現を定着させた。95年日清戦争を背景とした〈日本〉の自覚のたかまりの中で従軍,帰国の船上で喀血。病臥の生活を送り,《俳諧大要》を著すなど多くの革新事業を病床で推進した。97年から松山で創刊された《ホトトギス》を指導。98年には同誌を東京に移し,俳諧趣味を鼓吹する雑誌とした。また,98年からは短歌革新に着手,《歌よみに与ふる書》を《日本》に連載,《万葉集》の尊重を説き,実作では日常生活を写生した格調の高い作品を示した。別に,写生を文章にも応用して写生文を試み,《ホトトギス》誌上でも風物の写生的短文を募集した。写生文の中心は子規と高浜虚子で,子規の口述を虚子が筆記する中で精細な描写と洗練された口語文体が定着した。晩年には,写生の極致は〈自然〉にあるという幅広い考え方に移行したが,その手法を《墨汁一滴》(1901),《病牀六尺》(1902),《仰臥漫録》(1901‐02)など日録の随筆に生かし,病床の出来事を描写するほか,考証,評論などにも自在な筆運びを見せた。そこには病苦を裏面に押しやった平淡で奥行きの深い内容が見える。1902年肺結核で死去。彼の門下には,俳句では虚子,河東碧梧桐ら,短歌では伊藤左千夫,長塚節らが出て,その影響圏は非常に広い。〈鶏頭の十四五本もありぬべし〉。                 松井 利彦


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<出版社のサイトより>
江戸期以来の俳句に革新の旋風を巻き起こした正岡子規(一八六七│一九〇二)。生涯に詠んだ二万三千余句の中から、魅力を存分に伝える一五八三句を精選する。「女性」「新事物」「人物」「生活」「写生」の新視点の選により、従来、四季別、季題別では見えなかった子規の句の面白さ、句を詠む瞬間の子規の感動が浮かび上がる。

[惹句どんどん] 野口悠紀雄(エコノミスト)



 街にはヘソが必要だ。





2026年3月28日土曜日

[その他] 1,000 P laces to see before you die calender

隣家の長女が壁に貼っていたカレンダー(のようなもの)。

レイアウトが秀逸です。 



[新聞記事] 原爆資料館新設の子供向け展示に県女の森脇さんの資料

 


[広島掃除に学ぶ会] 3月28日(土曜日)平和大通り街頭清掃(ゴミ拾い)

 3月28日(土曜日)広島掃除に学ぶ会は平和大通りの街頭清掃(ゴミ拾い)を行いました。11名の参加がありました。本日午前7時の気温は9度。暖かく気持ちのいい朝でした。大通りの木々は一斉に花開き、お花見をしながらのゴミ拾いになりました。参加された皆様ご苦労様でした。



広島市の平和大通りの樹木は原爆からの復興支援として全国から送られたたくさんの「供木運動」によるものです。こちらは沖縄県から「カンヒザクラ」。「仏作って魂入れず」とならないよう目の前のゴミを拾っていきます。