2024年3月15日金曜日

[あの頃のレコード] ウィングス『バンド・オン・ザ・ラン』(1973年) 50周年記念盤

 [あの頃のレコード] ウィングス『バンド・オン・ザ・ラン』(1973年)


ビートルズ解散後のポール・マッカートニーの5作目のアルバム(ウィングス名義では3作目)。高校時代に大変よく聴きました。当時はレコードの貸し借りが盛んで自分では持っておらず人から再三借りておりました。改めて御礼申し上げます。


「ノー・ワーズ」(デニー・レインとの共作)以外はポールとリンダの作詞作曲。


Side A

バンド・オン・ザ・ラン  – Band on the Run (5:10)

ジェット  – Jet (4:06)

ブルーバード  – Bluebird (3:22)

ミセス・ヴァンデビルト  – Mrs Vandebilt (4:38)

レット・ミー・ロール・イット  – Let Me Roll It (4:47)


Side B

マムーニア  – Mamunia (4:50)

ノー・ワーズ  – No Words (2:33)

ピカソの遺言  – Picasso's Last Words (Drink to Me) (5:50)

1985年  – Nineteen Hundred and Eighty Five (5:27)


『バンド・オン・ザ・ラン』はオリジナルの発売以後、様々なフォーマットで再発されてきましたが、50周年記念エディションとしてCD、デジタル配信、アナログ・レコード(1枚盤、2枚盤)が再発。特筆すべきは”アンダーダブド”・ミックスと称するオーケストラなどの追加ダビングが入っていない状態の音源。当方はそんなに熱心なファンではないのでアナログ・レコードの1枚盤をアマゾンで購入しました(日本版未発売)。カッティングが「ハーフ・スピード・カッティング」でレコード自体も180gの重量盤で大変良い音で聴くことができました。




『レコード・コレクター』が特集記事。制作の過程が詳細な記事になっており、録音までは紆余曲折あったようですが、ドラムとリードギターが直前に脱退したため殆どのパートをポール・マッカートニーが担当せざるを得ず、禍を転じて福と為す、コンセプト・アルバムではありませんが、非常にまとまりのあるアルバムだと思います。


改めて聴いてみると長尺の曲が意外と多いですね。当方はB面の曲が好きです。



[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著)3月18日~3月24日




 






2024年3月12日火曜日

[その他] a day in the life チームメンバー reunion

 3月12日(火曜日)有給休暇(ですがちょっと仕事)。


6:00~7:30 本社清掃

8:00 商工センターLECTのスターバックス。昔の会社のチームメンバーが

里帰りで旦那さんと子供さんを連れて再会

9:00 物件へ貸出機材回収

10:00 物件へインク配送

12:00 処分の本・雑誌積み込み

商工センターにあるリサイクル処理場へ書籍・雑誌の持ち込み

(段ボールに入っているのが当方のものです)





13:00  五日市の司馬で担々麺を食べる




14:00 廿日市の物件へ配送

   廿日市駅前の古本屋、ホリディ書店へ、文庫本購入






2024年3月10日日曜日

[その他] 軽音楽部の練習日

 3月10日(日曜日)、ほぼ皆実28期で構成する「ほぼ皆実28期軽音楽部」の練習日(名乗るほどの腕のバンドではないのでバンド名がありません)。

レパートリーを広げるために新曲を増やさずに、既存の曲の復習ばかりやっています。


<本日の練習曲>


「遠い世界に」

「あの素晴らしい愛をもう一度」

「ルージュの伝言」

「てんとう虫のサンバ」

「竹田の子守歌」

「カントリーロード」


当方宅は現在「ひなまつり」期間で、練習場が手狭でした。






毎回練習しているのかおやつを食べているのか、比重のわからない会ですが、
本日は御菓子処・高木の和生菓子でした。




[惹句どんどん] 輪島裕介(音楽学・近代音曲史家)

 

クレイジーキャッツについて書くことは

非常に難しい。

 

「非常に」を

財津一郎風に読んでいただいても結構だ。






『ユリイカ』(2024年2月号)より


[その他] 10日と25日は 'Punk in'(パン喰い)の日 リトルマーメード段原店

 

画像はネットからお借りしました

3月9日(土曜日)は広島掃除に学ぶ会の活動の後、

家族で段原のリトルマーメード段原店で朝食をとりました。

当方は「十勝のアンドーナツ」「メロンパン(サンライズ)」

「イギリスパンのサンドイッチ」を食べました。

当方の配偶者(@五木寛之)は、こちらの「明太子フランス」が大好きです。

[広島掃除に学ぶ会] 3月9日(土曜日)千田公園トイレ清掃


 3月9日(土曜日)千田公園のトイレ掃除を実施しました。17名の参加がありました。参加された皆様ありがとうございました。4年ほど前に同じトイレを清掃しましたが長年の汚れが蓄積しており来月も同じ場所でトイレ掃除を行うことになりました。今回から掃除道具にスポンジ、タオルが復活しました。

2024年3月9日土曜日

[惹句どんどん] デートリフ・ポイカート(ドイツの歴史家)

 

「ドイツ人は最初は借金で生活し、
次には他人の勘定でくらした」





(ナチスは良い事をしたのか)こうしたことはすべて、ナチ体制が来るべき侵略戦争のために軍備拡大を優先した結果だった。実際にも、異常な規模とスピードで進められた軍備拡張は民間消費の停滞を招き、国民の生活水準向上を阻害した。過剰な支出と巨額の負債にもとづく軍需経済は破綻の危機に陥るまでになったが、この危機を脱する手段を提供したのも戦争にほかならなかった。開戦後、ドイツは占領地から徹底的に収奪することで、国民向けの物資提供を維持した。デートレフ・ポイカートが的確に表現しているように、「ドイツ人は最初は借金で生活し、次には他人の勘定でくらした」のだった。ここにはまさに、「ならず者国家」としてのナチ体制の本質があらわれていると言えよう。


P115

『ナチスは「良いこと」もしたのか?』(小野寺拓也、田野大輔著、岩波ブックレット、2023年)より。


[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著)3月11日~3月17日

 







2024年3月7日木曜日

[積読立読斜読] 『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(小野寺拓也、田野大輔著、岩波ブックレット、2023年)

 紀伊國屋書店で「2024年 紀伊國屋じんぶん大賞」という人文書に与えられる独自の賞で大賞をとったブックレットです。入門者が手にとりやすいタイトルです。






「ナチスはよいこともした」という議論は、ネットでは恰好の話題のようで、定期的に繰り返されているそうです。著者は長年ドイツ現代史の研究家。ナチの政策の表層的な一面だけを捉えて「よいことをした」と短絡させるのは、歴史的事実をめぐる観点の<事実><解釈><意見>の三層のうち、研究者による<解釈>が欠落した貧弱な「歴史的思考力」であるというのが著者の主張で、本書も丁寧に事実を積み重ね、ナチの善行と見える政策がすべて勢力圏拡大のための戦争遂行のためのもので、一見国民の生活の質の向上を目指した政策にしても、対象は①ナチ党にとって政治的に信用でき、②「人種的」に問題がなく、③「遺伝的に健康」で、④「反社会的」でもない、人々だけで、社会・共産主義者、ユダヤ人、障害者などは排除されていました。

本書では第4章以下、「ナチがした良いこと」として取り上げられることが多いテーマについて、①政策がナチのオリジナルな政策だったのか(歴史的経緯)、②その政策がナチ体制においてどのような目的をもったいたのか(歴史的文脈)、③その政策が「肯定的」な結果を生んだのか(歴史的結果)という3つの視点から徹底的に検証されています。

結論から言うと、ナチのオリジナルの政策はほとんどなく、勢力圏拡大のための戦争遂行が目的で、結果は当初の目標には到達していない、というのが共通です。

全体の政策を検討する前に、第1章ではナチズムの基本的な解説、第2章ではナチの権力掌握と宣伝の手法について、第3章では、一般国民のナチの受容について、が丁寧に説明されており、第4章以下の考察の基礎知識として役に立ちました。


以下、出版社のサイトより。

<内容紹介>
「ナチスは良いこともした」という言説は、国内外で定期的に議論の的になり続けている。アウトバーンを建設した、失業率を低下させた、福祉政策を行った――功績とされがちな事象をとりあげ、ナチズム研究の蓄積をもとに事実性や文脈を検証。歴史修正主義が影響力を持つなか、多角的な視点で歴史を考察することの大切さを訴える。




<目次>
はじめに
第一章 ナチズムとは?
第二章 ヒトラーはいかにして権力を握ったのか?
第三章 ドイツ人は熱狂的にナチ体制を支持していたのか?
第四章 経済回復はナチスのおかげ?
第五章 ナチスは労働者の味方だったのか?
第六章 手厚い家族支援?
第七章 先進的な環境保護政策?
第八章 健康帝国ナチス?
おわりに
ブックガイド

<著者略歴>
小野寺拓也(オノデラ タクヤ)
1975年生まれ.東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了.
博士(文学).昭和女子大学人間文化学部専任講師を経て,現在,東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授.専門はドイツ現代史.
著書に『野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」――第二次世界大戦末期におけるイデオロギーと「主体性」』(山川出版社),訳書にウルリヒ・ヘルベルト『第三帝国――ある独裁の歴史』(KADOKAWA)などがある.

田野大輔(タノ ダイスケ)
1970年生まれ.京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学.博士(文学).大阪経済大学人間科学部准教授等を経て,現在,甲南大学文学部教授.専門は歴史社会学,ドイツ現代史.
著書に『ファシズムの教室――なぜ集団は暴走するのか』(大月書店),『愛と欲望のナチズム』(講談社),『魅惑する帝国――政治の美学化とナチズム』(名古屋大学出版会)などがある.






[新聞広告] 和菓子歳時記 三月 春の色

 



2024年3月5日(火曜日)朝日新聞・広島版の広告。

毎月初めに新聞の片隅に載る和菓子屋さんの広告。


誌面にひっそりと佇んでいますが短い文章の中に季節の移り変わりと、

和菓子の紹介を盛り込み練達の職人さんのような文章です。


これを見ないと月が変わった感じがしなくて、いつまでも続けてほしいです。


[積読立読斜読] 『デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界』(村上春樹著、文藝春秋、2024年)

 デヴィッド・ストーン・マーティン(DSM)の
デザインしたレコード・ジャケットを
手にとって眺めているだけで、
なんだか人生で
少しばかり得をしたような気がしてくるのだ。

 



代表的なデザインのレコード・ジャケット


うーん、終活で本を減らしているのですが、村上春樹さんだけは例外。しかもジャズには興味がなく、本文のガイドも斜め読みで恐縮です。レコードジャケットの写真は堪能しました。

望むべくもありませんが、出来ればレコード・ジャケット・サイズの大判の書籍で読みたかったです。

15歳年長のベン・シャーンと共に仕事をしたことがあるらしく、影響大のようです。


ベン・シャーンのデザインしたレコード・ジャケット


出版社のサイトより

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163918099


<内容紹介>

村上さんが愛してやまないジャズ・レコードについて語る極上のエッセイ

「僕の⼤好きなジャズ・レコード188 枚のことを書きました」

チャーリー・パーカー、カウント・ベイシー、ビリー・ホリデイ、スタン・ゲッツ……ジャズの⻩⾦時代に数多くのジャケット・デザインを⼿がけた伝説的アーティスト、デヴィッド・ストーン・マーティン。彼がデザインしたレコードを敬愛し蒐集してきた村上さんが、所有する盤すべてをオールカラーで紹介。

⼿にとって⾒ているだけで素敵な⾳楽が聞こえてくる、極上のジャズ・エッセイ。


「デヴィッド・ストーン・マーティン(DSM)のデザインしたレコード・ジャケットを手にとって眺めているだけで、なんだか人生で少しばかり得をしたような気がしてくるのだ。(…)本書はあくまで、DSMのデザインしたジャケットをひとつの柱として、僕がジャズへの想いを自由に語る本、という風に考えていただけると嬉しい」(まえがきより)


<担当編集者より>

デヴィッド・ストーン・マーティン(1913-92)は、ジャズの黄金時代に数々の名盤のジャケット・デザインを手がけた米国の伝説的アーティスト。村上春樹さんは長年にわたり、DSMデザインのレコードを敬愛し蒐集してきました。本書は、村上さんのレコード棚の188枚をオールカラーで紹介。収められた演奏についてもたっぷり、自由に語ります。チャーリー・パーカー、カウント・ベイシー、ビリー・ホリデイ、スタン・ゲッツ……まさに「手にとって見ているだけで素敵な音楽が聞こえてくる」、極上のジャズ・エッセイです。


From Wikipedia, the free encyclopedia

David Stone Martin, ca. April 1947, photo by William P. Gottlieb.

David Stone Martin, born David Livingstone Martin (June 13, 1913 – March 6, 1992 in New London, Connecticut)[1] was an American artist best known for his illustrations on jazz record albums.[2][3]


Biography


Poster featuring Navy Cross recipient Dorie Miller, created by David Stone Martin for the Office of War Information (1943)


Poster by Martin for the OWI (1942)

David Stone Martin was born June 13, 1913, in Chicago and attended evening classes at the School of the Art Institute of Chicago. He was greatly influenced by the line art of Ben Shahn.[citation needed] During World War II, Martin was an art director for the United States Office of War Information.[4] By 1950, Martin had produced more than 100 covers for Mercury, Asch, Disc and Dial record albums. Many assignments came from his longtime friend, record producer Norman Granz.[5]


For various companies, Martin eventually created illustrations for more than 400 record albums. Many of these were simply line art combined with a single color. Martin's favorite tool was a crowquill pen which enabled him to do delicate line work. CBS-TV art director William Golden gave Martin many print ad assignments during the 1950s, and Martin soon expanded into illustration for Seventeen, The Saturday Evening Post and other slick magazines of the 1950s and 1960s.[5] His studio was located in Roosevelt, New Jersey, near his home there.[5][6]


Martin is represented in the Museum of Modern Art, the Metropolitan Museum of Art, the Art Institute of Chicago and the Smithsonian Institution.


Martin was the husband of muralist Thelma Martin, who painted the post office mural for the facility in Sweetwater, Tennessee.[7] He was the father of graphic artist Stefan Martin (born 1936) and painter Tony Martin.[3] He died March 6, 1992, in New London, Connecticut,[3] where he had lived in his old age.


<ちょっと雑学>

本名はデヴィッド・リヴィングストーン・マーティンなのですが、子供の頃、ジャーナリストのスタンレーがアフリカ奥地でリヴィングストーン博士に邂逅(かいこう)した時のセリフ"Dr.Livingstone, I presume."という決まり文句(映画化もされ流行していたらしいです)でからかわれるのがいやで、ストーンに変えたそうです。


リヴィングストン

イギリスの宣教師・探検家。宣教のため南アフリカに派遣され、1849年より南部アフリカ奥地を探検し、ヴィクトリア滝などを発見した。66年ナイル水源の探検に出かけ消息を絶ったが、71年スタンリーの捜索隊とであった。結果的に、彼の探検は列強の植民地獲得政策の展開に繋がった。






2024年3月6日水曜日

[その他] 時計の電池交換 本体より高い(本体が安い!) 

3月5日(火曜日)、チープ・カシオの電池が切れたので交換。

本体のほうが安いようで複雑な心境です。






チープ・カシオ=チプカシ、だそうです。