2020年6月6日土曜日

[惹句どんどん] フレデリック・ジェイムソン(アメリカの批評家)



資本主義の終わりを想像するより
世界の終わりを想像する方が簡単だ。


『未来への大分岐』(斎藤幸平・編集、集英社新書、2019年)より

[積読立読斜読] 『彼らを書く』(片岡義男著、光文社、2020年) 今度はボブ・ディランをDVDで観る。



片岡義男さんの新刊はビートルズ、ディラン、プレスリーの映像作品のみでの評論集。

残っていたボブ・ディランさんの章を読みました。これでこの本は読了です。

13作品のDVDの選択は意外とストレート。

主に映像に残った「演奏」に焦点を当てられていました。


<目次と採用されたDVDの簡単な解説>

今度はボブ・ディランをDVDで観る。

①そこは去らなければならない楽園だった
"The Other Side Of The Mirror, Bob Dylan Live At The Newport Folk Festival 1963-1965"

ジャズ・フェスティバルの成功を受けて始まったフォーク版のフェスティバル。


②意味のつながりなどまったくない配列のなかに
"No Direction Home"(2005)
マーティン・スコールセッシ監督のドキュメンタリー映画。ディスク2枚組で合計3時間28分。


③頭を明晰にして常に電球を持ち歩く
"Don't Look Back"(1965)
1965年イギリス・ツアーのライブ映像。ディランの単独演奏。


④大量生産の構造上の再生
"Dylan Speaks"(1965)
1965年サンフランシスコ公演後のインタビュー映像。バックバンドは後のザ・バンド(ホークス)。


⑤ただ聴く人でしなかい自分
"Bob Dylan 1966-1978 After The Crash"(2012)
1966年7月のオートバイ事故後の発売されてアルバム順にたどった映像。
事故後は完全に演奏をやめていたわけではなく、単発でのゲスト出演があった。


⑥ボブ・ディランがワイト島を沈める手助けを
映像の解説は⑤の続き。ウッドストックには出演しなかったディランが2週間後のワイト島のフェスティバルには出演。プロモーターの回想録"Stealing Dylan from Woodstock"の紹介。片岡さんの目次は1969年のワイト島で出回っていたステッカーの英文。'Help Bob Dylan Sink The Isle of Wight on August 31st'


⑦映像のなかのディランは四年後にはここにいる
海賊版DVD。ワイト島でのコンサート映像の一部。"Bob Dylan and The Band 69-70"、ワイト島他のバンドとの共演映像。


⑧時代はとっくに変わった
"Pat Gallet and Billy The Kid"(1973)
サム・ペキンパー監督の西部劇。クリス・クリストファーソンとの共演。ディランはサントラも担当。劇中でディランの音楽が活かされておらず残念、との片岡評です。


⑨始まりの終わりの始まりの始まり
"The Last Waltz"(1976)
ディランがゲスト出演したザ・バンドの解散コンサート映像。監督はマーテイン・スコールセッシ。目次はザ・バンドのロビー・ロバートソンの台詞。'The begining of the end of the begining of the begining.'


⑩答えはいまも風に舞っている
1992年デヴュー30周年記念コンサート映像。マディソン・スクエア・ガーデン。ディランの出演は不明(最後に出演という演出)で29曲のカヴァー集。"The 30th Anniversary Concert Celebration"(1993)。ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、スティーヴィー・ワンダー、他錚々たるメンバー。


⑪時間に淘汰されることなく残る美しい曲とは
”Bob Dylan MTV Unplugged"(1994)


⑫答えを探すのはとっくにやめたよ
"Masked And Anonymous"(2002)
ツアー中の中休み期間に20日間、400万ドルの低予算でLAで撮影された映画。
映像中でディランの音源が使われている。

⑬この僕がいけないのか
"I'm Not There"(2007)
ディランの実像に人格を投影した6人の男の物語。


<最近のボブ・ディラン関係のニュース>

(1)17分の長尺シングルで78歳が成し遂げた快挙
3月27日にデジタル配信を開始したボブ・ディランの最新シングル「最も卑劣な殺人(マーダー・モスト・ファウル)」がビルボード誌4月11日付のロック・デジタル・ソング・セールス・チャートで1位を獲得した。


(2)岩波書店より全曲新訳の詩集刊行。
『』ボブ・ディラン The Lyrics 1961-1973 1974-2012"(佐藤良明訳、岩波書店、全2冊、各4500円(税別))


(3)断続的にラジオのDJをやっている。テーマを決めて自分で選曲。

ボブ・ディランがDJを務めるラジオ番組「Bob Dylan’s Theme Time Radio Hour」の日本放送が本日よりスタートする。

この番組は、2006年から2009年にかけて、アメリカの衛星ラジオで合計100回放送されたもので、日本では「INTER FM」で放送される。
(雑誌『ロッキンオン』のサイトより)


(4)ディラン公認の<ブートレッグ・シリーズ>を精力的に発売中。

2016年にノーベル文学賞を受賞してからも万人受けするとは思えない作品も発表し続け、いまだに現役のディランさん。ディランの人格を投影した6人の男の物語"I'm Not There"(2007)では、詩人・無法者(アウトロー)・映画スター・革命家・放浪者・ロックスターという6つの物語ですが、アメリカの中産階級の現代史とも読め、ディラン自身もあまり自分の本当のことを語らないこともあって未だに謎です。断定できないのが現役の印なのかも知れません。


<感想のようなもの>

ボブ・ディランさんは1941年5月24日生まれ。著者の片岡義男さんは1939年3月20日生まれでほぼ同年代。共通点は両者とも未だに現役で活発な活動をされているという点。

片岡さんの評論で特筆すべきは、ザ・バンドの映像を単独で採用されていること(ロビー・ロバートソンの自伝をはじめ評価が高い)。ディランのエレキへの転向にブーイングが起きたという都市伝説は、賛意の喝采・意味のない歓声・ブーイング、の3種が入り交じった観客の対応であったという新解釈です。いずれにせよプロテストのフォーク側の世界にはすぐに決別して自分の道を歩んだ次第です。

1963年発表の"Blowin' in the Wind"。未だに答えはわかりません。

The answer, my friend, is blowing in the wind





[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』

『徒然草』書き写し。

本日は、第45段、第49段を書き写しました。




徒然草(上)
第45段 公世の二位のせうとに、

<原文>
 公世の二位のせうとに*、良覚僧正と聞えしは*、極めて腹あしき人なりけり*。

 坊の傍に、大きなる榎の木のありければ、人、「榎木僧正」とぞ言ひける。この名然るべからずとて*、かの木を伐られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正*」と言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池僧正*」とぞ言ひける。


<用語>
公世のせうと:藤原 公世<きんよ>。「せうと」は兄 弟のこと。藤原公世は、当時、従二位の侍従であった。筝の名手として有名。
良覚僧正と聞えしは:<りょうがくそうじょう >という人は、の意。良覚は延暦寺の大僧正で歌人。
腹あしき人なりけり:怒りっぽい人であった。腹黒いのではないので注意 。
この名然るべからずとて:このニックネームが気に入らないと言って。
きりくひの僧正:「きりくい」は切り株だから、切り株の僧正と言われた。これも面白くない 。
堀池僧正:<ほりけのそうじょう>。読み方に注意。

<ポイント>
 それにしても、すさまじいばかりの庶民のしつっこさ。これも『徒然草』集中、もっとも人口に膾炙した一段である。

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure000_049/turedure045.htm



徒然草(上)
第49段 老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。

<原文>

 老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ*。古き墳、多くはこれ少年の人なり*。はからざるに病を受けて*、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速かにすべき事を緩くし*、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。

 人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり*。さらば、などか、この世の濁りも薄く*、仏道を勤むる心もまめやかならざらん。

 「昔ありける聖は、人来りて自他の要事を言ふ時、答へて云はく、『今、火急の事ありて、既に朝夕に逼れり』とて、耳をふたぎて念仏して、つひに往生を遂げけり」と、禅林の十因に侍り*。心戒といひける聖は*、余りに、この世のかりそめなる事を思ひて、静かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける*。


<用語>
老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ :歳を取ってから、はじめて仏道修業に励もうなどと待っていてはいけない。

古き墳、多くはこれ少年の人なり:<ふるきつか、・・>と読む。墓のこと。よく見ると多くは若い少年の墓なのだ。

はからざるに病を受けて:はからずも予期しない時に病気になって。

速かにすべき事を緩くし:急いでやるべきことをやらずに後回しにして、の意。

無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。:人間は、死が、すぐに身に迫ってくるということを心にしっかりと言い聞かせて、片時も忘れてはならぬ。

この世の濁りも薄く:現世への執着心も薄くなって、の意。

禅林の十因に侍り:禅林寺(京都市左京区にある浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。開創は斉衡二年(855)、開山は空海の弟子真紹。以来真言道場であったが、承暦年間(1077~1081)に永観が入寺して念仏道場となり、のち法然の弟子清遍や浄音が住持となり浄土宗となった。本尊は見返り阿弥陀如来として有名。所蔵の山越阿弥陀図は国宝。永観堂(『大字林』)。)の永観の著『往生十因』という書物に書いてある。

心戒といひける聖は:「心戒」は、高野山で学んだ後に入唐し、帰国後日本の山中で過ごしたという伝説的僧侶。詳細は不明。ここでは、人生はいつ何時どのように死の迎えが来ないと限らないから、膝を着けて座ることはせず、普段はうずくまるだけで人生を終えた、という (『一言芳談』)。

静かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける:「ついいる」は正座すること。 この人は常日頃から、相撲取りが立会いのときのように「蹲踞<そんきょ>」の姿勢をとり続けたというのである。その訳は、「三界六道には、心安く、尻さしすゑてゐるべき所なきゆゑ也」という(『一言芳談』)


<ポイント>
 人生は短い、一刻も早く仏道に励まねばならない。

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure000_049/turedure049.htm

2020年6月5日金曜日

[ひとり「広島掃除に学ぶ会」] 通勤途上のゴミ拾い 6月1日(月)~6月5日(金)

 通勤途上のゴミ拾い継続中。

今週は雨が降らなかったので毎日継続しました。








[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著、PHP、2019年)6月5日~6月8日



P104

5日 「から」「のに」「こそ」

境遇を、人のせいや世の中のせいにする人がたくさんいます。

それではいつまでたっても、人生が好転することはありません。

「こうだったから、こうなった」ではなく、「こうだったのに、こうなれた」というような生き方をしたいものです。

さらに、「こうだったからこそ、こうなれた」というような生き方ができたとき、後悔のない人生が待っています。



2020年6月3日水曜日

[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』第四十三段 春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、

『徒然草』の書き写し継続中です。本日は第四十三段。

筆記具は、大昔に買った万年筆を使ってます。

なぜだか妙に心が落ち着いている毎日です。

「書き写し」のせいなのか、『徒然草』のせいなのか、不明です。




徒然草(上)
第43段 春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、

原文
 春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、賎しからぬ家の、奥深く、木立もの古りて、庭に散り萎れたる花見過しがたきを、さし入りて見れば*、南面の格子皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、御簾の破れより見れば*、かたち清げなる男の、年廿ばかりにて、うちとけたれど、心にくゝ、のどやかなるさまして*、机の上に文をくりひろげて見ゐたり。

 いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし。

用語解説
さし入りて見れば:ちょっと中に入ってみたら 。

東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、御簾の破れより見れば:丁度うまい具合に東向きの妻戸が開いていて、そこの御簾の破れから見ると。  

うちとけたれど、心にくゝ、のどやかなるさまして:くつろいで優雅にゆったりしている姿で、。  

[その他] 夕食献立表


当家は四世代近居。夕食は長女夫婦と当方夫婦が一緒に取ります。

月~金までは一番帰りの早い当方が夕食当番です。

三カ月ほどセブンイレブンの食材キット「セブンミールキット」を使ってみました。

いささか飽きがきたのと、通常の食材との価格差を知りたくて、通常パタンに戻してみました。

ただし、毎日考えるのが面倒なので、一か月分の献立表を作りました。

2~3日毎にまとめて買い物します。これは結構楽でよかったです。

本日は「魚」の日で、さんまを探したのですが店頭になく、アジのフライに変更。


[積読立読斜読] 『要点で学ぶデザインの法則』23/30



111 再生記憶より再認記憶
112 赤の効果
113 冗長性
114 根本原因
115 ロゼッタ・ストーン







2020年6月2日火曜日

[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』 第39段 或人、法然上人に、

『徒然草』書き写し、継続中です。

本日は第三十九段。



徒然草(上)

第39段 或人、法然上人に、

原文
 或人、法然上人に、「念仏の時、睡にをかされて、行を怠り侍る事、いかゞして、この障りを止め侍らん」と申しければ、「目の醒めたらんほど、念仏し給へ*」と答へられたりける、いと尊かりけり。また、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり*」と言はれけり。これも尊し。また、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた尊し。


用語解説
目の醒めたらんほど、念仏し給へ:目の覚めているときに念仏しなさい。法然の他力本願思想には、自力をたのまずという思想があるからである。

往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり:西方浄土への往生は、仏の本願なのだから、疑いなしと思えば疑いなし、疑うというのであれば疑えばよい。どのみち、往生は「摂取不捨」 であり、弥陀の本願であるのだから、往生は間違いないのだ。  


ポイント
 法然の「他力本願」を簡単直截に説明した一文である。

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure000_049/turedure039.htm

[積読立読斜読] 『ロイスと歌うパン種』(ロビン・スローン著、島村浩子訳、東京創元社、2019年)


原題は"Sourdough"。旧刊ですが、書店でみかけて。舞台はサンフランシスコ、女性プログラマが秘伝のパン種を手に入れ、パンを作るはめに。原題の「サワードウ」はパン作りのもとになるスターターの一種。アメリカ西海岸特有のパン種ですっぱい味がします。

当方はパン・メーカーに勤務していたことがあり、かつこの小説の舞台であるサンフランシスコに5年駐在しておりました。これは読まなければ。

一読して痛快無比のライトノベル。掘り出し物でした。

西海岸の最新IT企業の内幕、機能性食品、オーガニック食品、ロボット、パン種、など新旧システムが併存する構造も秀逸。なかなかの書き手だと思いました。


内容紹介
サンフランシスコのIT企業に就職した女性プログラマのロイス。激務で消耗した彼女の心身を救ったのは、近所の宅配レストランのパンとスープだった。親しくなった店主がアメリカを去ることになり、ロイスは秘伝のパン種を贈られる。それを使い自分でもパンを焼きはじめたとたん、彼女に思わぬ人や場所との出会いが訪れる……。千年以上もパン種を受け継ぐ奇妙な一族の物語、最新鋭ロボットアームを駆使したパン作り、謎の地下ファーマーズ・マーケット……パンが世界を変えていく!? とびきりヘンテコ、とびきり美味しい。新感覚フード・エンタテインメント! 解説=池澤春菜

ロビン・スローン
アメリカの作家。ミシガン州出身。ミシガン州立大学卒業後、ジャーナリスト養成学校やテレビ局等で働く。2004年には情報社会の未来を予想したFlashムービー「EPIC 2014」を共同製作して話題を呼んだ。2012年、Webで発表した作品をもとにした『ペナンブラ氏の24時間書店』で作家デビュー。ほかの作品に『ペナンブラ氏の24時間書店』の前日譚となる電子書籍Ajax Penumbra 1969(2013)などがある。

東京創元社のサイトより

<感想のようなもの>
全体の構成はアメリカの食の工業化に対するアンチテーゼとして、地産地消・有機食品などのムーブメントがあったはずなのに、そのムーブメント自体も巨大化してしまい、おおぜいの人が取り残されている。その舞台で翻弄されているのが、主人公のロイス。対する巨悪は名前は変えてありますが、カリフォルニア・キュイジーヌの旗手・シェパニーズのオーナー、アリス・ウォーターズで、いまやフェリービルディングのマーケットの選別の黒幕にまでになっていました。ロイスは彼女に翻弄されますが自分を取り戻し、魔法のスターターと決別して、自分のスターターで人生をやり直そうと決意します。


P183
「1950年代にアメリカの食生活は一から作りかえられた。包装、冷蔵、州間高速道路―何もかもがあの時代に変わった。こうしたシステムは特定の人々におり、特定のときに、特定の場所で考案された」
「しかし、いっぽうで…有機栽培の農場、高価なレストランは…ままごとのような供給チェーンだ。”産地から直接テーブルへ”と彼らは言う。さて。産地から直接テーブルへを実行する場合、おおぜいの人々が取り残される」

製造過程で酵母にモーツアルトを聞かせて作った日本酒が売られていますが、よいパン種を探すうち、グレイトフル・デッドを聴かせていたパン種というものまで登場し、西海岸の話らしいと感心。

惜しむらくは主人公の女性プログラマー、ロイスの人物描写が浅く、小説としては恋愛ざたがまったくなくて深みに欠けたのが残念。

[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』第三十段 人の亡き跡ばかり


徒然草 第三十段
現代語訳

 人が死んだら、すごく悲しい。

 四十九日の間、山小屋にこもり不便で窮屈な処に大勢が鮨詰め状態で法事を済ませると、急かされる心地がする。その時間の過ぎていく速さは、言葉で表現できない。最終日には、皆が気まずくなって口もきかなくなり、涼しい顔をして荷造りを済ませ、蜘蛛の子を散らすように帰っていく。帰宅してからが、本当の悲しみに暮れる事も多い。それでも、「今回はとんでもない事になった。不吉だ、嫌なことだ。もう忘れてしまおう」などと言う言葉を聞いてしまえば、こんな馬鹿馬鹿しい世の中で、どうして「不吉」などと言うのだろうと思ってしまう。死んだ人への言葉を慎んで、忘れようとするのは悲しい事だ。人の心は気味が悪い。

 時が過ぎ、全て忘却を決め込むわけでないにしても「去っていった者は、だんだん煩わしくなるものだ」という古詩のように忘れていく。口では「悲しい」とか「淋しい」など、何とでも言える。でも、死んだ時ほど悲しくないはずだ。それでいて、下らない茶話には、げらげら笑い出す。骨壷は、辺鄙なところに埋まっており、遺族は命日になると事務的にお参りをする。ほとんど墓石は、苔生して枯れ葉に抱かれている。夕方の嵐や、夜のお月様だけが、時間を作って、お参りをするというのに。

 死んだ人を懐かしく思う人がいる。しかし、その人もいずれ死ぬ。その子孫などは、昔に死んだ人の話を聞いても面白くも何ともない。そのうち、誰の供養かよくわからない法事が流れ作業で処理され、最終的に墓石は放置される。人の死とは、毎年再生する春の草花を見て、感受性の豊かな人が何となくときめく程度の事であろう。嵐と恋して泣いていた松も、千年の寿命を全うせずに、薪として解体され、古墳は耕され、田んぼになる。死んだ人は、死んだことすら葬られていく。


原文

 人の亡なき跡あとばかり、悲しきはなし。

 中陰ちゆういんのほど、山里などに移ろひて、便びんあしく、狭せばき所にあまたあひ居ゐて、後のわざども営み合へる、心あわたゝし。日数かずの速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情なう、たがひに言ふ事もなく、我賢かしこげに物ひきしたゝめ、ちりぢりに行きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため忌いむなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。

 年月経へても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に疎うとしと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。骸からは気けうとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣まうでつゝ見れば、ほどなく、卒都婆そとばも苔こけむし、木の葉降り埋うづみて、夕ゆふべの嵐あらし、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。

 思ひ出いでて偲しのぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々としどしの春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に咽むせびし松も千年ちとせを待たで薪たきぎに摧くだかれ、古き墳つかは犂すかれて田となりぬ。その形かただになくなりぬるぞ悲しき。

https://tsurezuregusa.com/030dan/

[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著、PHP、2019年)6月1日~6月4日




P102
一流の人…すぐやる人
二流の人…あとでやる人
三流の人…あとでやろうと思って放置している人

P103
リーダーは下座におりて、率先垂範から始めるべきです。仁愛は己の行動でしか身につかないからです。


[その他] 掃除は「う」が大事




現在勤めているマンションで一緒に仕事をしている清掃担当のSさんは大変きれい好きで、契約にない場所も時間が空けば積極的に掃除をされます。

本日はロッカールームのロッカーと天井の隙間を拭き掃除。

昔勤めていた会社で先輩から、掃除は「う」が大事、という言葉を習いました。

「う」とは「後ろ」「裏」「上」で、普段なかなか清掃が行き届かいない場所です。

そこまで気配りができる人は、通常の清掃もぬかりなくできるはず、という意味もあるようです。