2018年12月9日日曜日

[同窓会] 2018年12月2日(日曜日)皆実28期地歴部フィールドワーク(旧国鉄宇品線跡をめぐる)

2018年12月2日(日曜日)皆実28期地歴部フィールドワーク資料 大脇作成

写真は安田学園裏の工兵慰霊碑

日清戦争の際に軍事専用線として開業し、日清、日露、日中戦争と続く対外戦争の兵站となった軍都広島の都市軸、旧国鉄宇品線。被爆当時は被害者の救済に当たり、戦後は疎開してきた官公庁、学校への通勤・通学の足となりましたが、市内を縦断していたため、自動車へのモーダルシフトへの流れに負けて廃線となった数奇な運命の路線です。

皆実高校のすぐ東側に線路がり、廃線がもう少し遅ければ、通学に使った人がいたかも。軍都広島の軸としての宇品線として大きく捉え、関連軍事施設跡と宇品線の廃線跡を巡りました。参加者は、大脇、橋本さん、有川君、福間君の4名でした。※デジカメの調整が悪く写真にもやがかかった状態です。スミマセン。

(1)太田川中州
『ブラタモリ』の広島編でも紹介されたデルタ地帯広島の原風景ともいえる中州です。(名前はあるのかも知れませんが)。ふだんは車で素通りの場所ですが、「アオサギ」「ダイサギ」が営巣いるそうです。立木が真っ白になってますが「カワウ」のフンだそうす。工兵橋から川面を見ると大きな亀や鯉が悠々と泳いでいて、数百年まえから同じ風景だったような想像ができます。広島市の近現代史のスタート地点となった場所ですね。


(2)工兵橋と工兵慰霊碑
工兵は旧日本陸軍の兵科。主に交通・通信・架橋・爆破・照明など、作戦遂行上必要な技術面を担当したそうです。牧歌的なつり橋は、工兵隊が北側の牛田演習場に行くため1889年に初代が架橋(木造)、1933年に架け替えられ、現在の橋は三代目だそうです。安田学園の裏手には工兵第五連隊慰霊碑があります。原爆被害の兵士は1万5千人程度で、この場所で、工兵は47名が犠牲になったそうです。安田学園の敷地は、かつての陸軍工兵第五連隊があった場所です。


(2)東練兵場跡地
広島駅の北側には広大は広島東練兵場(軍事教練用のグランド)がありましたが、現在は説明文もなくまったく痕跡がありません。宇品線が敷設された理由の一つに駅の近くに兵隊が集合しやすい空き地があることが条件だったようです。かろうじて練兵場内に設置された「騎兵第五聯隊跡碑」の慰霊碑が残っており、「陣歿 軍人軍馬 追悼之碑」も併設されていました。慰霊碑の裏には「西伯利出征凱旋ノ秋建之 大正九年十一月十八日」とありシベリア出兵凱旋時に建立されたようです。


(3)南段原駅跡(段原南第五公園「宇品線広場」)
宇品線の痕跡もほとんど残っていませんが、広島駅から線路跡の道路を宇品方面に車で下っていくと、南段原駅があった場所にモニュメントが残されています。モニュメントもあまりメンテナンスがされていないようで、未来永劫保存されるのかどうか不安です。


(4)陸軍糧秣(りょうまつ)支廠(ししょう)倉庫跡
貨物の積み下ろしのため、560mという日本一の長さを誇った宇品駅のプラットフォームは、広島高速道路3号線が作られたため跡形もなく、かろうじて隣接していた陸軍糧秣(りょうまつ)支廠(ししょう)倉庫のレンガと、説明文がなく不明ですが、プラットフォームに使った石がモニュメントとして残っています。