2016年6月4日土曜日

[積読立読斜読] 『呪われた腕』(トマス・ハーディ、河野一郎訳、新潮文庫、2016年)




『呪われた腕 ハーディ傑作選』(トマス・ハーディ著、河野一郎訳、新潮文庫、2016年)は、新潮文庫の企画シリーズ、村上柴田翻訳堂の一冊として復刊されたものです。8つの短編小説からなります。

このシリーズの既刊はマッカラーズ、サローヤン、ロス、とすべてアメリカの現代作家でしたが、ハーディーはイギリスの19世紀後半の作家です。

村上春樹が巻末の柴田元幸との対談で述べていますが、「ハーディを読むと小説を書きたい気持ちがかきたてられる」そうです。人知を超えた偶然が重なって人の運命が決まっていく筋立ては村上春樹の『東京奇譚集』に似たところがあります。さすがに会話には古色蒼然たる部分がありますが、巧妙な筋立てで飽きさせません。

河野一郎の改訳新版のあとがきが1968年で、刊行から半世紀近くたち、日本語の翻訳もかなり古い感じがしました。

それでも現代の読者に読ませてしまうのは、ハーディの多くが男女の恋愛を描きながらも、通り一片の恋愛風俗小説に陥らず、丁寧に描かれたイングランド南西部の風景(行ったことがないので想像ですが)のもと、運命に翻弄される人々から、人間の存在の儚さを感じるところが多いからでしょう。

だからといって暗いトーンにならないのは、「厭世主義者(ペシミスト)という言葉が、人生で最悪の偶発事をも最もしあわせな出来事と同じように眺めるものに当てはまるならば、彼はまさにそのペシミストであった」(「幻想を追う女」(P56)より)というハーディの立場のようです。


下記は世界大百科事典より。


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ハーディ  1840‐1928
 Thomas Hardy

 イギリスの小説家,詩人。イングランド南西部,通常ウェセックス地方と呼ばれるドーセット州ドーチェスター市の近くで生まれた。父は建築家,母は文学の素養のある婦人だった。若いころは父の職業を継ぐべく建築の勉強にはげみ,1862年ロンドンに出て,建築懸賞論文で賞を得るなど,その才能をあらわした。しかしロンドンの生活を嫌ったために,建築界での出世をあきらめて故郷に帰り,文学を一生の仕事にしようと決意した。

 68年匿名で《貧民と貴婦人》という長編小説を書き,ロンドンの出版社に送ったところ,当時文壇で重きをなしていた G. メレディスの目にとまった。メレディスはこの小説があまりに過激な社会思想に色づけられ,出版社から排斥されるから,もっと筋立てのおもしろさをねらった作品を書いたほうがよい,とハーディに忠告した。この忠告に従って次作《非常手段》を書き,出版社に受け入れられ71年処女作として公刊された。
 
 以後ハーディの長編小説が次々に発表され,好評をもって迎えられた。《緑の木陰》(1872),《狂乱の群れを離れて》(1874),《帰郷》(1878)などが初期の代表作である。《カスターブリッジの市長》(1886),《テス》(1891),《日陰者ジュード》(1896)など後期の代表作では,小説のプロットの組立てがますます精緻巧妙になり,建築家としての才能が構成に発揮されている。

 しかし,彼の小説の特徴は単にその構成の巧みさのみにあるのではない。彼はショーペンハウアーの悲観主義哲学に共感し,人間の自由意志を超えた宇宙意志の存在を信じ,運命の力によって人間が翻弄される悲劇,つまりギリシア古典悲劇と同じ主題を小説の形で表現した。同時に作品の中で既存の道徳・宗教に鋭い批判を加え,結婚制度の否定や新しい男女の性関係まで大胆に扱ったため,保守的な読者からの抗議が相次ぎ,《日陰者ジュード》以後長編小説の執筆を断念してしまった。
 
 しかし,これでハーディの文学者としての生命が絶たれたわけではない。以後は短編小説,ナポレオンを扱った詩劇《覇王》全3部(1903‐08),数多くの抒情詩を発表し,詩人としても高い評価を受けた。1910年には国から勲章を授けられ,80歳の誕生日には全文壇から祝辞が寄せられた。このように国家的名士となっても,彼はロンドンに移住することを拒み続け,生れ故郷ウェセックス地方にとどまった。のみならず,彼のすべての作品はウェセックス地方を舞台とし,現実の地名を架空の地名に書き改めたウェセックス地方の地図が,彼の文学によって形成された。彼の作品の主人公は人間ではなく,彼の愛する土地の霊であった。

 死後,遺体はロンドンのウェストミンスター・アベーに葬られたが,彼の心臓は遺言により故郷に埋められた。日本でもハーディの愛読者は多く,〈日本ハーディ協会〉がある。           

小池 滋

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