2015年10月10日土曜日

[積読立読斜読] 『宇品線92年の軌跡』(長船友則著、ネコ・パブリッシング、2012年)




写真は本書から。1965年撮影。制服から比治山女子高校の学生と思われます。



中学から高校への変化はいろいろありますが、通学範囲が各段に広くなることが挙げられるかも知れません。小学校から中学校までは基本的に学区制であり、長距離の通学は例外でした。

広島皆実高校へは、当方は自転車通学でした。中学までの見慣れた街並みと違って、数キロ以内であるにもかかわらず、高校周辺は充分に異界でありました。

「異界」の印象は、主に建築物からのイメージだったと思います。旧陸軍の被服廠、宇品線の跡、周辺の市営団地群などが、自分の住んでいる街のイメージとは随分違うイメージを形成してました。

皆実高校の1977年の卒業アルバムでは、3年5Hの構成が凝ったものになっていました。それぞれの通学手段に別れて集合写真を撮っています。自転車、バス、鉄道、船舶、徒歩通学のグループです。

もう少し私たちの入学が早ければ、これに宇品線での通学者が多数加わっていたかもしれません。

入学した1974年にはまだ宇品線の線路が撤去されていなくて、往時の面影はありました。現在では随所にモニュメントなどはありますが、鉄道の廃線跡の形跡はまったくありません。

本書『宇品線92年の軌跡』(長船友則著、ネコ・パブリッシング、2012年)は、鉄道マニア向けのRMライブラリの一冊で、地元の鉄道史学会会員・長船友則さんの労作です。

鉄道マニアの視点からだと、宇品線を走る多様な車両が主眼の本なのでしょうが、その92年の歴史は日本の近現代史そのものです。

簡単に紹介します。

起源は1894(明治27)年に敷設された軍用鉄道にまで遡ります。山陽鉄道(現在の山陽本線)が広島まで開通したこの年、日清戦争が開戦、広島には臨時大本営が置かれ「軍都」の様相を色濃くした時代でした。

もし山陽鉄道が日清戦争の開戦時、下関まで全通しておれば、広島には大本営が置かれず、軍都としての発展はなく、原子爆弾の標的にもならなかった可能性があります。歴史の偶然は恐ろしいですね。

軍用鉄道を山陽鉄道が借用して一般営業を開始、その後国有化され、戦後は沿線に官公庁などが集まり活況を呈しましたが、昭和30年代も後半になると、自動車の増加から広島市を縦断して道路を分断するような線形や多くの踏切が問題となり、また官公庁も市街中心部に戻ったことから乗客も通学時間帯の学生に限られ、1966(昭和41)年12月19日限りで通勤時の通学定期客を除いた一般旅客営業を終了しました。

定期旅客専用列車の運行も1972(昭和47)年3月31日限りで運行が終了。

最後は通運業者専用線という扱いで、早朝1往復のみながら貨物列車の運行が続けられましたが、国鉄分割民営化の直前、1986(昭和61)年9月、92年の歴史に幕を降ろしました。

写真も多数掲載され、鉄道マニアだけが読むのはもったいない労作かと思います。以前紹介した陸軍被服廠の資料も合わせて御覧ください。

http://28minami-owaki.blogspot.jp/2014/06/blog-post_16.html

[積読立読斜読] 『陸軍の三廠 ― 宇品線沿線の軍事施設』(広島市郷土資料館、2014年)