男子2名、女子3名参加。
実際にPA機器(マイク、ミキサー、アンプ)を設置して練習しました。
違う生き方もあるかもしれない。
そんな気持ちにさせてくれる旅が好きです。
新刊の『旅の記憶』(有元葉子著、講談社、2025年)より
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有元葉子「私の仕事人生、旅人生がスタートしたのは50代からでした」
7/27(日) 7:01配信
FRaU
人気料理家 有元葉子 初の旅エッセイ本
ベトナムにイタリアに、有元葉子さんが語る“おいしい話”に触発されて旅に出たことがあるという人は数多くいるのではないでしょうか。長年活躍されているので、もっと前から仕事をされていたと思われがちですが、有元さんが料理家として働き出したのも、ひとり旅をスタートしたのも実は50代から。
そんな旅に関する有元葉子さん初めてのエッセイ『旅の記憶 おいしいもの、美しいもの、大切なものに出会いに』が8月に刊行となります。
「自他ともに認める旅好きですが、本格的に旅をするようになったのは、子どもたちの手が離れてからです。食事やお弁当はもちろん、三時のおやつも毎日作り、家にはしょっちゅう娘たちのお友だちが遊びに来て、にぎやかで慌ただしい日々を送っていました。
毎日やることがいっぱいの専業主婦の生活が終わったのが、五〇歳前後。それからなのです。今に至る仕事人生、旅人生がスタートしたのは。
海外旅行の経験がなかったわけではないですが、行きたいときに、行きたい場所に、ポンとひとりで飛んでいける自由気ままさこそが、旅の醍醐味だと思っていました。つまり、私はひとり旅をしたかったのです。娘たちが食べるものは自分たちでなんとかできるわね、という年齢になったときに、ついに実行しました」(『旅の記憶 おいしいもの、美しいもの、大切なものに出会いに』本文より)
子育てが落ち着いて、旅に出るのは今だと出かけた秋のパリ。南イタリアを訪ねては一枚ずつ集めてきたヴィンテージのリネン。本当にいいもの作りとは何かを問いかけてくるブルネロクチネリのブラウス。ロンドン郊外で出会った、挽きたての粉で作られたパンの香り。元気がほしいときに飲みたくなるポルトガル名物のスープ、「カルト・ヴェルデ」……。
世界中を巡った旅の記憶からは、「どうしたら自分を使い切れるかをいつも考えている」と語る有元葉子さんの人生観が垣間見えます。
有元葉子(ありもと・ようこ)編集者、専業主婦を経て、料理家に。料理教室やワークショップ等を提案する「A&CO.」の主宰ほか、キッチンウエア「la base(ラ・バーゼ)」シリーズのディレクター、イタリア産オリーブオイル「MARFUGA(マルフーガ)」の日本代理店主宰を務めるなど活躍は多岐にわたる。レシピ本をはじめ、食を通して暮らしや生き方などを語ったエッセイなど著者は100冊以上に及ぶ。近年のベストセラーは『レシピを見ないで作れるようになりましょう』(SBクリエイティブ)、『生活すること、生きること』(大和書房)ほか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0b63e64f534d3a6b5ced54d6dd51f432dcad54c5
所属しているHIP(Hiroshima Interpreters for Peace、平和のためのヒロシマ通訳者グループ)の活動で平和公園のガイドをしました。オーストラリアからの旅行者夫婦。3週間の日本の旅の途中だそうです。
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<産経新聞より>
「戦争と技術」を検証 『戦艦大和の歴史社会学』塚原真梨佳著
<書評>評・戸高一成(呉市大和ミュージアム館長)
2025/5/25 09:00
『戦艦大和の歴史社会学』塚原真梨佳著(新曜社・3520円)
先の大戦が破滅的な敗戦で幕を閉じてから80年が経過しようとしている。
80年という年月は、先の大戦が文字通り歴史となったといえる時代に入ったことを意味している。
このような時間経過の中で、戦前と戦後では何がどのように変化したかを問うことによって、
足元のありようを確認する作業の一つが、
今回刊行された塚原真梨佳氏の『戦艦大和の歴史社会学』なのではないか。
日本は明治以来、力を尽くして軍事技術を発展させた。
本書は、敗戦後の日本人が軍事技術を巡る問題をどのような社会的、
心理的状況の中で受け入れてきたかについて、戦艦大和をキーワードに据えて論じたものである。
昭和20年代から続く軍事雑誌『丸』の記事など、多くの文献解析を行っている。
その内容は序章の「旧軍の記憶と科学技術立国ニッポンの自画像」に始まり、
①「ナショナルなもの」としての戦艦
②戦争のコメモレーション(記念物)としての戦艦
③敗戦国日本はいかに戦艦大和を発見したか
④旧軍技術から平和技術へ
⑤「大和=科学技術立国の礎」論の退潮
⑥「第二の敗戦」と戦艦大和
⑦地方における「大和=科学技術立国の礎」論の展開-の各章と、
終章「平和日本の礎としての軍事技術」で構成されている。
序章において著者は、終戦時の鈴木貫太郎首相の談話から
「(新日本建設のためには)今回の戦争における最大欠陥であった
科学技術の振興に努める外ない」という言葉を引用した。
この言葉から導き出された戦後日本の姿を、
テクノ・ナショナリズムという切り口から通観することにより、
技術の継承を合理化するために戦争そのものの継承が断絶されているのではないか、
との思いに至った経緯を分かりやすく述べている。
否定されるべき戦争と、戦争にかかわりながらも否定しえない技術の歴史を、
さまざまな角度から見直す意味において、興味深いアプローチを示したといえよう。
https://www.sankei.com/article/20250525-NS2D4XM5ZNO67ILS4AFUD6IGQY/
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[歩く 聞く 考える] 戦後80年と戦艦大和 生々しい死を抜きにできない 立命館大アジア・日本研究所専門研究員 塚原真梨佳さん
25年6月25日
呉で生まれた旧海軍の戦艦大和が鹿児島沖で米軍に撃沈されて80年。日本敗戦を象徴した巨大艦は技術大国の礎になったとよく語られるが、日本人の戦後の大和観はさまざまに変遷したらしい。それを読み解く著書「戦艦大和の歴史社会学」(新曜社)を刊行した立命館大アジア・日本研究所(大阪府茨木市)専門研究員の塚原真梨佳さん(33)に聞いた。(特別論説委員・岩崎誠、写真も)
―なぜ戦艦大和に関する研究を始めたのですか。
美大出身でドキュメンタリー映像に携わり、母に聞いた大伯父の戦死をテーマにしたのがきっかけです。沈没した佐世保所属の戦艦金剛に乗っていました。戦艦という軍事技術の所産の名前は残るが一人一人の戦死という異常な死が漂白され、語られない状況に興味を持ったのです。立命館の大学院に入って歴史社会学を専攻し、戦艦という技術の歴史がどう継承されたかを考えるメルクマール(指標)として大和に注目しました。
―研究の手法は。
雑誌や書籍などメディア空間の言説を軸にしました。特に軍事誌「丸」は元技術将校らの寄稿など大和の「語り」をリードし、そこで示された見方が定説化していきます。1950年代は大和が海の藻くずと消えた無用の長物だったとしても技術だけ見れば世界一のメカニズムがあったと論じられました。世界最大排水量、最大主砲の戦艦を開発した技術力が日本民族にあったという語られ方は、造船大国として復活する中で受け入れられやすい物語でした。
―乗員約3千人の戦死は語られなかったのですか。
悲劇的な死を遂げた将兵の戦記も出ていましたが、戦場体験とメカニズムの語りは切り離されたと思います。平和的な価値観が社会にあって旧軍賛美が反動と見なされる中でも、大和に関しては目立った戦績がなかったために技術力のみ強調することが可能だったと考察しています。
―やがて日本は防衛力強化や兵器国産化に至ります。
戦争は罪悪だという意識の中で、兵器本来の目的を透明化して加害性を脇に置いて語ればいいという科学技術の中立論が60年代に出てきます。その頃に造船だけでなく光学機器や新幹線など幅広い民生技術に大和の遺産を生かしたとする「科学技術立国の礎」論も語られ始めるのです。
―しかし日本の高度成長は終わりを告げました。
「第二の敗戦」と呼ばれ、造船なども不況で日本の競争力が立ち遅れる時期に大和論は退潮し、「丸」からも姿を消します。70年代に多発的な環境破壊が顕在化し、科学優先主義が曲がり角を迎えたことも大和のメカニズムを賛美する言説が後退する要因だったのではと思います。
その後、昭和史が総括されるうちに違った見方も生まれます。2000年代に反省を込めて大和が回顧されたことすらありました。戦時下の造船も西欧の模倣と拡大であって職人技的な応用はあっても独自性に乏しく、効率化し標準化して量産する発想に欠けていた、とするものです。
―呉市が大和ミュージアムを開館し、大人気を博したのは05年のことです。
大和に関する日本人の関心が低下する中で再び脚光が当たり、メディアにも取り上げられました。ローカルな視点から大和を語り直す博物館がナショナル(全国的)な言説の形成に影響を与えた意味は大きいと思います。呉の歴史は日本の歴史と切り離しては考えられません。今後も技術や経済にとどまらず日本人のアイデンティティーを下支えする役割を願っています。
―軍事技術礼賛だけになるのは問題ではないですか。
軍事技術は人の殺傷という目的を内在します。テクノロジーを語る中でも戦争がもたらす生々しい死や責任を抜きにできません。使われた時の加害、被害の歴史を断絶させてはならないと思います。現代に生きる私たちが軍事技術の歴史を学ぶ意義は偏狭なナショナリズムに溺れることなく、大和のような存在を二度と造り出さないで済む世界の実現のために科学技術を活用する方策を構想することにあるのではないでしょうか。
つかはら・まりか
沖縄県生まれ。成安造形大卒。情報科学芸術大学院大メディア表現研究科を経て2024年立命館大大学院社会学研究科博士後期課程修了。同年現職。博士(社会学)。論文に「戦艦三笠保存運動のメディア史」など。映像作家としても東京ビデオフェスティバル2013筑紫哲也賞など受賞多数。
(2025年6月25日朝刊掲載)
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=152898