2019年1月10日木曜日
[その他] 10日と25日はパン屋の日 ブール・シュクレ横川店
以前、和菓子と洋菓子の日というのをやっていて、一通り巡ったので中断しておりました。装いも新たに(?)パン屋の日として復活します。
1月10日(木)は横川にあるブール・シュクレで昼食。
飲食店や洋菓子店を多店舗展開しているインスマート社のベーカリー店です。毘沙門台に姉妹店があります。
店内イートインスペースあり。昼食時でしたがおっさんは当方一人。
フランクフルトが入ったパンと、ミニメロンパン、ミニミルクフランスとコーヒーで昼食としました。
超有名なピザ屋さんの隣です。
2019年1月9日水曜日
[同窓会] E君の葬儀に参列
1月9日(水)皆実28期のE君の葬儀に参列。
長期病気療養中でしたが治療の甲斐なく亡くなったそうです。
在学中は面識もなく、卒業後も交流がありませんでしたが、参列中に突然、文化祭でE君と一緒にピンクフロイドのカバーのバックコーラスをやった記憶が蘇ってきました。曲名は忘れました。かび臭い講堂のにおいと、決してうまいとは言えなかったベースの音を思い出します。
皆実28期では、他にK君とH君夫妻が参列されていました。
謹んでご冥福をお祈りします。
結婚式と葬儀しかネクタイをしなくなりましたね。
[その他] ベース教室に通ってます
ロックのエレキベースではなくてコントラバスですが、さすがに本物は持ち運びに不便なので、ヤマハのサイレントベース(SLB200)を使って練習しています。
目標はフォーククルセダーズの北山修さんのようなベースですが、さてさてどうなりますやら。
夏のミニライブにデビュー予定です。
2019年1月4日金曜日
[その他] 2019年1月3日 フジグラン安芸 新春コメディーマジックショー!
配偶者と毎年恒例のフジグラン安芸へ。
毎年はテナント(名店会)主催の歌謡ショーだったのですが、今年からフジ本体の主催となったようです。
歌ではなくて「キャラメルマシーン」というマジシャンコンビによるショーでした。
なかなか楽しいショーでしたよ。
今年もゆるく生きていきます。
2018年12月30日日曜日
[惹句どんどん] 雑誌『つるとはな』の栞より
伊丹十三選集の編集者のひとり、松家仁之さんが関わっている雑誌『つるとはな』の販促用の栞より。
関東地区の書店を巡って栞ばかり集めているマニアの方のサイトからお借りしました。
当方も2019年2月に還暦を迎えるので、これからは栞の言葉通り「これでいいのだ」で行きます。
[あの頃のレコード] “Red Rose Speedway”(Paul McCartney and Wings, 4 May 1973 (UK))
28期の高校時代によく聴いた音楽を本当にレコードで聴きなおすという企画です。ネタ切れなので雑誌『レコード・コレクターズ』の特集で取り上げられたアルバムも「あり」に方針変更しました。
雑誌『レコード・コレクターズ』(2019年1月号)はポール・マッカートニー&ウィングスの特集。ウィングス最初期のアルバム『ワイルド・ライフ』(1971年12月)、『レッド・ローズ・スピードウェイ』(1973年5月)が、ポール・マッカートニー・アーカイヴ・シリーズ(リマスター版)の続編として発売されたのを期に特集が組まれました。2枚とも持ってなかったので、広島駅前の中古レコード店グルーヴィンで物色したところ『レッド・ローズ・スピードウェイ』があったので購入して聴いてみました。
最初に『レコード・コレクターズ』等からこのアルバムの紹介。
・録音期間はツアー活動を挟んで約9ヵ月(前作『ワイルド・ライフ』が録音2週間からの反省からか?)
・ソロの『ラム』からのアウトテイクを含み30曲完成していたので2枚組の構想があったがレコード会社が反対して1枚に
・70年代初頭のロックのトレンド、(1)プログレ、(2)スワンプ(アメリカ南部ロック)、(3)レイドバック、が影響されている
ポール・マッカートニーはビートルズ解散前の発言や、その後の活動からわかるようにバンド志向の強いミュージシャンで、ツアーの合間を縫ってアルバム制作・発表、を繰り返しています。ウィングス結成からほとんど準備期間もなく、録音も2週間という『ワイルド・ライフ』(実質3日という説もあり)が酷評されたせいで、バンドとしての演奏技術を高めるためにツアーを繰りかえし、録音期間も十分にとり(9ヵ月)、満を持してという感じのアルバムです。ジャケット裏面には点字で"We love ya baby"という、後年"Ebony and Ivory"(1982)で共演することになる、スティービー・ワンダーへのメッセージだそうです。いずれにせよシングル『マイ・ラブ』と同時期に全米NO1ヒットとなったアルバムなのでちゃんと聴きなおす必要がありますね。
個人的感想は下記の通り。
・次作の『バンド・オン・ザ・ラン』(1973年12月)まで7ヵ月しか開いておらず印象が薄い
・ロック史上の残るラブ・バラード『マイ・ラブ』1曲だけでもアルバムの存在価値あり(この1曲が突出していてアルバムとしてのまとまりには欠ける印象)
・ポールのワンマン・バンドと思いきや意外にコーラス部分が美しい
・3歳の娘メアリーのことを歌ったカントリー・ソング風のシンプルな曲"One more kiss"がほほえましい
・小品のメドレーは『アビイ・ロード』からのものだが完成度が低い、『バンド・オン・ザ・ラン』のように重層的でない
28期の高校時代によく聴いたウィングスの『バンド・オン・ザ・ラン』(1973年12月発売)と同年に発売された作品です。そのせいで印象が薄いのかも知れません。この頃のポール・マッカートニー(1942年6月18日生)は超人的な活動ぶりで、レコード発売を中心にまとめてみました。
<ビートルズ解散前後>
1966年8月、サンフランシスコ公演を最後にライブ活動休止
1969年1月、ゲット・バック・セッション(アルバム『レット・イット・ビー』として1970年5月発売)
1969年9月、『アビイ・ロード』発売(録音は同年4月~8月)。
1970年4月、ポール・マッカートニーのビートルズ脱退宣言。
11971年3月、ポール・マッカートニーが訴訟を起こしていた「解散とアップル社共同経営関係の解消」が確定。
<ソロ、ウィング名義のアルバム>
『マッカートニー』(1970年4月)
『ラム』(1971年5月)
『ワイルド・ライフ』(1971年12月)
『レッド・ローズ・スピードウェイ』(1973年5月)
『バンド・オン・ザ・ラン』(1973年12月発売)
<ウィングスのシングル>
『アイルランドに平和を』(原題:Give Ireland Back to the Irish)(1972年2月)
『メアリーの子羊』(Mary Had a Little Lamb)(1972年5月)
『ハイ・ハイ・ハイ』(Hi, Hi, Hi)(1972年12月)
『マイ・ラヴ(My Love)』(1973年3月)…アルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』収録、先行発売。
『死ぬのはやつらだ』(1973年6月1日)
<コンサート、TV番組>
1972年2月、全英の大学を抜き打ちで巡回するツアーを開始
"James Paul McCartney (TV program)"、16 April 1973 (US)…イギリスATV制作の番組。今回発売のデラックス盤のDVDに収録。プロモーション・ビデオとして秀逸。
72年7月ヨーロッパ各国(26か所)のコンサート・ツアー敢行、デラックス版にライブ音源が付属。
<収録曲>
Side one
1. "Big Barn Bed" 3:48
2. "My Love" 4:07
3. "Get on the Right Thing" 4:17…『ラム』製作時の作品をバンド向けに手直し
4. "One More Kiss" 2:28
5. "Little Lamb Dragonfly" 6:20 …『ラム』からのナンバー、バラードの佳品
Side two
6. "Single Pigeon" 1:52 …『マーサ・マイ・ディア』風のピアノソロあり
7. "When the Night" 3:38
8. "Loup (1st Indian on the Moon)" 4:23…プログレ風のインスト、ピンクフドイトと同じエンジニア、アラン・パーソンズの影響か?隣のスタジオでピンクフロイドが"The Dark Side of the Moon"を作っていた
9. "Medley: Hold Me Tight/Lazy Dynamite/Hands of Love/Power Cut" 11:14…『アビイ・ロード』と同じアイデアの未完成曲のメドレー
<アルバム・ジャケット他>
・タイトルは、ポールの家のハウスキーパー、ローズにヒント
・ジャケット表の写真撮影はリンダ。主にリンダ
・ブックレットが着きポップアート風のアラン・ジョーンズとエドゥアルド・パオロッツィが手がけたアートワーク
・バイクはハーレーダビットソン
2018年12月29日土曜日
[積読立読斜読] 『伊丹十三選集』特集 編集者の一人 松家仁之(まついえ まさし)さん
新潮社のサイトより 松家仁之さん
読む前置きが長い。スミマセン、伊丹十三選集の特集は今回が最後です。
選集の編集者の一人、もと新潮社の編集者、小説家の松家仁之(まついえ まさし)さんと、伊丹十三記念館の関わりについて、伊丹プロダクションの玉置泰さんと糸井重里さんが「ほぼ日刊イトイ新聞」の伊丹十三特集(糸井さんは第1回の伊丹十三賞受賞者)で対談されており、その中に松家さんの紹介がありましたので引用します。
玉置 (1997年12月20日に亡くなってから)、そういった感じで伊丹十三のことに関しては「こちらからは、なにもしない」というスタンスで、ずっといたわけです。その膠着した状態を、いいタイミングでほぐしてくださったのが「考える人」の編集長、松家仁之さんでした。ある日、「考える人」で伊丹十三の特集(2003年冬号)をしたいということで連絡してくださったんです。それまでも、本に関する申し出はいくつかあったんですけれども、ぜんぶお断りしていたんですね。松家さんからの申し出があったのは死から5年近く経ったころのことで、我々もなんとなく、忘れられても困るし、きちんと知ってもらわなくては、というふうに思いはじめたころだったのでタイミングがすごくよかったんです。
糸井 なるほど。
玉置 そして、ちょうど満5年の2002年の12月20日、ホテルオークラ新館の地下2階で、親しい方をたくさんお招きして、「宮本信子感謝の夕べ」っていうディナーショーを開いたんです。宮本さんがちょうどジャズをはじめたころだったので、ワンマンショーという形式にして。そこから、ようするに、吹っ切れたんです。
糸井 ああ。儀式が終わったんですね。
玉置 はい。そこから、まったく変わりました。松家さんは、「考える人」の特集のあと、伊丹さんの仕事をまとめた「伊丹十三の本」という書籍をつくってくださいました。そのあと、伊丹十三記念館の構想を松家さんにお話ししたところ、建築家の中村好文さんを紹介していただいて、松山に建設する運びになったんです。その後、伊丹さんの映画をまとめたDVDのボックスも出して、という具合で。
糸井 松家さんとの出会いを機に外へ開いていくと決めたわけですね。
玉置 そうですね。松家さんとの出会いは大きかったです。おかげさまでとくにイヤな思いもせず、ここまではやってこれたという感じです。
「ほぼ日刊イトイ新聞」伊丹十三特集より
https://www.1101.com/itami/tamaoki/2009-07-06.html
松家仁之(マツイエ・マサシ)プロフィール
1958年、東京生まれ。編集者を経て、2012年、長篇小説『火山のふもとで』を発表(第64回読売文学賞受賞)。『沈むフランシス』(2013)、『優雅なのかどうか、わからない』(2014)につづき、『光の犬』は四作目。編著・共著に『新しい須賀敦子』『須賀敦子の手紙』、新潮クレスト・ブックス・アンソロジー『美しい子ども』ほか。
新潮社のサイトより
https://www.shinchosha.co.jp/writer/4508/
[積読立読斜読] 『伊丹十三選集』特集 装幀の話
まだ続きます『伊丹十三選集』特集。今回は装幀の話。
の前に発売日の話。
第一巻は2018年12月20日発売でした。
喧伝されてなかったようですがこの日が伊丹十三さんの命日でもあり関係者の粋な計らいを感じます。
装幀の話(1)
今回の選集は全三巻の構成ですが、明らかに1961年に筑摩書房から出た『伊丹万作全集』が通奏としてあります。伊丹万作全集の明朝体のレタリングは伊丹十三さんのもの。今回の岩波版『伊丹十三選集』のブックデザインを担当した山口信博さんと宮巻麗さんはこの伊丹十三明朝を踏襲しながらも現代的な味付けで仕上げています。
装幀の話(2)
巻数は洋数字のほうが収まりがよいようですが、選集のほうは「一、二、三」という漢数字となっています。これは伊丹十三記念館の常設展示室が13室あり、設立委員がどうしても最後の展示室を伊丹十三の名前と同じ「十三」にしたかったそうで、ベントレーの車庫の「8」以外は漢数字になっており、この記憶を継承したものです。
総じて長い準備期間と編集者の深い愛情を感じる書物になりました。
読む前の話が長いですがご容赦のほど。
の前に発売日の話。
第一巻は2018年12月20日発売でした。
喧伝されてなかったようですがこの日が伊丹十三さんの命日でもあり関係者の粋な計らいを感じます。
装幀の話(1)
今回の選集は全三巻の構成ですが、明らかに1961年に筑摩書房から出た『伊丹万作全集』が通奏としてあります。伊丹万作全集の明朝体のレタリングは伊丹十三さんのもの。今回の岩波版『伊丹十三選集』のブックデザインを担当した山口信博さんと宮巻麗さんはこの伊丹十三明朝を踏襲しながらも現代的な味付けで仕上げています。
装幀の話(2)
巻数は洋数字のほうが収まりがよいようですが、選集のほうは「一、二、三」という漢数字となっています。これは伊丹十三記念館の常設展示室が13室あり、設立委員がどうしても最後の展示室を伊丹十三の名前と同じ「十三」にしたかったそうで、ベントレーの車庫の「8」以外は漢数字になっており、この記憶を継承したものです。
伊丹十三記念館展示室 「1」ではなく漢数字の「一」になっている
総じて長い準備期間と編集者の深い愛情を感じる書物になりました。
読む前の話が長いですがご容赦のほど。
2018年12月26日水曜日
[積読立読斜読] 『伊丹十三選集』特集? 編集者・松家仁之さんと建築家・中村好文さんの接点 あるいは伊丹十三論
松山にある伊丹十三記念館
二人は松山にある伊丹十三記念館の中心的なメンバー(編集者と建築家)ですが、共通点は二人とも伊丹十三の熱烈な信奉者であるということです。
寄稿文がはからずも伊丹十三論になっていますので、長文(これでも抜粋)ですが紹介します。
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寄稿文(抜粋)
建物の記憶 松家仁之
くだくだしいことは省略するが、ほどなく中村さんと会うことになり、建築課と依頼主の関係になった。のちには、書き手と担当編集者(わたし)の関係にもなった。直接やりとりすようになると、ささやかな疑問はあっさり氷解した。
中村さんはたいへんな読書家であった。なかでもエッセイの書き手としての伊丹十三の熱烈といっていいファンであった。わたしも中学生のころから、本の小口に指の跡がつくほど伊丹十三の本を繰りかえし読んできたから、同好の士がお互いをそれと知るのに多くの時間はいらなかった。中村さんの文章やイラストレーションにうっすら感じていた伊丹十三の影響は、やはりわたしだけの思いこみではなかった。
ここで伊丹十三論を展開する紙幅はない。けれども、中村さんの建築の軸にあるものを考えるひとつの補助線になるのではとおもうので、急ぎ足で書いておきたい。 ―衣食住のスタイルは、その人の生きかた、考えかたと表裏一体である。つまり、頭のなかやこころの内側をわざわざ覗かなくても、衣食住の様子を見れば、ある程度はわかってしまう。ヨーロッパの衣食住に見られるかたちはスタイルを美しいと感じるとき、わたしたちは同時に、長い歴史のなかで培われてきたヨーロッパの知恵や文化を見ている。しかし、日本は、目新しい外国の衣食住を半ば無批判にとりいれようとしたため、誤解による恥ずべき間違いもある。そもその日本人には似あわないものある。だからただ鵜呑みにして手本にするのは愚かな話しだ―思い切ってつづめて言えば、伊丹十三はそのように考える人であった。
衣食住から子育て、男女問題から精神分析まで、真の意味で彼ほど啓蒙的であった書き手はいない。しかも、伊丹十三の書くものはつねに具体的だった。自分の生活のうえで気になったことを、あらためて考え、調べ、発見し、みずから実践してみたうえで、書く。おいしいオムレツやおいしいスパゲティには正しいレシピがあり、スパゲティの食べ方や寿司屋のカウンターでの作法にも、正しいふるまいがある―伊丹十三はユーモアのある断固とした文章とイラストレーションで、それらをわたしたちに伝えたのだ。
そしてこのような考えかたの道筋と、どこか二重写しになるように、「建築とはなにか」「住まいとはなにか」「暮らしとはなにか」について、住まいの歴史をふまえながら、実践的に考えてきたのが中村好文という建築課である、とおもう。
出あってから二十年あまりの時が流れ、伊丹十三記念館の構想がもちあがった。中村さんは建築家として、わたしは編集者として、その立案メンバーに加わることになった。このいきさつも省略するほかないが、世の中には、長いあいだの思いが通じ、実現することもあるのだという、感慨深い、忘れがたいなりゆきだった。
そして、伊丹十三記念館は竣工した。誰もが利用することが可能な公共性のある建築物、空間として―本書(『集(つど)いの建築、円(まど)いの空間』(中村好文著))はそうした仕事ばかりを集めたものであるわけだが―中村さんの代表作のひとつになったとわたしは考えている。
『集(つど)いの建築、円(まど)いの空間』(中村好文著)より
2018年12月25日火曜日
[積読立読斜読] 岩波書店より『伊丹十三選集』(全三巻)刊行開始
今回は編集者の一人で、松山の伊丹十三記念館を設計した、建築課の中村好文さんの思い入れぶりがわかる文章を紹介します。
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[伊丹十三記念館]
こぼればなし
大学二年生の秋、なにげなく立ち寄った書店で、目の前の本棚にあった本の背表紙とタイトルに心惹かれて思わず手に取りました。それが、伊丹十三の『女たちよ!』という本でした。
とりあえず、パラパラとめくったあとで、あとがきを読みだしてみると『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が一番好きな小説で……と書かれていて「あ!」と思いました。というのはぼくもちょうどその半月ほど前に『ライ麦畑でつかまえて』(キャッチャー・イン・ザ・ライ)を読んでたちまち魅了され、二度、三度と読み返していたときだったからです。このとき、何か「因縁めいたもの」(赤い糸?)を感じたのかもしれません。迷わずぼくはこの本を買いました。貧乏学生のことですから、その本を買うために、その日の食事を抜かなくてはならない出費でしたが、そんなことはまったくへっちゃらでした……というのも、下宿の部屋に戻ってこの本を読みだしたとたん、ぼくは文字通どおり「寝食を忘れて」読み耽ったからです。本の内容が、文体と表現が、添えられているイラストと書き文字が、そして行間から立ち上がってくる伊丹十三の生き方の姿勢と美意識が、ぼくの心を鷲づかみにし、奮い立たせてくれました。それは、目の前に拡がる大海原に船出するような前途洋々とした気分でした。
そして、翌日から中央線沿いの古本屋を一軒一軒、虱つぶしに歩いて、わずか一週間の間に『ヨーロッパ退屈日記』『問い詰められたパパのママの本』を買い求め(それが伊丹十三の著書のすべてでした)、その三冊をそれこそ貪るように読みました。今にして思えば、あれは熱病にうなされたような日々でした。そして、熱病は思いのほか長引いて、二〇代のぼくの枕元にはいつも伊丹十三の本がありました。
そのように熱烈な読者でしたから、ぼくが伊丹十三から受けた影響は計り知れません。ぼくは、まず「旅」と「料理」という、人生におけるふたつの大きな財産を授かると同時に、たとえば、マガイモノとマニアワセとツキナミを排除する精神を学び、時流や風潮に流されない価値観をもつことを学び、観察力と想像力の大切さを学びました。そして、なによりも、ユーモアとウィット、そして「遊び心」を学んだのです。
「伊丹十三記念館」の設計を手がけることになったのは、編集者であり小説家でもある松家仁之さんの推薦によるものです。伊丹十三とおしどり夫婦ぶりで有名だった女優の宮本信子さんや、伊丹映画全作品のプロデューサーを務めた伊丹プロダクションの玉置泰(たまおきやすし)さんの期待に十二分に応えたいという思いはもちろんのこと、伊丹十三から学んだことを、建物の設計だけでなく、展示デザインからミュージアムグッズの企画まで、「記念館をまるごと設計すること」で多くの人に見てもらいたいと思いました。「伊丹十三記念館」は、ぼくの中では一種の卒業設計だったのです。
『集(つど)いの建築、円(まどい)の空間』(中村好文著、TOTO出版、2017年)より
2018年12月24日月曜日
[その他] ONTOMO MOOK 付録 真空管アンプキット
音楽之友社からムックの付録で真空管アンプキットが発売。どうも「付録」に弱いもんで。
キットといってもねじ止めだけなので15分ぐらいで完成。スピーカーは今年の夏に作ったこれも雑誌『Stereo』付録のもので鳴らしています。
あとはレコードプレーヤーが付録で出るとコンポーネントが揃いますが。。。
2018年12月22日土曜日
[同窓会] にっぱちサロン竣工
入口は木製のドア
デッキはヒノキ、床は再利用の足場板です
皆実高校の導入路にあった楠木の記憶を引き継ぎ
楠木でテーブルを作成(1枚板だと高いので2枚になってます)
天井照明は自分で取り付けたのエジソン電球です
事務局・大脇の自宅を改装して、28期のみなさんが集えるオープンスペース「にっぱちサロン」を作りました。
11月末に竣工したのですが、机や椅子、後付けの照明などが揃わず、やっとお披露目となった次第です。
すでに軽音楽部の練習や、地歴部の集合場所に使っています。
28期の方は無料で利用可能ですので、どんどん活用ください。
壁は珪藻土、床は足場板のリユース品、アプローチのデッキはヒノキ、窓・ドアは木製と、自然素材を使いました。
なかなか居心地いいですよ。
2018年12月20日木曜日
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