2018年10月13日土曜日

[自分史のレッスン] 2018年10月 姪の結婚式で那須塩原へ



2018年10月7日(日曜日)は東京在住の姪(配偶者の妹の娘)の結婚式で那須塩原まで。

個人的に北東北三県(青森、岩手、秋田)に行ったことがなかったので青森で弟夫婦と合流し10月4日(木曜日)から休みをとって大旅行敢行。これで47都道府県に訪れたことになりました。(証拠はありませんが)。

自分の親族からは、配偶者、長女夫婦+孫2人、次女夫婦+孫1人、配偶者の兄夫婦、義母、が広島から。バラバラの行程で那須塩原の式場に集合しました。

日頃の行いがよかったのか台風の影響はありませんでした。

まったくもって自分史ではなく他人の人生になってます。それはそれで幸せです。

2018年10月10日水曜日

[惹句どんどん] チコちゃん(NHK番組のキャラクター)



Don't sleep through life!


「ぼーっと生きてた」ので人気番組なのを最近まで知りませんでした。

些末なトリヴィアを大真面目に解説し、5歳の女の子が突然切れる、という設定が秀逸です。

2018年10月1日月曜日

[積読立読斜読] 『齋藤孝の一気読み! 日本近現代史』(東京堂出版、2017年)



.中原中也 サーカス
 
幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風(しっぷう)吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
  汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯(ひ)が
  安値(やす)いリボンと息を吐(は)き

観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

      屋外(やがい)は真ッ闇(くら) 闇の闇
      夜は劫々と更けまする
      落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
      ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん


中原中也の代表作「サーカス」は昭和4年の発表。「幾時代かがありまして」は日清戦争から続く世相をさし、戦勝に沸く国民とは距離を置いて、最終的に破滅に向かう日本を予言するよう幻想的な詩です。

「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」は中也独特のオノマトペとリフレインで声に出して読むとより心の深層まで響きます。

フォーク歌手の友川かずきさんがこの詩にメロディーをつけて持ち歌の一つにされ反戦歌になっています

https://www.youtube.com/watch?v=DBD2-J2gFSU


前置きが長くなりました。『齋藤孝の一気読み! 日本近現代史』(東京堂出版、2017年)の紹介です。

週刊「齋藤孝」と揶揄されるほど出版点数の多い明治大学教授ですが、おそらくは執筆陣は別にいて先生は編集会議でコンセプトを出す程度かと思われます。粗製乱造のものもあるようですが日本の近現代史の復習のために手に取ってみましたが、コンパクトにまとまってなかなかの良書でした。版元が事典類の老舗、東京堂出版。巻末には索引もつき利用度は高いと思いました。

構成と内容説明は版元のHPから。

<目次>
1章 黒船来航――そして開国へ
2章 新しい国家づくり――なぜ日本は急速な近代化に成功したのか
3章 「戦争の時代」の幕開け――すべては対ロシア戦略だった
4章 太平洋戦争へ――なぜ世界中を敵に回し、破滅の道を選んだのか
5章 占領下の日本――「精神」まで変革を迫られて
6章 戦後宰相たちの肖像――吉田茂から田中角栄まで
終章 「挙国一致」が得意な日本人 ――バブルまでの高揚と崩壊後の冷淡
<内容説明>
黒船来航から明治維新、戦争の時代、そして戦後の高度経済成長から現在まで。150年の流れがすっと頭に入る、齋藤孝さん初の「語りおろし日本近現代史」。
【本書のポイント】
① 章ごとに年表、まとめが入り、理解しやすい。
② 語り下ろし口調なので、一気に読める。
③ 歴史上のキーマンが一目瞭然でわかる。
④ 大切なポイントは、すべて太字で表記。
⑤ 索引が充実。さらに脚注を入れ、理解が深まる。

巻頭で日本の近現代史を学ぶ意義を述べられています。

・日本の近現代史は、世界史的に見ても非常に研究価値のある稀有な物語である
・欧米が200~300年かけて歩んだ近代化をわずか半世紀で達成
・圧倒的な白人優位社会の中で極東の有色人種の小国が欧米列強と並ぶほどに急成長した
・数多くの戦争と、最終的な壊滅的な打撃、戦後の急速な復興というプロセス

学校の授業では年度末に駆け足で流すだけというのがよくあるパターンで、日本の近現代史を学校ではじっくり学べていません。現代日本の国際的な立ち位置の理解と、今後の日本の進む道を考えるためにも、自国の近現代史の理解は必要だと思います。

印象にのこったのは第3章「『戦争の時代』の幕開け」です。日清戦争からほぼ10年おきに戦争があったのは理解していますたが、日本が「戦争」とは名付けていないものの相手側から見れば海外出兵で戦闘が行われ犠牲者が出ているので、立派な戦争です。また戦争の罪だけでなく、功罪の「功」の部分の記述があるのは目から鱗でした。

P78
3章 まとめの年表「『戦争の時代』の幕開け」
ほぼ5~10年、時には2年おきに戦争に明け暮れた時代だった(  )内は前の海外出兵(戦争)からの経過年数

1874(明治7)年 台湾出兵
1894(明治27)年 日清戦争(20年)
1900(明治33)年 義和団事件(6年)
1904(明治37)年 日露戦争(4年)
1910(明治43)年 韓国併合(6年)
1914(大正3)年 第一次世界大戦(4年)
1918(大正7)年 シベリア出兵(4年)
1927(昭和2)年 山東出兵(9年)
1931(昭和6)年 柳条湖事件、満州事変(4年)
1937(昭和12)年 盧溝橋事件、日中戦争(6年)
1939(昭和14)年 ノモンハン事件、第二次世界大戦(2年)
1941(昭和16)年 太平洋戦争(2年)
1945(昭和20)年 ポツダム宣言受諾、太平洋戦争終結

P114
3章のポイント
・ロシアへの恐怖が日本の富国強兵を推し進めた
・日清戦争は西欧列強によるアジア進出のきっかけとなった
・日本の近代史の負の部分の多くは朝鮮半島の支配を巡ってのものだった
・日露戦争は条件より講和を優先したため勝利したにもかかわらず成果に乏しく、国民の不満を招いた
・日清・日露戦争を経て日本の国民意識が芽生えた。日本人は大日本帝国の一員であり、天皇の臣民であるという強烈なアイデンティティに目覚めていった

P79
ほぼ5~10年、時には2年おきぐらいのペースで断続的に戦争を繰り返していたわけです。ほとんど戦争が日常化していたといってもいいでしょう。

P79
戦争は国家に損害や消耗、疲弊をもたらしますが、近代化も進めるのです。これには2つのルートがあります。一つは産業の近代化。兵器の生産を質・量ともに高める必要に迫られるため、主に工業が著しく成長するわけです。そしてもう一つは国家体制の近代化。戦争には軍隊が必要ですが、その強化を図るには、号令一下で動くような中央集権的な組織づくりが欠かせません。
日本だけが特殊だったわけではありません。どの国家でも、近代化と戦争、それに伴う軍隊の充実はだいたいセットになっています。その結果、近代戦を戦った国と戦っていない国とでは、近代化において大きな差が生まれたのです。


冒頭に中也の「サーカス」を引用したのは、本書の第3章「『戦争の時代』の幕開け」のBGMに相応しいと思ったからです。(友川さんの唄は脳裏にはりついてずっと響いていて困ります)。

[惹句どんどん] デヴィッド・ボウイ



2002年、デヴィッド・ボウイはミュージシャンたちに、

これまでとはまったくちがう未来が待ち受けていると警告した。

「音楽そのものは、水道や電気のようなものになるだろう」とボウイは言った。

「ツアーをたくさんする覚悟をしておいたほうがいい。

それだけが残ることになるだそうから」。


『いまの経済をつくったモノ』(ティム・ハーフォード著、遠藤真美訳、日本経済新聞社、2018年)より引用

日本では矢沢永吉さんが同じような発言をされています。

糸井 たとえば10年前、
矢沢永吉はどんなふうに考えてたの?
いろんなものの価値観が
がらっと変わりそうだなっていうときに。
矢沢 ひとつだけわかったことはね、
この激動の時代の中でね、
ダウンロードできないものを
作らないといけないと思ったの。

「ほぼ日刊イトイ新聞」のサイトより
https://www.1101.com/job_study/yazawa/2007-06-06.html
2007-06-06-WED

2018年9月29日土曜日

[惹句どんどん] 東井義雄(但馬の教育者)


「村を捨てる学力、村を育てる学力」


かつてこの豊岡、但馬の地に、東井義雄という教育者がいた。
日本のペスタロッチとも呼ばれる東井先生は、昭和30年代に「村を捨てる学力、村を育てる学力」という概念を提唱した。このまま、いわゆる「学力」だけを伸ばしても優秀な子どもほど東京に出て行ってしまい、村は疲弊するばかりだ。もっと共同体を豊かにするような教育に、その教科内容を切り替えるべきではないか。高度経済成長のまっただ中で、このような主張が、当時、陸の孤島であった但馬の地から生まれたのは驚嘆に値する。
 いま文科省が進める「グローバル教育」は、21世紀版の「村を捨てる学力」、いわば「国を捨てる学力」なのではないか。
それは、言い換えれば、教室の39人を犠牲にして、一人のユニクロシンガポール支店長を作るような教育だ。
教育工学的に見ても効率が悪いし、そして獲得目標も低い。しかも残りの39人はグローバル化から取り残され、偏狭なナショナリスト予備軍になっていく。誰のための、何のためのグローバル教育なのか。
講談社出版PR雑誌『本』(2018年7月号)より引用
平田オリザ 22世紀を見る君たちへ 

2018年9月24日月曜日

[その他] 毎年恒例スピーカー工作(マークオーディオ製8cmフルレンジ)


雑誌『ステレオ』による夏のスピーカー工作特集。今年は香港ベースのマークオーディオ社製の8cmフルレンジユニットでした。(開発者はイギリス人で振動版の軽量化がイギリスのユニットの伝統だそうです)。

『ステレオ』誌の付録は2010年から始まりましたが、近年は諸物価高騰の折、雑誌とは別にムック形式での発売となっています。

ユニット紹介の冊子にはこれといって製作意欲をそそられる事例がなかったので、『ステレオ』(8月号)の記事「第1回スピーカー甲子園」で第1位を獲得した日本工学院八王子専門学校オーデォ研究会が作成した後面開放型に挑戦してみました。

雑誌の写真では大きさがつかめませんでいしたが、縦500mm、横380mm、奥行き225mm、という寸法は実際に作成してみると予想以上に大きかったです。

後面開放型は要するに四角いふたのない箱で、作成は簡単です。(板取の際、切りしろを考えてなく、ちょっと寸たらずとなりました)。

音は想像以上に朗々としたなりっぷりで、小型のエンクロージャーにない魅力があります。(見た目は悪いけど)。

ユニットは5,200円(税別)、15mm厚合板が5,000円ぐらいです。





2018年9月18日火曜日

[惹句どんどん] 村田新八(薩摩藩藩士)


おいはもう竜宮城を見てきもした。
大満足でございもす。
あとは浜の爺(じじい)になりもんそ。


P136
村田(新八)が相手だと言葉がいくらでも出てくる。そうだ。大久保はじめ使節団に抱いた違和感。それは鉄の国の論理だったのである。

「おいはこん薩摩から、百姓をする国をつくるつもりじゃ。アメリカで勉強しおる息子も手伝ってくれっじゃろう」

「吉之助さあ、おいにも手伝わせっくれ」

「おはん、出世の道を断たれるがそいでもよかか」

「なんの、なんの。おいが出世したそうな男に見えもすか。おいはもう竜宮城を見てきもした。大満足でございもす。あとは浜の爺(じじい)になりもんそ」

NHK大河ドラマ原作『西郷どん 軽装版(下)』(林真理子著、2017年)より


村田新八

同じ郷中(町内)に育った西郷を兄と慕い常に同行した弟分。西郷二度目の島流しでは、新八も喜界島に流刑となる。大久保にも慕われ、明治新政府の担い手として期待され岩倉具視欧米視察団にも参加するが、西郷とともに下野し、死の間際まで西郷に付き添うことに。

https://www.nhk.or.jp/segodon/cast/murata_shinpachi.html
NHK『西郷どん』特設サイトより

※小説からの引用ですので、史実かどうかは不明です。

2018年9月16日日曜日

[その他] 夏休みの工作 組み立て式ポータブル・レコード・プレーヤー SPIN BOX

完成品の見本写真

組み立て途中

毎年恒例の雑誌『ステレオ』8月号付録のスピーカーによる工作(昨年から諸物価高騰のため付録とならず別売となってます)。

工作のほうは遅遅として進まず、別途紹介します。

2か月ぐらい前に買った組み立て式のレコード・プレーヤーをやっと組み立て完成。

電源はUSBからで、なんと単体でステレオ再生スピーカーがついており、音は???ですが、レコードの再生が可能です。

アンプ、スピーカーの自作はありましたが、レコード・プレーヤ―の自作キットというのはおそらく世界初で興味本位で買ってみましたが、音はさすがに???なのでお勧めしません。

値段は15,000円ぐらいでした。



[同窓会] 2016年の皆実有朋会総会パンフレットの記事「3本の楠の由来」



28期のメンバーと立ち上げた地歴部内のメールの転載です。

28期の地歴部立ち上げのヒントになったのは、2016年の皆実有朋会総会パンフレットの記事「3本の楠の由来」です。

当番期の22期の濱永さんによるこの記事は、皆実・県工の通学路にある3本の楠がいつごろから存在するのか疑問に思われた濱永さんが広島工業高校のHP、事務局、広島市郷土資料館、などに照会し、少なくとも昭和14年陸軍撮影の航空写真に樹木が確認できることから、陸軍被服支廠内にあった皆実神社(伊勢神宮分祠)の社叢であったことを突き止められます。

濱永さんの知的好奇心の背景は存じ上げませんが、通学路の3本の楠が戦前から存在し、原爆に会いながらも、今日も通学する生徒を見守っている、ということを突き止めただけでも称賛に値すると思います。

ご尽力に水を差すようで大変失礼極まるのですが、惜しむらくは「なぜこの場所に陸軍被服支廠」が建設されたのか、「なぜ県女が陸軍被服支廠跡に移転したのか」、「なぜ県女が県立皆実高校になったのか」、という歴史的な考察に対し、今少し深堀があれば連綿と続く母校の歴史が鮮明になったと考えます。

現在、大脇邸の木造1階部分を「28期サロン」と称した事務所に改装打ち合わせ中ですが、せっかくなのでテーブルに楠の素材のものを採用し、記憶を継承したいと考えています。(1枚板だと20万程度ですが、あほらしいので、2枚板にすると5万円で収まるのでこちらにします)。

[同窓会] 総会準備のため(総会にできるだけ参加する)

メモ程度に。総会の準備。

先日、8月18日(土)、開催された皆実高校全体の同窓会総会「皆実有朋会」にいつもとは違うメンバーが28期から参加しました。A君から2020年の総会準備についてヒントをもらいました。

A君と今回の当番期の方からの会話で、今回の当番期の方は総会の準備のために同期会もかねて前年の総会に多数参加されたそうです。

28期の場合は5年に一度の同期会と、年に2回のクラス世話人会を開いているので、全員参加するほどのことはないと思いますが、「備えあれば憂いなし (Providing is preventing…この英語のことわざ、合ってるのか?)」、前年の2021年では準備が始まっているので、2年前の2020年の総会に出来るだけ参加し、総会の運営方法を直に見てもらった方がよい、というヒントです。

2020年には年賀状等で2022年当番期の注意喚起を促し、この年の総会から出来るだけ参加したほうが円滑な運営ができることは確かでしょうね。

別に総会当番期のために同期会があるわけではないのですが、どっちみち義務で当番をしなければならないので、できるだけスマートに運営したいものです。またコンビを組む若い当番期の方、在校生の方、外部への情報発信等、閉じた総会ではなく、開かれた継承できる同窓会に少し舵を切れればと考えます。



[あの頃のレコード]『夢で逢えたら』(シリア・ポール、1977年)


高校時代の音楽をアナログ・レコードで聴きなおすという無謀な企画。今回はモコ・ビーバー・オリーブのオリーブ嬢ことシリア・ポール『夢で逢えたら』(1977年)です。

本作のプロデューサーである故・大瀧詠一さんは雑誌『レコード・コレクターズ』(2007年増刊)のアンケート「無人島に一枚だけレコードを持っていってよいと言われたら何を選ぶか」に対し、レコードそのものではなく、1962年から1966年までのヒットチャートを掲載した『レコード・リサーチ』というカタログを選ばれました。理由はその4年間のヒットチャートの曲なら「(頭の中で)いくらでも再生できるから」というものでした。(内田樹先生のブログよりエピソート紹介)。

60年代のアメリカは日本から見ればまだまだ仰ぎ見る大国で、人々が「夢」を語れる時代でした。夢のあるアメリカのポピュラー・ミュージックを消化し、換骨奪胎し、日本語の曲に違和感なく乗せる、というのが私の理解する大瀧詠一さんの音楽です。

『夢で逢えたら』はオールド・ファンにはなつかしい深夜放送のモコ・ビーバー・オリーブ(1967年~)こと、オリーブのシリア・ポールをボーカルに迎え、大瀧詠一さんのレーベル、ナイアガラ・レーベルから1977年に発売されたものです。2018年に発売40周年を記念して、多数のミックスを含むビニール版、CD版のボックス・セットが発売されたので購入してみました。

はっぴいえんど解散後の70年代の大瀧さんは際物的な扱いで一部の熱心な共鳴者しかおらず、正統な評価は『A LONG VACATION』(1981年)、松田聖子さんの『風立ちぬ』(1981年)(A面のサウンド構成者)まで待つことになります。アルバム『夢で逢えたら』もセールスは1万枚程度だったそうで、
「幻の名盤」として埋もれてしまっていました。

本作はシリア・ポールさんの作品というよりは、大瀧詠一さんの渋い選曲と、凝りに凝ったアレンジが眼目で、81年の『A LONG VACATION』の修作と言えるかもしれません。
ボーカルがバックのアレンジに力負けする曲も散見されアルバムとしてのまとまりには欠けるところがあります。とはいえ、ツボにはまった曲はアルバムタイトルの『夢で逢えたら』を始めとして永遠のスタンダードナンバーたりえる佳品だと思います。

蛇足ですがシリア・ポール版とは別に『夢で逢えたら』のオリジナル・カバー曲全86曲を収めたCD4枚組の『EIICHI OHTAKI Song Book Ⅲ 大瀧詠一作品集Vol.3 「夢で逢えたら」(1976~2018)』も発売されています。日本ではめずらしい歌い手を超えたスタンダード・ナンバーですね。

シリア・ポールさんのアルバム『夢で逢えたら』収録曲を簡単に紹介します。ライナーノーツに大瀧さん自身が「フィル・スペクターのサウンドに捧げたい」とあるようにアレンジはフィル・スペクターのサウンドに影響を受けています。楽曲のアレンジはすべて大瀧詠一さんですが、ストリングのアレンジは山下達郎さんです。

ボックス版のライナーノーツによると、ナイアガラ・レーベルでのシリア・ポールさんへのアプローチは下記の3点。単にレーベルに女性歌手がいなかったことと、大瀧さん自身のガール・ポップへの挑戦という思いが基本にあるようです。

理由(1)モコ・ビーバー・オリーブのプロデューサー朝妻一郎氏がナイアガラのアドヴァイザーだった。
理由(2)モコ・ビーバー・オリーブのラジオ番組「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」のディレクターが親交のあった亀淵昭信氏だった。
理由(3)デビュー作『わすれたいのに』(1969年)がフィル・スペクター・プロデュース作品のカバーだった。(シングル盤解説は亀淵昭信氏)。


Side-1
1.夢で逢えたら(大瀧詠一)
アン・ルイスさんへの提供曲でしたがレコーディングには至らず、オリジナルは吉田美奈子『FLAPPER』(1976年)収録。子役出身、ラジオ・パーソナリティでもあるアン・ルイスさんへの敬意と、一種の照れからの洒落でしょうかちょっと臭い「セリフ」入りがミソです。女性歌手によるカヴァーが多数生まれましたがチャートでの100位入りはなく、男性歌手「ラッツ&スター」のカヴァーがトップ10入り、1996年の紅白出場というのは面白いエピソードです。

2.恋はメレンゲ(大瀧詠一)
大瀧さんのアルバム『NIAGARA MOON』(1975年)収録曲。60年代ジャズのボサノヴァ・ブームをポップスに取り入れたイーディ・ゴーメ『恋はボサ・ノバ』(原題"Blame It on the Bossa Nova"、バリー・マン&シンシア・ワイル、1963年)へのアンサー・ソング。「メレンゲ」はダンス・ステップの一種。大瀧さんによると「ギロ」が前面に出てくる音楽だそうです。原曲がパロディであったことの証左にイントロ、アウトロが不自然なリズムになっているそうです。ボーカルは当時ティン・パン・アレイが関わっていたアグネス・チャンにも似ているようです。

3.ドリーミング・デイ(大貫妙子・作詞、山下達郎・曲)
オリジナルは山下達郎さん、『NIAGARA TRIANGLE Vol.』(1976年)。

4.ONe Fine Day(G.Goffin / C.King)
原曲は黒人女性グループ、シフォンズ(1963年)。作曲がキャロル・キング。アレンジはニューオリンズのR&Bバンド、ミーターズ(The Meters)(1969年‐1977年)。大瀧さんがライナーノーツで述べていますが「オーバー・プロデュース」のようです。

5.Walk With Me(H.Greenfield, N.Sedaka)
ニール・セダカのヒット曲『悲しきクラウン』(1962年)のB面収録曲。来日時同じビクター所属の新人歌手・佐川満男にこの曲を提供し、佐川満男のデビュー曲となっています(邦題『二人の並木道』)

6.こんな時(大瀧詠一)
原曲は『Go! Go! NIAGARA』(1976年)。適当な大雨のSEがなく「豪雨」になってしまったと反省されています。


Side-2
1.The Very Thought Of You (R.Noble)
レイ・ノーブル作のスタンダードナンバー。ほとんどが男性歌手のものだそうですが、本盤では男女のデュエット曲に仕立てたところがよい仕上がりになっています。大瀧さんはリッキー・ネルソンのカヴァーで知ったそうです。『A LONG VACATION』はリッキー・ネルソンのアルバムタイトルを転用したものだそうです。

2.Whispergin (J.Schonberger / R.Coburn / V.Rose)
フランク・シナトラのカヴァーが有名なスタンダード・ナンバー。本盤ではNino Tempo & April Stevense という男女デュオの曲(1963年)をそのままカヴァーだそうです。ファルセットを多用した原曲のカヴァーはかなり難しかったようで、大瀧さんのファルセットは好みの分かれるところかも知れません。

3.Tonight You Belong To Me (B.ROse / L.David)
姉妹デュオ、Patiernce and Prudenceのカヴァー(1956年)で知られるスタンダード曲。デュエットはシリア・ポールの実姉ポール聖名子(60年代のコロンビア・レコード歌手)。

4.Oh Why (P.Spector)
「アルバムには1曲バラードが必要だ」という大瀧さんの理念から収録。フィル・スペクターの作品。スペクターが在籍していて唯一のバンドThe Teddy Bears"The Teddy Bears Sing”(1959年)収録曲。

5.Cha Cha Charming ( E.Greenwich)
60年代ポップスの作曲家、エリー・グリニッチが歌手エリー・ゲイ名義で発表した曲(1958年))。シリア・ポールさんは大瀧さんからの「10歳若返って歌ってほしい」というリクエストに応え、ちょっとお茶目な感じに仕上がっています。

6.夢で逢えたら、もう一度(大瀧詠一)
山下達郎さんのストリング・アレンジによるカラオケ・バージョン。これ単独でも傾聴に値する名曲ですね。余韻残したままアルバム終了です。





2018年9月14日金曜日

[同窓会] 豪雨災害の義援金 ご協力感謝

豪雨災害の義援金ご協力ありがとうございました。

8月末で締め切りました。

皆さんの協力により現金167,000円、商品券等4,500円の

義援金等が集まりました。

9月10日に事務局より被害にあわれた同期生にお渡ししました。

まだまだ普段通りの生活には戻っていないようです。

一日でも早い復旧への一助になれば幸いです。


今回は拠出者、被災者とも匿名としました。

個別に御礼は申し上げずに大変申し訳ありません。ご了承ください。

2018年9月9日日曜日

[その他] 広島掃除に学ぶ会 東原中学(大雨警報のため中止)

本日9月9日(日)は広島掃除に学ぶ会の活動で東原中学のトイレ掃除に参加する予定でしたが、広島市に「大雨警報(土砂災害)」が出ており中止になりました。

広島掃除に学ぶ会、今年は7月8日(日)が豪雨災害のため中止、7月29日(日)が台風のため中止、と例年になく中止の多い年です。

全国で見ても、6月の大阪府北部地震、7月の西日本「平成30年7月豪雨」、9月関西台風21号、北海道胆振(いぶり)地方の地震、と天災による被害が続いており、これらの復旧・復興が最優先で、のんきに自民党総裁選挙をやっている場合でもないような感じです。

災害で被災された方々のご苦労に比べると、ボランティアのトイレ掃除の会が中止になったことは何の苦痛でもありませんが、それでも朝早くから道具の準備をされたり、中止連絡を学校関係者に連絡したり、掃除の会のメンバーに連絡したりで、裏方は大変です。

有事に備えて平常時も緊張感をもって暮らしていかなくては、としみじみ思いました。