私は旅と探検が嫌いだ。
だが、今私はそれについて語ろうとしている。
『ウィスコンシン渾身日記』(白井青子著、幻冬舎2018年)より。
ゼミ担当教授だった内田樹さんによる巻末の往復書簡より。
この世に、紀行文とか旅行記といいうのがたいへん多いのは、「旅先で遭遇した出来事をことこまかに記録するという習慣を持っていると、旅先でのトラブルを回避できる可能性が高まる」という経験則が知られているからではないでしょうか。
かの、冷静にして沈着なクロード・レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』というブラジルのマトグロッソでのフィールドワークノートを残しています。これはレヴィ=ストロースが書いたたぶん唯一の旅行記ですが、その冒頭には後にひろく人口に膾炙した有名な言葉が記されておりました。こういうものです。「私は旅と探検が嫌いだ。だが、今私はそれについて語ろうとしている」
(中略)
現に、人跡未踏の土地に旅する人はしばしば旅日記をつけます。それは多くの場合、たいへんに面白い。それだけ日々の出来事を記録するという行為が生き延びる上で切実だからだと思います。ピョートル・クロポトキンの『ある革命家の手記』も北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』もチェーホフの『サハリン島』も、そういう切実さをゆえに例外的な文学的深みに達している。
