2021年5月15日土曜日

[積読立読斜読] 『この世界の片隅に(中)』(こうの史代著、双葉社、2008年) 第23回 昭和20年正月

 



スローリーディング中の漫画原作『この世界の片隅に(中)』。本日は「第23回昭和20年正月」の章。当時流通していた「愛國イロハカルタ」を題材にしたものです。物資が欠乏していたので一部の家庭でしか実際にはかるたで遊ぶ余裕はなかったろうと想像されます。

実物はカタカナ表記です。

2月にはヤルタ会談が開催されて、連合国は戦争後の世界秩序の構築を始めています。




愛國イロハカルタ

昭和18(1943)年

日本玩具統制協会製/紙 

昭和10年代、満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと日本中が戦争一色になり、子どもの遊びや玩具もその影響をうけるようになります。サーベル、ラッパ、鉄兜(てつかぶと)を身につけた兵隊ごっこが流行し、大砲、軍艦(ぐんかん)、戦車、戦闘機(せんとうき)などの玩具が増え、愛国積み木や愛国貯金箱など、“愛国”という文字が目立つようになります。




 「イセノカミカゼ テキコク コウフク (伊勢の神風 敵国 降伏)」、「ロバタデキク センゾノハナシ (炉端で聞く 先祖の話)」、「「ハイ」デハジマル ゴホウコウ(「はい」で始まるご奉公)」と続く、「愛國イロハカルタ」は、太平洋戦争の戦況が悪化した昭和18年、児童文化の統制と戦争協力を推進するための国の機関であった日本少国民文化協会によって作られ、日本玩具統制協会が発行しました。日本玩具統制協会は、昭和17年以降、金属類の使用が禁止された玩具業界において、玩具の素材査定、振興、資材の配給を行う組織です。当時の玩具の多くには、日本玩具統制協会の査定に合格した証紙が貼られています。愛國イロハカルタの読み札の句は、「次世代の日本を担う少国民の心構えを育て、愛國の念を涵養(かんよう)する」ために公募され、現在の小学校、国民学校の児童らも含め全国から、約26万の応募句があったそうです。


https://japan-toy-museum.org/archives/monthly/8%E6%9C%88%E3%80%8C%E6%84%9B%E5%9C%8B%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%83%8F%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%80%8D-%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%EF%BC%8F%E6%98%AD%E5%92%8C18%EF%BC%881943%EF%BC%89%E5%B9%B4

日本玩具資料館のサイトより


ヤルタ会談  (ヤルタかいだん Yalta Conference)

1945年2月4日から11日までクリミア半島の保養地ヤルタで開かれた米英ソ巨頭会談。アメリカ大統領 F. ローズベルト,ソ連首相スターリン,イギリス首相チャーチルほか,3国の外相および軍首脳が参加した。連合国の協調が最高点に達したのはこのときだといわれ,戦後国際秩序の形成にとって重要な意味をもったさまざまな取決めが行われた(ヤルタ協定)。

 まず戦後世界機構に関しては,大国の拒否権,国際連合設立会議(サンフランシスコ会議)を4月25日から開催すること,その招請国の範囲,などで3国の一致がえられた。ドイツ降伏後の処理については,分割占領方式およびフランスが占領に参加することが決められたが,賠償の方法などに関して合意が得られず,もろもろの問題は先送りとなった。またこのころになると,ソ連軍によって解放された中欧,東欧諸国の戦後のありかたが問題となった。ヤルタ会談で公けにされた〈ヨーロッパ解放宣言〉では,大西洋憲章の諸原則が再確認され,民主的政府が樹立されることがうたわれたが,具体的な事項に関しては三大国のあいだに多くの不一致が残された。とりわけ懸案となっていたポーランド問題では,このとき臨時政権のありかたについて原則的な合意が得られたものの,のちにその解釈をめぐって争いが生ずることになる。またポーランド国境の画定も持ち越された。

 なお,極東問題に関し,スターリンはこのとき,南樺太,千島,満州権益とひきかえにドイツ降伏後2,3ヵ月以内に対日参戦すること,また,中国代表として待介石政権を認めることを約している。

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