2021年7月14日水曜日

[積読立読斜読] 『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(堀川恵子著、講談社、2021年)

 


                                               者の堀川恵子さん


高校の同期生とあまり活動してませんが「地歴部」を作って、過去に何回か広島市を中心にフィールドワークを行いました。宇品地区も何回か訪問しましたが、ほとんど予備知識なしで行くので理解度は浅いです。陸軍の拠点としての宇品を扱った本書。書店でパラパラと立読みして面白そうでしたので読んでみました。

数多くの受賞歴のあるノンフィクション作家、堀川恵子さんの新刊。「暁部隊」の別名を持つ広島市の宇品に本部があった「陸軍船舶司令部」を扱ったものです。

執筆の動機は「人類初の原子爆弾は、なぜ”ヒロシマ”に投下されてなくてはならなかったのか」という疑問からだそうです。

アメリカの公開資料では原爆投下の候補地として、1945年の4月から検討委員会が開かれましたが、最初から最後まで常に候補地の筆頭だったのが「広島」であり、陸軍の拠点都市という面もありますが、理由として、"an important army depot and port of embarkation"(重要な軍隊の乗船基地)であることが挙げられていました。(原爆投下時は制空権・制海権がなくなっていたので宇品港は投下地点とならず、純粋な実験として市内中心部に投下されています)。

暁部隊については「原爆投下後に救援活動を行った部隊」という浅い知識しかありませんでした。冷静に考えてみれば日清・日露から続く日本の対外戦争はすべて外地での戦いであり、当然日本からの補給が必要になりますが、海上補給路の確保と維持は海軍担当と思いきや、海軍は艦隊決戦が組織目標であり、輸送船の運営や、防護もできないとハナから組織化しませんでした。 戦史家のマーチン・ファン・クレフェルトは、その著作『補給戦――何が勝敗を決定するのか』(中央公論新社)の中で、「戦争という仕事の10分の9までは兵站だ」と断言しています。島国である日本の兵站の中心は船舶にならざるを得ませんが、誕生は陸軍の一風変わった一組織としてのスタートでした。

著者は著書の残っている3人の船舶司令官を軸に構成します。日本の海洋輸送の歴史から、上陸作戦の近代化、開戦に至る経緯、南太平洋域での船舶輸送作戦、その最前線に立たされた船員たちの苦難の歩みまで、結果的に兵站の「船舶」運用に焦点をあてることで、総力戦遂行のための国家の意思決定の枠組みまで解明する作品になりました。

当方は、陸軍の船舶部隊が自前の船をもたず、民間からの徴用であり、運行も軍属と呼ばれる船員で、戦死してもなんの保障もないことを初めて知りました。現在宇品には船舶司令部の痕跡は意図的と思えるほど何もありません。全盛期には隊員10万人を誇った巨大組織にも関わらずです。

本作の要となったのは、二代目の船舶司令部の田尻昌次中将がまとめた『自叙伝』と防衛研究所所蔵の全10巻の大作『船舶輸送作戦の過去と現在』の記述に拠っています。田尻中将は船舶司令部中興の祖と思われる優秀な組織人であり、日中戦争時の数次にわたる上陸作戦を評したアメリカの軍事史家アラン・ミレットにして「1939年の時点で、日本のみんが水陸両方作戦のためのドクトリン、戦術概念、作戦部隊を所持」していると分析しています。

田尻中将は日中戦争が硬直化長期化していく過程での船舶不足に対して軍の中枢部に意見具申書を出しましたが体よく退役になってしまいます。

日本の国力を超えた防衛圏の兵站担当部署はさぞかし塗炭の苦しみであったと想像に難くないですが、おそらく他の軍の組織も同様であったと想像されます。光明が見えないまま太平洋戦争も敗色濃厚となります。

これだけなら陸軍の一組織としての歴史で終わったのでしょうが、原爆投下時に司令官だった佐伯文郎中将の残存組織の全力を挙げた救援活動は、原爆投下から35分後に始まり、上奏なく独断での判断でした。佐伯司令官が書き記した『広島市戦災処理の概要』は原爆投下後の状況を知る上での第一級の文献だそうですが、著者は長い間「違和感」を感じていたそうです。行動が極めて迅速で、指示も的確であり、歳月を経ての「脚色」が混じっているのではという感想です。後年戦史家との対談で、佐伯司令官が参謀職に就いた初めての仕事が関東大震災の災害復旧作業であり、広島での救援活動には十分下地があったことが判明します。

第一級のノンフィクションでした。推薦します。


以下出版元の講談社のサイトより

<内容紹介>
広島の軍港・宇品に置かれた、陸軍船舶司令部。船員や工員、軍属を含め30万人に及ぶ巨大な部隊で、1000隻以上の大型輸送船を有し、兵隊を戦地へ運ぶだけでなく、補給と兵站を一手に担い、「暁部隊」の名前で親しまれた。宇品港を多数の船舶が埋め尽くしただけでなく、司令部の周辺には兵器を生産する工場や倉庫が林立し、鉄道の線路が引かれて日々物資が行きかった。いわば、日本軍の心臓部だったのである。

日清戦争時、陸軍運輸通信部として小所帯で発足した組織は、戦線の拡大に伴い膨張に膨張を重ね、「船舶の神」と言われた名司令官によってさらに強化された。とくに昭和7年の第一次上海事変では鮮やかな上陸作戦を成功させ、「近代上陸戦の嚆矢」として世界的に注目された。しかし太平洋戦争開戦の1年半前、宇品を率いた「船舶の神」は志なかばで退役を余儀なくされる。

昭和16年、日本軍の真珠湾攻撃によって始まった太平洋戦争は、広大な太平洋から南アジアまでを戦域とする「補給の戦争」となった。膨大な量の船舶を建造し、大量の兵士や物資を続々と戦線に送り込んだアメリカ軍に対し、日本の参謀本部では輸送や兵站を一段下に見る風潮があった。その象徴となったのが、ソロモン諸島・ガダルカナルの戦いである。アメリカ軍は大量の兵員、物資を島に送り込む一方、ガダルカナルに向かう日本の輸送船に狙いを定め、的確に沈めた。対する日本軍は、兵器はおろか満足に糧秣さえ届けることができず、取り残された兵士は極端な餓えに苦しみ、ガダルカナルは餓える島=「餓島」となった。

そして、昭和20年8月6日。悲劇に見舞われた広島の街で、いちはやく罹災者救助に奔走したのは、補給を任務とする宇品の暁部隊だった――。

軍都・広島の軍港・宇品の50年を、3人の司令官の生きざまを軸に描き出す、圧巻のスケールと人間ドラマ。多数の名作ノンフィクションを発表してきた著者渾身の新たなる傑作。


<目次>
序章
第一章 「船舶の神」の手記
第二章 陸軍が船を持った
第三章 上陸戦に備えよ
第四章 七了口奇襲戦
第五章 国家の命運
第六章 不審火
第七章 「ナントカナル」の戦争計画
第八章 砂上の楼閣
第九章 船乗りたちの挽歌
第一〇章 輸送から特攻へ
第一一章 爆心
終章

<著者プロフィール>
著:堀川 惠子(ホリカワ ケイコ)
1969年広島県生まれ。『チンチン電車と女学生』(小笠原信之氏と共著、日本評論社)を皮切りに、ノンフィクション作品を次々と発表。『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)で第32回講談社ノンフィクション賞、『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』(講談社)で第10回新潮ドキュメント賞、『永山則夫―封印された鑑定記録』(岩波書店)で第4回いける本大賞、『教誨師』(講談社)で第1回城山三郎賞、『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』(文藝春秋)で第47回大宅壮一ノンフィクション賞と第15回早稲田ジャーナリズム大賞、『戦禍に生きた演劇人たち―演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』(講談社)で第23回AICT演劇評論賞、『狼の義―新 犬養木堂伝』 (林新氏と共著、KADOKAWA)で第23回司馬遼太郎賞受賞。


<追記>
2021/08/28
朝日新聞に書評が載りました。