スローリーディング中の年間テーマ谷崎潤一郎主要作品。本日は『猫と庄造と二人のおんな』(旧仮名遣いでは「をんな」)を読みました。
関西移住後の関西舞台の作品ですが、有閑階級の懶惰な性愛が得意な谷崎が変化球。貧乏な庶民の生活を舞台に、猫をめぐる人間関係絵巻。一読ユーモア小説に思えるのですが、甲斐署がない庄造を本当に愛してくれたのは猫だけという哲学小説とも読める論調もあり、意外と奥が深い中編のようです。
小説指南役の阿刀田高三はこの作品を「視点をどこに置くか」という小説作法において、二人の女、福子・品子、庄造の視点から複合的に描かれ(構成としては高度なテクニック)作品が重層的な仕上がりになっていると指摘されています。
単行本は1937年(昭和12年)創元社より。装幀・挿絵は安井曾太郎。1956年に森繁久弥主演で映画化。
<あらすじ>(wikipediaより)
庄造の前妻・品子は現在の妻・福子に対し、雌猫のリリーを譲って欲しいという手紙を出した。福子は夫の庄造に「譲ってあげなさい」と言うが、彼にはそういう意志は無い。福子は自分以上にリリーが夫に大事にされている状況に耐えられなかったのだ。夫婦喧嘩の末に庄造は猫を品子に譲る事に同意する。
リリーは以前にも他人に譲られた事があったが、その時も自らの意志で庄造のもとに戻って来たので、彼は今回もそうなるだろうと期待していた。リリーが品子の所に移って、庄造は雌猫を思い出しては懐かしんだ。品子のもとに到着したばかりのリリーは品子になつかず、彼女の思った通りに動いてくれない。猫の面倒を診る事がこんなに大変だとは彼女にしてみれば予想外だった。しかし次第に両者ともに打ち解け合い、品子は猫とはこんなにもかわいいものかと思い始める。庄造はリリーが恋しくてたまらず品子の留守中にこっそりと家を訪ねる。虐められていやしないかと心配していたが、意外にもリリーが大切に飼われている痕跡を見つけ安堵する。リリーと久しぶりに会ったのもつかの間、品子が帰宅し、庄造は見つからないよう慌てて家を後にする。
<登場人物>
リリー
庄造が溺愛している雌猫。
庄造
荒物屋。仕事に対するやる気が無い。
福子
庄造の妻。2人は、いとこ同士に当たる。夫を雌猫のリリーに奪われているという理由でリリーに嫉妬している。
品子
庄造の前妻。姑のおりんによって追い出された。
おりん
庄造の母親。彼を自分の意のままに操っている。品子とは仲が悪かった。
<『源氏物語』との関係>
谷崎潤一郎は、生涯で3回『源氏物語』の現代語訳を出版しました。翻訳をしていた4年間、谷崎は翻訳に集中するために、他の仕事をすべて断っていました。
そんな中、例外的に書かれた小説が『猫と庄造と二人のおんな』です。『源氏物語』の翻訳中に書かれたということで、この作品には『源氏物語』の影響が見られます。
例えば『源氏物語』「帚木(ははきぎ)」の巻では、役職がぱっとしない男が、やきもち焼きですぐ怒る女と、浮気癖のある女とかかわる様子が描かれます。これは、庄造・品子・福子の人物像と似ています。
また、『猫と庄造と二人のおんな』は、逆に『源氏物語』の谷崎訳にも影響を及ぼしています。
例えば『源氏物語』「若菜下」の巻には、柏木(かしわぎ)という男が描かれます。柏木は、ひそかに恋をする女三宮(おんなさんのみや)という女性が飼っている猫を欲しがりました。
女三宮の猫を手に入れた柏木は、彼女の代わりにその猫を自分の布団に入れて、一緒に寝ます。その柏木の異常なまでに猫を溺(でき)愛する様子は、庄造がリリーを人間の女性のように扱うのとすごく似ています。
さらに、庄造はリリーの鳴き声に官能的なものを感じます。同時に、谷崎は『源氏物語』の柏木が猫と寝るシーンで、猫の鳴き声を強調して訳しました。
このことから、『猫と庄造と二人のおんな』の「鳴き声と官能」というモチーフは、『源氏物語』の谷崎訳にも関わっている事が分かります。
このように、『猫と庄造と二人のおんな』は『源氏物語』から影響を受けているだけでなく、谷崎が手掛けていた『源氏物語』の訳にもつながっているのです。
大津直子「谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のをんな』論:――『源氏物語』の翻訳体験との交渉をめぐって――」(日本近代文学 2005年)
https://jun-bungaku.jp/neko-shozo-onnna/
<作品より自分のメモ>
P26
つまり庄造が好きだと云うのは、猫が好きだと云うことなのである。此処の家では、亭主が女房の好き嫌いを無視して、猫を中心に晩のお数をきめていたのだ。そして亭主のためと思って辛抱していた女房は、その実猫のために料理を拵(こしら)え、猫のお付き合いをさせられていたのだ。
P54
品子が追い出されたのも、実は彼女が糸を操ったからなので、庄造にはまだ未練があったのだと云う人もある。
P58
庄造はそんあんことについてひどく呑気に生まれついた男で、貧乏を苦にしない代わりには、一向商売に身を入れない。
P91
今日この頃のリリーを見ると、諸行無常の理を手近に示された心地がして、云うに云われず悲しくなって来るのであった。
P149
それに、品子は、庄造のことをたよりない人とは思うけれども、どう云うものか憎むことが出来なかった。あんな工合に、何の分別もなくふらふらしていて、周りの人達が右と云えば右を向き、左と云えば左を向くと云う風だから、今度にしてもあの連中のいいようにされているのであろうが、それを考えると、子供を独り歩きさせているような、心許ない、可哀そうな感じがあるのである。
P155
どうして猫と云うものはこんなにも可愛らしいのであろう、それだのに又、昔はどうしてこの可愛さが理解出来なかったのであろうと、今では悔恨と自責の念に駆られるのであった。
頁数は広島県立図書館蔵大活字本シリーズ『猫と庄造と二人のおんな』(社会福祉法人・埼玉福祉会、2013年発行)より。







