2020年9月3日木曜日

[積読立読斜読]『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(梯久美子著、岩波新書、2018年) Ⅲ 孤独の章



スローリーディング中の岩波新書『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(梯久美子著、2018年)、本日は第3章の「Ⅲ 孤独の章」を読みました。これで読了です。

第3章では、妻の死後、空襲を逃れるため住んでいた千葉を引き払い、実家のある広島に帰ってから、原爆の惨禍に会い、惨状を伝えるために生き延び、そして自死するまでが描かれています。

適格障害かと思われるほど社会生活を送るのが不器用な男が、理解者である最愛の妻を失って、なお「生きる」に値するのか、というのが二章まで読んだ感想でした。それは第三章で明らかにされます。下記抜き書きです。

2019年の新書大賞第5位に入った力作です。梯久美子さんの取材力の白眉は、存在が確認されていなかった終戦直後に遠藤周作と共に交流のあった女性を探し出し、インタビューを引き出した点です。女性の証言で原民喜の自死の意味が深くなり、さらに自死のドキュメントを最初に置く構成で、作品が円環構造になりました。お見事。


P164
被爆したことによって、「コノ有様」を伝えないうちには死ぬわけにいかなくなった。


P164
長いあいだ原は厄災の予感に怯えてきた。それが現実になったとき、まず生きのびられまいと思っていた自分が、なぜか無傷で生きのびた。幼い頃から怖れ、怯え、忌避してきた現実世界。それが崩壊したとき、生きる意味が、まさに天から降ってきたのだ。

P167
比べて読んでみると、小説の文章が正確にメモにもとづていいることがわかる。(原民喜の手帳は広島平和記念資料館蔵)。

P168
大江健三郎は、原民喜を「若い読者がめぐりあうべき、原題日本文学の、もっとも美しい散文家のひとり」(新潮文庫『夏の花・心願の国』解説)としている。その言葉通り、「夏の花」は抑制の利いた名文で綴られえいるが、あらためて読んでみると、そのもとになった文章も、単なるメモにとどまらない完成度をもっていることに驚かされる。

P173
原爆は人類史上に残る惨劇であるゆえに、それを語る声は高くなりがちである。言葉には熱狂が宿り、政治性をおびる。だが原の声はあくまで低く、言葉は静かである。

P232
原民喜は狂気しそうになりながら、その勢いを押し戻し、絶望しそうになりながら、なおその勢いを乗り越えつづける人間であったのである。そのように人間的な闘いをよく闘ったうえで、なおかつ自殺しなければならなかったこのような死者は、むしろわれわれを、狂気と絶望に対して闘うべく、全身をあげて励ますところの自殺者である。(新潮文庫『夏の花・心願の国』解説)

P185
貞恵の死は確かに原に打撃を与えたが、病みついてから死までの日々は、心安らぐ穏やかなものだった。そして、死にゆく妻を、原は傍らで見守ることができたのだ。
だが広島の死者たちはそうではなかった。「このやうに慌ただしい無造作な死が「死」と云へるのだろうか」という叫びは、心底からのものだったろう。妻を看取ったその目でみたからこそ、広島の死者の無残さは原を打ちのめしたのである。