2014年10月24日金曜日

[積読立読斜読] 『表現のための実践ロイヤル英文法』「暗唱例文300」で学ぶ英語



『表現のための実践ロイヤル英文法』「暗唱例文300」で学ぶ英語。

今回は8回目で「動名詞」です。

本書から復習。

P174
・動名詞は動詞と名詞の機能を兼ねたもの

・to不定詞が未来性や意図を表すのに対して、動名詞は既成の事実や一般的なことを表し静的である

・形は現在分詞と同じ

能動態(単純形) writing
能動態(完了形) having writing

受動態(単純形) being written
受動態(完了形)having been written

・文法書によって現在分詞と動名詞を区別していないもののある
(その場合、名詞として働くものが動名詞、形容詞として働くものが現在分詞となる)

・動詞によってto不定詞のみをとるもの、動名詞のみをとるもの、両方とるものがある

本書のP186"Helpful Hint 51"にある「<try doing>と<try to do>の違い」の解説が、動名詞と不定詞の使い分けの論理がわかりやすい。

(1)I'll try opening the window. (その窓を開けてみる)

(2)I'll try to open the window. (その窓を開けようとする)

(1)の場合、「opening(開けてある状態)を試す」と言っているので、「その窓は当然開く」ことが前提で「開けてみる」という意味になる。

(2)の場合は、「to open(開けるという行為)を試す」と言っているので、「その窓は開くかどうかはわからない」ことが前提で「開けようとする」という意味になる。


Point 8. 動名詞は慣用表現として使うことが多い。

・動名詞は名詞に近い性質を持っていることを理解して利用する。

・動名詞と不定詞のどちらを目的語にとるか注意する。

・動名詞の意味上の主語が必要かどうかに注意。

・動名詞が慣用的に使われる構文を覚える。


112.私はこのチームの一員だったことを誇りに思います。

I am proud of having been part of this team.

*<be + 形容詞 + of>の後に動名詞が続く。この文は、「~だったことを」となっているから、<have been>にすることを忘れないこと。
I'm proud that I was [have been] part of this team.でもよい。


113.彼は私が留学するようにと言ってきかなかった。

He insisted on my [me] studying abroad.

*<insist on -ing>のonを忘れないこと。myとmeでは、myのほうが正式だが、やや堅苦しく、meのほうがふつうはよく使われる。


114.私は子供のころそのホテルに泊まったことを覚えている。

I remember staying at that hotel when I was a child.

*<remember + to不定詞>は、「忘れずに~する」の意味であり、<remember + -ing>は、「~したことを覚えている」という意味なので、使い分ける。


115.怒って叫んでも無駄だよ。

It is no use getting angry and shouting.

*「~しても無駄である[しょうがない]]は、<it is no use -ing>で表すことが多い。<no use>の代わりに<no good>や<no help>, <unless>でもよい。また、<There is no use [no good](in) -ing>という形もある。


116.ここでタバコを吸ってもよいですか。

Would you mind my [me] smoking here?

*「~してもかまいませんか」は<Would you mind my -ing>で表す。このmyを落とさないこと。myは目的格のmeにしてもよい。Do you mind if I smoke here?とも言う。


117.私は評論家から攻撃されることに慣れている。

I am used to being attacked by critics.

*「よく~したものだ」は<used to + 不定詞>であり、「~することに慣れている」は<be used to + 動名詞>なので、混同しないこと。また、<be used to + 動名詞>の場合のtoは前置詞であり、to不定詞のtoと混同しないこと。


118.あなたのEメールを受け取るのを楽しみにしています。

I am looking forward to receiving your e-mail message.

*「~を楽しみにしている」は<be looking forward to - >で、このtoも前置詞だから、次には名詞か動名詞がくる。


119.タバコの吸い過ぎは健康によくない。

Smoking too much is bad for your health.

*It is bad for your health to smoke too much.にしてもよいが、動名詞を主語にしたほうが簡潔な表現になる。


120.歯医者には行く気はしない。

I don't feel like going to the dentist.

*「~したい気がする」は、<feel like -ing>で表す。「~したい気がしない」という場合は、<don't feel like -ing>の形で否定する。

[惹句どんどん] ウディ・アレン




The heart is a very, very resilient little muscle.

ハートはすごく立ち直りの早い筋肉だね

『ハンナとその姉妹』より



雑誌『ケトル』(2014年)からの孫引きです

[その他] 雑誌『ケトル』がウディ・アレン特集



雑誌『ケトル』(2014年10月号)が、なぜか、ここにきてウディ・アレンの特集。

新作が公開されているわけでもないのに、たぶん編集者の偏愛でしょう。

12月で御年79になられるそうですが、依然衰えぬ創作意欲は熟年者の大先輩として見習うべきでしょうね。

当方は『アニー・ホール』あたりからのファンで(熱心ではありませんが)、関連作品も結構観てます。今年は監督した『ブルー・ジャスミン』、共演した『ジゴロ・イン・ニューヨーク』がありました。

雑誌の特集は、ウディ・アレンの全作品の短い解説。映画での名セリフ。等で結構気合いが入ってました。


『ブルー・ジャスミン』


『ジゴロ・イン・ニューヨーク』

2014年10月19日日曜日

[新聞記事] 見出しを読み解く 結婚率の低下の裏にある経済学



10月19日付け朝日新聞別冊Globeの連載記事「見出しを読み解く」。

日本と同じようにアメリカでも生涯未婚率が上昇しており、その主な原因は男性の賃金の低下・不安定さにあるようです。

キリスト教での結婚式の誓いでは、新郎・新婦が"I do"と言って誓います。

”Before God, and in the presence of this congregation, I ask you, ○○. Do you take ○○ to be your wife to love her in times of need and plenty?”

”I do”

「神の前、そしてここに集う人々の前であなたに問います。あなたは○○を夫(妻)として、常に愛することを誓いますか?」

「はい、誓います」


[あの頃のレコード] 黄色い汚わい船『汚わい船』(1974年)




これは究極の「あの頃のレコード」です。突然思い出し、レコード棚からひっぱり出しました。

当方は広島市立国泰寺中学校時代にフォークソング(当時はニューミュージックと言わなかった)のバンドを組んでいて、高校1年の夏休みに自主製作レコードを作りました(今で言うインディーズか?)。

皆実高校のO君が2トラック38cmの非常に高価なテープレコーダーとかマイクとかを所有していたので、頼み込んでレコーディングさせてもらい、東京のプレス社(赤坂ミュージック・スタジオ)にテープを送って50枚製作しました。たしか10万円程度だったと思います。

作品はすべて自作で、なんと作詞が全部当方(そういえば国泰寺中学の北山修を自称しておりました)、作曲はD君(1曲だけ当方の作品があります)。

アコースティック・ギター中心の編成で、影響を受けていたフォーク・クルセーダーズの柔らかいメロディー・ラインの作品によく似た曲ばかりです。

手書きのライナーノーツと、ケント紙で自作したアルバムジャケットも残ってました。

スカトロっぽいバンド名と作品があるのは、少年ジャンプに連載されていたマンガ「トイレット博士」の影響のようです。

自分の作品を聴くのは大変恥ずかしく、高校の時に聴いて以来まったく聴いていません。

バンドのみんなは何してるかな。


Side A
1.汚わい船節
2.エリちゃん
3.泣いちゃいけない片山君
4.あなたのために
5.ちょうせんじさんにきいてもらいたいうた
6.トイレとウンチと彼女
7.雷電

Side B

1.黄色い汚わい船
2.誕生日はいつですか
3.キンポウゲの花
4.二人の恋の歌
5.淋しさに別れを告げる
6.杉田少年よ
7.あしたへ
8.ばんざい三唱


※昨今は録音再生がデジタルで簡単になったので、自主製作盤を作るハードルは低くなりましたが、レコードとなるとかなり大変で、作品性ではなく、貴重性という意味では価値があります。

<日々是不穏 like a rolling stone> 日本人としての快挙なのだろうか? ノーベル賞とテニス全米オープン準優勝




10月7日、ノーベル物理学賞に決まった青色発光ダイオードLEDの発明者、中村修二米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の新聞報道では、ちょっと違和感を感じました。

中村教授はすでにアメリカ国籍を取得しており、日本人ではありませんし、発明対価をめぐって所属会社相手訴訟を起こし、判決に不服として日本を飛び出した人です。当時の報道は中村教授に対して好意的ではなかったはずです。

同じように、ちょっと古い話題ですが2014年9月8日(アメリカ時間)に行われた、テニスの
全米オープンで準優勝した錦織圭選手に対する、日本のメディアの加熱に違和感を感じたと、元フジテレビアナの長谷川豊氏がニフティ―の有料メルマガで発信されてます。

長谷川氏は錦織選手が学んだアメリカのIMGアカデミー(長谷川氏自身が取材経験があるそうです)の影響と、錦織選手自身の努力が今回の快挙の原動力だとして、ことさら「日本人」を強調する報道はおかしいと述べています。

錦織選手は13歳で渡米し、人生の半分近くをアメリカで過ごし、自分を日本人だとはあまり意識していないかもしれません。島根県と松江市が勘違いして申し出た「栄誉賞」も辞退してます。

ノーベル賞の中村修二教授とテニスの錦織圭選手の快挙は、ことさら日本人のナショナリズムを強調する必要はなく、世界で活躍する日本人の「個人」の能力を賞賛すべきではないかと思いました。同時に突出した才能を開花させることができなかった日本の制度に対しては見直しをけかるべきかと思います。

2014年10月17日金曜日

[積読立読斜読] 『21世紀エディトリアル・オデッセイ 時代を創った雑誌たち』(赤田祐一・ばるぼら共著、成文堂新光社、2014年)



[積読立読斜読] 『21世紀エディトリアル・オデッセイ 時代を創った雑誌たち』(赤田祐一・ばるぼら共著、成文堂新光社、2014年)

デザイン関係の雑誌『アイデア』に連載された赤田祐一・ばるぼら氏の「20世紀エディトリアル・オデッセイ」を編集して大型の単行本にしたもの。主な購読層は出版・デザイン関係者でしょう。

共著者の二人はメディアに詳しいライターで、赤田祐一氏は『「ポパイ」の時代』(太田出版)があり現在は雑誌『Spectator』編集部に在籍。バルボラ氏は『岡﨑京子の研究』(アスペクト)があります。

題名と内容がマッチしておりませんが、20世紀に刊行した主に雑誌のなかから、独自の切り口とビジュアルで読者を魅了し、他のメディアにも影響を及ぼした雑誌を選び、解説した内容です。

雑誌『Spectator』が特集する前に、雑誌連載で当方がその編集方針に賛同するアメリカの『ホール・アース・カタログ』を取り上げていました。書籍でのまとまった紹介は初めてです。

他に、本書の中で大きく取り上げられている雑誌名は、――『ホール・アース・カタログ』『MAD』(ここまでアメリカ)『(自販機本の)JAM』『(パンク・ジンの)狂乱娼館』『ロッキング・オン』『遊』『WET』『アンアン』『ガロ』『COM』『MOB』『ウィークエンド・スーパー』『写真時代』......そのほか、フィーチャーされたその総数は大小取り混ぜ1200点にも上るそうです(実際には数えられませんでした)。

『ワンダーランド』と『宝島』を取り上げたページでは、津野海太郎さんと平野甲賀さんが制作秘話対談。同じページに創刊当時の大判だったころの同誌の表紙や中面のページの画像も掲載されてますが、
その編集は書籍というより雑誌的なレイアウトで、アートディレクションを担当した大原大次郎氏の粋な計らいかと思います。

インターネットや電子リーダーの普及で遠からず単独での雑誌メディアはなくなる可能性が強いです。70年代から80年代にかけて、雑誌の黄金時代の内容と編集方針を正確に伝えたいという意図の本書は、最初にして最後の研究書となるかも知れません。

メディアの形は変わっても志のある「編集」行為は生き続けてほしいものです。

(※広島県立図書館より借覧)


追伸:本書の古風な表紙は甲野甲賀氏がデザインした『ワンダーランド』(2号)の表紙へのオマージュだそうです。

[その他] 父親を亡くしました




私事ではありますが、実父が2014年10月14日(火)に亡くなりました。半年近い闘病の末、最後は眠るように永眠しました。

ブログの趣旨とは違いますが、28期は同年代で親の介護・最期が現実・共通の話と思い、思うことを書き綴ってみます。

内容は通夜・葬儀で親族代表の会葬御礼挨拶をした内容とほぼ同じです。


父親は昭和6年江田島市に生まれ、戦争で父親を亡くし苦学して大学を出て小学校の教員となりました。祖父は内海航路の船員でありましたが、父の学費を稼ぐため給与の高い外洋航路に転じ、マリアナ沖の海戦に巻き込まれて亡くなったそうです。父は生前自分のために祖父が亡くなったと何度も悔やんでおりました。

広島市内の校長で定年まで勤め上げました。常々「本当の子供のためになる教育か」と問い続け、児童教育への情熱を注ぎ続けた父でした。あまり仕事の話はしませんでしたが、印象に残っていることで公衆電話の話があります。小学校に設定されている公衆電話は従前児童の使用を禁じてましたが、父は一律に使用禁止するのではなく、緊急の場合に家に連絡ができる、マナーを守って電話を使うことを教えるのが本当の教育であると申しておりました。


公私とも生真面目な父でした。社会的には不器用な人間であったかと思いますが、家庭では優しい父親でありました。

母親も仕事を持っており、度々家をあけることがありましたが、不平を言わず家族で家事を協力しておりました。食事も作ってくれました。ハヤシライスが私の好物でありますが、下ごしらえの母、調理の父、配膳が私で、我が家のハヤシライスのあの味は家族の味であります。

専門は社会科でありましたので、社会見学もかねて高速道路のまだない時代に、九州・四国の遠方までドライブ旅行に度々連れて行ってもらいました。地方の道路ではまだ未舗装の箇所も多々あり、夜中の2時3時に出発して10時間以上運転するという決して楽なドライブではなかったと思います。

また定年後も同じように二人の帰国子女の孫たちの日本の歴史学習として、実際に見学するのが一番理解につながるとして、京都・奈良への旅行にも連れて行ってもらいました。

晩年の父は町内のお世話や、毎日の書道の練習、図書館で借りた歴史書を読む、静かな生活を送っておりました。病弱で長くは生きられないと常々申しておりましたが、4人の孫に恵まれ、8月末にはひ孫の誕生を大変喜んでおりました。

度重なる手術にもかかわらず、その度に元気になって家にもどって参りました。残念ながらこのたびは半年近い闘病の末、安らかに八十三年の生涯を閉じました。

職場では先輩、同僚の皆様に囲まれ、特に職場の山岳登山の趣味を同じくした「山の会」の皆様には定年後もお付き合いいただき、最後の病床にもお見舞いいただきまして、昔の写真で山登りの思い出を語っていただきました。

よき人生であったと思います。





2014年10月14日火曜日

[積読立読斜読] 『表現のための実践ロイヤル英文法』 第7回(分詞)



『表現のための実践ロイヤル英文法』「暗唱例文300」で英語を学ぶ。第7回は分詞の話。

準動詞の一種で、形容詞と動詞の性質を兼ねている。

現在分詞と過去分詞があるが、時制(現在・過去)とは直接の関係はない。

副詞節の代わりに使う分詞構文は文語的表現である。


分詞は未完了分詞・完了分詞と呼ぶほうが正確。時制とは関係ない。下記の分詞の例を参照。

champagne chilling in an ice-bucket(アイスペールで冷えつつあるシャンパン)=未完了

champagne chilled in an ice-bucket(アイスペールで冷やされたシャンパン)=完了


Point 7. 分詞を使うときは位置に注意。

・名詞を修飾するときの分詞の位置に注意する。

・現在分詞、過去分詞の意味の特徴を理解する。

・<S+V+O+分詞>の構文を整理しておく。

・分詞構文は文を完結にするために使えることを覚えておく。


097.同じ質問がずっとなされた。

The same question kept being asked.

*分詞の受動態に注意。


098.私は河口でイルカがボートを追跡しているところを見た。

I saw a dolphin chasing a boat at the river mouth.

*<知覚動詞+目的語+-ing>の形。


099.彼は息子がビールを飲んでいるところを見つけた。

He caught his son drinking beer.

*catchは知覚動詞ではないが、<catch+目的語+-ing>の形では、知覚動詞のように使われる。


100.食事時間だったので、食べている人が大勢いた。

It was dinner time, so there were many people eating.

*many eating peopleとは言わない。ここでは、本来は他動詞として使われるeatの目的語になるfoodが省略されており、eating peopleとすると、peopleがeatの目的語になってしまうのである。(→P32)

※擬似自動詞(特定の目的語が省略されて他動詞が自動詞になる場合)

This oven sometimes smokes.(このオーブンは時々煙をだすことがある)[純然たる自動詞]
He sometimes smokes (cigarettes).(彼は時々タバコを吸うことがある)[他動詞の目的語省略]

「煙を出す」は自動詞なので a smoking chimney(煙を出している煙突)のように名詞の前において「~している」の意味の形容詞として使える。
「タバコを吸う」は他動詞なので、a smoking manとは普通言わない。a man smokingとして名詞の後に置く。


101.書き言葉は、話し言葉よりも改まった感じになるケースが多い。

Written language is often more formal than spoken language.

*「書かれた言葉」、「話された言葉」はそれぞれ、Written language, spoken languageと言う。


102.2階の浴槽でお湯を流しっぱなしにしておいたのはだれだ。

Who left the water running in the upstairs bathtub?

*単独の<left+目的語+-ing>の文では、「わざと~しっ放しにしておいた」か、「うっかり~しておいてしまった」かはあいまいだが、ふつう文脈でわかることである。


103.私は人に何かをしろと命令されたりするのが好きじゃない。

I don't like people telling me what to do.

*<like + 目的語 + -ing>の形は、否定文に多い。


104.卵は焼いたのが好きです。

I like my eggs fried.

*「コーヒーは濃いのが好きだ」なら、I like my coffee strong.となり、ここでは、friedが形容詞用法なので、それと同じ形である。


105.陽気に歌いながら、彼らは町の方に出かけた。

Singing merrily, they started towards town.

*最も簡単な分詞構文。「~しながら」という意味を表す動詞を現在分詞にして、文頭に置く。


106.私はベッドに横になっており、テレビを見ていた。

I was lying in bed, watching TV.

*「横になる」という動作と、「テレビを見る」という動作が、同時に行われているわけで、こういうときは、つけ足すほうの動作を分詞にして、コンマを打って後に置くことが多い。


107.天候が許せば、早めに植えるということはそれなりの利点があります。

Early planting has its benefits, weather permitting.

*<weather permitting>は、文末に置くことが多いが、必ずしもそうばかりではない。


108.ホリーは髪をなびかせながら、頭をくるりと回した。

Holly swung her head around, her hair flying through the air.

*「頭をぐるりと回した」のはホリーで、「なびいた」のは彼女の髪であるから、主節と従位節の主語が違う。そこで分詞構文のflyingのほうにその意味上の主語のher hairを置くことになるが、こういう独立分詞構文では、文の主語(Holly)の身体の一部とか持ち物が分詞の主語になる場合が多い。


109.彼は足を組んで座っていた。

He was seated with his legs crossed.

*「Aを~しながら」は、このようにwithを使うと表現しやすい。特にこの形は頻出する。
legsはcrossされる立場にあるのがから、過去分詞になる。


110.年齢を考えると、彼の健康状態はすばらしいものが。

Considering his age, his health has been remarkable.

*独立分詞構文、<considering ->は、「~を考慮すれば」という意味。


110.率直に言って、私はそのリストに自分の名前を見たくない。

Frankly speaking, I don't want to see mya name on that list.

*似た形としてほかに Generally speaking(一般的に言えば)などの言い方がある。(P171)
(例文は省略)


2014年10月12日日曜日

[その他] 10日と25日のダイエット 青柳屋




ジャンク・フードをついつい毎日買ってしまうのを反省し、
毎月10日と25日のみお菓子を買って食べるという、いわば毒をもって毒を制するダイエット(?)、

本日10月12日は洋菓子さんに行きました(10日、11日は珍しく多忙で出かけられず)。

体重は前回より大幅に増えてしまい、ダイエットの効果はまったくありません。残念。

ダイエットなのかお菓子屋さん巡りなのかよくわかりませんが、ですが、もうしばらく続けて見ます。


■10日と25日のダイエット

【開始日】
2014年6月25日

【体重の変化】
83.1kg(6月16日)…健康診断の日
81.6kg(6月25日)…ダイエット開始日
80.3kg(7月10日)
79.4Kg(7月25日)
80.3kg(8月10日)
81.5kg(8月25日)
81.9kg(9月10日)
81.1kg(9月25日)
83.6kg(10月12日)


【店舗】
青柳屋

広島市中区幟町5-8


【商品】
かりんとう饅頭、豆大福、わらびもちなど
2000円ぐらい

【感想】
老舗の和菓子屋さん「青柳屋」が広島地盤の会社で「スイーツファクトリー」を運営するインスマート社と提携したようです。
和菓子も現代風のパッケージで洒落た感じに仕上がってます。


※次回、10月25日は洋菓子屋さんに行きます。

[惹句どんどん] 梅棹忠夫



知的生産の技術のひとつの要点は、できるだけ障害物をとりのぞいてなめらかな水路をつくることによって、日常の知的活動にともなう情緒的乱流をとりのぞくことだといっていいだろう。
精神の層流状態を確保する技術だといってもいい。努力によってえられるものは、精神の安静なのである。
『知的生産の技術』(P96)

『知的生産の技術とセンス 知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術』より孫引き。

※ストレスフリーの仕事術は、なんのことはない1969年にすでに梅棹忠夫さんによって知見となっていたのだ。

[積読立読斜読] 『知的生産の技術とセンス』(堀正岳・まつもとあつし共著、マイナビ新書、2014年)



インターネットやスマートフォンなどによって個人による情報整理と活用は飛躍的に進歩しました。
かつてのように資料探しに膨大な時間をかけることはなくなりつつあります。まだパソコンもインターネットもスマートフォンもない時代に個人における情報整理・知的生産の魁、啓蒙書となった岩波新書の『知的生産の技術』(1969年7月第1刷)が、今改めて注目されているようです。

岩波の雑誌『図書』(2014年9月号)では「梅棹忠夫の「ライフハック」術」として80年生まれの若い社会学者、濱野智史さん(『AKB48白熱論争』(宇野常寛,小林よしのり,中森明夫共著 幻冬舎新書)等の著作あり)が寄稿してます。

今回73年生まれのIT系のジャーナリストである堀正岳さんと、まつもとあつしさんによる共著で『知的生産の技術とセンス 知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術』(堀正岳・まつもとあつし共著、マイナビ新書、2014年)が出版されました。

ほとんど半世紀前に出版された元祖ライフハック術ともいうべき『知的生産の技術』を現代のツールを使ってアップデートすることと、梅棹忠夫氏の生前の功績を著作中心ですが丹念に学び、「技術」を生んだ背景思想まで踏み込んだところが、類書の単なるデジタル機器ノウハウ物とは一線を画する良書と思います。監修に梅棹氏と一緒に仕事をされた人間文化研究機構の小長谷有紀さんを迎えたことで筋が通った編集となったと想像されます。

情報量が爆発的に増え、収集も容易となった現代でこそ、情報収集から「技術」と「センス」の2つのキーワードが必要だというのが本書の主張で、ただむやみに情報を集めるだけではだめ、むやみに発信するだけでもノイズを発信しているだけ、そこに違いを生み出すものは「センス」だと重ねて主張されてます。「センス」をどうやって磨いていくかは本書を参照されてください。個人個人ではもちろん違いはあります。

『知的生産の技術』は高校時代の愛読書でありました。蔵書は増えた分は処分してきましたが、なぜかこの新書だけは残してありました。写真の『知的生産の技術』は1974年4月10日の第19刷とあります。高校1年の時に読んだらしいです。

<日々是不穏 like a rolling stone>(2014年10月12日(日)) ポスト1億総中流


写真は朝日新聞より。ゴードン氏の書斎でしょうか。
机の上に『21世紀の資本論』が置かれています。


「日々是不穏」は日付のある新聞雑誌時評です。

朝日新聞10月11日付け記事「オピニオン」は「戦後70年へ」というシリーズの一環。『日本の200年 徳川時代から現代まで』(※本書は当方の愛読書であります)『ミシンと日本の近代 消費者の創出』(※こちらも良書、図書館で斜め読みですが。。。)などの著作のあるハーバード大の日本近現代史研究家、アンドルー・ゴードン氏が「ポスト1億総中流」として、低経済成長下での日本の目標はどうあるべきかについて、なかなかの慧眼に満ちた論評でした。

要約すると、戦後70年、高度成長の時代は、皆が一生懸命働けば中流の仲間入りができると信じた時代でした。学問によって立身出世する教育における機会均等能力主義がうまく機能していたからです。近年は所得格差が教育格差に繋がり、中流意識が崩れていますが、収入の低い高齢者等の統計を含めたデータであり、世界的にみても依然日本は所得格差の小さな国です。

意識的に皆が中流で幸福であるという意識が持てないのは、かつてのような経済の高度成長が見込めない低成長下の統一的な目標を日本全体で持つべきです。高齢者への対応、資源の効率的利用、省エネ技術などの分野は、日本が世界を牽引する力になれます。これらが経済成長が鈍化した成熟した社会において、政治・社会の安定を保つ日本にとっての「ポスト戦後」の目標となるべきです。というもの。

これは日本国民全体への提言です。個人としても28期はすでに50代後半。人によって多少の差異はあるでしょうが人生の高度成長は終わり成熟期に入った人も多いと思います。ゆっくりと自分に合った新たな大局的な目標が必要でしょうね。



下記大変長くなりますが、朝日新聞からの引用です。
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(戦後70年へ)ポスト1億総中流 アンドルー・ゴードンさん(2014年10月11日朝日新聞)

 高度成長時代、日本は「一億総中流社会」と言われた。多くの人が自分も「中流」になれると夢見ることができた。その後の日本は、長い経済の低迷を経て、少子高齢化に直面し、格差の問題がクローズアップされている。戦後社会はどこに行くのか。米国を代表する日本近現代史の研究家、ハーバード大学のアンドルー・ゴードン教授に聞いた。

 ――中流社会というのは、戦後の産物なのでしょうか。

 「『一億総中流』といわれる力強い中間階級が現れたことは、戦後の特徴です。しかし、中流といわれるライフスタイルは、1910年代から始まっています。都会ではサラリーマンが増え、日曜日にデパートに出かけることが流行し始めました。そうした生活を送る中間階級は、だんだんと広がっていきました。30年代には、後の高度成長を予想させる経済成長もみられます。しかし、『自分が中流だ』と考える人たちの割合は当時、はるかに小さかった」

 ――戦前はどういう社会だったのですか。

 「戦前の日本には、華族(貴族)がいて、財閥があり、農村には地主がいました。ヒエラルキーのある格差の大きい社会でした。ブルーカラーである職工の賃金は日給で、数日分のボーナスしかもらわない。会社員などのホワイトカラーは月給で、ボーナスも数カ月分。両者は工場の入り口さえも違いました。こういう差別は、戦後はなくなりました。いまでも役職などによるヒエラルキーはありますが、それは絶対的なものではありません。これは非常に大きな社会的変化です」

 「経済が成長した50年代から60年代、そして70年代初めにかけて、中流意識がどんどん強まっていきます。すべての人ということではありませんが、調査によっては、9割の人が『中流』と答えています。大多数の日本人が、自分は中流である、あるいは、中流になれると思っていた。現実の日本社会には、高度成長の時代だって、まだ貧富の差は大きかったのです。たとえば、大企業と中小零細企業では、倒産率が違う。都市と農村の間には、道路などの社会資本ではまだ大きな格差があった。それでも人々は、一生懸命働きさえすれば、中流の仲間入りができると信じました」

 ――何がその中流意識を支えたのでしょう。

 「ひとつには、教育における能力主義がうまく機能していると思われていたからでしょう。これは、60年代の統計ですが、国立大学入学者に占める最も貧しい所得層の学生の比率は、全人口に占めるこの最低所得層の比率とまったく変わらなかった。高等教育へのアクセスが、完全な平等に近い状況だったのです。公立学校の評価がまだ高かった時代です。どんな家庭の子にも道は開かれている。努力さえすれば、良い学校に入り、良い会社に就職ができると信じることができたのです」

 ――そういう信仰は、もはやないですね。

 「いい学校に行くには塾に行かせねばなりません。親が裕福な方が有利です。所得格差が教育格差につながっています」

 ――中流社会は崩れてしまったのでしょうか。格差は広がるばかりですか。

 「意識の上では、多くの日本人がそう感じています。しかし、実態は必ずしも極端に格差が広がっているわけではありません。日本でも貧困層は増えていますが、格差という点では、世界的に見れば小さい方です。日本で正規雇用されている労働者の数は、80年代に約3400万人ですが、この数字はいまもあまり変わりません。非正規の数は、その間に約600万人から約2千万人に増えました。その原因は、より多くの高齢者や女性が非正規で働くようになったこと、自営業と家族労働に従事していた人たちが雇用者として働き始めたことにあります。ですから、正規を直接犠牲にして非正規が増えているわけではありません」

 「格差の問題には、高齢化の要素もあります。高齢者は所得はありませんが、貯蓄などがあります。所得の分析だけでは、格差の実態を把握できないのです」

 ――国際的にはどうなのですか。

 「世界的に注目されているフランスの経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本論』という研究があります。これによると、20世紀初頭、欧米先進国も日本も、少数の富裕階級が多くの富を持つ格差の大きい社会でした。2度の世界大戦や大恐慌で資産が喪失したことで、格差が収縮しましたが、これは例外時期であり、80年代から再び格差が拡大しているというのです。ただし英米に比べると、独仏など欧州大陸の国と日本では、格差拡大の幅は大きくない。挑発的な議論ですが、私の研究を補強するところもありますし、グローバルな文脈で日本を考えることを可能にしてくれます」

 ――さきほどの話では、高度成長期には、日本人の「中流」意識は実態よりも強かった。今度は、格差を実態より大きく感じているということですが、それはなぜですか。

 「中国人や米国人よりも自分たちのほうが格差が小さいと知っても、なぐさめにはなりません。外国との比較ではなく、みんな自分の親の世代と比べます。雇用の安定という問題もあります。様々な要因があって、経済データと人々の意識が対応していない。なぜなのか。今後研究していきたいと考えています」

 「意識でいえば、日本経済の実態にしても、日本人の見方は悲観的すぎると思います。中国に国内総生産(GDP)では抜かれましたが、中国の人口は日本の10倍。1人当たりに直すと、日本の経済力の方がまだまだ、はるかに上です。他の先進国と比較しても、1人当たりの成長率は悪い数字ではありません」

 ――しかし、実態がそうでも、意識の問題は大きいのでは。かつて戦後日本は「成功物語」として語られました。いまは、戦後は失敗だったという見方も出ています。

 「日本人の多くが戦後を失敗だと認識しているとは思いません。たしかに、これまでうまくいっていた戦後システムが今日ではうまく機能していない、という感覚はあるでしょう。でも、現在の政治経済システムが機能していないのは、世界共通の問題です」

 「社会の中で楽観論が失われ、悲観主義がひろがるのは、憂慮すべきことです。予言の自己成就という言葉がありますが、そういう悲観は、若い人から挑戦する気概を失わせ、内向きにしてしまいます。また、成功した人々へのねたみから、そういう人々への反感を強めたり、あるいは外国人を攻撃する排外的な言動につながったりする危険があります」

 ――どうしたらいいでしょうか。

 「発想を変える必要があるでしょう。日本が直面しているのは、低成長の時代に、人口減少、少子高齢化、さらに環境へ配慮するという制約のもとで、どうやって社会を維持するのかという問いです。労働人口の減少に伴う生産力の低下をどう補うのか。原発のあり方も含めてエネルギー不足にどう対処するのか。低成長時代に生活様式をどう改めるのか。課題はたくさんあります」

 「強い経済成長が期待できないときに、政治と社会の安定を保つのは容易なことではありません。しかし、世界全体として高い成長は望めないのです。過去には、年率3%から5%の成長はふつうでした。しかし、これから、1%の成長率のもとで、どうやって、品位のある、よい社会を維持するかを考えねばなりません。日本だけの課題ではありません。リーマン・ショック以降に一層明確になりましたが、低成長も少子高齢化も環境の制約も、先進国のすべてが、そしてやがては新興国もみな直面する課題なのです」

 ――日本はフロントランナーというわけですか。

 「たまたま日本が最初にその壁にぶつかったわけです。しかし、この課題を克服できれば、新しい意味で日本はまたリーダーになれるのではないでしょうか。高齢者へのケア、資源の効率的利用、省エネ技術など、日本が、世界に先駆けて取り組んできた分野があります。その経験を活用して、新しいモデルを示してほしい」

 「これは、経済成長を終えた成熟社会の話です。日本にとって、『ポスト戦後(戦後の後)』をどう築くかという挑戦ではないでしょうか」

 ■取材を終えて

 米国の日本を見るまなざしは、時期によって揺れ動く。日本が経済大国へと躍進した70年代末から80年代にかけては、米国が見習うべきモデルとして「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とたたえられた。21世紀になって中国が急速に台頭すると、こんどは「ジャパン・パッシング」(日本軽視)という言葉がよく使われるようになった。そういう中で、ゴードン教授は労使関係を中心に、実証的な社会経済史の研究を積み重ねてきた。資料を探し、関係者にインタビューし、現場に足を運ぶ。日本は「戦後の後」のビジョンを切り開くべきだという提言も、そうした長年の観察に裏打ちされている。(聞き手・三浦俊章)